大人のための童話

背骨ミノル

第1話 シッピー


 シッピーという女の子がいる。彼女は今九歳だ。つまりまだ、小さな女の子。しかし彼女は、その歳で世の中をひどく嫌い、憎んでいた。

 売春婦の子どもとして産まれたシッピーは、売春婦の手によって、半ば放置気味に育てられた。そこにはもしかすると懸命な親としての、母としての愛情もあったかもしれない。しかし母は売春婦だ。男に買われる為の仕事を生業にしている。

 まずそれが、シッピーの嘆きのひとつだった。

 シッピーは売春婦の母の姿を見て育ち、それはそれは美しい少女に育った。長い黒髪は、艶やかで真っ直ぐな、お人形さんのようなものである。白い肌と、ふっくらとした頬は微かに桃色がかっていて、紅を差さずとも赤い唇は、小さいながらに男心を翻弄するものとして存在している。

 シッピーは、その容姿が気に入らなかった。

 どこへ行っても声をかけられ、道端に生えているような花を摘んで渡される。愛の言葉と共に渡されるそれは、男の勝手な欲望で摘み取られ、萎れてしまっていくのだから。

 シッピーは花を愛する少女だった。そのため、そういった行為をひどく嫌っていたのだ。


 シッピーは、発展途上の身体だったから、余計にその危うさが男心をそそった。男はみな、シッピーを色のある瞳で見て、鼻の下を伸ばす。

 シッピーにとって、世の中はひどく、穢れて見えた。

 シッピーは、子どもとして愛して欲しいのに、世界はそれを良しとしない。

 シッピーの存在は、男に愛でられる為にあるのだと、シッピー自身が気づいてからは、ただただ、忌み嫌う世界が広がっていってしまった。


 売春婦の母は忙しい。夕方から昼前までは出掛けていて、帰ってきてからは仕事の時間になるまで眠っている。シッピーのためにご飯を用意してくれることもあったけれど、それは母が高値で売れた時だけだった。

 母がそこそこの値で売れた時は、シッピーの使うカバンの中に、その日過ごす為のお金が入れられていた。それを使って、シッピーはパンを買う。それとオレンジジュース。


 シッピーは学校にもまともに足を運ばない。大人がいるから、男がいるからだ。穢らわしい世界にシッピーは存在していたくなかった。

 だからよく海を見に行っていた。

 飛び跳ねる魚を見ながら、買ったパンを食べる。

 それはシッピーにとって、ささやかな幸せの時間だった。


 ある日、それはシッピーの前に現れた。

 虹色の鱗を持った、小さい魚だ。

 その魚がシッピーに話しかける。


 「きみは毎日ここで何をしているの?」


 シッピーは、虹色の魚に答えた。


 「海を眺めているわ。落ち着くから」


 「へえ。泳げばいいのに、気持ちがいいよ」


 「泳ぎ方、分からないもの」


 「それなら人魚になればいい、簡単なことさ」


 虹色の魚は、何でもない事のようにそう口にした。


 「人魚ってなに?」


 シッピーが尋ねると、虹色の魚はあくびをエラで仰ぎながら言った。


 「海の中で生活するのさ。魚の一部だもの」


 「へえ。楽しそう。どうやったらなれる?」


 「ふうん。冗談のつもりだったけど、きみ、人魚になりたいのかい?」


 「ええ。こんな世界、うんざりよ。みんなわたしを見る目が腐っているから」


 「よく分からないけれど。まあ、いい。ぼくの鱗を一枚剥ぎ取ってごらんよ。それを飲み込んで、そのまま海に飛び込むといい」


 シッピーは虹色の魚に言われた通り、虹色の魚の鱗を一枚、無遠慮に剥ぎ取った。

 虹色の魚はみるみる間に血を流して、虹色は真っ黒な黒へと色を変えた。

 シッピーはそれを気にせず、虹色に光る鱗を一枚、ぺろっと飲み込んで、それからどぼん、と海に飛び込む。


 海中に入ったシッピーの身体は、すぐさま形を変えて、しなやかな人魚の姿になった。


 シッピーは嬉しそうに笑いながら、黒く変色した魚へ声を掛ける。


 「本当に人魚になれた! すごいわ! ありがとう、魚さん」


 黒く変色した魚の方へ、シッピーが視線を向けると、そこには汚らしいおじさんが海中で息をしている。


 にやあっと汚らしく笑ったそのおじさんは、シッピーに声を掛けるのだった。


 「可愛いお嬢さん、待ってたよ」

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