第26話 元婚約者さま


 ウィンリー子爵家の末娘さんとは、ポツリポツリと小声で話した。リボンだのレースだのを体にあてがってお勧めするフリをしながらね。

 私が恋の橋渡しをしているとブロージャーさんは思っているんでしょうけど、実は邸の中の愚痴を聞いていただけなのよ。両親とか使用人のことで。


「お母さまは私のすることに細かくてうるさい」「お父さまは使用人に居丈高」「叱られて泣いてたメイドと一緒にメイド頭にいたずらしたの」


 そんな細々したことの中に、邸の真実はひそんでいる。

 ほら私、男爵家に引き取られた身だから。使用人からも扱いがいろいろだったのよ。あからさまに無視する者もいたし、うわべだけ丁重な人もいた。

 本音を知るためには噂を集め空気を読み、なんなら盗み聞きもしたものよねー。

 いやあ、なんでもやっておくものだわ。まさか死んでから役に立つとは思わなかったけど。

 それにしても、このさあ。私は苦笑いしてしまった。


「……お嬢さまは、縛られるのがお嫌ですのね」


 親への不満が出てくる出てくる。対して下級の使用人たちへは共感する目線だもの、基本的には優しい子なんだろうけど子どもっぽい。だけどムッと唇をとがらされた。


「そりゃあそうよ。あなたは縛られたいの? おかしな人ね」

「そういうことではありませんけれど」


 私を縛るもの。死んでいるとはいえ、まったくないとは言えないわ。

 アリステアの術がいつ解けるのか、それとも私などもういらないと術を解かれてしまうのか、未来のことはわからない。

 それに生前の私を知る人がいる土地へは戻れなくなった。故郷を失った身は根なし草。それをむしろ縛られる場所もないと受けとめればいいのかもしれないけど。


「……生きていられる場所で、お役目を果たす。そういう者がほとんどですわ」

「ふうん……?」


 ちょっと不満げなこの子を縛るのは、華やかなリボンだけだったりするのよね。

 腹立つから、たくさん売りつけてやりましょう!




「お仕立てして、またお持ちいたしますわ」

「ああ、その頃には店に行けるといいのだけど」

「さようでございますわねえ。奥さまもお嬢さまも、お心を強くお持ち下さいまし」


 ブロージャーさんがにこやかに挨拶し、私たちは退出した。

 荷物係の男性従業員に混じってアリステアもいる。どんなことを聞いてきたのか、帰ったら情報交換しようっと。

 前から振り向いて、ブロージャーさんがニッコリした。部下をほめる口調の小声。


「エルシー、売り込みが上手でしたよ」

「まあ、ありがとうございます」


 新人店員、頑張りました。意味深に微笑み交わし、吹き出すのは我慢する。

 私は箱を抱えて歩いていた。入っているのはリボンだから軽い。すると廊下の向こうから男性が歩いてきて、私は控えめにうつむいた。若いけど使用人じゃない、堂々とした人だったから。

 この人、もしかして。


「――きみ!」


 私は不自然に顔をそむけていたのかもしれない。

 すれ違う男性の視線が私の上に来たと思ったとたん、立ち止まるその人が私の肩に手をかけ、引き留められた。まずい。

 揺れたリボンの箱を落としそうになり、ハッとなった彼が慌ててそれを受けとめる。


「――」


 私はうろたえて黙ってしまった。

 セオドア・ウィンリー。私が嫁ぐはずだった人が目の前にいる。

 私の顔をマジマジと見つめ、信じられないという表情で。


「きみは――」

「私の妻が何か」


 後ろから私を抱えるように助け出したのはアリステアだった。つかまれたままだった肩が解放されて私は我にかえる。


「わた、わたくし粗相をいたしましたでしょうか」


 驚いておびえた風に言ってみる。

 あなたのことなんか知らない。私は今、エルシーなんだから。


「あ、いや……そういうことでは」

「妻に失礼がありましたなら伏してお詫びを申します。私どもは服飾のホガーズホガードの店より参りました者でございますが」


 軽く頭を下げているアリステアは無表情だった。底冷えのする声音。

 慇懃無礼とも思えるその態度でセオドアさまは現実に引き戻されたらしい。動揺を抑えて紳士的に謝罪してくれた。


「いや……失礼は私の方だ。知っている女性に似ているように思えてね。人違いだった」

「さようでございますか」


 アリステアはスイと私を体でかばう。それに隠れるようにオドオドと一礼し、私は箱を抱え直して小走りで逃げた。


「や、だ……」


 まさか、セオドアさまに出くわすなんて。しかも顔をハッキリ認識されているなんて。

 外に出て、不思議そうにするブロージャーさんたち本物の店員に曖昧な笑みを返した。こんなこと、なんとも言えないもの。


「荷物を積んで、早く戻りましょう」


 追いついてきたアリステアが淡々と言い、ブロージャーさんがうなずいた。

 何かしらあったことに気づいているのだろうけど、そこはベテラン店員よ。そっとしておいてくれるらしい。


 ちんまりと座席におさまると馬車が走り出す。隠れるように窓から邸をながめてみた。

 いずれ私が女主人として差配するはずだった家。義母と義妹に会うのは想定内だった。だけどセオドアさまは。

 ふう、と小さいため息がもれる。隣のアリステアがそっと私の手に、手を重ねてくれた。だけど伏せたままの瞳が暗い。これは――怒っているわよね。

 あーあ、やっちゃったなあ。


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