エスキース

芳岡 海

わたしの言葉

 月を見るのをやめた頃から書きかけの手紙が増え、それがわたしの日記になった。

 平野、という自分の名字がわたしは好き。呼ばれるのも名乗るのも。ひらのと口に出すとひらひら軽やかな気持ちになる。遠くまで広がる景色が思い浮かぶ。

 それと比べて、祐希という下の名前はあんまりしっくりこない。頭の中にイメージは湧かないし、ゆうきと口に出してみても、ひらのと比べるとなんだか重たい。勇気という字をあてられなかっただけ良かったと思う。

 もし自分で自分の名前を選べるとしたら、舞がいい。ひらの まい。ひらひらと野を舞う、透き通った春風のように素晴らしい名前になると思うのに。


「ラブアンドビューティー、なんだって」

 小学校の三年生で同じクラスになった愛美ちゃんが、自分の名前の漢字を、そう説明してみせた。愛美ちゃんは委員長を務めたりするしっかりした子で、すらりとした色白の、透けるようなロングヘアの女の子だった。

 ひけらかすわけではないけれど、それは自信を持った言い方だった。よくわからないのだけどそうなんだって、と。愛美ちゃんはいつもそう。そつなく何でもこなす。できるけど、わかるけど、とさりげなく言ってみせる。けど、というのは自信の無さじゃない。できるけど、やった方がいいかな? わかるけど、教えようか? というワンクッションみたいなもの。何か困っているときにそんなふうに声をかけられたら、彼女の存在は女神のように見えてしまう。

 ラブアンドビューティー。天から与えられし名前だ。

 わたしも、平と野という漢字を英語の辞書で調べてみたことがあるけど、全然軽やかじゃなかったのでやめた。ひらのは、ひらのと口に出すのが一番いい。


 小さくてカラフルなメモ帳に手紙を書いて、授業中に回したり休み時間のたびに交換するのが、わたしの学校では小学四年生の秋に大流行した。五年生になった頃には流行は落ち着いて、特に仲の良い子とだけの習慣となって続いていた。

 手紙に名前を書くとき、わたしは必ず「ひらのより」と書いた。Dear、Fromなんて書き方があったり、ローマ字で名前を書く子もいた。わたしはやっぱり「Fromひらの」と書いた。

 ひらの、とひらがなで書いたのもとても好き。リズムがいいと思う。ひ、という字がまずひらひらっとした動きのよう。ら、もちょっと気まぐれな感じのする動き。の、というただくるりとしているだけの線もいい。

 手紙に書くと日々のことを形にしてとっておけるような気分だった。相手によって内容はいろいろだった。テレビのこととか、明日の約束とか、すきな男の子の話とか。

 そのうちに出しそびれてしまった手紙や、忘れないように先に書きかけたままの手紙が重なって手元に残った。人から贈られた手紙も良かったけど、自分で書いたものを読み返すことも楽しいことに気がついた。わたしは誰に出すものでもない手紙を、普段のものとは別に書くようになった。

 ひらのです。わたしはいつもそう名乗り、友人たちにはひらのちゃん、ひらのさんと呼ばれたかった。下の名前で呼び合うのが親密さのしるしだということは知っていたけど、仲の良い子にもそう呼んでもらいたかった。


「なぁ平野」

 福島がわたしを呼ぶ言い方は、ひらのではなく、平野、と聞こえる。わたしが呼ぶのも、ふくしまというよりは福島だと思う。ただ最初に同じクラスになった小学校一年生ではまだその漢字を書けなかったから、ふくしま、と、ひらの、だったと思う。同じクラスになったのは小学校の一年から四年までと、中学校では二年のとき。高校に入った今は違うけど、小中高と同級生をやっているともうそれだけで腐れ縁だ。五十音順が近いから、新学期はいつも席も近かった。

「委員会決めやった?」

「やったやった。福島も決めた?」

 まだ慣れない高校生活の始め、わたしたちは放課後の廊下で情報交換をした。中学の同級生で同じ高校になった子は他にも何人かいたけれど、部活に入る気のなかったわたしと福島は時間を持て余しているのだ。

「わたしは合唱祭実行委員」

「え、平野の芸術科目って書道選択じゃなかったっけ?」

「あ、ほんとうだ。そこ全然考えてなかった」

 秋にある合唱祭は、その前の文化祭の陰に隠れているのかあまり注目されていないようだった。文化祭委員とか修学旅行委員とか、気が早いけれどましてや卒アル委員のような、注目度の高い仕事はできれば遠慮したかった。だから一番都合がいいと思って選んだだけだ。特に誰ともじゃんけんする必要なくすんなり決まった。

「まあ誰も気にしてなかったし」

「ふうん」

「福島は」

「俺は球技大会実行委員」

「うそ」

 思わず笑ってしまう。

「どこか運動部入るの?」

 中学の福島は弱小のバドミントン部に所属して、帰宅部に限りなく近い活動で三年間をやり過ごした。本人曰く、ヘタに文化系の部に入ると発表とかで活動をカタチに残さなきゃいけないんだよ、ということらしかった。

 高校は、入るも入らないも自由。

「入んないよ。だからいいんじゃん」

 わかってないなあ、とちょっと得意気な顔を無視してわたしは続きを待つ。福島はカバンを肩にかけ直して話を続ける。中二のときに男子五人でディズニーに行って買ったらしいプーさんのキーホルダーが、高校のカバンでも相変わらずころころ揺れている。

「どこにも所属しない俺だからこそ、どこの運動部の肩も持たない公正な球技大会委員になれるわけ」

「まぁそれもそうね」

 たぶん、それは福島が勝手に納得しているだけの理由で、クラスメイトがそれを理解して彼をぜひ球技大会委員にと決めたわけではないと思う。


 メモ帳に手紙を書く教室での習慣は、中学の頃にはなくなっていた。手のひらサイズの、たまに二つ折りだったりする、ストラップをたくさんつけた携帯電話を持つ子が増えたからだけど、たぶんなくてもいずれなくなる習慣だっただろう。

 高校になった今も、わたしは自分が読むためだけに書いていた。読み返しても自分にしか通じないことばかりだった。

 最近では書くのはほとんど記録だった。感情は書かない。読む自分が書いた自分に温度差を感じてしまうと、書いたことそのものまで色あせてしまう。本当の気持ちを吐き出すとか、誰にも言えないことがここでなら書けるなんて意味はなかった。ただ事実だけ、物それだけを書き留める。一瞬で過ぎてしまうことを写真に留めるようなものだった。


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