聖なる魔女

 名前と言えば分家の姓を名乗っていることもそうだ。

 朔夜は名前によって二重の縛りを受けていた。それを今、解き放って本来あるべき状態に戻す。


「母さん。今まで守ってくれてありがとう」


 縛りが無駄だったとも余計だったとも思わない。

 一般人として生きていなければゆえとは出会えなかった。幼少期から魔法が使えていたら朔夜こそが魔女の企みに利用されていたかもしれない。

 母は瞳に涙を浮かべると「うん」と笑って。


「さくちゃん──咲耶ちゃん。あなたはきっとすごい魔女になるよ」

「そうかな。そうだといいな」


 どうせならたくさんの人を助けたい。


「儀式を始めます」


 結婚式に必要なのは誓いだ。

 ウェディングドレスも指輪も必ずしも必要なものではない。契りを証明し、双方の間に証として残すこと。

 だから、儀式はとてもシンプルだった。


「貴月咲耶。銀由依。あなた方はこれから生涯を共に歩み、苦しみも喜びも分かち合い、命尽き果てる時まで手を取り合い続けることを誓いますか」

「誓います」

「誓います」


 契りの形として最もわかりやすく象徴的なのは、


「では、誓いの口づけを」

「よろしいですか、咲耶さま」

「うん。しよう、由依」


 差しのべられた手を取ると、指が自然に絡められてぎゅっと握られる。

 両手で繋がったまま顔を近づけ──目を閉じると同時に柔らかなものが咲耶に触れた。

 由依の存在を強く、そして深く感じる。

 繋がった部分から少女の存在、少女の魔力を感じ取って、その知覚をさらに深く強くしていく。

 清らかでまっすぐな力。

 同時に咲耶自身の身体からも力が湧きあがってくる。二つの力は触れ合う肉体に従うように絡み合い、混ざりあって、


「天使顕現の儀式を改変して、役割を二つに分けます。由依ちゃんには力の解放を、咲耶ちゃんには解放された力を振るう役割を」


 本来の儀式では天使の肉体を形成するが、咲耶の身体で代用することでそれを省略。

 二人の身体にはずん、と負担がのしかかり、少しでも気を抜けばバラバラになりそうな恐怖に襲われるも、問答無用で肉体と魂が崩れ去るような事態には陥らない。

 指と唇が離れても一度できた繋がりが切れることはなく、むしろ、咲耶の力はより強くなり、全身から光となって放たれる。

 神聖な力は基本的に人を害さない。

 母や静華には全く影響を与えないままに近くの触手を消し飛ばし、


「咲耶さま。長くはもちません。……参りましょう」

「そうだね、由依」


 気持ちがとても落ち着いていた。

 名前の変更によって解放された魔力は今や静華から告げられていた領域に到達している。咲耶はその使い方をろくに知らないが、ただ身体から漏れだす気配だけで悪しき触手に触れられることを拒み、

 あらためて少女の左手と自身の右手を繋いだ。

 歩むたびに触手が千切れ、分解され、光の粒となって消滅していく。

 特級悪魔もまずいと察したのか全方位に広げていた身体を咲耶たちだけに向けてくるも、空いた左手を突き出して魔力を放出するだけですべてが吹き飛んだ。


 今の咲耶は天使を代行する存在。

 天使そのものと言ってもよく、悪魔を浄化する行為はとても自然だった。

 心も天使の影響を受けているのだろう。

 長く続けていると飲み込まれてしまいそうだが、由依と触れ合う右手が意識を繋ぎとめてくれる。

 天使と悪魔。

 単独であれば互角であろうその戦力差は今、大きく開いていた。真冬が二年と言う年月をかけて顕現に足る魔力を集めたのに対し、咲耶たちの天使の力は二人ぶんの魔力によって本来ありえない出力を得ている。

 加えて、応援の魔女たちの尽力。

 一人ではない彼らに負ける要素はもはやなかった。


「目覚めたのね、朔夜。……いいえ、咲耶」

「はい。今ならあなたにだって負けません」


 宵闇真冬は月の墓石の前に悠然と立っていた。

 彼女の身体からはなおも悪魔の触手が吐き出され続けるも、咲耶の放つ輝きによって全て滅ぼされていく。

 他の魔女たちの攻撃もまた見えない壁によって阻まれ真冬に届くことはなく、結果、絶えず状況が変わり続けているにもかかわらずとても静かな空間が形成されていた。


「諦めてください。投降すればきっと命までは取られません」

「あら。それはどうかしらね」


 黒い髪と瞳を持った特異の魔女は右の手のひらを朔夜に向けると空間を歪め、特級悪魔の本体を覗かせた。

 異形だ。

 触手だらけの身体の奥には深い暗闇があり、無数の瞳が覗いている。大きくぎらぎらとしたそれは見ただけで本能的な恐怖を煽り、普通の人間ならそれだけで発狂させるだけの美と魔を秘めている。

 しかし、今の咲耶たちには通用しない。

 人の形のまま、聖なる光を溢れさせて触手の奔流を受け止め、押し返す。

 力を振るうほどに身体が悲鳴を上げるも、ここで手を抜くわけにはいかない。咲耶は意識的に痛みをシャットアウトすると聖光を前へと放ち続けた。


 光が闇を呑み込み、悪魔は言葉どころか音にもならない絶叫を上げる。


 空間の裂け目が大きくなっていよいよその全身が現実へと現れようとするも──横手から飛来した無数の魔法攻撃が真冬の全身を揺らした。

 さすがの特級魔女も特級悪魔に本気を出させながら他の対処まではできなかったか。

 もちろん、咲耶もこの機を逃さない。

 今放てる最大量の光で悪魔を呑み込み、そして消し去った。余波が魔女のコートを吹き飛ばして、髪や瞳と裏腹に白い裸身を露わにする。

 悪魔の消失を確認した魔女たちが周囲を包囲し、もはや真冬の逃げ場もなくなった。

 それでも女はただ艶めいた笑みを浮かべて、


「私を殺すのかしら、貴月咲耶」


 ただの声。

 その声にこれまでのことがフラッシュバックする。

 月の最後の泣き顔。二年以上耐え続けてきた恥辱と嫌悪。最後の最後に奪われた大切なもの。葉月の告白。陽花の本音。おぞましく邪悪な悪魔たち。

 怒りも憎しみも十分すぎるほどにある。

 殺してやりたいに決まっているし、ここであと腐れをなくしておいたほうが今後のためにもなるだろう。

 ならば、


「……いいえ」


 ゆっくりと首を振って、咲耶は腕を下ろした。


「殺しません。あなたはこの人たちに引き渡します」

「そう」


 その答えに、宵闇真冬は満足そうに微笑んだ。


「あなたの勝ちよ」

「え……?」

「殺意を優先していたら危ういバランスが崩れて天使の力は振るえなくなる。そうすれば私は他の悪魔を使ってこの状況を打破できた」


 宵闇真冬は悪魔使い。何も保持している悪魔が一体とは限らない。


「先輩。あなたはどうしてこんなことを」

「決まっているでしょう」


 両手両足。両目。腕。胴体。

 ありとあらゆる場所を捕縛されながら女は答えた。


「面白いからよ。……あなたは私のお気に入り。それ以上の理由が必要かしら?」

「……どこまでも」


 どこまでも、この魔女の手のひらの上で踊らされていたのだろうか。

 こうなることまで彼女は予期していたのだろうか。それとも、咲耶たちが勝とうが負けようが余興のうちであってどうなっても構わなかったのか。

 聞いてみたいような気もするが、はぐらかされるだけのような気もする。

 息を吐いた咲耶は天使の力が身体から抜けていくのを感じた。由依が「限界です」と呟き、ぐらりと崩れた咲耶の身体を支える。


「大丈夫ですか、咲耶さま」

「うん。死にはしないよ。……でも、身体が痛くて動けないかな」


 無理に動かそうとしたら全身がバラバラになりそうだ。

 喋っているだけで精一杯。

 少女は呆れたようにため息をつくと、その豊かな胸が触れるのにも構わず咲耶を抱きしめた。


「お疲れ様でした。ありがとうございます、咲耶さま」


 気づくとすっかり朝が来て、まばゆい太陽が咲耶たちを照らしていた。


「あなたのおかげでわたくしも、あなたも死なずに済みました」

「うん。本当によかった。……銀さんが命を使わずにすんで」


 それだけを言うと咲耶は意識を手離した。

 眠っている間に見たのは月が生きていた頃の幸せな記憶。

 目が覚めた時にはもちろん愛しい少女の姿はどこにもなく、ただ現実の続きだけがあった。



    ◇    ◇    ◇



 咲耶が目覚めた場所は自宅でも銀家の屋敷でもなく、国立菊花学園の医務室のベッドの上だった。

 清潔なベッドに淡い色のカーテン。

 場所がわかったのはベッドに備品としての記載があったからだ。

 こういうところはどこでも一緒なんだな、と感心しつつ身体を確認すると──。


「え。えええ……っ!?」


 咲耶は思わず悲鳴を上げてしまった。

 悲鳴を聞きつけて、というよりは目覚めを感知した校医が入ってきて、さらに母や由依も駆けつけて事情を説明してくれる。


「咲耶ちゃん。もうあれから三日も経ってるんだよ」

「三日も?」

「咲耶さまの身体にはそれだけの負担がかかっていたのです」


 外傷はなく、内側についても損傷というよりは劣化といった具合だったため治癒の魔法でもある程度の負荷軽減しかできなかった。

 残りは自然回復を待つこととなり、結果目覚めには三日もかかった。

 今の状態でもまだ完治には程遠いということでしばらくは安静が必要との診断。


 ちなみに静華は仕事もあるので家に帰ったらしい。

 連盟の計らいで休暇は取れるらしいが、おそらくベッドに突っ伏して爆睡して終わることだろう。


「それでその、僕の身体はいったい」

「うん。あのね、魔女として完全に目覚めた影響なの」

「それから天使の力を使った影響ですね……」


 まず、咲耶の身体は今までよりもはっきりと丸みを帯びて柔らかくなった。

 身長もいくらか縮んだ上に骨格まで変わっているようで、鏡に映すとまるきり女子だ。今までのように男性的な部分を探すこともできない。

 胸は見事に三ランクアップ。

 歩く時のバランスが変わりそうなほどの重量感であり、少し前で男だった身としては違和感がすごい。

 さらに驚いたのは下半身だ。

 尻や足に肉がついて女性的になっているのはまあいいとして、性器にまで大きな変化が加わっていた。


「どうして両方ついてるのさ」

「ですから、天使の力を使った影響なのです」


 魔女になったのだから女子になるのかと思ったら両性具有になってしまった。

 本来、天使の力を使うことのできない咲耶が力を借りた。さらに「男でもあり女でもある」という属性を用い、自分の肉体に力を下ろしたものだから、それに合わせて身体が最適化されてしまったのだ。

 両性を併せ持っているならそういう身体にしてあげよう、と。

 ちょうど身体が作り替わるタイミングだったのも作用したのだろう。結果がこの見事な変わりぶり。


「で、でも良かったんじゃないかな。変化はこれで落ち着いただろうし、転校のタイミングに悩まなくて良くなったよ」

「両性具有は魔法的にも大きな意味があります。希少な属性ですので落ち込まれることもないかと……」

「どうせ変わるなら女の子になるほうがまだ気が楽だったよ……」


 完全に女子になる方がマシ、などと思ってしまっているあたり心のほうにも変化があったか。

 単に中途半端に男を残されてもい意識の持って行き方に困るだけかもしれないが。

 ちなみに由依はもともと適性者だし力を直接振るったわけではないので身体に影響はなかったらしい。


「わたくしは疲労さえ回復すれば問題ありませんでした。咲耶さまにばかり負担をかけてしまい申し訳ございません」

「気にしないで。僕がやりたくてやったことだし、むしろ由依が無事でよかった」

「……本当に、あなたはお優しいのですね」


 涙ぐんだ由依に腕を回して抱きしめられる。


「ちょっ、あんまり男相手にそういうこと……って、そっか、男じゃないんだっけ」

「というか、結婚したんだし問題ないんじゃないかな」

「神に誓ったわけですので、破棄するのでしたら相応の覚悟が必要ですね」


 何かの理由でまた天使の力を借りたくなった時、結婚を破棄してしまうともうできないかもしれない。別に籍を入れるかどうかは後回しでも構わないのだからひとまず結婚についてはそのままにしておくことにした。


「下着は買い直さないとだけど、使うのは女物でいいんじゃないかな。……あんまりおっきくないみたいだし」

「おっきくないとか言わないでほしいんだけど」

「あの、わたくしは見ておりませんので。……少しだけしか」


 若干、天の岩戸にでも隠れたくなってきた咲耶だったが、そこは我慢しておく。


「咲耶ちゃん。戸籍のほうも変更して大丈夫?」

「うん、お願いしてもいいかな? ……そもそも、苗字は変えられるのかわからないけど」

「大丈夫だよ。あの人たちが嫌がるはずないもの」


 貴月本家としては一族に優秀な者を望んでいる。

 咲耶が姓を戻すのはむしろ大歓迎だろう。


「わたくしも咲耶さんと時期を合わせて復帰いたします。まずは身体をしっかりと休めてくださいませ」

「うん。そうするよ」


 魔女となった者には相応の生き方がある。

 あの戦いを経験した後では余計にそう思う。

 もう学校には戻らず、このまま転校してしまったほうがいいのだろう。

 せめて葉月には手紙か何かを送ろう。咲耶はそう心に決めた。

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