求愛行動

花房希希

第1話

 うちの会社に中途採用でエンジニアが入ってくることになった。前は外資系大手企業でシステムエンジニアをしていたらしい。

 その噂通りならうちよりも年収が高いはずなのにと求人サイトを眺めながら思った。何でわざわざうちみたいな中小企業に転職してきたのか。


 朝礼で自己紹介をと促された峰さんは、前髪で目元を隠し、伸びた後ろ髪を一つにまとめている、なんとも陰気な男性だった。

 注意深く聞かなければ聞き取れない小さな声で「峰 天満です」と名前を告げ、軽く頭を下げる。

 まばらな拍手が起こり、峰さんは居心地悪そうに俯いた。およそ180cm程度の高身長がやけに小さく見える。

 そしてお腹の前できつく握られた峰さんの両手は、微かに震えていた。



「なんかさぁ……見るからに難アリって感じだったね」

「私、ちょっと期待してたんだけどな」

「あのレベルのコミュ障、下手したら童貞」

「いやー、アラサー童貞はさすがにキツい」


 給湯室から聞こえてくる複数の女性社員の声。

 入社初日から勝手に下世話な妄想されていて、心の中で同情した。

 そんな会話に巻き込まれたくなくて、空のマグカップを片手に踵を返す。

 すると、オフィスの端で小さく縮こまっている峰さんの姿があった。


「……峰さん?」


 峰さんはびくっと体を震わせて、ぴたりと動きを止めた。急に声をかけたせいで驚かせてしまったようだった。


「いきなりすみません。そこのデスク空いてるんで、書類とか書くのに使っても大丈夫ですよ」

「あ……ああ、あう」


 うまく言葉が出てこないのか、ぱくぱくと口を動かしながらしきりに頭を下げてくる。

 そして峰さんが急に立ち上がって、床に書類が散らばった。

 私はとっさにしゃがみ込んで書類を拾うと、峰さんの手が重なった。


「あっ、すいませ、っすいません……」

「全然大丈夫です」


 落ちている書類を一通り拾い、峰さんに向かって差し出す。

 すると峰さんはその書類を両手で受け取り、ぎゅっと胸に抱いた。


「ありがとうございます」


 噛み締めるみたいに私に感謝を告げる。

 ただ書類を拾っただけなのにそんな大袈裟な態度を取られると、どう反応をしたらいいか困るな。

 とにかく私は口角を上げて、峰さんを見た。


「もし分からないことがあれば、いつでも聞いてくださいね」

「……あの」

「はい?」

「席、どこですか」

「えっと、峰さんの席は……」

「そうじゃなくて! あ……あなたの席」

「私のですか? そこの2つ目の島の、ピンクのペン立てがあるデスクですけど」

「わかりました。ありがとうございます」


 深々とお辞儀をした時、ふと靡いた前髪から峰さんの目元が覗いた。薄いグレーの瞳と頬に散ったそばかすは、どこか日本人離れしている。

 それはほんの一瞬のことだったけど、私にはなぜかコマ送りのように見えた。


 座席に戻った後、開発部の先輩らしい人にオフィスツアーに連れられている峰さんを目で追う。

 もしかしたら彼は、外国の血が入っているのかもしれない。しかも隣に立っている先輩と比較すると、どう見てもスタイルが良い。

 猫背をまっすぐ伸ばして、ヘアスタイルをそれなりに整えて、シワのないスーツに着替えたら、かなりいい線いくのではないか。


「ものすごい原石だったりして……」

「今、なんか言った?」

「いえ何でもないです」


 隣の席の山瀬さんから飛んでくる怪訝な目線を無視していると、峰さんがこっちを見た気がする。

 髪型のせいで目が合っているかどうかは分からない。小首をかしげてみたが、特に反応は無く足早に立ち去ってしまった。




 峰さんが入社してから、もうすぐ半月になる。

 入社初日以来、峰さんと関わる機会は訪れなかった。

 接点はごくたまにすれ違った時に挨拶と会釈をするくらいである。忙しい部署みたいだけど、元気でやっているといいなあ。


「今日もある」


 そんな中、私にはある変化があった。

 毎朝出社するたびに、デスクの上に小さなお菓子が置いてあるのだ。仕事中につまめるようなちょうどいいサイズのお菓子で、特にメッセージも何も添えられていない。

 山瀬さんに聞いてみたが、そもそも私よりも遅い出社だし、お菓子が置かれていることすらも知らなかった。

 今日はモンブラン味のキャラメル。期間限定だ。

 誰からか分からないお菓子を食べるのは気が引けるし、かといってそのまま捨てるのも忍びないので、デスクの引き出しの中に全て保管している。


「……でも、峰さんだよね、多分」


 あの日に私のデスクの場所を聞いてきたのだから、ほぼ間違いないだろうと思う。

 鳥の求愛みたいだな、という山瀬さんの冗談が脳裏に蘇ってきて少し恥ずかしくなった。

 それはさすがに無いですよ、と口では言いつつも内心うっすらと期待している自分がいる。

 軽くランチにでも誘ってみようかな。でも、部署も全く違うのに急に誘うのは変だろうか。

 キャラメルのパッケージを眺めながら考えていると、近くでガタンと大きな物音が聞こえた。

 顔を上げるとさっきまではいなかったはずの峰さんが、なんとも言えない顔で私を見下ろしている。


「峰さん」

「ああ! 朝から、すいません」

「……え、何が?」

「俺なんかと朝から顔合わせて」

「何言ってるんですか。おはようございます」

「ありがとうございます」


 おはようの挨拶に「ありがとうございます」と返されたのは初めてで、思わず笑ってしまった。

 きょとんとした峰さんは、私の反応を見るなり首の辺りまで真っ赤になって顔を覆う。


「仕事には慣れましたか」

「……はい、やってることは前の会社よりも単純なので」

「そうなんですか。私開発の方は全然分からないんですけど、すごいですね」

「あの」

「はい」

「どれか好きなもの、ありましたか」

「何のですか?」

「お菓子……」


 ずっと指をさした先にはキャラメルがある。


「これ、やっぱり峰さんだったんですね!」

「え、あっ」

「誰からなのか分からなくて、ずっと気になってたんです」


 ありがとうございますと口を開きかけた時、峰さんは身を屈めて私の方に顔を近づけた。

 ほら、やっぱり整った顔をしている。前髪の下でぱちぱちと瞬きを繰り返し、きょろきょろと目が泳いでいるのが分かった。


「フクロウのオスは、発情期と換羽期をほぼ同時に迎えるので、自分の羽を意中のメスに渡すんです」

「……はい?」

「だから、その……」


 すると峰さんは、徐にキャラメルの封を切った。

 一粒取り出すと、わずかに震える指先で包み紙を開けて私の唇の前に差し出す。

 これは一体どういう状況なんだろう。

 無言でありながらも圧のある目線を向けられて、どうすればいいか分からない。もしかしなくても、口を開けろという意味にしか考えられない。

 恐る恐る口を開くと、予想通りキャラメルが差し入れられ、唇には峰さんの指が当たった。

 しかし峰さんは、その指を引っ込めるでもなく、感触を確かめるように触れてくる。


「求愛行動、です」


 そう呟き、ずっと私の唇に触れていた指を自分の唇にくっつけた。いやいや、どういうこと。なんで急にフクロウの求愛行動の話になったんだっけ。

 目の前で何が起きているのか分からないまま、呆然と峰さんを見上げる。

 口の中で味のしないキャラメルが溶けていった。

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