第12話 政界の堅物

「貴様は野球というものをわかっていない」



 低く重い声。しかしよく通る。グラウンドの上ではきっとさらに響くのだろう。鳩のように張った胸と丸太のような太もも。同じ人間かと疑いたくなるほど出来上がった身体には畏敬の念を感じずにいられない。



 青柳派のトップ、睦月砂積むつきさずみ

 

 

 野球部に所属しており、現在も活動中だ。7年生なのでもちろん高校生の参加するインターハイには出られないが、大学生が参加する大会には出場している。そちらでも良い成績を残している一方で、学民党の仕事もこなすのだから恐れ入る。本当に、体育会系の体力は異常だ。


 学民党内では最年長。ただ、多賀根学園では年上というのはアドバンテージにならない。卒業チケットを得られるだけのTコインを早く貯めて卒業する。それがこの学園での優秀さの証明であるため、年上というのは卒業できない無能、そう言っているに等しいからだ。


 ただ例外はある。ハイクラスの卒業チケットを狙うために資金を貯めたり、単純に多賀根学園で学びたいという理由であったり、自発的に残っている場合。そういう者達は決まって優秀である。


 まぁ、実際のところ6年生、7年生になってまで在籍している生徒はただ単に卒業できないだけ、ということが多い。多賀根学園は他の大学と比べて教育のレベルが高いため残って学びたい、などと最もらしい言い訳をするが、そういうのはだいたい嘘だ。そのくらい、多賀根学園を卒業するのは難しい。


 その中で、睦月は例外の方。野球部ではレギュラーで、甲子園にも出場している。最短の3年卒業も可能で、さらにプロからの誘いもあったと聞く。しかし、彼は後進育成のためと多賀根学園に残った。


 人格者であり、人望も厚い。それが睦月という男。彼を説得できなければ、青柳派の協力は得られない。


 ベンチに並んで座る数緒は、気圧けおされないようにと背筋を伸ばした。



「野球とは真剣勝負の場だ。日々の練習の成果を、たった一打席、たった一振り一投に込め、ぶつけ合う。その純粋さが野球の本質だ」


「なるほど。球児が言うと重みが違いますね」


「それが何だ? 女と混合チーム。しかもハンデと称した女への接待ルール。これを勝負といえるか?」


「ゲームではありますね」


「皆のだらしない顔を見ろ。下心が丸出し、不純だ。みっともない。だから女をグラウンドに入れるのには反対なんだ。男というのは女で狂う」


「モチベーションは上がります。見てください。みんな元気だ」


「まるで猿だ。野球は人のするものだよ。これは野球ではない」


「では野球に似たレクリエーションということにしましょう。もともと交流試合です。勝敗は問題ではありません」


「そういう考え方は俺は好かんな。スポーツとは勝つか負けるかだ」


「しかし、あなたはルール変更を受け入れてくれました」



 睦月は答えない。だが、理由ははっきりしている。交流試合の趣旨を理解しているからだ。その上で、試合に応じ、ルール変更にも乗ってきた。青柳派にも腹芸の得意な者はいる。しかし、野球を絡めると睦月は逃げられない。どうしても、彼の野球に対する姿勢が反映されてしまう。


 結果、睦月を交渉の場に引きずり出すことができた。



「世良はよくやっているか?」



 こちらの言葉には答えずに、睦月は話を切り替えた。



「お世話になっていますよ。言ったことは必ずやり遂げる実行力は野球部で鍛えられたんでしょうね。重宝しています」


「あれはまじめな男だからな。練習もいちばん最後まで残ってやっていた。あと、運さえあれば甲子園にもいけただろうに」


「運がなかったんですか?」


「あまり言いたくはないが同世代に選手が揃わなかった。野球はチームスポーツだからな。一人では勝てない。同世代にある程度の実力を持った選手が揃わないと甲子園は難しい」


「そういうのはコーチ陣が中学校にスカウトにいって良い選手を集めるものでは? 多賀根学園もスカウトはしているはずですが」


「うちはスカウトが難しいんだ。おまえも知っているだろ。多賀根学園は卒業が難しいから、中学生から敬遠される。うちはただ野球をやっていても卒業できないからな。結果を出さないと」


「その分、設備は充実しています」


「強豪校はどこも設備が充実している。結果を出さないと卒業できない学園と、結果を出さなくても卒業できる学校。同じ設備だったら選ぶべくもない」


「わからないな。どうせ成果を出すならば、多賀根学園で成果を出した方が得られるメリットが大きいのに」


「中学生にはわからないさ。多賀根学園というと魔王の城のように恐れられているからな」


「それは心外だ。こんなに楽しい場所なのに」


「おまえのような狸がいるから、妙な噂がまわるんだ。もっと正々堂々と生きろ」


「世良のようにですか? ははは、確かに見習いたいですね。ただ彼はまじめ過ぎます。副会長としては適任ですが、俺の目付け役としてはあまり機能していないんじゃないですか?」


「そういう腹芸は別の奴としろ。俺は単純に世良が優秀だから副会長に推したんだ」


「睦月さんはそうでしょうね」



 ただ実直ということが許される実績と人間性。政治の世界で、それは稀有けうな立場だ。うらやましいとは思わないが、出来た人だとは思う。


 そんな人に迂遠うえんな言い回しは逆効果か、と数緒は話を切り出す。



「実は、今日の交流試合は、睦月さんと話すために開催しました」


「だろうな」


「睦月さんはこういう回りくどいやり方は好きではないでしょうが」


「他の連中を納得させる理由がほしかったんだろ。必要なのは理解しているが、おまえの言うとおり、政界で俺がいちばん嫌いな分野だよ」


「では、ここから単刀直入に言います。恋愛税の校則案に賛成してください」



 睦月は、しばし黙り込んだ。この話になることはあらかじめわかっていただろう。とすると、この間は考えている間ではない。即答しないという回答なのだ。相手を威圧し、かつ、主導権は自分にあることを明示する。天性のものなのか、それとも計算してのものなのか。


 数緒は焦らずに待つ。そして、想定通りの言葉が睦月の口からこぼれた。



「今のままではできない」





★★★





多賀根学園への入学・・・卒業することがものすごく困難であるというのに、毎年応募者が絶えない。多賀根学園卒業生というブランドがあまりに大きいからである。優秀な中学生は学園側から勧誘があり、スポーツ推薦だけでなく様々な推薦枠がある。当然のように政治家や大金持ちのためのVIP枠もあり、数緒と文吾はその枠で入学した。文吾はそのことを知らない。

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