第二の目覚め

「……そう。じゃあ、学校のほうは一歩前進なのね」

「うん。街のほうはどう?」

「正直、このままじゃ厳しいと思う。撒かれた仕掛けが多すぎるの」


 母の見立てによると既に仕掛けは終わっており、増える気配はない。

 逆に言うと「増やさなくとも目的に十分」だと向こうは考えている、ということだ。


「外出したところを捕まえられるのを避けているのかもしれないけど」

「あの人なら一週間かそこら外に出なくても平気だろうね」


 食料等は前もって買い込んでおけばいい。


「自宅は魔法で完全防備されてるはず。私がその銀さんと協力してもたぶん、勝てない」

「そもそも、どうして母さんが頑張らないといけないのかな。……本当はそういうのから離れたはず、なんだよね?」

「まあね。そのつもりだったんだけど」


 朔夜によく似た顔立ちに曖昧な笑みが浮かんで、


「一つの街に魔女が集まることはあまりないの。学園の周辺なんかは例外だけど」

「争いを避けるため、とか?」

「そう。今はもう流派みたいな古いしがらみは形骸化してきてるけど、代わりに派閥争いみたいなのは複雑になってきているし」


 魔法が社会秩序に組み込まれたことで魔女の権利は拡大された。

 若い魔女にはスポーツのごとく魔法の力を競う場が与えられているし、裏の役割として朔夜が見たような「悪魔」を倒すことも求められている。

 悪魔を倒せば報酬も出る。

 もともと魔女の人数もそう多くない以上、縄張り争いのような概念が生まれて「この街の魔女」のように分散していくのは自然な流れだった。


「私たちはむしろ、この街にいることを許してもらっている立場。本来の管理者は……」

「管理者が率先して荒しているんだからどうしようもないな」


 応援を要請しているものの、実際に助けが来るまでには時間がかかる。

 事情を把握、対応の検討、派遣する人員の選定と手続きがあるからだ。えてしてこの手の派遣は被害が明確に出始めてから本腰を入れられる。


「静華さんには頼めない?」

「お医者さんはただでさえ大変な仕事なのに、そのうえお休みの日に街中歩き回るなんてお願いできないよ」

「……そりゃそうか」


 学校の授業を受けるだけだって体力はけっこう使う。

 他人の命を預かるうえに長時間労働がきついことくらい朔夜にも想像がついた。休みの日は一日中寝ていたい、と主張されても文句は言えない。

 世知辛い話だが、人間社会と共存している以上は魔法使いもヒーローのような都合のいい存在にはなれない。


「なら、せめて学校は僕と銀さんでなんとかしないと」

「本当は、さくちゃんにも危険なことして欲しくないんだけど」

「それは無理だよ、母さん」


 この件は朔夜とも無関係じゃない。

 被害を望んだわけじゃないとはいえ黙認してきた。街を荒らす力も提供してしまったのだから動かないわけにはいかない。

 向こうの想定には朔夜の介入も含まれているだろう。


「想定、っていう意味では銀さんの存在はイレギュラーかも」

「そうか。僕と母さんは予想できてるだろうけど」

「誰か来る可能性は考えていたかもしれないけど、たぶん、思った以上に出来る子が来てると思う」

「やっぱり銀さんもかなりの魔女なんだ」

「魔力量だけじゃないよ。あの子はちょっと、特別だから」


 それ以上の話は本人に聞いて欲しいと母は言葉を濁した。


「母さん。魔法のコツとかもう少し教えてくれないかな」

「そうしたいのは山々だけど、本当は時間をかけて覚えていくものなんだよ。魔力に慣れて感覚を広げていかないといけないから」

「でも、それって普通の魔女の話だよね。子供と僕じゃ別の方法もあるんじゃないかな?」

「……ないこともないけど」


 あまり気は進まないと顔に書いてあった。


「まさか、死ぬ可能性があるとか」

「そこまではたぶんないけど……たぶん、かなり痛いよ。全身を串刺しにされるくらい」

「それって……」


 想像しただけで顔をしかめてしまう。

 同時に比喩表現から連想する行為があった。


「無理やり破瓜の痛みを与えられる感じかな」

「やっぱりそういうことか」

「強引に通り道を作るんだから同じようなものだよ。そもそも、性と魔法は密接な関係があるものだし」


 詳しく語ってしまうと古代や中世にまでさかのぼらないといけないので割愛するが、その辺りは多少、世界史の授業などでも触れられているので朔夜にも知識はある。

 まさかそんな痛みを経験することになるとは。


「それでも、やる?」


 母の顔には「やらないでほしい」と書いてある。

 息子、あるいは娘を心配する親としては当然だ。魔法の師としても安全な道があるのならそっちを歩いて欲しいのが本音だろう。

 けれど、今は時間がない。

 少しでも力を身に着けて由依の力にならなければ朔夜は自分を許せなくなる。


「やるよ。女になってでも魔法を身に着けるって決めたんだ。それくらい覚悟はできてる」


 恐怖を振り払って答える。

 じっと見つめていると母も仕方なさそうに「わかった」頷いてくれる。


「じゃあ、お風呂で身体を洗ってからにしよっか」

「え。それってもしかして、二人で?」

「そうだよ。肌を重ね合わせたほうが効率がいいから」


 この歳で母親とお風呂に入ることになるとも思わなかった。

 ただ、まあ、同性同士なら温泉旅行に行ったりとかそういう機会もあるのかもしれない。男女ではいくら頑張っても別々に浸かるか旅行をプレゼントするので限界だろうが。

 だから、脱衣所で身を寄せ合うのも変なことではない。


「なんだか変な感じがするね」

「母さんが言ってどうするのさ」


 若くして結婚したため母はまだ美貌を失っていない。

 幼い頃は特別な憧れがあった。というか、母親にある程度の執着を抱いてしまうのは男子としては当たり前の話だと思う。


「母さん。その、まだ下はあれだから」

「大丈夫だよ。私だって見たことくらいあるし」

「そりゃあるだろうけど」


 子供を作ったという結果から逆算される行為を想像できてしまう。


「言ったでしょ? さくちゃんも慣れていかないと。与えるんじゃなくて育む側になるかもしれないんだから」


 言って母は自分の腹部に手を当てた。

 同じ人間と言っても男女では器官に差異がある。性器の消滅さえ可能性として示唆されている以上、子を育むための器官が形成される可能性も十分にある。

 自分の身体で子供を育む。

 男からは神秘としか言いようがない。どれだけ考えたところで想像の域を出ない行為。それを実感して覚悟するのが女なのだとすれば、確かに魔法という神秘の力が女にだけ微笑むのも納得できる気がしてくる。


「さくちゃん、髪きれいだしお肌もすべすべだよね」

「母さんこそ」

「私はちゃんと気を遣って手入れしてるの」


 そういったことも覚えていかないといけないのだろうか。

 母から伝わる女性のにおいを感じながら朔夜は肌を晒していく。無防備になった箇所はなるべく隠すようにして母からは背を向けて、


「じゃ、入ろっか?」


 音の響きやすい浴室で二人きりになるという意味を痛感させられた。

 シャワーから水が溢れ出す音。

 断続的なその音をもってしても傍に人が、女性がいるという事実を打ち消すことはできない。


「せっかくだからお母さんが洗ってあげる」

「いいよ。それくらい自分でできるから」

「そう? でも、さくちゃんってお風呂の時間短いでしょう?」


 拒否を許されることもなく母の手がソープを取って髪や身体を這いまわった。優しく貴重品を扱うような手つきであり、痛みも何もないどころかある種の快感さえ湧きあがったが、後ろに座った肉親の気配も相まって弄ばれたような心地になる。

 それでいて全てを洗い流された後には爽快感。

 自分でやるのとは段違いの行程になるほど、と頷いたところで、


「さくちゃん。お母さんも洗っちゃうから先にお風呂入っててくれる?」

「う、うん」


 言うまでもなく、湯船に浸かる間は目を閉じて余計なものを見ないようにした。

 耳から入ってくる様々な音は余計に想像力を刺激。限定的ながら魔力を感じるようになったことで五感も鋭敏になった気がする。

 あちこち撫でまわされた後だということもあって肌に触れる湯の感触さえも非常に心地良く思いながら、朔夜は母の「お待たせ」という声を迎えた。


「始めましょうか」

「ん。……どうすればいい?」

「向かい合って、肌をしっかり密着させるのがいいかな」

「な」


 目を見開くも、既にどうこう言う時は過ぎている。

 浴室の床、敷かれたマットの上に腰を下ろして正面を向けば、滑らかな肌、豊富な魔力量を象徴する乳房があった。

 肉親相手だとわかっていてもまじまじと見るのは数年ぶりであり、それゆえに鼓動が早くなるのは避けられない。

 赤面を悟られないか。呼吸を整えている間に腕が伸びてきて朔夜の身体をホールド。お互いの身体が完全に密着し、体温どころか鼓動さえ伝わってくる。

 相手の心臓もほんの少しだけ早く脈打っているのがわかる。

 気恥ずかしさから来るどきどきだろう。それが逆に安心感を生んで朔夜の鼓動を少しずつ落ち着けていった。

 温かくて心地いい。

 目を閉じ、溶け合うような心地を味わう。境界が揺らぎ、意識は逆に奥へと潜っていく。


「いくよ」


 声をどこか遠く、あるいは内側と思えるほど近くから聞いた直後──朔夜は何かが自分の中に入ってくるという、奇妙な感覚に襲われた。

 細く遠慮がちなそれはしかし、受け入れる側にとっては途方もない太さに思える。

 かすかな入り口に無理やり押し込まれるような感覚に身体も神経も悲鳴を上げ、ほんの僅かな時間を永遠のように感じる。

 いったん押し入られて広げられれば楽になるかと思いきや、それはさらに奥まで侵入しながら太さを少しずつ増していく。

 楽になるどころか侵入が深まった分だけ痛みと苦しさは増して、口を半開きにしながらも呼吸さえままならない。

 いっそのこと早く終わって欲しい。

 望みはある時不意に聞き届けられた。ふっと一瞬、身体が楽になったと感じた直後、ずん、と、今までとは比べ物にならない太さが一気に突き入れられて、比喩ではなく本当に一瞬意識が飛んだ。

 実時間としてはほんの二、三分だっただろう。

 体感では十倍近く。

 母に抱かれたまま、力の入らない身体をただ預け、呼吸を繰り返しながら「生きている」ことを実感する。


「どう、さくちゃん?」

「どう、って言われても……」


 まだ実感は湧かない。そう思いながら意識を体内に向けた朔夜はぞくっとした。


「ある」


 ぼんやりとした流れではない。

 太い血管のような何かを通って四肢に、指先に『力』が流れ、循環しているのが体感できる。

 普通、人は血液の流れだって理屈として理解しているだけで感覚的には把握していない。だというのに感得できてしまうこの能力は。


「今までとぜんぜん違う。……これが、魔女の感覚?」

「そうだよ」


 母は慈愛の籠もった視線を朔夜に向けながらおっとりと微笑んだ。


「さくちゃんもこっち側に来ちゃったね。五感では感じられないものを第六感で感じ取る人の別種──それが魔女なんだよ」

「人の別種、か」


 別の種と言われても仕方がないと今なら納得できてしまう。

 常人にない力を持っていて、その流れを把握でき、さらには行使することもできる。それはもう人から見たら化け物に近い。

 朔夜は「そっち側」に足を踏み入れてしまった。

 他でもない母親も、昔なじみの従姉妹も同じ魔女なのだから恐怖はあまり感じないが、人の枠を踏み越えてしまった寂寥感のようなものは感じてしまう。

 もっとも、男と女の違いだって相当なものだし、人に「魔女」という三つ目の性があるというだけの話なのかもしれない。

 一般人からしたら敵対しない限り「魔女=すげー」くらいの認識であって人類と敵対しているわけでもないのだが。


「これなら魔法も使えそうな気がする」


 人に害をなす魔女は放っておけない。

 本来、年月をかけて通り抜けるべき道筋を裏技で駆け抜けた朔夜は高速で「魔法の行使」までたどり着けるはず。なんとか間に合えばいいのだが。

 母の指がこつん、と朔夜の額を突いて、


「無理はしちゃだめだよ。身体に負担がかかったんだから、しばらくはなるべく普通にしていること。魔力を流しやすくなった今ならあの剣だけでももっと戦えるはずだから」

「わかった」

「本当にわかった? それと今日はもう寝ること。眠れないならホットミルクか何か作ってあげるから──」

「わかった。わかったから! 母さん、そろそろ離して」


 魔女になる、魔女を同族とするというのはつまり、こういうことの繰り返しなのだろう。

 男という種を捨てなければ魔法には近づけない。

 歴史的に見ても希少な経験が朔夜を理想へと近づけている。

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