女嫌いで有名な伯爵との結婚が決まりましたが、薔薇とお菓子を好む魔の森の王に求婚されました。貴族達から人形令嬢と呼ばれている伯爵令嬢は、黒猫の魔物であるトアが美形の男になれるなんて聞いてません。

桜庭ミオ

第一話 人形令嬢ラピスは満月の夜、葡萄酒を味わう。

 侍女が部屋を出て行った後、伯爵はくしゃく家の次女ラピスは、長椅子に座ってぼんやりしていた。

 長椅子に座る前は、お酒を飲みながら、詩集を読もうと思っていたのに、一度座ってしまえば、何もする気になれなかったのだ。


 テーブルの上、魔石ランプのあんず色の灯りが、白い花瓶に生けられた数本の薔薇を柔らかく照らしている。

 クッキー入りの缶と、薔薇バラの砂糖漬け入りの瓶もある。


 これらはトアのために用意した物だ。彼がいつ来るのかは分からない。

 トアは昔から、夜にふらりと訪れることが多いのだ。


「屋敷を出る前に会えたらいいけど」


 呟き、喉が渇いていることに気づいたラピスは腕を伸ばす。

 テーブルの上にあるグラスを手に取り、葡萄酒ぶどうしゅを味わう。空のグラスをことりと置いた。


 そういえば、今宵こよいは満月。


「月は出ているかしら? 秋の月って、綺麗なのよね」


 ラピスは、ふわふわとした良い気分で、立ち上がる。


 窓に近づいた。

 分厚いカーテンを開ければ、青白い光が差し込んでくる。


 瞬きをしたラピスは、窓硝子まどガラスに映った真珠しんじゅ色の寝間着姿の自分を見て、ビクリと肩を震わせた。


「酔っているのかしらね」


 ラピスはクスリと笑う。


 銀色の長い髪も水色の瞳も、父と同じ色。

 雪のように白い肌は、今はぼやっとした感じに見える。


「人形令嬢って言われてるのは知っているけど、こうやって見ると、ほんとに人形みたいね」


 無口で感情を表に出さないので、貴族達から人形令嬢と呼ばれている。

 最初に教えてくれたのは姉だけど、貴族達がヒソヒソと噂しているのがたまに聞こえるのだ。


 昔はもっと、感情を表に出していたのだけれど、いつからかあまり他人には見せなくなった。見せないというだけで、心がないわけではない。

 家族やそれ以外の貴族を前にすると、緊張してしまうのだ。


 無表情だからなのか、それとも、トアの存在を感じているのか、ラピスに怯える令嬢達もいる。


 今年の春、ラピスは十八になり、成人した。それなのに、ラピスには友達がいない。 

 顔のせいもあるだろうけど、喋るのが苦手なせいもあるだろう。


 頑張って話しかけてみたこともあった。だけど皆、姉と話す時の方が楽しそうで、ラピスは孤独を感じた。


 金色の髪と緑色の瞳を持つ、華やかな顔立ちの女性――二歳年上の姉の姿がラピスの脳裏のうりに浮かび、心がざわめく。


 姉の髪と瞳の色は、母と同じ色。

 彼女は美しい男や宝石やドレスが好きで、自由奔放じゆうほんぽうな性格。

 甘え上手で、いつも美しい男達に囲まれて、ちやほやされている。


 ラピスはふと、過去の出来事を思い出す。


 七歳になると近くの教会で、魔力を測定する決まりがあるため、ラピスが七歳になった日の翌朝、神殿で魔力鑑定をしてもらった。


 ラピスは両親と行ったのだが、魔力が少ししかないことが分かった。その時の両親の表情を覚えてる。

 呆気に取られたような顔だった。教会でも、馬車の中でも、両親はラピスと目が合うとすぐにそらした。会話はなかった。


 ラピスはそのことがショックだった。


 父は昔から寡黙かもくな方だったのだけど、あの頃の母はラピスに対しても、いつも明るく笑顔で、よく話しかけてくれていたから、ラピスはとても辛かった。


 屋敷に戻ると、姉に魔力のことを聞かれたため、ラピスは答えた。

 すると、姉は驚いた顔をした後、『貴族なのに魔力が少ししかないなんてはずかしいわ。お父さまもお母さまもあたくしも、魔力りょうが多いのにね』と、楽しそうに笑ったのだ。

 ラピスは声を上げて泣き、母に叱られた。


 姉はお茶会やパーティーに行くと、ラピスの魔力量が少ないことを言いふらした。

 ラピスは悲しくなり、人に見られるのが怖くなった。

 それでもお茶会やパーティーに招待されれば、母と姉と一緒に行かなくてはならないし、屋敷でお茶会やパーティーを開くこともあるのだ。


 大きくなった今では、両親の気持ちも理解できる。

 二人は魔力量が多く、長女である姉も魔力量が多いのだ。次女も多いに決まっていると思い込んでいたのだろう。


 ラピスはそっとまぶたを閉じて、すぐに開くと、顔を上げる。

 そして、満月の美しさにうっとりした。


「綺麗だわ。こんなに美しい月を恐がるなんてね」


 女性は、月を直接見てはならない。

 池などの水面に映った月は良いが、直接見てしまうと、魔物に魅入られてしまうと言われている。


 魔物とは、魔法みたいな力を使う存在のことだ。人間が使う魔法とは違うらしい。

 何が違うのかはよく分かっていないらしくて、魔物について書かれた本にも詳しいことは載ってない。


 よく分からない力を使う、魔物と呼ばれる存在は、人間や動物を食べてしまう。

 そう、本に書いてあったし、幼い頃から周りの人達に教えられてきた。


 魔物には、みにくい姿の者もいれば、美しい姿の者もいるようだ。人間や動物のような姿の者もいると伝わる。

 彼らは太陽が苦手で、夜に活動すると言われているので、この国の人達は幼い頃から、太陽の女神を愛しなさいと教えられて育つ。


 太陽の女神を愛する者は、女神に愛され、守られるのだと。


 未婚の娘は夜、外に出ることなどないが、結婚すると夫と共に、夜会に参加するようになる。

 その時も、月を見ないように気をつけなければならないのだと、家庭教師が教えてくれた。


 男は月を見ても良いのだけれど、月を恐れる男も多いようだ。男だからと瘦せ我慢して、強そうなセリフを吐くだけで、本音では恐れているらしい。


 そう教えてくれたのはトアだった。

 力の強い魔物は、太陽が出ている時も元気だと教えてくれたのもトアだ。


「ニャーゴ」


 猫の声に、ラピスはドキリとして、振り返る。

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