下着

「すみません。この子のサイズ測ってもらえますか?」

「かしこまりました。……もしかして普通のブラは初めてですか?」

「そうなんです。ね、さくちゃん?」

「う、うん」


 白、黒、ピンク、青、黄色……。

 独特な形状を持つ色とりどりの品々を前に朔夜は戸惑いを隠せなかった。

 発端は母の発言。診察を終えて病院を出た後「下着を買って帰りましょう?」と提案を受けた。

 朔夜としても肌着に締め付けられるのは避けたい。大きくなった胸とさらなる女性化の可能性も受け入れた以上、これを拒否する理由もなかったのだが。


「ではこちらに。スリーサイズをお測りするのでしたら下着だけの状態──ブラをつけていらっしゃらないのでしたらショーツだけの状態になっていただけますか?」

「あの、胸のサイズだけで大丈夫ですから……!」


 衣料品店に長居するなんて何年ぶりだろうか。

 思い返すまでもなく二年以上は前だ。

 好きな女の子と一緒でもなければサイズの合う服を適当に買ってさっさと店を出る。まして、女性向けの売り場に踏み入ることなんてなかった。

 利用した店舗が大衆向けの安価な店だったのは良かったのか悪かったのか。カーテン一枚隔てた試着室で大人の女性店員と二人きりになることへの戸惑いは想像以上。真面目に仕事をこなしているだけの店員に文句を言うこともできない。

 男性ものの私服に身を包んでいても特に気に留められてもいないのだが、これは単にファッションと見られたためか。「胸の膨らみの有無」というのは性別判断において想像以上に大きな意味を持つらしい。


 やめてほしいと何度言っても「さくちゃん」呼びが直らなかったのも「こういう」事態を見越してのことか。


「うん、Cカップですね。このサイズでブラなしだと辛かったんじゃない?」


 告げられたトップとアンダーの数字を念のために記憶し──同時に「憶えられる気がしない」と思いながら、朔夜は「そうですね」と曖昧に答えた。

 身体を近づけられ腕を回されたことによる鼓動はまだ収まっていない。


「このサイズですとおススメはこのあたりでしょうか」

「ありがとうございます。さくちゃん。大きくなってもいいように大きめのも買っておこっか?」

「そうだね。それがいいかな」


 静華によると今回の急成長は「おそらく身体のバランスが崩れたため」らしい。


『男の身体に押さえつけられていた「魔女としての成長」が年頃になって本格化したんでしょうね。それで身体に魔力を溜める器官が急遽形成された』


 身体を変化させるのにも魔力がいる。

 魔力を溜めておけないのではいくら生成量が高くても宝の持ち腐れ。生成された端から魔力を消費してCまで大きくしたものの、これ以上の急成長は悪影響が出るため中断されたものと思われる。

 よって、今後も胸は成長する可能性が高い。

 加えてそれがいつなかもわからない。極端な話、明日にはDカップになっているかもしれない。

 成長のたびに測ってもらうのも気が引けるので、サイズ違いを購入しておくのが得策だ。


 頷き、比較的手に取りやすい黒のブラに手を伸ばして──。


「購入されるのでしたら上下セットのものがおススメです。その方が気分も上がりますものね」


 朔夜は一瞬、不可抗力から硬直した。

 変化がどう訪れるかわからないのは下半身も同じ。であればショーツも必要ではあるのだが、不思議そうに「どうしました?」と尋ねてくる店員にどう答えたものか。

 話している間にも他の客の気配や声はあるわけで、一刻も早く逃げ出したい気持ちになる。

 第一、このタイミングでクラスメートにでも出くわしたらどう説明すればいいのか。


「さくちゃん、せっかくだからいろんな色を選んだほうがいいよ」

「でも、母さん。……ピンクとか恥ずかしいし」

「同じ色ばっかりだとごちゃごちゃになりやすいし、服に合わせる時も困るよ?」


 論理的に説明されてしまうと抗うこともできない。観念した朔夜は母に下着選びを一任した。小遣いで揃えるのは難しいため出資をお願いする形になる。上機嫌でいくつものブラ・ショーツセットがカゴに入れられていくのに異を唱えるのは諦めた。

 会計の後、店員の勧めもあって購入品のうちの一つをさっそく身につけさせてもらう。

 試着室で服を脱ぐのはこれで二度目。二人よりは一人のほうが気楽だと実感しながら上半身裸になり、悪戦苦闘の末に後ろのホックを留めると──少々大袈裟に言えば、背後から身体を支えられたような安心感と安定感が一気に押し寄せた。


「これ、すごいな」


 拘束されているはずなのにむしろ解放された気分になる。

 柔らかな布で包まれたことで乳首が擦れる心配も少ない。感心しつつ服を着て、母と合流すると「すごいでしょ?」となぜか自慢げに言われた。


「私ね、さくちゃんは男の子のままでいいと思ってたけど……女の子のあれこれのほうが教えられることはやっぱり多いと思うの」


 同じ女だから。

 母親であっても息子であっても異性のことはわからない。

 母もまた、朔夜より年上なだけの人間なのだとあらためて思い知らされる。


「母さん。魔法のこと、教えてくれる?」


 帰り道、何気ないふうに尋ねると「うん」と短い答えが返ってきた。


「お家の魔石にもあらためてさくちゃんを登録しないとね」


 魔女の住むにはたいてい特殊な魔力集積装置が組み込まれている。

 街中にも魔道具用の魔力を集める装置が点在しているが、それとは別──規定量以上の魔力を集めて提供するためのもの。

 提供した魔力量に応じて家庭には礼金が支払われる。

 魔力の多くない一般人は逆に魔力使用料を支払うことで便利な魔道具を利用している。


 高槻家の場合、魔石はキッチンの奥の壁だ。

 朔夜が手をかざすとそれは魔力に反応して淡い光を放った。母が手を添えると光は石に吸い込まれていき、最後にぱっと光って消える。


「これで登録完了。……どう、さくちゃん?」

「うん。なんだか不思議な感じがする」


 朝、意識して感覚を拡張した時に近い。

 身体の感覚の向こうにぼんやりと家の輪郭がわかる。家が手足の延長になったような、あるいは家に包み込まれているような。

 少しそわそわして気分が落ち着かない。

 けれど、慣れればもっとはっきり家のことがわかりそうな気がする。例えば誰がどの部屋にいるとか、玄関のドアが開いたとか。


「母さんがいつもタイミングよく出迎えてくれる理由がわかったよ」

「ふふっ。魔力供給の副産物なの。魔女の館に踏み込む時は注意しなさい、みたいな?」


 朔夜は自身の知るもう一つの「魔女の家」を思い出して苦笑した。

 今までの彼はあの女の胎の中に取り込まれていたようなものか。


「繋がったままでいれば魔力の流れもわかるようになるよ。感覚がはっきりすれば魔力も使えるようになるはず」

「じゃあ、できるだけ家にいるようにしないとね」

「そうだよ。外泊はなるべく控えてね?」


 もともとあそこには必要があって通っていただけだ。

 真面目で善良な母は男の朔夜に踏み込んで欲しないというスタンスだった。けれど今なら「正しい使い方」を積極的に教えてくれるはずだ。

 反則のための契約は一時休止にしたい。

 彼女には後でメッセージを送っておくことにして、買い物袋を再び持ち上げる。


「下着はちゃんとしまっておいてね? お母さんも手伝おうか?」

「いいよ。自分で着るものくらい自分でしまえるから」

「でもさくちゃん、下着の上手なしまい方わかる?」

「……いや」


 母は「しょうがないなあ」と笑みを浮かべると朔夜をリビングへと誘った。

 タグを切ったブラ、ショーツを使って実践された畳み方は男性用下着では用いたことのないもので、考えてみればまあそれしかないだろうと思う反面、一人では絶対に思いつかなかっただろう。

 息を吐いて感嘆した後は実際に再現しておさらいする。やってみれば簡単ではあるものの、見慣れない物を扱う気恥ずかしさもあって少々手間取ってしまう。


「慣れれば普通にできるようになるよ」

「こんな形で慣れることになるとは思わなかったな」


 ゆえと付き合い続けていたら別の形もありえただろうか。思って、不要な胸の痛みを覚えてしまう。そもそも朔夜はまだあの子と別れたつもりはない。


「あ。ついでに服も見てくればよかったかなあ?」

「服はいいよ。女装して外に出るのもなんか変な感じだし」

「うーん……さくちゃんが女の子の格好するのは女装じゃないんじゃない?」


 胸は女性なわけだから普通の格好だとも言えるし、骨格や下半身から考えれば異性装だとも言える。

 肩を竦めた朔夜は深く考えないことにし、外出の機会をもっと身体が変化した後に先送りした。


「学校には連絡しておくね」

「うん。ありがとう、母さん」


 相談の結果、登校再開は胸が大きくなってから数日後に。

 インターバル中に朔夜は十六歳の誕生日を迎え、寮生活の姉からは祝いのメッセージを、あの『先輩』からは契約休止の了承と共に長々とした罵倒、加えてついでのような「おめでとう」を受け取った。

 母と二人、主食は赤飯、デザートはケーキという不思議なパーティは彼の新しい門出を象徴するような、ささやかながら意味のあるものとなった。



    ◇     ◇    ◇



 数日間、胸はセンチ単位の変化を見せることはなく。

 ブラを着けた身体は程よくもはっきりとした膨らみを示した。ワイシャツは今までのものではなく、身長が伸びることを見越して(あるいは期待して)購入していたワンサンズ大きいものを下ろすことに。

 学ランもややゆとりのあるサイズのため問題はない。

 割とかっちりとした衣装をはちきれんばかりに押し上げる──などとはならなかったことに安堵する一方、魔法の才能という意味ではそうなってほしかったとも思う。

 例えば銀由依ならこの学ランは一部だけが異様に窮屈となったはずで、


「さくちゃん似合ってる。可愛い」

「母さん。可愛いは褒め言葉にならないから」


 学校側の対応に数日を要したものの朔夜の側としてはやることに変わりはない。

 今までとは異なる下着を身に着けることになっただけで、今まで使っていた鞄を持ち母の作った朝食をとって家を出た。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね、さくちゃん」


 朔夜が悪い女の家に外泊しなくなったので母の機嫌はぐっと良くなった。

 若干ながら危惧していた「近所の人から奇異の目で見られる」というようなこともなく、通学の風景は今までと変わらなかった。

 ほっと安堵した朔夜は背後からの「おはよう」の声に「おはよう」を返して、


「ん? んんん? ……んんー?」

「は、葉月さん」


 行く手を遮るように立ちはだかった葉月から食い入るように見つめられた。

 視線の先にあるのは目ではなく胸。


「ね。貴槻くん。……ちょっと、触ってみてもいい?」

「駄目だよ!?」

「えー、けち」


 通せんぼをやめて隣に並んだ少女はくすりと笑うと、


「でも安心した。貴槻くん変わってないみたいだから。……ん? 変わってないのに違和感ないのがまずいのかな?」

「じゃあ、先生からはいろいろ聞いてるんだ?」

「聞いたよ。胸が大きくなっちゃったんでしょ? 貴槻くんの実家って古い魔女の家柄だって言ってたもんね」


 葉月には雑談の一環でそんなことも話していた。

 盆や正月の里帰りもあまりしていないくらいで正直実感は薄いのだが、こうなってみるとそういう家柄で良かったと思う。

 同時に、理解のあるクラスメートがいてくれたことも。


「本当、良かった。貴槻くんとまた話せるようになって」


 どこか真摯なその声に振り返ると、朔夜は少女の髪に見慣れないものを見つけた。


「葉月さん。そのヘアピンって」

「……ああ、これ? 可愛いでしょ。人からもらったんだ」


 軽く笑う葉月。小さなアイテムなのでぱっと見気づきづらい。飾りとして施された小さな石もアクセサリーとしては目立たなさすぎのような気がするが、そのさりげなさが逆にお洒落だとも思える。

 それよりも気にかかったのは石が『本物』に見えたことだ。


「それって誰からもらったの?」

「ん? ああ、うん。女の人だよ。彼氏とか、そういうのじゃないからね?」


 身長がやや上のはずの葉月は軽く前傾になると朔夜の目を見上げてきた。

 その目に蠱惑的な色を見つけてつい視線をそらしてしまう。

 体質が変わったとはいえ朔夜はまだ素人同然。その感覚はあてになるものではないだろうが、


「葉月さん。そのヘアピン、使わないほうがいいかもしれない」


 踏み込まなければ後悔する。そんな予感から敢えて口に出した。

 ごねられるかとも思ったが、返ってきたのは意外な反応。


「そっか。……実はそれ、銀さんからも言われたんだよね」

「なら、なにか良くない魔法の品なのかもしれないね」


 少女は少し考えるようにしてからヘアピンを外して「はい」と差し出してきた。


「じゃあ、貴槻くんにあげる」


 受け取ったアクセサリーは黒い本体に黒い宝石をあしらった漆黒のデザイン。

 朔夜はその印象から一人の人物を思い起こさずにはいられなかった。

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