第22話

 こうしてエイナイナは魚を食べたいというだけの理由で立ち寄ったキッドニアを後にした。


 西に飛べば大陸のどこかしらにたどり着く。大陸にたどり着けばエイナイナが迷うことは無かった。しかしモーネダリというとケルメス帝国の西の端、キオーニ王国との国境だ。かなり距離があるし、帰りは荷物があるかもしれないという話だ。十分な時間をもらっているが、それでも一日中空を飛び続けることは楽ではない。体全身を使う重労働であり、退屈な単純作業だった。



 空を飛びながら、エイナイナは先ほど自分の口にした言葉について考えていた。


「いずれ帝国内部からルッパジャと事を構えようという勢力がでてくる。機会を逃さないよう状況をよく見ておくんだ……か」


 具体的な考えが即座に口から飛び出した理由は簡単だ。コーノック伯領を始めとした帝国の反ルッパジャ勢力は日々こんなことを考えていたからだ。そしてそれ以上に、この考えが自分の今の境遇を説明しているようにも思えたのだ。


 うすうす気がついてはいたがダーシテの話を聞いてはっきりした。ヤーナミラを始めとするケンデデスの人々はルッパジャとの戦争の結果キッドニアを追い出された連中だ。


――ルッパジャと距離のある勢力と交流を持っておきたい……。ヤーナミラがそう考えていたとしても不思議では無い


 海上を飛ぶエイナイナは、やがて大陸にぶちあたった。


 帝国を空から見ていると見覚えのある風景がいくつもあった。――あれは先代のめいでチオテキドに向かう時に馬車で通った道だ。あれはナダイボ河畔かはん。二百年前には帝国の東端だった――。帝国でしっかりと教育を受け、衛兵隊として各地を回ったエイナイナにとってモーネダリへ行くことはまったく難しいことではなかった。この任務は、たしかにエイナイナが適任であった。

 

 モーネダリまでは休憩なしで七時間かかった。飛びながらぱさぱさのパンとしょっぱい干し肉を食べた。楽な仕事ではなかった。

 モーネダリの街の外れの丘に小さい空港があった。この立地はすこし不便だ。しかしディンギー文化の薄い西方ではディンギーを預けられる空港があるだけでもありがたかった。ここはキオーニ王国との交易の要衝ようしょうなのだ。


 日は暮れ始めていたので、その日は空港でディンギーを預け、空港に併設の簡易宿泊所で一晩眠った。


 翌朝、早速市場に寄り、また魚料理を食べた。それからモーネダリの街を歩く。


 市場があり、金物屋があり、農具屋がある。街の中心に向かうにつれて服屋、貴金属。モーネダリは比較的温暖な地域だ。街路には広葉樹が植えられていて木陰こかげを作っている。木造の家屋も戸口が大きく取られていてこの地に暮らす人々の顔がよく見えた。北方で育ったエイナイナの感覚からすると解放的な印象がある。


 とはいえ……。まあ、普通の街だ。仕事柄各地を回ったことのあるエイナイナにとっては珍しいことなどない普通の街だが、物のない飛行船ケンデデスで暮らしている人間は目を丸くするだろうなとエイナイナは思った。


 ここモーネダリは目立った産業はないがキオーニ王国との貿易拠点となっていて栄えている。普通の街と違う点があるとすれば、貿易商が多いことと、いろんな地方出身の人が居て、格好も様々だということだろう。エイナイナの暮らしていた北方の紺色の厚手の衣装を着ている者もいれば、隣国でよく見られる赤い薄手の衣装を着ている者もいる。一人だけだが、今のエイナイナのようにディンギー乗りに特徴的な白い衣装を着た人も見ることができた。


 エイナイナはその足で商館の並ぶ一角へと向かった。ドニアマ商会はなかなか見つけることが出来なかったので人に聞いて教えてもらった。くすんだ白の木造の建物でそれほど大きくはない。ありきたりという感じ。目立たないことと、空賊と取引をしていることとなにか関係があるのだろうか。


 商会に入るとすぐ二人の大人の男性がたわいもない話をしていた。お店の番をしているのが大人だったのだ。――もちろんこれも普通のことだ。


「いらっしゃい」と奥にいるおじさん。清潔感のある白いシャツを着ている。一見すると都会的だがシャツの刺繍ししゅうは南方の文化に独特な模様だった。

「手紙を預かってきました」とエイナイナ。そのおじさんに手紙の入った筒を渡した。ヤーナミラの名前は出さなかった。その方がいい気がしたのだ。

 筒を受け取った白シャツのおじさんは、筒の封を見てある程度のことを悟ったようだった。

「奥で聞こう」

 おじさんはそう言ってエイナイナを奥の部屋へうながした。やはりあまり人に聞かれたくないやましい仕事なのだろうか。


 しかし奥の部屋というのも特になんの変哲もない倉庫だった。食べ物の匂いが充満した部屋だった。

 戸を締めるとおじさんはいう。

「ヤーナミラの使いか……。一人か?」

「そうだ」


 その倉庫の椅子に座ったおじさんは筒を空け、手紙の内容を確認している。その間にエイナイナは倉庫の中を物色した。

 大きなチーズはかたまりのまま棚に並べられている。燻製くんせい肉は紐でいくつも繋がれて天井から垂れ下がっていた。あとは何かがぱんぱんに詰まった麻袋が積みあがっている。中は見えないがあたりに散乱する細かなちりから中身を推測することができた。麦、雑穀それから石炭だろう。それから――、床には封のされた壺が並んでいる。壺の中身だけはよくわからなかったが、エイナイナはあてずっぽうに呟いてみた。


「油か?」

「そう。菜種なたねだ」

「全部キオーニ王国の特産だ」

「その通り」とおじさん。顔をあげた。「初めて見る顔だな。ヤーナミラと漁をしてるのか?」

「新入りだ」

「ふむ……」とおじさん。「穀物が二百キロ届いている。どうする?」

「どうするって?」

「二百は持てないだろ。今日五十持っていけよ」

「どういう話なんだ?」

 少し沈黙して何回か頷くおじさん。

「お前……、どういう立場なんだ?」

「新入りだ」

 エイナイナがそういうとおじさんはヤーナミラの手紙を読んでくれた。

「運び屋に仕事の内容を話す必要はない。荷を持ち帰ったら教えやってもいいと伝えろ。そう手紙に書いてある」

「よくわからない取引に加担かたんさせられることは気持ち悪い。教えてくれ」

「荷を持ち帰ったら教えてもらえるんだからそれでいいだろ」

「ヤーナミラが何が言いたいのか、私には分かっている」とエイナイナ。「ヤーナミラの仲間になるか、考え直すかここで決めろということだ」

 ドニアマ商会の男性は何回かうなずいた。

「ヤーナミラは昔からそういうことするよな」

「ヤーナミラと昔馴染むかしなじみなのか? こんな遠く離れているのに?」

「まあな。なんにせよ、教えるなっていうんだからおれはそれに従うよ」

「とにかく、私はヤーナミラの元を離れたとしても口を割るようなことはない。この点はヤーナミラだって信用しているはずだと私は思う」

「めんどくさいやつだな」

「実のところ、ヤーナミラが私を仲間にしたがっていた理由に心当たりが出来てね。それでいろいろ聞きたいんだ。個人的な興味に過ぎない。ここでの話を他言するつもりはない」

「ヤーナミラとは昔馴染みではあるが、仲間ではない。おれはここで商売をしてるだけなんだ。お前たちの事情なんてしらないよ」

「仲間ではないか……?」

「なんだ?」

「いや、我々が何をしているのか知っていて、そこから利益を得ているのなら、それはやっぱり仲間というんじゃないのか? どのみち私が捕まればあんたのところにも捜査が及ぶだろう?」

「脅迫か?」

「そうじゃない。それに、それだったら、私がこの仕事の本質を把握していた方が、わたしもドニアマ商会をかばいやすいということがあるかもしれない」

「どうだろうな。ドニアマ商会はキオーニ王国籍なのでケルメス帝国はそう簡単に踏み込んでこないかもしれないぞ。今はケルメスは面倒ごとは起こしたくないはずだ」

「キオーニ王国籍? キオーニの会社なのか? もしかしてその穀物はキオーニが出しているのか?」 

「新人は新人らしく使い走りをすればいいんだよ」

「キオーニ王国が空賊を支援しているのか……? ケルメス帝国の船を襲えば報酬が出るとか、そういうことなのか?」

「持って行くのか? 持って行かないのか?」


 理屈は通る。空賊はケルメス帝国の船を襲っているので、空賊の活動は――とくに飛行船貿易を一手に担うルッパジャ伯派への攻撃は――王国の利益になる。ケルメス帝国とキオーニ王国は敵対しているが正面切って戦争はしたくない。化外の民を利用してケルメス帝国を弱体化させようと考えるのは自然だ。空賊はというと、多くは祖国を追われたキッドニア人、特にシノニッタに暮らしていたクラゲ漁師であり、ケルメス帝国、というよりルッパジャ伯領を恨んでいる。


 それに空賊たちが必ずしも船に乗り込んで掠奪する必要はないと考えている理由も頷ける。ケルメス帝国の船に損傷を与えれば王国から報酬がでるのだ。地上との接点を切られ孤立させられているケンデデスにとって穀物支援は千金に値する。


 そういえば……、ヤーナミラは襲う船がケルメス帝国籍かキオーニ王国籍かを気にしていた節がある。出会った時でさえそうだ。わがコーノック伯爵家の船が大きなクラゲに襲われているとき彼らは私を助けてくれたが、直後に帝国籍か王国籍かを確認していた。最初から帝国の船だと分かっていたら助けてくれただろうか……。


 やはりヤーナミラはキッドニア人として目的を持って動いているのか?


「店主……、もしかしてキッドニア人、それもシノニッタ地方の人間なのか?」

「なんだ? 気に入らないか?」

「いや、気に入った。穀物を50キロだったか? 持って行くよ」

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