海の近くの街で ☆2☆


「おお、あれはなんじゃ?」


 街を歩いていて最初にシュエが興味を示したのは、香ばしい匂いを漂わせていた貝の網焼きだった。


「この香ばしい匂い、たまらんのぅ……」


 口の中にじゅわっと唾液が溢れるシュエ。絶対に美味しいと確信を持ち、その店に近付き売られている貝を眺めた。


「ほう、帆立ホタテハマグリ、なんとアワビまであるとな!?」

「お嬢ちゃん、貝を見ただけでわかるのかい?」

「うむ。美味そうな匂いに誘われて来たのじゃ。バター醤油の香りに誘われては断れん!」

「ははっ、お嬢ちゃんさては食いしん坊だな? それに見ない顔だし。よぉし、おじさんが特別に美味しいものを選んであげよう!」

「任せた! あ、リーズの分も頼む!」

「任せとけ!」


 人間で言えば中年くらいの男性が袖なしの服を着て、額にねじり鉢巻きを巻いて貝を焼いていた。どうやら男性の後ろに貝が用意してあるようで、ごそごそと選んでいた。


「この蛤はどうだい?」


 男性に見せられたのは、殻につやのある大きな蛤でシュエは目を大きく見開き、きらきらと翠色の瞳をきらめかせて何度もうなずいた。


「新鮮な蛤じゃの! これは期待大じゃ!」

「まだ寒くないのに、こんなにつやのあるものが獲れるんですね」

「なんか流れ込んでくるみたいなんだよね。不思議なことに」


 中年の男性は蝶番の部分を切って焼き網の上に蛤を置く。


「蝶番を切ったのはなぜじゃ?」

「こうすると大事な汁が飛び出さないんだよ」

「ほう、そんな工夫があったのか……」


 感心したように蛤を見つめるシュエ。蛤が焼けていくのをわくわくとした表情で眺めていると、男性が慣れた手つきで開いた蛤にバターと醤油で味をつける。一気に食欲を刺激する匂いがシュエに向かい、ぐぅぅぅう、と大きくお腹の虫が鳴いた。


「腹ペコかい、お嬢ちゃん。もうちょっとで焼けるから、これでも食ってな。兄さんも良かったら食べてくれ。うちの親戚から届いたにんじんだよ」


 にんじんを細長く切ったものを差し出され、シュエは「良いのか?」と小首を傾げる。


「子どもが遠慮するもんじゃないよ。それともにんじんは嫌いかい?」

「いーや、大好きじゃよ! では、ありがたくいただくことにしよう」


 細長く切られたにんじんを一本手にすると、ぱくりと一口かじった。シュエは目を瞬かせる。味が濃く、甘みの強いにんじんだったからだ。


「うーん、この味とこの食感。なんと美味なにんじんじゃ!」

「この切り方も絶妙ですね。食べるのにちょうどいい歯ごたえがあります」


 もぐもぐと幸せそうに表情を緩ませているシュエを見て、通りかかった人たちがそんなに美味しいのなら……とにんじんを求め始めた。


「おいおい、うちは網焼きの店だぞ?」


 と言いながらも、求められたらにんじんを差し出す男性。


「おお、本当に美味いなこのにんじん」

「切り方で食感ってこんなに変わるのね」

「あ、ついでに帆立もください」

「こっちも!」


 ……いつの間にか賑わってきた。男性はシュエとリーズの蛤の様子を見てから紙皿に乗せ、ふたり分の箸を乗せる。リーズがお金を支払い、行列のできた場所から抜け出して人気ひとけのない場所を探し、そちらへと移動することにした。


「お嬢ちゃんっ、ありがとうなー!」

「どういたしましてじゃー!」


 店主が叫んで伝えてきた言葉に、シュエも大きな声で返す。


 人波に押されるように歩き、なんとか人気のない場所へ辿り着いた。


「シュエが食べる姿は、他の人にどう見えているんでしょうね?」

「うん? リーズ、早く早く。熱々のうちに食せねばっ」


 当の本人はまったく気にしていないようである。以前の牛串のことを思い出し、リーズは行列のできた貝の網焼き屋に視線を向けてから、シュエに合わせるように屈みこみ箸を渡す。


「熱いので気をつけてくださいね」

「うむ!」


 割り箸を横に持ちぱきんと音を鳴らして割り、熱々の蛤の身を掴み、ふーふーと何度か息を吹きかけてから一口齧る。まず感じるのはバター醤油の香ばしい風味。噛んで行くうちに蛤の味が口内に広がりシュエは蛤を噛み締めた。ごくり、と飲み込んでからぐっと拳を握る。


「なんと絶妙な火の通し! 焼きすぎることなくちょうど良い。この弾力がなんとも言えんのぅ! 絶品じゃ!」

「空腹も相まって味覚が鋭くなっているのかもしれませんね」


 リーズも蛤を一口食べ、先程の男性の腕前を認めたようだった。空腹で味覚が研ぎ澄まされたシュエの言葉にうなずきながら、蛤を食べ進める。


「蛤にはベータ・カロチンやビタミンCが含まれておらんからの、まさかの緑黄野菜であるにんじんの登場にびっくりしたのぅ」

「店主は知っていて出したのか気になりますねぇ」


 翠竜すいりゅう国では当たり前に使われている言葉を口にしながらも、周りに意識を巡らせているシュエ。


 熱々のうちに大きな蛤を食べて上機嫌の彼女を見て、ルーランの姿を探すリーズ。


 ふと、こちらに向けて大きく手を振っている女性が見え、目を細めて注視する。


「どうやら、ルーランが私たちに気付いたようです」


 屈んでいた姿勢から立ち上がり、ルーランの姿をしっかりと確認するとシュエに声を掛ける。


「ルーラン! こっちじゃ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る