第七章 皇帝の忠犬

 ヴァルマを制圧した後、解放軍の勢いは更に増していった。ザンティル将軍が解放軍に加わったことが知られると、雌伏していた将軍の元部下たちが合流した。各地でも民の反乱が相次ぎ、解放軍はそれに助勢して民を帝国の手から解放していった。

 解放を繰り返す度に仲間の数は増え、領主を次々と排除していく。こうしてマシティア帝国の北部は混沌とした状況になり、その勢力は徐々に民の方へと傾いた。

 解放軍は勢いに乗って南へと進軍した。真紅の聖女と義の将軍を旗印としたこの組織は士気が高く、死を恐れずに帝国軍と戦い、勝利を重ねていった。そうして皇帝の住まう帝都パギンドゥに到着する頃には仲間の数は減るどころか、五千人近くにまで膨れ上がっていた。

 パギンドゥの外からは、天を貫かんとする壮大な城だけが見える。城下の様子を知ろうにも、高く分厚い城壁が城をぐるりと囲むようにして立っていて窺うことが出来ない。その壁をくり抜いて作られた門も閉ざされていて、内外からの出入りを完全に拒んでいた。

 解放軍は隔壁から少し離れた場所に陣取り、天幕を張っていた。その天幕の一つで、リシェルは仲間たちの話し合いを聞いていた。

「監視を続けていましたが、四方のどの門も一度も開いておりません。やはり籠城するつもりのようです」

「当然だろうな。進攻を阻み続けていれば、援軍が望める。我々も全ての民を帝国の手から解放してはいない。帝都の周囲、南部には未だに皇帝に尾を振る連中が多いはずだ」

「南部では反皇帝派の貴族たちが起ち、我々と同じように皇帝軍と戦っているとの情報もあります。逆に彼らが我々の援軍として来てくれるかもしれません」

「彼らが来てくれる保証はないだろうに。それに数の上ではまだ皇帝側が有利だ。仮に反皇帝派が来ても、皇帝派の援軍の数が勝っていれば意味がない」

「じゃあ、さっさとパギンドゥに攻めるしかないじゃないか。あの門をどうやって破るか。それを考えよう」

 リシェルが口出しをする間もなく、議論はまとまりを見せないまま、結論を先延ばしにして終わった。天幕を出ていく人たちを見送っていたが、ザンティルは残ったままだった。

「ご不満がおありか?」

 ザンティルは苦笑を浮かべてリシェルに言う。牢に入れられた時は髪と髭が伸び切っていたのだが、今はどちらも綺麗に整えられて表情がよく見えた。

「不満というか、なんというか……」

 歯切れの悪い返答だった。この話し合いで、ただ自分がいるだけで意見を求められていないことには確かに不満はある。だが、その根底にある問題に悩みを持っていた。

 ヴァルマ解放以降、リシェルは前線での戦いに参加させてもらえなくなった。それはリシェルに解放軍の象徴として居続けてほしいという意図があったからだ。前線に出て、万が一命を失うことでもあれば、解放軍の士気だけでなく、各地で抵抗を続ける民たちにも影響を与えることになる。リシェルは「真紅の聖女」として存在し続けることだけを求められ、覚悟を持って戦おうとしていた己の意志を押さえつけられてしまったまま、今日に至っていた。安全圏で号令を掛けるだけで勝利を得られる。それを喜ばしく思えるほどリシェルは図太くなかった。

「貴女が殊勝な人間であることは分かる。だが、皆が真紅の聖女の存在に依存しているということも覚えていてもらいたい。民の解放の象徴が、それを成す前に消えてしまえば、悲壮だけでは済まない。皆、それが分かっているから、貴女を危険の及ばぬ後方へと追いやるのだ」

「ですが、私だって戦って貢献したいんです。後ろで守られているのではなく、前に出て皆を守りたい。守られるほど弱くないし、守れるだけの力を持っている。自惚れじゃなくて、本当に出来るのに」

 リシェルはアルテナの剣を腰帯から抜き出した。暫く刃を見ることもなく、柄に触れない日すらあった。握った鞘は剣が納められていても、重さを感じさせないほどに軽い。

 ザンティルはアルテナの剣を凝視していた。リシェルはその視線に気付くと、ヴァルマの地下牢でザンティルが神の力が宿った剣をすんなりと受け入れたことを思い出した。再び湧いてきたその違和感を、口にしてみることにした。

「将軍はこの剣に神の力が宿っていることを疑っていませんでしたが、どうしてでしょうか」

「同じではないが、説明の付かない力を見たことがある。かの皇帝ゾギアが見せてくれたのだがな。奴も剣に神が宿っているなどと宣っていた」

 リシェルは血の気が引いていくのを感じた。皇帝が神器を持っているという。マシティアにいる人々は神器など知っている様子はなかったし、自分の幼少の頃にもそんなもの存在を知る由もなかった。なので、マシティアには神器はないのだと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。

「帝国にも神器があったのですか?」

「前皇帝時代にはそれなりに皇帝に近い場所にいたが、あのような代物があったとは記憶していない。ゾギアが皇帝になって初めてあの剣を見た。あれが一体どこから来たのかは分からぬ。しかし、あの力は常軌を逸していた。ゾギアはそれに魅了されたのだろうな。皇子であった頃は目立つことのない、大人しい人だったが、あの剣を手にして皇帝となった時から残忍な人格を曝け出した。強大な力とは人をああも変えてしまうのだろう。或いは、剣に宿る神がゾギアをも支配した、と。いや、つまらん妄想か」

 ザンティルはしげしげとアルテナの剣を見る。

「その剣とあれとは何かが違う。偏見ではなく、あれは嫌な印象しか抱かないものだった。同じ神でも、ゾギアの剣には醜悪な神が宿っているのかもしれん」

 醜悪な神。その言葉の響きは魔神を想起させた。ゾギアは魔の神器を持っているのかもしれない。だが、ゾギアがいるという帝都パギンドゥからは魔の気配は感じない。マシティアに来てから感じている毒気のある空気は相変わらず鼻の奥を刺してくるというのに。

 ただ、もしゾギアが魔の神器を持っているのだとしたら、尚のこと自分が戦いに参加する必要があるとリシェルは思った。その力を存分に振るわれたら、多くの犠牲が出ることになるだろう。解放軍の皆は前線に出ることを許してはくれない。置き物となることを強いられるのならば、それに歯向かわなくてはならない。

 ザンティルと話し終えて、リシェルは天幕を出た。まだ日が落ちて浅いが、雲が空を覆い始めて夜を早めていた。昼間は晴れ晴れとしていたが、冷たい風が雲の塊を運んできたようだ。心なしか雨の匂いがし、手の甲にぽつぽつと細い雨粒が落ちてくる。

 リシェルはまとまって並ぶ天幕の集団から、少し離れた位置にぽつんと建てられた天幕の一つに急ぎ足で向かう。入口にいる見張りと一言二言話した後、中に入っていく。天幕の中にいたミーナは変わりない様子でリシェルを歓迎した。

「懲りない奴」

 ミーナは顔を背けて、大きな舌打ちをする。リシェルはお構いなしに、地べたに座るミーナの隣に腰を下ろす。ミーナはリシェルから距離を置くようにして横にずれる。手を縛る縄は外されている。リシェルが行軍中に何度も仲間を説得し、つい最近、その自由を許してもらえるようになった。

「聖女様のご高説はもう聞き飽きたんだけど。それとも、帝都を前にして、怖くなって泣きつきに来た?」

 あるいは、そういった気持ちも抱いていたかもしれない。だが、それよりも大きな不満が心を支配していた。それを言うつもりはなかったのに、ミーナがちらりと横目を向けてきて、目が合ったことで衝動が抑えられなくなった。

「私は、戦いたいんです。戦って、皆を守って、マシティアに平穏を取り戻したい。なのに、私に与えられた役割は解放軍の旗印になること。最後の戦いにすら参加させてもらえない。皇帝は私と同じ力を持っているそうです。その力を食い止められるのは私だけしかいないんです」

 ミーナは完全にリシェルに顔を向けていた。いつも睨むような視線のミーナが目を丸くしてリシェルを見ていた。リシェルはそれに気付かずに思いを吐露し続ける。

「これじゃあ何のために剣を振る覚悟を決めたのか分からない。今から帝都の門を叩き斬って、一人で全部終わらせてしまいたいとさえ思ってしまいます。出来るのならば、本当にそうしたい」

「そんなに自分の手で皇帝を殺したいのか?」

 ミーナの問いかけに、リシェルは首を振る。

「殺すことが目的ではないですから。ただ、必要とあらば、そうしなければ戦いが終わらないのなら、殺す他にありません」

 ミーナはじっとリシェルの顔を見た。リシェルは我に返り、不要なことを言い過ぎたと内省した。話題を変えようと改めて口を開こうとした時、ミーナが先に声を発した。

「とにかく、自分が何かしないと気が済まない、と。だったら、手伝ってやるよ。帝都へ入る特別な道を知ってる。あたしなら、お前を皇帝の所まで誰にも見つからずに連れていってやれる」

 突拍子もない誘いだった。考える間もなかった。リシェルは言葉を返す前に、ミーナの手を取っていた。

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