第24話 担当医の聴取

第24話 担当医の聴取


「担当ドクターは、今日はいらっしゃいますか?」


「ええ。間も無く外来診療が終わりますので、医局の方にいらしてみて下さい」

 ほぼ作業を終えた松下は、初めて梨本に正対した。


「こちらにはまだ『医局』があるのですか?」

 古臭い言葉を聞いて、梨本はつい本題に外れた質問をした。


「医局と先生方が言うから、ついそう呼んでしまうのですが、医師の事務室のことで、正式には医師センターです。五階に有りますが、私から連絡しておきましょうか?」

 松下はペロっと舌を出してそう言った。


「是非お願いします」


「では五分後に医局を、いや医師センターをお訪ねください」


「患者に話しかけてみても良いですか?」


「ええ、構わないですよ」


 もう用事は済んだのだろうと、出て行きかけた松下を、梨本は呼び止めた。

「ああ。すみません、ソフィアさんを見舞いに来られる方は、どんな人達でしょうか?」


 次の仕事へ向かおうとしていた松下は、すらすらとその質問に答える。

「入院された当時は色々な方が見えましたが、意思の疎通ができないとわかってからは息子さん位ですね。外には二月か三月に一回位、四十代の男性がいらっしゃいますが、どなたかは存じません。来訪者カードを調べれば、名前くらいならわかると思いますが」


「ソフィアさんには、息子さんがいらっしゃるのですか?」


 未婚と聞いていたソフィアの子……梨本は強い興味を持った。すると、先ほどの少年がそうなのだろうか?


「ええ。学校帰りに、二日に一回は様子を見に来ますよ」


 さっきの少年に違いないと、梨本は確信した。

「学生ですか?」


「中学三年生ですが、とても無口な子です」

 松下は真顔になる。少年に同情しているのだろう。


「ソフィアさんが今五三歳とすると、三九歳の頃に生まれたお子さんですね。高齢出産かな」

 素早く計算した梨本は、そう言ってみた。


「いいえ。ソフィアさんがまだアメリカ在住の頃、四十歳の時にまだ二歳にもならない孤児を引き取ったと聞いています。

 ソフィアさんは日系アメリカ人で、祖父の国から子供を引き取って、祖父と同じケンタロウという名前を付けたんです。これはケンタロウ君から聞いた話ですけれど」

 松下は少年のことを考えて、少し暗い顔をする。


(ケンタロウ……高田ケンタロウ?)どこかで、最近見たか聞いたかした名前だと、梨本は思った。


「未婚のままで養子縁組ですか?」

 梨本はケンタロウのことを訊きたかったが、松下に警戒されることを懸念して自重した。


「そうですね。私の聞く限り、ソフィアさんは結婚されたことは一度も無いと思いますよ」

 ちょっとしゃべり過ぎたかなと云う顔をした松下は、両手を軽く打ってもうお仕舞いですよというジェスチャーをする。


 梨本は松下に頭を下げた。

「ああ。色々ありがとうございました」


「お役に立ちましたかしら? では五分後に医師センターへどうぞ。担当医師は東郷先生ですから」

 そう言って、松下は身を翻すや、病室をすたすたと出て行った。


 梨本はベッドの横に椅子を引いて来て、患者に声を掛ける。

「ソフィアさん」


 反応は全く無い。梨本は腕の形になっている辺りの毛布を軽くたたいて、少し大き目の声で再度呼び掛けた。


「ソフィア高田さんですね?」


 患者は、はっきりと顔を梨本に向けた。しかしその目の焦点は遠い。彼女の目には、梨本も室内の景色の一部なのだろう。腕を優しくさすってみると、気持ち良さそうな表情になる。

 少しだけ口許が動いて見えたが、それは梨本の気のせいなのかも知れない。


 梨本は思い切って、患者の手を取って軽くゆすりながら「ソフィア」と呼んだ。微かに手を握り返して来たように思えた……でもそれ位が何だと言うのだ。彼女からは何も聞き出せないことが、はっきりしただけのことだった。

 

 梨本は諦めて、五階の医師センターに向かった。

 梨本の身分証を見せられた担当医師の東郷は、患者の病気の秘密には関心が低いタイプだった。しかしながら、ソフィアの病気に関しては大した情報は得られなかった。

 患者の病状には改善傾向が見られないこと、入院時から殆ど意思疎通ができなかったことなど、松下から聞いた事を再確認するに留まった。


 ボケ状態になった原因についての質問に対しては「どうも、長い間飼っていたサルが死んでしまって、そのショックが引き金になったのかも知れない」と答えながらも、医師としての診断ということになると全く自信が無いらしい。

 それというのも、患者の急変の事情を説明できる息子が、医師に対し非協力的なせいだとも言った。

 その辺の話をした時の東郷は、いかにも不機嫌だった。

 それから間も無く、これ位でいいでしょうかという、東郷医師の言葉を合図にその事情聴取は終了した。


 次に梨本は、一階の事務センターに顔を出し、ソフィア高田を見舞った者の資料提出を要求した。

 最近の半年分の訪問者カードは、患者氏名のあいうえお順に簡単に整理されていたので、さ行に整理されていた「ソフィア高田」の分をその場で閲覧できた。

 半年分の訪問者カードはたったの六枚で、どれも「高田恵一」の名前だった。

 それ以前のデータについては、明日の回答メール待ちになった。

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