第2話 帰宅

「…」

家の前には門番がいるが、何にも声をかけられない。自分の家では扱いはこんなものだった。父は特別扱いする価値のある者は優遇するが、そうでないならぞんざいに扱う。自分は必要ない子、そういう扱いをずっと受けてきた。剣の扱いは下手、楽器の演奏も下手、詩吟も下手、マナーも苦手、およそ貴族としてよいところがなかった。もっとも勉強と弓は得意だったが、完全なる無能の方が都合が良かったので手を抜いていた。故に腫物扱いされているが、不満に思ったことはない。初めから期待していなければ裏切られることもない。ただ、セバスには注意しないといけない。彼に見つかればまたお説教だ。

(まぁ、過干渉よりはマシなんだけどな。…いつか、海に出たいな。)

エルの家は大規模な港町を領都にしているため、海が身近にあった。そしてそれを見下ろすように広がっている花畑と一本の大きな木。一年前、たまたま見つけたお気に入りの場所だった。普段は静かなのだが、今日はイレギュラーがあった。

(仙気か。本で読んだことはないよなぁ。でもは綺麗だった。)

今日という一日を振り返っていると、突如目の前にノイズが走る。


「おい、邪魔だ、どけ。このハーブルルクス家の面汚しか。」


一瞬、目の前の景色が変わって兄が現れ、それが己を罵倒してくる。

「うっ。…またこれか。」

(あの光景は…、この先か。)

いつからだろうか? エルはこれから起こる未来か視えるようになった。いくつか試して分かったことは、未来を変えようと行動しなければ視た光景が実現されるということ、そしていつ視るかは不確定だということ。だが、このおかげで兄にいびられる未来はたいてい回避できるようになった。

(バスケットを返すのは後にして、先に風呂にしよう。…これでも公爵家の三男なんだけどな。)



兄に会わないように来た道を戻り、風呂へ向かう。

(着替えの準備はしてくれてるんだよな、ま、どうでもいいけど。)


「ガララ」

相も変わらず広い風呂。数十人が同時に入れるだろう。

「バシャバシャ」

本で学んだ泳ぎ方を試す。


「わぷっ。…難すぎ。」

(本当はこれに甲冑の重さも加わるのか。絶対溺れるじゃん。)

エルは、本来は武装した状態での泳法を試みるが、とても泳げたものではなかった。

(でもこれで泳げないと死ぬ。…絶対兄上は俺を殺そうとしてくるからな。)

一番自然に己を殺すとなれば、きっと戦場に出すだろう。それにハーブルルクス家は軍部に影響力を持たない。それを口実にすれば父と長兄は賛成はしなくても、否定もしないはずだ。

(…家の権勢とかどうでもいいのにな。…そもそも何で生きてるんだろう?)

エルが生きる意味を考えるにつれて、世界が色あせていくように感じられる。そのときエルの瞳はかすかに灰色へと変じていた。身体がそれを本能的に不味いと感じ、考えるのをやめる。

(…母上ってどんな人だったのかな? 俺の髪色は金髪で、父上の髪は銀だからたぶん母上の遺伝だと思うんだけど。)

顔も知らぬ母に思いをはせるエル。周りの人間は敵ばかりだが、もし母親が生きていれば自分の味方であったのだろうかと想像する。

(…で、どうするよ、エルグランド・フォン・ハーブルルクス。もう母上はいない。仮定の話をしても意味ないだろ。)

最後に自嘲を小さくこぼし、身体を洗ってから浴室を出る。昼食が普段の半分だったのですっかりお腹は空いている。

食堂では料理人たちが雑談していたが、エルが入ってくるとすぐに静かになる。

「…夕食を食べに来た。準備は出来てるか?」

「はい、できております。」

「じゃあ、早く持ってきてくれ。」

バスケットを返却しながら、指示を出す。

「承知いたしました。」


次々にテーブルに食事が運ばれてくる。さすがは公爵家、とても一人では食べきれない量である。

(こんなに食えないって。もったいない。)

食事のマナーといった貴族に必要な教養は最低限叩き込まれている。といっても本当に最低限なのだが。

エルは空腹に任せて次々に料理を平らげていくが、それに合わせて新たな料理が追加される。

(…もう無理。)

フォークとナイフを置いて席を立つ。

「もうよろしいので?」

「ああ。美味かった。」

「…それはようございました。」


エルは自分の部屋へと戻る。すでに日は落ち、屋敷内は各所に設置されている明かりだけが頼りである。

「ガチャ」

(…掃除はされているが、部屋の中は特段変わってない。)

一通り部屋の様子に目を通すと、ベッドに向かってダイブする。

「あ~、つかれた。でも魔力操作は毎日しないと駄目だよな~。」

たまに兄が中庭で騎士と訓練しているのを見るが、お世辞にも強いとは言えなかった。根本の基礎である魔力の扱いが下手のように思えたのだ。

(一番大事なのは確かに出力だけど、継続力も大事だと思うんだよなぁ。)

エルは己が疎まれていることを認識した時から魔力を磨き上げてきた。自分の身を守るには力が必要だから。もっともその力を誰にも見せつけたことはないが。


魔力を薄く練り上げて身体強化し、魔力で槍を具現化する。己に剣の才能がないのはすでに理解している。

(よし、やるか。)

「ペラペラ」

槍の教本を開き、昨日の続きから稽古を始める。数ある槍術の本の中から最も古臭いこの本を選んだのは一番楽しそうに思えたから。他の本は騎士道たるは云々やら、そんな簡単にいけば苦労しないと思ってしまう槍術しか載ってなかったのだ。そもそも活字しか載っていない本は分かりにくくて仕方ないというのもあるけれども。


ここでさらに魔力の出力を上げていく。

「くぅ~、やっぱりしんどい!!」

それでもやめない。魔力を増やすには限界まで使って器を広げるしかないのだ。出力を上げるたびに、槍の密度が濃く、頑丈になっていく。

(今日はここからか。え~と、何々、…これは指を斬ってるのか? ちょい分かりにくいって。)

見よう見まねで絵の通り身体を動かす。

(右足、左足、指ィ!!)

何度も試すうちに自分でも納得のいく動きができるようになった。

「ハァッ、イカズチ! …これで合ってんのかな?」

エルが操るは空の型である。敵の攻撃を完璧に殺し、自分の攻撃だけを通す。しかし今となってはマイナーな型でもあった。とにかく難しすぎるのだ。それにこの世界では剣が主流であり、槍に割ける時間が少ないというのもある。


「ヒュンヒュン」

槍を振るたびに部屋に風切り音が響く。

(あー、楽し。こうしている間だけは何も考えないで済むからなぁ。ただ弓ももっと練習したいんだけどな。)

さらに速く、より鋭く、部屋の中を縦横無尽に駆け巡る。部屋が広いからこそ可能な芸当だ。

「ハッ」

最後に鋭い突きを放つ。

「あ~、いい汗かいた。でも誰にもバレないようにやるには今しかないし。」

昼間に屋敷に居れば連れ出され、つまらない勉強や訓練を強いられていびられる。そんなことになるぐらいなら自分でやった方が効率が悪くともそっちの方がいい。何より自由を失うのはつらい。

エルはタンスからタオルを取り出し、汗を拭きとっていく。

(…俺はこれからどうなるんだろうか?)

頭によぎるは少なくともキラキラした未来ではない。想像するたびにくだらないという思いが強くなっていく。

(…大丈夫。未来は変えられる、今までも変えてきた。)

負けるものか。そう決意を新たにし、エルは眠りにつくのだった。















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