羅刹国

片山勇紀

第1話

 大学に進学して四年目になった。周囲の学生は就職活動で忙しそうだった。けれど、ぼくは就職するつもりなど微塵もなかった。なぜなら、就職とは、国民国家の一員としてこれに参入し、貢献する身振りであるからだ(結婚もまた然り)。フランス現代思想やニューアカデミズムに毒されていたぼくはそう考えていた。

 ぼくは団体行動が苦手で、サークルに所属していなかった。もちろん、アルバイトもしたことがなかった。そんなぼくには当然友人など一人もおらず、孤独だった。だがぼくのナルシシズムはそんな孤独を愛していた。青春などクソ喰らえだと思っていた。ただ、一度だけ女性と付き合ったことがあった(ぼくは顔が良いしファッションのセンスも良いので実はモテるのだ)。セックスも経験済みだ。しかし、相手の時間に束縛されることが嫌になり、わずか五ヶ月で関係を絶った。ぼくは真剣に女性を愛することができなかった。

 そんなぼくの救いは、『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する、惣流・アスカ・ラングレーというキャラクターだった。ぼくは彼女のフィギュアを5体も所持しているし、彼女の声を聴くだけで勃起ができる。ぼくは間違いなくアスカを愛していた。ではなぜ、現実の女性は愛せないのに、虚構のキャラクターは愛せるのか。答えは簡単だ。現実の女性は情報量が多すぎるのだ。それに比べて虚構のキャラクターは記号に過ぎないため、情報量が少なく、ありのままを一方的に好きになれるのだ。ぼくはアスカを愛している。では愛とは何か。これは難題だ。かつてウエルベックは『服従』のなかで、男にとって愛とは、快楽をくれることへの感謝に過ぎないと述べた。これは確かに説得力がある。しかし何か大切なことを取りこぼしている感じがする。精神分析はこの問いにあまり関心がない。ラカンは、愛とは幻想に過ぎないと言った。それだけだ(その結論に至る議論は置いておいて)。ぼくは愛とは、そんな抽象的なものではなく、もっと具体的、いや物理的なものだと感じる。しかしそれが何なのか分からないまま、今日もマスターベーションをし、精液をフィギュアにぶっかけた。

 翌日、ぼくは銀座線に乗り表参道へ出かけた。バレンシアガやコムデギャルソンなどを回り、Tシャツを一枚買った。ブランド店街をぶらついていると、一人の女性に声を掛けられた。ブラックのロングヘアで、ブルーとイエローのチェックのブルゾン、その中にビッグシルエットのホワイトのシャツ、パンツは太めのレッド、それにブラックのブーツを合わせていた。わたしはメンズノンノの編集者で、あなたの写真を撮らせて欲しい、とのことだった。ぼくは快諾し、何号に載りますか、と訊いた。女性は来月号だと言い、ぼくの写真を撮った。そこでぼくはその女性に、「よかったらこれからカフェにでも行きませんか」と誘った。女性はいまは忙しいからまたいずれ、と応え名刺を残し去って行った。なぜぼくはナンパなどしたのだろう。

 その翌日はゼミに顔を出さねばならなかった。ぼくは文学部フランス文学科に所属していて、ラカンを研究している。すでに学士論文は提出済みで、あとは単位を取るだけだった。学士論文のテーマはフェティシズムで、フェティッシュを「所有」するのではなくフェティッシュに「なる」という戦略を、アスカを念頭に書いた。その原理は、精神分析の術語で言えば「理想自我」である。ぼくは誰にも話しかけられないうちに、早々にゼミを抜け出した。ぼくは本当は大学院へ進学しそのまま研究職に就きたいのだが、金がないので諦めていた。

 それから古着を物色するために下北沢へ行った。下北沢駅前は再開発中で、以前のようなアンダーグラウンドな風景や客層は失せていた。ひとが集まればすぐ資本が入る。ぼくはこれがたいへん不愉快である。それでも北口のタバコ屋は健在で、ぼくはブラックストーンのバニラを買った。そのあと古着屋巡りをしたが、どこも同じような品揃えだった。アメカジには興味がない。さらに残念なことに、お目当ての下北沢で最もラディカルな古着屋が閉店していた。ファッション業界はこれからどうなっていくのだろう。どうもぼくには画一化が進んでいるように思える。学生たちを見てもそう感じる。ぼくは喫煙所でブラックストーンを二本吸い、井の頭線に乗って下北沢を後にした。

 日が沈みかけていた。渋谷のハチ公前でタバコを吸っていたら、二人組の女の子に声を掛けられた。「お兄さん、遊ばない?」ぼくは何の躊躇もなく「いいよ。どこ行く?」と誘いに乗った。彼女らは名前をさくらとアカリと言う。ぼく達はカラオケへ行くことになった。ぼくがL'Arc〜en〜Cielの「the Fourth Avenue Cafe」で99点を取ってみせると、彼女らは大いに感嘆した。当のぼくはといえば百点じゃないのかよ、と不満だったが。その後、宇多田ヒカルや浜崎あゆみなどを流し(その他の曲は知らなかった)、あっという間に三時間が過ぎた。ぼくは彼女らに椎名林檎も歌って欲しかったな、と思った。「お兄さん、歌上手いね〜」とさくらが言った。「まあね。高校時代はバンドやってたんだ」とぼくが返すと、すごーいだのかっこいいーだの声が上がった。夜の道玄坂を進み、左に折れる。ラブホ街に入った。女の子に声を掛けられたとき、即セックスを期待するのは男だけだ。女はまず「関係」の成就を試みる。そしていま、彼女らとの関係は十分に築かれた。「入る?」とぼくが誘うと彼女達は頷いた。

 さくらはフェラチオが上手かった。ぼくは一方でさくらにペニスを預け、他方でアカリに手マンしていた。すっかり惚けたアカリが「入れて……」と言うので、ぼくは彼女のヴァギナに挿入した。「すごい……。ひとつになったみたい」とアカリは元カノと同じことを言った。男と女では享楽のあり方が異なる。ああ、性関係はないな、とぼくは思った。やがてアカリがオルガズムに達したので、今度はさくらに挿入し腰を振った。驚くべきことにぼくはここまで一度も射精していない。極端な遅漏か、射精障害か。アスカでは見ているだけで抜けるのに。さくらもイカせたので、ぼくらはホテルを出ることにした。ぼくらはLINEを交換し解散した。ぼくは帰宅すると、アスカのフィギュアのパンティを見ながらマスターベーションし、早々に果てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る