第27話
深夜、ようやく仕事を終えたガーランは、休憩所で熱いコーヒーをすすっていた。甘く温かい液体が、食道を流れ落ちる。
落ち着きたい時には、やっぱりこれに限るな。
「ガーランさん。隣いいですか?」
ガーランが顔を上げると、発泡酒の缶を持ったライツが立っていた。
ライツは見かけによらずかなりの酒豪で、よく一人で飲んでいる。
だが酔っぱらうことは滅多に無く、どれだけ酒を飲んでも、その内心を計らせない薄笑いは動かない。
「どうぞ」
ライツはソファーに腰を下ろして、缶を開けた。
「ガーランさん。単刀直入に聞きますが」
まあ話しかける気もないのに隣に座ったりしないよな。何となく予想していたガーランは、コーヒーを一口すすって喉を湿らせた。
「貴方は、シャーナさんのことが好きなんですか?」
コーヒーを吹き出すような分かり易い反応を、ガーランが示すはずがなかった。
「いや。新人だから気にかけているだけだね。気にかけすぎていることを心配しているなら問題ない。必要があれば切り捨てることも辞さないよ」
一切表情を動かすことなくそう言い切った。だが、その程度でライツを誤魔化すことはできない。
「確かに、兵士のメンタルケアは、衛生兵の重要な仕事の一つです。そして私たちの分隊でそれを最も必要としているのがシャーナさんであることは確かでしょう」
「まあそうだね」
ガーランは肯定した。
「ですが、あなたは少し踏み込み過ぎているし、新兵を教育するには少し優しすぎるように私には見える」
ライツはそう言った。確かに軍の教育は、身心を限界まで追い込み、技術と知識を体に叩き込む方法であることが多い。
それに対してガーランは、シャーナに対してかなり甘い教育を行なっていた。
今回はシャーナ自身に身心を限界まで追い込む覚悟があるからいいのだが、もし普通の新兵にこれをやったら、過酷な戦場で使えない人材になってしまうだろう。
「そうかな?俺はこのぐらいでいいと思うけど」
ガーランの言葉に、ライツはかぶりを振った。
「いえ。憎悪をかきたてようとしたり、それでいて憎悪なんて汚い感情を抱いてほしくないかのようにふるまったりと、妙に厳しいのと優しいのが入り混じっています。まるで、好きな子を相手にした思春期のガキみたいだ」
あまりにもストレートな言葉に、ガーランはすっと心の深くまで刃を入れられたような気分になった。
丁寧な口調で誤魔化されがちだが、ライツは思ったことを普通に口に出す。それは情報の円滑なやり取りが重要になる戦場では必要な能力だ。
だがガーランには、それを笑い飛ばせるほどの余裕はなかった。
それは任務で疲れているからというよりは、ライツの意見が的を射ており、他者に内心を察されたという事実に苛立っているからという方が正しい。
「だから違うって。そうやって邪推ばっかりするのは、ガキなんじゃないか?」
ガーランはやや感情的に反論した。
「ガキは酒飲んだら粋がりますよ」
ライツは愉快そうに酒を呷って、そう言った。
数秒後、ガーランは深々とため息をつく。
それを肯定だと理解したライツは、愉快そうに質問を畳みかけた。
「なぜです?」
「命の恩人って言うのもあるけど、一番は性格かな」
ガーランは、当たり障りのない回答を返す。
「当たり障りのない無難な回答ですね。まあ、ここで顔とか胸とか言うような奴に背中を預けたくないですが」
ライツは、空になった発泡酒の空き缶をゴミ箱に投げ入れた。顔色は全く変わっておらず、酔っている様子は全くない。
だが、こんなふざけた質問をするあたり、アルコールは回っているのだろう。
「ちなみに、ライツから見て脈はあると思うか?」
ガーランは、ライツに意見を聞く。部隊内の情報分析を担当する彼は、人の心情についての理解が衛生兵以上に深い。
「さあ、嫌っているということはないでしょうが、せいぜい戦友って所でしょうね。恋愛感情を抱いているって感じはしませんよ。もしそうだったら、もっと顔に出ているでしょう」
変に隠したり誤魔化したりはせず、ライツは自分の意見をそのまま述べた。
「まあ、そんなところだろうね」
ガーランは少し冷めたコーヒーをすする。
「共に銃弾の飛び交う場所に行く仕事ですからね。吊り橋効果に期待なんてことはお勧めしませんが、変にこじらせると連携に支障が出ますよ」
「それは分かってるよ。俺だって長く前線に立っているからね。円滑な人間関係も、連携を取るには重要なことだ。だから、これ以上深めようとかは試みないよ」
だけどね‥‥。
ガーランは天井を仰いで、蛍光灯の明かりに目を細める。
「では、あまり人の心に踏み込むのも野暮でしょうし、この辺りにしておきましょう」
ライツは立ち上がって、歩き去っていく。
ガーランは空になったコーヒー缶を捨て、自販機でビールを買った。
ライツとほとんど入れ違いで、休憩所にシャーナが入ってきた。
濃紺の戦闘服姿で、片腕には包帯が巻かれている。
「‥‥ガーラン」
「シャーナさん。どうかしたのかな?」
ガーランは、内心が表情に出ないよう、顔に笑いを貼り付けてそう聞いた。
「いや。飲もうと思って」
シャーナは自販機にコインを入れて、左上のボタンを押した。
少しかがむと、音を立てて出てきたビール缶を取り出す。
「一応聞くけど、シャーナさん未成年だよね?」
「18だけど、何か問題が?」
ガーランが衛生兵(20歳)として指摘するべきことを言おうとした時には、シャーナはすでに口を付けていた。
心地よさそうなため息をつく。
「法律とか健康とか、未成年飲酒が抱える問題について俺は指摘した方がいいかな?」
ガーランがそう言うと、シャーナはアルコールで上気した顔をそむけた。
「いいだろ別に。明日死ぬかも分からない身なんだから」
そんなことは言わないでほしい。ガーランはそう思ったが、口には出さなかった。
シャーナは、複雑なガーランの内心に気付くこともなく、ソファーに座る。
「なあガーラン」
「なんだい?」
「ガーランはどうやって罪なき人を殺す罪悪感を乗り越えたんだ?」
シャーナの問いに、ガーランはやはり聞くかと思いつつ、シャーナの隣に腰を下ろした。
缶を開けて、ほろ苦いビールを喉に流し込む。
「俺は、罪のない人なんていないと考えるようにしているよ」
自分で考えて乗り越えることができれば一番いいのだが、シャーナはまだ大人じゃない。
少し道を示しても、問題ないだろう。
「なぜ?」
シャーナは、ガーランの瞳を覗き込んだ。互いの内心を探るように視線がぶつかる。
「例えば戦争で虐殺される無辜の市民は、自国の体制を憎みながら死ぬとおもう?」
「そんなわけがない」
シャーナは食い気味に否定した。
「そういうこと。『敵』を正しいと思っている人は、それだけで『敵』と同類なんだ」
シャーナは押し黙った。
「暴論だよね。でも、この戦争はザルカ帝国の存在を間違ったものにしなければ終わらない。そしてそのためには、ザルカ帝国を肯定するすべてを壊さねばならないんだよ」
ガーランは話を続ける。シャーナは無言で聞いていた。
「俺はあなたに憎悪なんて醜い感情を抱いてほしくない」
シャーナが、ふと顔を上げた。言葉の意味を掴みかねているような表情が、ガーランの目に映る。
「だけど、アトラ連邦を憎む相手を憎めなければ、あなたは戦えない。戦わなければアトラ連邦に未来はない」
「私はどうすればいい?」
ガーランは、酒を飲み干した。
「強く有ることだね。強い憎悪を持って、でもそれに飲まれないぐらい強い心を持てば、戦いながら普通の人間でいられる」
ガーランは立ち上がった。
「シャーナさんは強い。大丈夫だと思うよ」
おやすみ。
ガーランはそう言い残して、休憩所を去った。
シャーナも酒を飲み干し、空き缶をゴミ箱に投げ入れると、少し俯く。
しばらくして、ゆっくりと立ち上がったシャーナは、揺れるような足取りで寝室に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます