闇姫は名前呼びをご所望らしい


 鴉庭さん手製の夕食を黒さんを含めた三人で食べた後、そろそろ帰宅することにした。

 姉妹からは泊まっても良いと言われたが、流石に来訪初回で泊まるほどの厚かましさは無い。

 気持ちだけ受け取って丁重にお断りさせてもらった。


 その代わりということなのか、鴉庭さんが最寄り駅まで送ってくれることになったが。

 前に彼女が巽家に来た時とは逆だなぁと思いつつ、二人で夕陽が沈んだ住宅街を歩き進む。


 そんな中、ふと鴉庭さんにジッと見つめられていることに気付く。


「どうしたの? 鴉庭さん」

「翔真、機嫌が良くなった?」

「あ~……まぁね」


 よく見てるなぁと感心しつつ、頬を人差し指で掻きながら首肯する。

 機嫌が良くなった理由としては、黒さんと話したおかげだろう。


「実は黒さんからモデルをやらないかって誘われたんだ」

「! ホント?」

「返事は保留してるけどね」

「…………残念」


 モデルに誘われたと聞いた瞬間、鴉庭さんの瞳に期待感が宿ったのが見えた。

 まだ了承していないと知ったら目に見えて落胆させてしまったが。


 よっぽど同じで働きたかったのかと苦笑する他ない。

 機嫌を直すためにも話題を振ることにした。


「鴉庭さんが黒さんの会社の専属モデルって聞いて納得したよ。道理でただ者じゃないなって」

「ん。お姉ちゃん、撮影の指示が厳しいから頑張った」

「拘りが強いんだなぁ。俺、期待に添えられるか不安だよ」

「それは大丈夫。お姉ちゃんが直接スカウトするのは滅多に無いけど、翔真なら絶対に出来るって思った証拠だから」

「そ、そんなに?」

「うん。今の社員のほとんどはお姉ちゃんが声を掛けた人達で、みんな優秀」

「へぇ~」


 どうやら黒さん直々のスカウトはかなりレアらしい。

 身内の鴉庭さんが言っただけに説得力がある。


 そこまでの人に目を付けられる要素が、本当に自分の中にあるんだろうか。

 未だに実感が追い付かない。

 

「でも分かる気がする。黒さんってなんかこう、カリスマ性みたいなのがある感じがするっていうか……上手く言えないけど、一緒にいて退屈しなさそうだよね」

「ん……」


 ボキャ貧な語彙ながらも黒さんのことを称賛する。

 しかし姉を褒められた鴉庭さんの表情はどこか浮かない様子だった。


 いや相変わらず表情なんだけど、なんだか気分が落ち込んだ感じがする。

 

 どうしたんだろうか……?


「鴉庭さん? もしかして疲れた? だったらここからでも一人で帰れるけど……」

「ううん、ヘーキ。ただ……」

「ただ?」


 何か思うところがあるのか先を促す。

 鴉庭さんは眉を少しだけ顰め、やや間を開けてから俺と目を合わせないまま言った。


「……名前」

「ん?」

「お姉ちゃんは名前で呼んでるのに、アタシだけ苗字のまま。ズルい」

「っ!? え、えぇっと……」


 口にされた言葉を頭で理解するまでに少しだけ掛かってしまう。

 それだけ驚いたというか、ドキリと胸が高鳴ったというかとにかく意識せざるを得なかった。

 

 不意打ちで可愛いことを言われて、動揺しない男なんているだろうか?

 いじけるように零れた鴉庭さんの言葉が脳裏を反芻して離れない。

 どうやら彼女は拗ねていたみたいだ。

 その拗ねた理由が姉だけ名前で呼ばれているというモノなのだから、可愛い以外の感想が出てこなかった。


 流石にここまで言われて察せないほどバカじゃない。

 要は鴉庭さんは俺に名前で呼んで欲しいのだ。

 

 鴉庭さんじゃなくて──なな、と。


「~~っ」


 頭の中で考えただけで、全身が燃えたかと錯覚するほどの照れ臭さが駆け巡る。

 

 いや無理だって恥ずか死ぬ!

 恋人でもないのに女子を名前呼びして良いモノなの!?

 でも鴉庭さんはずっと俺のこと名前で呼んでるんだよなぁ。

 痴漢から助けたその日から。


 だったら俺からも彼女を名前で呼ぶべきなんだろうか?

 年齢=彼女居ない歴だから分からないや。


 グルグルと頭を悩ませながら、ふと鴉庭さんを見やる。

 すると丁度彼女も俺を見つめていたのか目が合う。

 気怠げな紫の瞳は、期待を宿らせて今か今かと待ち構えていた。

 

 本当に俺が鴉庭さんの名前を呼んで良いのか?

 

 ここまで躊躇ってしまうのは照れくさいのはもちろん、頭の片隅でどうしても引っ掛かる中学時代の記憶だ。

 

『キッモ。オモチャのクセに馴れ馴れしく名前で呼ばないでよ』


 周りに流されるまま調子づいて告白した結果、無様に振られた末に吐き捨てられた言葉。


 鴉庭さんが同じようなことを言うはずがない。

 この期に及んでそれは十分に理解している。

 喉で引っ掛かって声にならないのは単に俺がビビっているせいだ。


『心配しなくても、人生って取り返しの付く小さな失敗の連続なんだよ。その中のたった一回目で挫けてたら先が思いやられるぞぉ~?』

『大事なのは失敗しないことじゃなくて、失敗を繰り返さないこと。それさえ出来ればあとは成功しか残ってないでしょ?』


 脳裏に黒さんの言葉が過った。


 前に気味悪がられたからって今回もそうだとは限らないんだ。

 ましてや今回は鴉庭さんから求められている。


 期待されてるのなら、それに応えなきゃ自信なんて付くはずが無い。


 数回、呼吸をして緊張を和らげる。

 拭える程じゃないにしてもある程度はマシになるはずだ。


 ゆっくりと胸を張って、鴉庭さんをまっすぐに見据えながら口を開く。


「な、な、なな……さん」

「!」


 震えそうな唇でなんとか彼女の名前を口に出すことが出来た。

 ……さん付けだけど。

 それでも俺にとって確かな一歩を実感した。


 名前で呼ばれた鴉庭さんは目を丸くして呆けた表情を浮かべる。


 やがて彼女の顔はマスク越しでも分かるくらい真っ赤に染まった。

 紫の瞳は感情の昂ぶりを表すように揺れ、よく見ると微かに身体も震えていることに気付く。

 

 えっと……これって喜んでるってことで良いのか?

 予想外の反応に戸惑いながらもそう自分を納得させた。

 本当に大丈夫だよな、失敗じゃないよな?!


 どんな言葉を投げ掛ければいいのか分からないまま歩くこと数分。

 ようやくいつもの顔色に戻った鴉庭さんは、ほんのりと赤い顔を隠すように手をマスクに重ねながら言う。


「……嬉しかった」

「よ、良かった」

「でも、さんは要らない」

「それはその、もう少し仲良くなるまで待って欲しいなぁ」

「むぅ。……分かった」


 物凄い渋々といった調子でひとまずは納得してくれた。

 鴉庭さん……いや、ななさんを呼び慣れるまではまだまだ掛かりそうだ。


「翔真」


 不意に彼女から呼び掛けられる。

 なんだろうかと顔を向けると、紫の瞳はいつも通り気怠げで俺を見つめていた。


「どうしたの、か、漆さん?」

「ん。もう一回」

「へ? あ、えぇっと、漆さん」

「もっと」

「な、漆さん」

「まだまだ」

「漆さん……」


 どうやら闇姫様は早く呼び捨てにされたいのか、何度もとせがまれる。

 そんな強引に経験値を稼がせなくてもいいだろうよ。

 正直、名前を口にする度に緊張で声が裏返りそうになるからやめてもらいたいんだが。


「ふふっ。翔真、顔が真っ赤」

「っ、漆さんだって赤いじゃん」

「だって嬉しいから。翔真の声で呼ばれるの、凄くドキドキする」

「勘弁して下さい……」


 なんでそんなピンポイントに恥ずかしい台詞言えるの?

 隣を歩く漆さんに聞こえるんじゃないかと思うくらい、鼓動の音がうるさくなってしまう。

 

 もう直視出来なくて手で目元を覆いながら天を仰ぐ。

 そんな俺を見ながら漆さんのクスクスと笑う声が耳に入ってくる。


 考えなきゃいけないことは山積みだ。


 でも……今だけは敢えて無視する。

 そうした方が漆さんと一秒でも長く過ごせると思ったから。


 

 ========


 次回も夜更新!

 やれば出きるんや!

 間に合え間に合えー!

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