拝啓 魔王城のみなさま

小夜舟

一通目 引っ越しのごあいさつ

拝啓 親愛なる魔王城のみなさま


私がそちらを出て、もうじき一年が経ちますね。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

先日魔王陛下にご報告しました通り、私はやっとこの広大な人界の、トウキョウという都に、腰を据えることができました。陛下は今後の報告は不用とおっしゃいましたが、おそらく皆様は(特に厨房のクロンや魔王城逗留時にお世話になったマフィのことですが)、人界の風習や、私の日々の暮らしについて、興味がおありだろうと思いまして、あくまで個人的に、お手紙を送ることにいたしました。どうか私の拙い語りに、しばらくお付き合い下さいませ。


私が住処として選んだのは、丘の上の見晴らしのいいマンションです。最上階である4階の、真ん中の部屋を借りました。人界の建物で、魔都でよく見るマンションと大きく違う点は、必ず共用の廊下や階段があるところかと思います。人類は総じて自力では飛べませんので……。不便なことですね。

共用部の折り合いもあってか、人類は引っ越しの際、近くの部屋に手土産を持って挨拶に回るのが慣例であるということです。私も人類文化の理解を深めるためにこれを試みたのですが、その際、右隣の方からは"ミカン"、左隣の方からは"ユズ"という果物をいただきました。どちらの方からも「外国人の若いお嬢さんなのに挨拶ができて偉い」、というようなお言葉をいただきまして、私が人類からどう見えているのかのいい参考になりました。

私が外国人と思われたのは、目の色によるもののようです。私がいるこのトウキョウという都は、ニホンという国のもっとも大きな都なのですが、ほとんどのニホン人類は黒髪黒目なのです。

私が「お嬢さん」と呼ばれることに関しては、みなさま疑問に思われるかもしれませんが、人類は年齢と外見的特徴に著しい相関関係があるようです。魔界にいた頃なら想像もできなかったことですが、私も近ごろやっと、人類の年齢を外見から察することができるようになりました。私は大抵の人類からは年下に見られてしまうようで、自分より二百は年少の者から孫のような扱いを受けるのは……なんというかとても、むず痒いです。

しかし無知な若人として親切に接してもらえるのは、この世界にまだまだ馴染みのない私には非常にありがたいです。(良心の呵責も消しきれないものですが)


そう、人類は、我々が伝え聞いていた人類像に反して、それなりに親切な生き物です。陛下がかねてより予想されていた通り、我々が幼年校で必ず習うような迫害史のさわりですら、彼らの歴史からはすっかり忘れ去られています。

それどころか驚いたことに人類は、人類意外の意思を持つ生き物全般を、創作の中のものと思っているようなのです。魔類だけに限らず、未だ人界に棲んでいるはずの、龍種や、妖精ですら!

仮に私が本来の来歴を明かしても、冗談と流されるか、精神の病を疑われて終わるでしょう。兄上や父上が聞けば怒り狂って「人類を滅ぼす!」といつもの調子で叫び出すでしょうね。私は、ただただ呆れるばかりでしたが。ですが移住計画で最も懸念されていた"狩り"に怯えなくとも済むのですから、我々にとっては朗報と言ってもいいでしょう。


話をちょっと戻します。いただいた"ミカン"と"ユズ"はどちらも柑橘類の果物でした。ユズはぼこぼこと荒く硬い皮で、色は黄色ですがもし黒であれば魔界の北部火山帯に棲む鉱物性の魔獣に似ています。少し揉んで入浴の際に湯に浮かべるようにと言われまして、実際そのようにしましたら、とても良い香りがしました。後から知ったのですが、この日は"トウジ"という暦の行事で、ユズを浴槽に浮かべるのはその一環だそうです。他にも南瓜(この南瓜は魔界の南瓜と大きさが違うだけでほぼ同じものです)を食べたりもするようです。

ミカンのほうは逆に驚くほど皮が柔く、簡単に手で剥いて食べられました。甘みがやや強く、ついつい手が伸びて食べ過ぎてしまいます。いただいた分を食べきった後も、継続的に買い置きしています。こちらは"カガミモチ"という新年の飾りに使う場合もあると聞きまして、これも試しに用意してみました。右隣のかた曰く、カガミモチは一般的な食品店で買える大量生産のものもあるようですが、近所のワガシ屋(ワガシは日本伝統のお菓子の総称です)で作っているものがおすすめということでしたので、そちらに伺いました。モチはモチ屋、ということわざなどもあるそうです。こだわりがある食べ物なのですね。

モチはモチゴメという野菜を蒸かして潰したもの、それを伸ばして乾燥させ、二重に積んだのがカガミモチ。ミカンを使う場合は更にその上、三段目にのせます。という説明を、ワガシ屋の方がしてくださいました。(専門的な用語も多かったので、少し間違っているかもしれないです。ニホン語はまだ完全に習得したとは言えません……)カガミモチは、一段目が潰れたリトルスライムくらいの大きさのものを買いました。新年になって十一日目に割って焼いて食べるのだそうです。

人界の行事はこのように、食べ物と深い結びつきがあるものが多く、たいへん興味深いです。可能な範囲で魔界でも取り入れたら面白いかもしれませんね。(年長の方々は、渋い顔をなさるでしょうが……)


最初のお手紙なのに、食べ物の話ばかり長々としてしまいました。新年のお祝いの期間である"ショウガツ"が終われば私の新しいお仕事も始まります。次のお手紙で、その事も詳しくお話出来たらと思います。


かしこ

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