第32話 悪魔


「お、おまえ、おまえは」

「やはりこいつが下手人か」


 取り乱して店の中に後ずさったオーリッジを追って、アリステアが裏口を入る。それに続きながら私は目の前の男を奇妙に静かに見つめていた。


 これが。

 あの時の男。私への明確な殺意に満ちて銃口を向けてきた。あの馬車の中を圧倒的に支配した男が。

 今ではみっともなくうろたえるばかり。


「ごきげんよう。私のこと、ご存知なのね」

「ヒイィッ!」


 私がしゃべったら、オーリッジは頭を抱えてうずくまった。そうか、殺したはずなんだもの、幽霊を見ているような気分よね。

 ぶるぶると震え、腕の向こうからチラリと私をうかがう。血の気のない顔。

 動けないけど私から目を離すのも怖いらしい。まじまじと見つめられたので微笑みかけてみたら、ビクンと怯えられた。失礼な。


「撃ったはずなのに、とでも思っているのかな」


 アリステアが薄ら笑いで言った。またビクリとしたオーリッジはかすかにうなずく。


「た、たしかに死んでたんだ」

「私がよみがえらせた」


 シレッとアリステアが言う。え、そんなこと教えちゃうの? オーリッジは目を大きく見開く。


「私は本物の魔術を学んだ。ウィンリー子爵が信奉する魔女ディーなどとは違う」

「ウィン、リー……」


 オーリッジの顔がゆがむ。

 これは、おそらく憎しみだ。妻にと想った女を奪ったのが子爵だと知っているから。


「おまえの女は魔女に捧げられたんだな」

「ジニーはどこにいるんだ、教えてくれ!」


 青い顔のまま少しだけ乗り出したオーリッジは、まだ恋人を探しているのか。ジニーというのがそのメイドなのね。だけどアリステアは冷たく言い放つ。


「どこになど、私が知ることではない。ウィンリーが連れ去ったのだろう?」

「そう、そうだ。医者に診てもらえるんだと言っていたのに、その後いなくなって」


 オーリッジはアワアワと話す。死んでいるのではと思いつつ信じきれなくて、復讐のような脅迫のような行動を繰り返していたらしい。


「あいつは医者じゃなく魔女にさらわれたのか? ジニーを連れ戻してくれ。もう死んだなら、あいつも生き返らせてくれよう!」


 オーリッジは頭を抱えたまま髪をかきむしり懇願する。何をムシのいいことを。こちとらあなたに殺されたんですけど。

 私が怒りに震えそうになっていると、アリステアが視線だけで制してきた。何かを考えている目だった。


「――ジニーに会いたいか」

「あたりまえだ! あいつは俺の、俺の」

「ふん。だが生きていようが死んでいようが、ジニーの体がなければ私も魔術を使いようがない」

「体があれば、できるのか」


 オーリッジは希望を見つけた表情――自分が何を言われたのかわかっているのかしら。死体でもいいから取り戻せとそそのかされているのに。


「もちろん、できる。彼女が証拠だ」


 チラリと見られた私は、スイと手を動かした。あの時撃たれた胸に触れる。


「あなたが撃ったのは、ここだったわね。私のメイドもあなたが殺したの?」

「わ、悪かった。すまない。このとおりだ」


 床にガバッと手をつく鼻先にアリステアが足を進めた。真上を見たオーリッジは怯えと媚びとが混じる卑屈な目をしていた。

 こんな男のせいで、私もライラも。

 底冷えのする怒りが私の中にあふれた。踏みにじってやりたい衝動に耐える。駄目よ、そんな下品な。


「ジニーの体は魔女の手の内にある。だがそれを取り戻すには彼女の周りにいる者たちが邪魔だ。ウィンリーもそのひとり」

「あい、あいつが、ジニーを魔女に売ったんだろう」

「そうだ。だから邸に嫌がらせをしていたんだな?」


 コクコク、とオーリッジは勢いよくうなずいた。


「俺だって本当はそっちを殺したかった。だけどそんな隙はなくて」

「それで私なの?」


 口をはさんだらまた悲鳴を上げられた。うん、我ながら怖い声だったわね。憎しみと怒りと軽蔑とがきれいにブレンドされてたわ。

 身をすくめるオーリッジの上で、アリステアは淡々と告げた。


「ジニーのことは考えてやろう。だがおまえの罪はつぐなってもらわなければな。少しの苦しみとともに」

「くる、しみ……」

「そんな覚悟もなく人を殺したのか? 殺されたこの人になんの罪があった?」

「な、何もなか、なかった。許してくれ許してくれ許してくれ!」


 はいつくばるオーリッジが醜悪で、私は顔をしかめて黙っていた。

 さっさとどうにかしちゃってよ、アリステア。何か利用価値を見つけたからジニーのことを言い出したんでしょうけど。もう私、こんな男を見ていたくない。


「ウィンリーを、殺させてやろう」


 かすかに微笑んだアリステアはささやいた。聞いて見上げるオーリッジが目をまるくする。

 私は顔色を変えないようにしながらアリステアに視線をやった。どういうことなの。原因であるウィンリー子爵にも罪はつぐなわせると言っていたけど。


「おまえは料理人だ。その腕を使えばいい」


 悠然と笑むアリステアは静かに床の上の男に手を差し出した。オーリッジはそれにすがりもしないけど、拒否することもできずに茫然自失。

 アリステアの申し出は魅惑の響きね。これが悪魔の誘惑というものなんだわ。

 そう、悪魔。

 だって、憎い相手を殺す機会がタダで手に入るわけはないのよ。


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