第29話

「そっか。そんなことが」


 翌日、昼休みに俺は瞬だけを呼び出して体育館下のベンチへとやって来ていた。


 近くの自販機で缶コーヒーを買ってベンチに座り、俺は昨日あったことを瞬に話した。絢瀬の過去についてを話すのは少し躊躇ったけれど、仲間内で隠し事をするというのも気が引けたので全て正直に話した。


 全てを話し終えたあと、少しの間を置いて瞬はそう一言だけ呟いた。

 そう言った瞬の瞳はこちらではなくグラウンドの方を向いていて、けれどその目にはもっと遠くにあるなにかが映っているように思えた。


「瞬はさ、俺の中学時代のことを知ったとき、どう思った?」


 彼の方は見ずに、俺もグラウンドの方に視線を向けた。

 男子数名がサッカーボールを蹴り合っていたり、女子数名がバドミントンで盛り上がっている。きゃあきゃあと、なにを言っているのかまでは聞こえないけど騒いでいるのは遠目でも分かった。


 質問に対して、すぐに返事はなかった。


 瞬なりに言葉を選んでいるのかもしれない、と俺は彼の返事を待つことにした。


「素直に驚いたよ。そんなふうには思えなかったから」


 当時のことを懐かしんでいるのか、ちらと彼の横顔を見たとき、口元には微笑みが浮かんでいた。


 瞬との出会い、というか邂逅は中々に衝撃的なものだった。


 イケメンなパーフェクト男子がクラスにいる、というくらいには俺は瞬のことを認知していたし、もしかしたら瞬の方もクラスメイトくらいには俺のことを知っていたかもしれない。


 入学したばかりの頃、俺は校内を散歩することにハマっていた。校内全てを回ったあとも次にその場所を訪れたときには違う景色が広がっていたりするから。だから暇な時間はふらふらと校内を散策していた。


 冒険をするような気持ちで校舎裏を覗き込んだとき、見たことのある高身長イケメンが数人に囲まれているのを目撃した。もちろんその高身長イケメンというのは瞬のことで、後に知ったが彼を囲んでいたのは三年の先輩だった。


 俺たちが一年生のときの三年生は過激な先輩が多かったらしく、入学早々に女子の人気を集めていた瞬が気に入らなかったそうだ。そんな中、そんな行動を移すことになった決定的な理由は、思いを寄せていた女子が瞬のことを好きだった、という何とも高校生らしいくだらない理由だ。つまり逆恨みである。そんなわけで、その先輩を含めた数人から嫌がらせを受けていたそうだ。


 俺はすぐに助けに入った。それが瞬との出会いだ。

 それから何となく一緒に行動する機会が増えて、いつしか俺たちは友達になっていた。もちろんそのときには陽キャとしての仮面を被っていたし、だからこそ過去がバレたときには驚かれた。


「けど、だから友達をやめてやるなんてもちろん思わなかったよ」


「そうだな」


 当時の俺は、それはいまでも変わらないけど過去が露見することを恐れていた。過去を知られることで今の立場が崩れることを極度に恐れたのだ。

瞬と仲良くなり、鉄平や奈緒、楓花や栞と仲良くなった。


 そいつらに幻滅されて一人になることを恐れていたのだ。

 だから瞬にバレたときは本当に青ざめた。瞬は受け入れてくれたけど、瞬が他の人にバラせばやはりそれは終わりに等しい。


 けど。


「瞬は俺のために、誰にも言わないでいてくれたな」


「そういう約束だったからな」


 そのときだろうな。俺が瞬のことを本当の意味で信用したのは。


「俺は謙也の過去を否定しないし、今の謙也を肯定するよ。過去なんて関係ないんだ。大事なのは今をどう生きているかだって俺は思う」


「……ああ。お前の言うことはなにも間違ってないよ」


「俺はそれを美園に伝えたいんだ」


 歯がゆい気持ちを噛み潰すように、瞬はギリッと歯を鳴らす。


 瞬の言っていることは正しい。

 なにも間違っていない。


 過去は所詮過去だし、今が大事だという言葉には俺も同意見だ。


 けど。


 それだけじゃダメなんだ。


「今の絢瀬には言葉だけじゃ伝わらないよ」


「謙也……」


 俺は缶に入った残りのコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。


 そして座りながら俺を見上げる瞬の方を向いた。


「俺たちにとってはあの過去を、孤独だった事実をなかったことにはできないんだよ。過去が所詮過去なのも、今が大事だっていうのも分かってる。頭では分かってるんだ。でも、どうしても忘れられない。俺もあいつも、ずっと不安と戦ってきたんだよ」


 だから、と俺は再びグラウンドの方を向いた。

 今、瞬がどんな顔をしているのかはもう見えない。


「やれるだけのことをやってみるよ。言葉を、気持ちを伝えるために俺にできること、俺にしかできないことをさ」


 覚悟は決まった。


 俺のやることは変わらない。大事なことを、俺たちの気持ちを絢瀬に届けるんだ。



     *



「今日も行くのか?」


 放課後。

 帰り支度をする俺のところにやって来た瞬がそんなことを言った。


「ああ」


 と、俺は一言返す。

 もちろん瞬にも鉄平にも奈緒にも部活がある。けれど、一人で行くのは少し躊躇いがあるので誰か一人くらいは付き添いが欲しい。あわよくば……。


「ごめんね、謙也くん。わたしも今日は部活があって」


 手を合わせて申し訳無さそうに言ってくる楓花。

 彼女は野球部のマネージャーだが、複数人いるので日によって参加不参加があるらしい。当番制、というと少し語弊があるのだけれどそんな感じなのは俺も分かっている。


「いや、大丈夫。今日は栞に頼もうと思ってたから」


 言いながら、俺は少し離れた席にいた栞を見ると、彼女は相変わらずのポーカーフェイスを貫きつつ、わざとらしく口元に笑みを浮かべた。


「私? いったい、どういう風の吹き回しかしら。謙也からデートのお誘いだなんて」


「どこがデートのお誘いなんだよ」


「おうちデートでしょ?」


「他人のおうちなんだが?」


 と、軽く栞の冗談に付き合っておく。

 その間に帰り支度が済んだらしい栞がこちらにやってくる。


「来てくれるか?」


 俺と栞は部活に入っていない。

 けれど栞はどうしてかわりと多忙らしい。なにをしているのかと訊いた事があるけれど教えてくれない。今日も予定がある日だったら諦めるしかないかな、と思っていたけどこの感じならば大丈夫か?


「ええ。謙也が捨てられた子犬のような瞳を向けてくるものだから、例え用事があっても断れないわ」


「そんな目で見てはいないけどな」


 軽口を言ってはいるけど、ついてきてはくれるらしい。栞は栞で絢瀬のことを心配しているんだろう。そうと決まれば、と俺はさっさと帰り支度を済ませる。


「それじゃ、行ってくる」


 瞬が、楓花が、鉄平が、奈緒が、俺たちを見送ってくれた。


 誰も心配そうな顔はしていない。まるで俺のことを疑っていない。信じているぞ、と言葉はなくても伝わってくる。その温かさに背中を押されながら、俺たちは教室をあとにした。

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