第4話

「よし、行ってきます!」


 7歳になったユーリは、ベルベット領都へ向けて出発する。

 これから試験を受けに行くのだ。魔法学園の試験を。

 ユーリを抱きしめて離さない母の肩を叩き、名残惜しくも母の胸から離れ……離れ……


「あの、ママ? 僕、そろそろ行かないと」


「やだ」


 グスンと鼻をすすりながら、母フリージアはユーリをキツく抱きしめる。


「ママ、僕ね、目標があるんだ。僕、魔力について、魔法について勉強したいんだ。だから、魔法学園に行く。がんばりたいんだ」


「うん、ママ、ユーリのこと、応援してる」


「だから、行ってきます」


「やだ」


「ええー……」


 さっきからこの繰り返しである。

 母フリージアは、まだ子離れ出来ていなかった。


「ねぇママ。ママは僕のこと好き?」


「愛してる」


「ママはお姉ちゃんのことも、僕のことも好きだもんね」


「うん」


「ママは、家族が大好きだもんね」


「うん」


「じゃあさ、僕、弟が欲しいな」


「……ふぇ?」


 思いがけないユーリの言葉にフリージアと、そしてシグルドも固まった。


「僕、大好きな家族が増えると嬉しいな。だから、ね。僕もお姉ちゃんもいないときに。ね?」


 なんという7歳児であろう。

 二人きりになった家で、遠慮しなくていい空間で、励めと言うのだ。ナニをとは言わないが。

 父と母は顔を見合わせ、そして目線をそらした。顔を真っ赤にして。どこかムンムンと色気が漂い出した気がする。久しぶりに、今夜はお楽しみなことだろう。


「だから、僕は行ってきます! たくさんお手紙かくからね!」


「え、ええ、気をつけてね、ユーリ」


「う、うむ、あまり無茶はするなよ」


 これでしばらくはユーリの居なくなった寂しさを紛らわせることが出来るだろう。湿っぽい空気を回避することができたユーリは、商いでベルベット領都まで行くという行商人の馬車へと駆け出した。

 その目に、寂しさの涙をにじませながら。



「そうかいそうかい。嬢ちゃんはフィオレちゃんの妹なのかい」


「だから妹じゃなくて弟! いい加減に覚えてよ!」


 ユーリはシグルドの知り合いだという行商人のおじいさんの膝の上に座っていた。馬車は揺れておしりが痛いだろうと、御者台に座る自分の膝の上に乗せてくれたのだ。


「よく覚えているよ。紫色の髪をした可愛いお嬢ちゃんだろう? お嬢ちゃんが魔法で水を出してくれたお陰で助かったよ」


「ごめんなさい、僕は魔法の適性がないから、水とか出せないの」


 しょんぼりするユーリの頭をおじいさんが撫でる。


「よいよい。たくさん積んで来とるんでな。喉が渇いたら好きなだけお飲みなさい」


「ありがとう!」


「それと、寒いなら毛布を使うと良い。女の子はお腹を冷やしちゃいかんでなぁ」


「だから女の子じゃなくて男の子!」


「おお、そうだったけのぉ」


「もー、ほんとにわかってるのかなー?」


 そんなのんびりした雰囲気の旅が続く。

 ベルベット領都までは馬車で数日ほどもかかるのだ。気を張っていては心が持たない。


「ねぇおじいさん。おじいさんは護衛とかつけないの?」


 ユーリは聞いたことがある。魔物が村に来ることは殆ど無いが、村から村への街道は魔物や獣のテリトリーであると。行商人の多くは護衛をつけるのが普通だと。


「まぁ大丈夫じゃろ。襲われたことは何度があるが、対したことは無かったからのぉ」


「もー、大丈夫かなぁ」


 少しだけ不安に思うユーリであった。そして、そういう不安な予感はよく当たるものである。

 街道の横の森から、森狼が3匹飛び出してきた。魔物ではなく獣ではあるが、初老の男性と7歳児では勝ち目がない。普通であれば。


「おじいさん! おじいさんどうしよう! 狼が3匹も来たよ!!」


 ユーリは初めて見る森狼に震え上がる。7歳児にしては背の低いユーリと同じほどの体高のある巨大な狼だ。怯えるのも当然である。

 まぁしかし、実のところシグルドにみっちりと稽古をつけてもらい魔力強化まで習得したユーリが負けるはずは無いのであるが。だがユーリはそんなことは知らない。

 狼イコール強くて怖いのだ。だって前世でもそうだったもの。

 グルグルと獲物を品定めするかのように馬車の周りを回る狼たち。そのうち、獲物を馬車を引く馬に決めたようで、ジリジリと近寄っていく。

 そしてついに飛びかかろうとした、瞬間。


「わしの大切な相棒を食べるのは堪忍しておくれ」


 行商人のおじいさんは目にも止まらぬ速さで何かを投げた。


『ギャウウゥゥン!! ギャンギャンギャウ、ギャウウゥゥ!!』


 途端、一匹の狼が暴れ出した。首からナイフの柄を生やして。他の二匹は驚いたのか、すぐさま逃げ出した。首にナイフの刺さった一匹は暫く跳ね回ると、静かに絶命した。


「え……? 今、何したの?」


「ほっほっほ、ただナイフを投げただけじゃよ」


 魔力強化した父の動きも見えるようになったらユーリでさえ、今のおじいさんの動きは見えなかった。

 このおじいさん、冒険者をやめて国中を旅するようになった、元シグルドの師匠である。

 ユーリがベルベット領都まで安全に行けるようにと、シグルドが手紙を飛ばしておいたのである。そういうわけで、とても安全な長旅が始まった。



「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん。もうすぐベルベット領都に到着じゃぞ」


「ん……んーー! よく寝たぁ。身体がバキバキになっちゃったよ」


 おじいさんに起こされて、ユーリは大きく伸びをする。おじいさんの膝の上で。

 この旅の途中、移動中は殆どおじいさんの膝に座っていたユーリであった。おじいさんもまるで孫を見るかのように優しい目でユーリを見ている。


「ほら、あそこが入口じゃ」


 そこには街を守る巨大な城壁が……無かった。

 何せベルベット領都はエルドラード王国の南端に位置している。北以外の3方は海に面しているし、すぐ北の領土は首都エルドラードである。どこからも攻め込まれる心配がないのだ。

 なので、領都に入らなくてもよく見えた。たくさんの建物が。よくわからないけど高い建造物が。そして遠目にしか見えないが、大きなお城も見える。


「うっわぁーー! すごい! これがベルベット領都なんだ! 大きいーー!」


「ほっほ、王都はもっともっと大きいぞい」


「えー!? こんなに大きいのに、もっと大きいところがあるの!? ほぇ〜、世界は広いなー……」


 ユーリにはの前世の記憶はあるが、あくまでも記憶でしかない。

 実際に目にする大きな街は初めてなのだ。ワクワクと胸が踊る。

 対して並んでもいない、ゆるーい検問を終え、馬車は領都をのんびりと走る。


「あ! あそこの建物はご飯屋さんかな!? あ、あっちには剣の看板がある! 武器屋さんかな!? あれは……何? ねぇおじいさん、煙の看板って何? あ、あれは冒険者ギルドだ! お父さんが言ってた看板と同じだ! わぁ! ローブを着た女の人がいるよ! 魔法使いかな!? あーー! こっちに手をふってくれた! わーい!」


 御者台に立ったユーリははしゃぎにはしゃぐ。あまりに楽しそうに騒いでいる見た目は白髪の美幼女に、街の人達がクスクス笑いながら手を振ってくれている。


「そんなにいっぺんに聞かれても答えられんわい。嬢ちゃんも試験に受かればこの街に住むんじゃ。ゆーっくり色々なところを見て回ると良いぞ」


「分かった! 試験頑張る!」


「試験は確か明日じゃったの。今日は宿でゆーっくりして身体を休めなさい。明日の試験が終わるまでは一緒にいてあげよう」


「ありがとう!」


「ほっほ、もし落ちたら暫く商いをしたあとに、またマヨラナ村まで送ってやるわい」


「合格出来るようにがんばるもん!」


 明日受験とは思えないほど、緊張感の無い様子でユーリは言う。やることはやったし、どうあがいても最高得点が300点なのだ。

 気持ちはもう吹っ切れていた。



「よーし、いってくる!」


「はいよ。今日と同じ宿で待ってるでな」


 ベルベット魔法学園の入口で、ユーリはパンと両頬を叩いて気合を入れた。周りにはユーリと同じ受験生でごった返している。

 前世の記憶の中の受験とは異なり、試験は当日申込みの当日受験である。学園についた人順に試験を受け、終わった人は定刻になるまでグラウンドで待つことになる。

 受験者数は毎年およそ千人強。つまり倍率は5倍を超えている。

 ユーリは意気揚々と受付へと向かった。


「受験の申し込みはここ?」


「うん。こっちの紙に必要事項を書いてね。どこから来たのかと、誰の子供かと、自分の名前、年齢、性別ね」


 受付を手伝っているのであろう学園の女生徒がペンを渡してくれる。


 マヨラナ村、シグルドとフリージアの子、ユーリ、7歳、男。


 性別を書いたときに受付の女生徒が驚いた顔になる。


「えっと、男の子……で間違いない?」


「間違いないよっ!」


「あ、そうなんだ。ごめんごめん。はい、これが受験番号ね。無くさないように気をつけてね」


 ユーリは4桁の番号が書かれた割符を受け取る。

 0407

 大切にポシェットにしまう。


「試験は一般教養、魔法歴史学、戦闘技術、魔力適性の四教科だけど、どれから受験しても大丈夫だよ。ただ、他の人との会話は禁止で、学校の敷地から出るのも禁止。破ったら不合格だから気をつけてね」


「あの、トイレの場所とか、道に迷ったときはどうすればいいの?」


「私と同じ服の人がたくさんいるから、そういう人に手を上げて知らせてくれればいいよ。試験頑張ってね」


「ありがとっ!」


 ユーリは大きく生きを吸い込み、息を止めて歩きだす。そんな様子を見て女生徒がクスクスと笑った。


「喋っちゃだめだけど、息はちゃんとしないとだめだよー」


「あ、そっか! あ、しゃべっちゃった!」


「ふふ、大丈夫大丈夫。さ、行っておいで」


「うん、行ってきます!」


 ユーリの挑戦が始まった。



 試験は4科目。何処から受験しても良い。ということで、ユーリは一般教養、魔法歴史学、戦闘技術、魔力適性の順番で受けることにした。

 試験は長丁場だ。脳に糖分が余っているうちに座学を、消化して身体が軽くなってから体を動かす試験を受けることにしたのだ。魔法適性はどうでもいいので後回しである。


「失礼しま……あっ!」


 試験会場の部屋に入るときに思わず声を出してしまい、すぐに口を閉じる。

 ちらりと一般教養試験担当の教授らしき人を見る。やさしそうな初老の男だ。

 整えられた緑髪には多く白髪が混じり、モノクルをかけた瞳を細め、微笑ましそうにユーリを見る。名を、ディーター・クラウゼ。


「何か聞こえたような気がしました、鳥のさえずりですかね」


 ディーターわざとらしくそんなことを呟いてくれた。ユーリはホッと胸をなでおろす。


「おっと、受験生ですか。こちらから受験する子は珍しいですね。若い子はこぞって魔法適性に行きたがるものなのですが。では、受験番号を見せてくれますか」


 ユーリはむん! と口を結んで割符を見せる。


「はい、確かに。では、テスト用紙の置いてある机に座って問題を解いてください。時間制限などはありませんが、あまり時間をかけすぎると他の試験の時間がなくなっちゃうので気をつけてくださいね」


 割符を返してもらい、コクコクとうなずき、ユーリは席についた。深呼吸を一つして、伏せてあるテスト用紙をめくる。

 ざっと目を通してみる。簡単だ。

 ユーリは確信する。一般教養は100点が取れると。



 あっという間に問題を解いたユーリは驚くディーターに回答を手渡して次の会場へ向かう。次は魔法歴史学である。

 一般教養試験と同じように、席について問題を解く。スラスラと問題を解いていく中で、ピタリとユーリの手が止まった。


『問17 魔法を発明したとされる人物の名前を答えよ』


 簡単だ。簡単な問題だ。しかし、難しい。

 何故なら、二人候補がいるからだ。なのに解答欄は一つだけ。

 普通に答えるなら、この国の唯一神教である、聖光教会の創設者『アルマーニ・アウグスト』である。

 しかし、マヨラナ村の協会の分厚く何巻もある聖典の中に、一行だけ次のような記載があるのだ。


『アルマーニ・アウグストは、祖父であるパーシヴァル・アウグストに魔法を師事した』と。


 ユーリは悩んだ。

 もし間違えれば不合格確定である。ユーリには一問のミスも許されないのだ。

 悩んで、悩んで、そしてユーリは回答を記入した。


『アルマーニ・アウグストの祖父、パーシヴァル・アウグスト 聖典四巻三章二項より』


 協会で本を読み漁っている時、疑問に思ったのだ。ほとんどの教材でアルマーニと書いてあるが、聖典にはアルマーニは祖父に師事したとある。

 そして四巻三章二項と、記述してある場所が覚えやすいのも運が良かった。

 これで問題ないだろうと満足し、ユーリは回答を続けた。



 2つの試験が終わり、3つ目、ユーリにとっては最後の試験である戦闘技術の試験会場に向う、途中でユーリはトイレに行くことにした。

 我慢出来ないこともないが、次は戦闘技術だ。身体は軽くして懸念材料は取り除いておくべきだろう。

 近くにいる談笑中の制服姿の男女グループの元へと行き、手を挙げる。


「あ、受験生の子?道が分からないの?」


 ユーリはフルフルと首をふる。


「お手洗い?」


 コクコクと頷く。


「はーい、あ。ちょっとお手洗いに連れて行ってくるね。ほら、一緒に行こ」


 女生徒に手を引かれてユーリはトイレに連れて行かれる。


「はい、ここだよ。一人で戻れる?」


 コクコクと頷き、一礼。ユーリは男子トイレへと


「ちょちょちょ、そっちじゃないよ! そっちは男子トイレ! 女の子はこっち!」


 トイレへと向うユーリの肩がガシッと掴まれる。


「もー、緊張しすぎだよ。リラックスして試験を受けないと、ね」


「んー! んー!」


 手を引き女子トイレへと向う生徒にユーリは抵抗する。なにか大事なものを失ってしまう気がしたのだ。


「ちょっと! どうして抵抗するの! ほら、こっちだって! 学校のトイレは女子と男子で違うの! そっちは汚らしい男子トイレだから、君はこっち! そんなとこに入ったら穢れちゃうから! ほら!」


 散々な言いようである。


「んーー!!」


「もう、なんで抵抗するかなぁ。君、女の子でしょ?」


 ユーリはブンブンと首をふる。


「え、男の子なの?」


 頷く。


「またまたぁ〜」


 首をふる。


「え、ほんとに?」


 頷く。


「うっそー、信じられない……あはは、勘違いしちゃってごめんねー」


 頬をかく生徒に再度一礼し、ようやくユーリは用をたせた。

 いっそのこと坊主頭にでもしようか。そんなことを真剣に考えるユーリであった。

 気の抜けるやり取りはあったが、次はいよいよ戦闘技術の試験。ユーリが一番懸念しており、一番力を入れてきた試験でもある。

 パンと強くほほを叩き、気合を入れて会場へと向かった。

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