その話し合いは順当に進んでいたのですが、我儘な小娘は聞き入れようとしません

 喧嘩吹っ掛けておいて場所を変えようとか神御祖神かみみおやかみが言い出してぐっだぐだになった空気を悠然と泳いできた灯理とうりが、探索者シーカー二人の側にあるテーブルに珈琲の湯気が香るカップを、とん、と起きました。

結女ゆめがわがまま言ってんのはその通りなんだが、取りあえず腰を落ち着けて話をしないか?」

 意外な事に、その珈琲を見詰めて先に席に着いたのは女性の方でした。

「いいのか?」

「イケメンに淹れてもらったコーヒーとか飲まなきゃ損でしょ。もちっと背は欲しいところだけど」

 成人男性の平均身長にあと十センチ足りない灯理はその指摘に嫌そうに顔を歪めますが、その一方でらんが彼氏をイケメン評価されてご満悦だったりします。

「さすが、灯理。頼りになる」

「結女が最高神のくせに頼りにならなさすぎなんだよ」

「なにをっ」

 悪態を吐いた灯理に神御祖神が噛み付きますが、完全に正当な評価です。貴女が余計な口を開くとまた話が進まなくなるので大人しく灯理に任せなさい。そろそろ怒りますよ。

「ぐぬぬ」

 はいはい。唸っていてもちゃんと椅子に座って偉いですね。灯理、お菓子を与えていいですよ。

「そこで母娘ゲンカすんな。処理がめんどくさくなる」

 灯理は心底疲れ切った顔をして自分の分の珈琲を手に、探索者達の向かいに腰掛けました。そしてちゃっかり嵐が澪穂解冷茶比女みをほどくひさひめの手を引いて隣に座ります。嵐の手に包まれているカップには灯理が淹れたカフェモカが入っていました。

「でだ。結女の言い分が頭おかしいのは置いといて、あんたらも押しつけがましいというか、どの立場で補導だのなんだの言ってんだよ」

 灯理の疑問への返事として、総司と呼ばれた男性が無言で一枚の名刺を差し出してきました。そこには『時田総司』という名前、『内閣ダンジョン対策管理室特務課長』という役職が記載されています。

 これには灯理も目を点にします。

「内閣って……国のお役人?」

「なによ、ダンジョン対策管理室知らないの? 今どき、幼稚園児だって知ってる国家機関じゃないの」

「いや、俺はこの時代の人間じゃないし、ぶっちゃけダンジョン関係は丸っきり常識外なんだよ」

「はぁ?」

 探索者のもう一人、女性の方が、ダンジョンの事を何も知らないという灯理に向けてあからさまに意味が分からないという顔をしています。

 この世界でダンジョンボックスが広まってから三年、ダンジョンが齎す脅威と利益は国家を上げて対応しなければならない程に大きな波を社会に引き起こしています。

 それを知らない人なんて日本ではどんな田舎を探しても見付からないでしょう。

「みつ、落ち着け。君は先程神だと呼ばれていたな? その子が君を喚んだのか?」

 不審を露わにする女性をみつと呼んで、総司が口を挟みます。

「召喚じゃないよ、生んだんだよ!」

 はい、そこの小娘。ここで意気揚々と差し出口を挟むのではありません。貴女が話に加わると拗れるとまだ学習出来ないのですか。

『だから、神霊は成長なんかしないって。諦めなさいよ』

 八房珠鈴やつふさのたますずも煩いですよ。ドアベルの役割に甘んじると決めたのなら来客時以外は黙っていたらどうなのですか。

「……生んだ?」

「うん、生んだ。灯理の魂の灯理比等路命あかりのひとちのみことは元からわたしが生んだものだし、この世界には転生もしてなかったらこうして生み直した」

 神御祖神がどや顔している横で、灯理が頭を抱えています。いっそぶん殴って黙らせてもいいのですよ。今からでも遅くありませんのでどうぞ。

「話を戻そう。俺が神霊なのは確かだし、この時代の知識には疎い。だからあんたらの組織も仕事内容も分からない。ダンジョンを片っ端から破壊するとかが役目なのか?」

 とても強引にですが、灯理が会話の軌道修正を試みました。

 その意図を読み取って総司が説明をしてくれます。

「いや、誰彼構わず破壊、という訳ではない。そもそもダンジョンとは現実を変えたいと強く願った人が作り出すものだ。その人は、国家が守るべき国民でもあるんだよ」

 総司はピンと人差し指を立てて注目を集めます。

「現実を変えたい、なんて強く願う人物には心に傷を負った者も多い。現実問題、不登校や引き籠り経験のあるダンジョンマスターの割合は多い。その一方でテロリストがダンジョンを作り武力を備える事例もある。ダンジョンの恩恵として有用な資源、それこそ神話に出て来るような夢物語の薬やら金属やらが得られるのも、それを元に世界の科学や経済が発展しているのも事実だ。個別のダンジョンが保護すべきか共生すべきか破壊すべきか、それを判断し実際に対処に当たるのが僕らの仕事、という訳だ」

「そんでもって、小学生のダンジョンマスターとか、国家機関としては問答無用で保護対象、まずはダンジョンよりも当たり前に平穏な子供の生活送らせなきゃならないのは説明不要でしょ」

 総司の説明に接いでみつも自分の行動の裏付けを伝えてきます。

 それは納得しかないもので、灯理もしっかりと頷きを見せました。

「そりゃ、あんたらの言い分は正しい」

「灯理!? ちょっと、もうちょっとがんばって抵抗してよ! 夢を叶えるために就職を蹴った気概はどうしたの!」

「俺は高校まではちゃんと卒業したっつの!」

 貴女、自分の我が儘が通らなさそうだからって灯理に八つ当たりするのではありません。馬鹿なのですか。すみません、馬鹿でしたね。

「もう! 灯理も頼りにならないんだから! こうなれば力づくでも追い払うしかないじゃない!」

 憤っているふりをしていますけど、実は楽しくてノリノリなの、知っていますからね。貴女、ただ単に自分の生んだ神霊の強さを見せつけたいだけでしょう。本当に子供っぽい性格をしているのですから。

 神御祖神が立ち上がるのと同時にエントランスの景色が掻き消えて、みんなが座っているテーブルがぽつんと森に投げ出されました。

「転移!? かなりレベル高いダンジョンマスターじゃないと使えないスキルじゃない!? このダンジョン、今日造られたばかりなのよね!?」

 みつが神御祖神の起こした現象に驚き、慌てて立ち上がりました。総司もアイテムボックスに仕舞っていた透明の盾と木の杖を取り出して臨戦態勢に入ります。

 灯理は頭が痛そうに両手で額を抑えて机に俯いて、嵐がその背中を撫でていますし、冷茶比女も嵐を真似して灯理の背中に手を置いています。

「ふっ。今更わたしのすごさを理解してももう遅いわ! せっかく来てくれたんだから、わたしのダンジョンで護る強い神霊のカッコよさも見ていくといいわ。来なさい、羽金速高命はがねのはやたかのみこと!」

 つまりダンジョンの美しいところを見てもらった次は、ダンジョンとして強い守護者がいるのも自慢したいって事ですね。その相手をさせられるのはいい迷惑ですよ、分かってますか、分かっていませんね、ええ、知っています。

 それにしても、羽金速高命も先に生んでいたのですか。巨大台風を切り裂いたと言っていたのも、彼の神霊に違いないでしょう。

 森の空気を刃が走る金属音が切り裂きます。神御祖神が呼ぶ声に応えて、ダンジョンに設置されたこの森の階層に住む羽金速高命が文字通り飛んで翔け付けた訳です。

「は?」

「でっか。なに、ボスモンスターなの?」

 探索者達を見下ろす背の高い樹の枝に降り立ったのは、全身の羽が鋼の刃で形成されている、人間とほとんど同じ大きさという巨大な鷹です。

 羽金速高命は猛禽らしい鋭い視線で探索者達の姿を観察しています。

「母上、この者達を切ればよろしいので?」

 人とは違う喉の構造のせいで変にくぐもった声を羽金速高命が発します。

「そうだよ! 貴方が負けたらわたしはこのダンジョンに帰ってこれなくなるから、追い返して!」

 誰もそこまでは言っていませんよ。普通に小学生らしい日常生活を送るように言われただけです。

 羽金速高命は体を竦めて足の爪で頭を掻き、甲高い金属音を短く鳴らします。

「母上の遊びに付き合わされて大変だろうが、運がなかったと諦めてくれ」

 そしてそんな無情な宣告と同時に羽金速高命は足で掴んでいた枝を離し、疾風のように探索者達へ目掛けて飛翔します。

 探索者の二人も神速の羽金速高命に対応して、総司が盾を掲げて初撃を待ち受けます。しかし羽金速高命は二人の側を擦り抜けるような動きで、総司の持つ盾に四閃、斬撃を繰り出して持ち手の周りを拳大の菱形にして残りを切り落としていきました。

 頼りの武器を一合で解体されて、総司は動揺しています。

 飛翔して過ぎ去った羽金速高命は森の木々を縫うように旋回してきてその背後を取ります。総司の首を翼の一太刀で一思いに落そうした羽金速高命の軌道は、しかし二刀流を抜いたみつが決死の形相で刃を合わせ、どうにか受け流します。

 激しい金属音を打ち合わせても羽金速高命は悠々と空へと舞い戻り興味深そうに掠れた金色の瞳に二刀を構えるみつを映しています。

 神の斬撃を受けたみつの両腕はそれだけで痙攣していますが、その目は強く闘志を滾らせて爛々と輝いています。

「見込みがある。少し稽古を付けてやろう」

 ちょっと、羽金速高命。素質のある若者を見付けたからと言ってそんなにやる気を出すものではありません。順当に武器を弾いて力の差を見せ付けて下がらせてあげなさいな。

 わたしの苦情を羽金速高命は羽ばたき一つで金属音を響かせて斬り捨てます。

「武の神として、これくらいの楽しみは捧げられて良かろう」

 この戦闘馬鹿、普段は神御祖神の無理難題もほいほい受けるくらいに聞き分けがいいのに、強さを目にすると強情なのですから。

 みつの刀がとても届かないくらいの高度を旋回する羽金速高命に総司が杖を向けて火炎の魔術を放ちますが、斬り捨てられます。

「魔術を切るとかおかしいっての」

 総司は文句を言いつつも真正面からでは合わせられると悟り、風の魔術を羽金速高命の背後から追尾させたり発動の早い雷の魔術を放ったりしますが、どれも軽く羽の刃を揺らすだけで斬り捨てられ続けます。

 魔術の発動は神秘ですが、それによって生み出された現象は自然科学の範疇です。それに刃を纏う鷹の神霊である羽金速高命は自分よりも下位であれば神秘であっても切り落としてみせるでしょう。

 そうして総司の魔術を片手間にいなした羽金速高命が急降下して全身を一刀に見立てた刺突をみつに繰り出します。

 みつは息を短く吞み、羽金速高命の切っ先に向けて二刀を重ね、ギリギリでそれに弾き飛ばされて死を免れますが、飛び散った火花に肌を焼かれていました。

 そんな攻防を瞬きしながら見ていた嵐が灯理の服の袖をくいくいと引っ張りました。

「ねぇねぇ、灯理さん、殺しちゃったら死んじゃうよね。だいじょうぶなの?」

 嵐がそんな人間しい懸念を口にしましたが、灯理にはそれに答える知識がなくて押し黙ってしまいました。

 なので神御祖神の方が呆気からんと事実を告げます。

「だいじょうぶだよ。死んでも死に戻り設定してあるから」

「死に戻り?」

「そうそう。ダンジョン内で死んだり怪我したりしたらどうなるのかは、ダンジョンマスターが設定出来るの。うちは死んでもエントランスの外に死に戻りしてなかった事になるし、ダンジョンから出たら中で受けた怪我も全部完治するようにしてあるよ」

 だから羽金速高命が二人を斬り捨てても平気だという訳です。神御祖神は無駄に生き物を殺したりしない性格ですから、こうした方が気兼ねなく実力行使の防衛が出来るという考えなのですね。

 そもそも人殺しが嫌ならダンジョンなんか造ってないで平穏に暮らしておけばいいと思うのですが。

「なによ。楽しみのなくて生きてるなんてつまらないじゃない」

 そのせいで今、二人の人間が命の危機に瀕しているのですが。いえ、最終的には命に別条がないのは分かっていますが、それでも殺されるというのは痛いですし恐怖を与えるものであるので、何事もなく、という訳ではないのですよ。

「いいじゃない。敵わないって分かれば文句も付けられなくなるかもしれないし」

 聞きたくない事を聞くのは上に立つ者の責務ですし、あの二人の言っている事は正しいですし、貴女は気侭に生きている分、そういう苦労をするのも必要経費だと思います。

 しかし羽金速高命は今当に左右の翼で探索者達の首を跳ねて、神御祖神の我が儘を叶えてしまったのです。

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