遭遇 下

 逢は栗色の髪をまとめると、ヘルメットの中にしまいこんだ。次に手袋、マスクを装着すると、先頭に立って歩き始めた。次に中島、田原の順で立ち入り禁止のテープを潜り、家の玄関に着いた。


 戸を開けようとして、逢は手を止めた。


(今、何か動いたような?)


 玄関の曇りガラスを凝視する。しかし、ガラスの向こうには暗闇が広がるばかり。それどころか、何の音も聞こえない。


「行きたくない……」

 ぼやく田原は、中の気配に気付いていない。彼を小突いた中島も気配は感じなかったようだ。


(気のせい……だと、いいんだけど……)


 玄関を開けると、秋だというのに、日光によって暖められたむわっとした悪臭が、家の中から漂って来る。逢も警察官達も思わず鼻と口を押えた。マスクが気休めにしかならない程の酷い匂いだった。


 玄関から中に入ると、正面は突き当り。廊下は左右に分かれている。左には明り取り窓があるはずなのだが、日が落ちた今は用を成さない。家の中は闇に呑まれていた。


「遺体がぶら下がっているのは、右の廊下の突き当りにある左側の部屋だ」


 中島に言われ、懐中電灯で廊下を照らした逢は、息を呑んだ。


「これは……」


 家の廊下は赤茶色に汚れている。以前ここに落ちた血だらけの遺体を、中島が運んだ時についたものらしい。さらに、どこからか入り込んだ獣の糞までもが散乱している。


「土足で失礼します!」


 空き家の中は、玄関から遠ざかるほど暗い。一歩踏み出すたびに、ギシギシ、ミシミシと床が嫌な音を立てた。


 背中を伝う冷たい汗に気付かないフリをして、逢は二人に話しかけた。


「前の捜査官達は、落ちてきた箪笥の下敷きになっていたそうですね」


「はい。その時二人は、大野さんの家を調べていたみたいです。約束の時間を過ぎても二人が家から出てこなかったので、大野さんから連絡が来て、俺と中島さんで探しに行きました」


「そういや、家具が落ちたのは、あの時が初めてだったな……」


 逢は立ち止まると、二人の証言をノートに書き記した。


「……今じゃなくてもいいだろ」

「すみません。でも、忘れてからじゃ書けないので……」


 苛立ちを隠さない中島に申し訳なく思いながらも、逢はペンを走らせた。


「家具が天井からぶら下がれば、二人は落下を警戒したはず。それなのに、どうして下敷きになったんだろう……」


「知らん」

 逢の独り言に中島は律儀にも返事をした。


「今のところ、落下で分かる事と言えば、村人が消えてから落ちてくるまでに、随分と時間に差がある事くらいかな……」


「まあな。最初はひと月かかった」


 逢の呟きに答えるように、中島はひと月前の事件の詳細を話し始めた。


「ひと月前、村で5人の行方不明者が出た。最初に消えたのは、佐藤千代子って認知症の婆さんだった。村中探しても見つからなかったもんで、川に流されたって話になった。


 次に正面衝突した無人の軽トラと軽自動車が見つかって、その日の内に乗っていた3人が失踪したことが分かった。


 最後は田口剛……俺の幼馴染だ。あの日は飲みに行く約束をしたんだが、時間を過ぎても来ねぇもんで、電話をかけた。でも、あいつは出なかった。


 嫌な予感がして家に行ったら、真っ暗で、鍵もかかっていなかった。この辺じゃ鍵をかける家の方が珍しいが、あいつは財布を忘れても、戸締りだけはしっかりする奴でな……さすがにおかしいと思った。家中探して呼びかけても……見つけられなかった」


「正面衝突の事故が起きた時から、『変わったことはないか』って、俺と中島さんで手分けして村中の家を回ったんです。でも、結局5人を見つけることはできませんでした……」


「そんなことが続いたもんで、村じゃ神隠しだって噂が流れた。馬鹿馬鹿しいって思ってたんだよ。でも……そしたらある日、天井から死んだ千代子さんが降ってきた。……田口あいつもな」


 逢は、中島の声が沈んでいて、底に怒りを滲ませているのに気付いた。彼が照魔機関を好ましく思っていないのは、誰の手も借りずに自分の手で事件を解決して、友人の仇を討ちたい気持ちもあるからなのかもしれない。


 ノートを書き終わると、逢は足元の糞や小動物の死骸に注意しながら歩みを進めた。


 ふと、『注意するのは下より上だよ』という四辻の言葉を思い出し、天井に視線を向ける。懐中電灯で照らせば、天井のシミさえ血の跡のように思えてきた。


 探しているのは遺体だ。でも、もしこの光の先に死者の顔を見つけてしまったら、悲鳴を上げずにいられるだろうか……。


「そこで廊下は終わりだ」中島の懐中電灯が経年劣化で変色した襖を照らした。「その襖を、開けてもらえるか?」


 襖は隙間なく閉ざされていた。


「中島さんは……さっきここに来られた時、わざわざ襖を閉じてから帰ったんですか?」


「ああ。閉じた襖が開いていたり、中から音が聞こえたその時は……家の中にいるって、目印になると思ってな……」


「『いる』って、何がです?」


 暗闇の中では中島の顔は見えなかった。ただ、ぼんやりと人影が見えるだけだ。


「……」


 逢は意を決して襖に手をかけると、勢いよく開け放ち、中を照らした。


 何もいない。


 家具すらない、空っぽの四畳半部屋があるだけだ。


「中島さん……遺体は、どこに?」


「……おかしいな。さっき、部屋の真ん中でぶら下がってるのを見たんだが……」


 部屋の中心の床には、赤茶色の染みが付いている。おそらく、以前遺体が落ちた場所なのだろう。その位置の真上を照らす。穴も染みもない。廊下の天井と同じで、木目があるだけだ。


 逢は慎重に、部屋の中へと一歩踏み出した。


 ドサッ。


 逢は後ろに引っ張られ、危うく尻餅をつくところだった。しかし、引っ張られていなければ、下敷きになっていたことだろう。


 懐中電灯を向けると、真っ先に落下物の正体に気付いた田原が悲鳴をあげ、尻餅をついた。

 逢めがけて降ってきたのは、探していた遺体だった。勢いよく落ちたため、首がおかしな方へ曲がって頭から血を流していた。


 中島は額に汗を浮かべ、逢を後ろに引っ張って受け止めた青年に視線を向けた。


 その青年は、たった今怪奇現象を目撃したというのに、全く取り乱す様子がない。それどころか、好奇心に満ちた目を遺体に向けていた。


「た、助かりました……。でも、でも! もうちょっと早く起きてくれても良かったんですよ? 四辻さん!」


 ジトっとした目を向けられると、四辻と呼ばれた男はバツが悪そうに頭を掻いた。


「ごめん、ごめん。縄張りに入るなって、しつこい奴がいてね。——お前の縄張りを荒らす悪いモノを貰ってやる——って説得して、ようやく通して貰えたんだ。逢さんが無事で何より」


 青年がもう一人の捜査官だと分かって安心したのか、中島は思い出したように遺体収納袋を広げ始めた。田原も中島を手伝い、二人で協力して遺体を外へ運び出してく。


 手慣れている、と逢は思った。既に何体もの遺体を回収したあとだから、慣れているのは当然かもしれないが、淡々と作業を行う様子にうすら寒さを覚えた。


「四辻さん、一人にするのは、もうやめてくださいね……。村人の誰かが、あたし達を裏切ったり、騙したりする可能性だってあるんですから」


「もしくは、最初から騙されているかもしれないよ」


 顔を見上げると、四辻はニヤリと笑った。


「君と同じ、可能性の話さ」


 四辻は部屋に足を踏み入れ、死体が落ちた場所から天井を見上げた。


「ここに遺体を運んだ奴は、わざと君を狙って遺体を落とした。捜査官を箪笥で潰した時みたいにね……。今はどこかに隠れているけど、僕達が村にいる限り、また襲って来るだろう」


「それなら、早く正体をあばいてやりましょう! 二人揃って殺されるとか、嫌ですからね」

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