14:魔法少女は実在する



■■■魔法少女の敵■■■


 怪人について僕が知っていることはそう多くはない。この世界には魔法少女がいて、怪人がいて。多分怪人って言うくらいなんだから何かしら悪いことをしてるんだろうなあ、くらいの非常にふんわりとした認識しかしていなかった。


 知る余裕も無かった。魔法少女やら怪人なんて出くわさない限りは全く関係ない遠い世界の話だと思っていたし、それ以上に狂った男女比のことだったり沙矢のことだったり徒凪さんのことだったり、考えることは枚挙に暇がなかった。その上で魔法少女もとはならず、認知はしていたが特に調べもせず放置していたというのが現状だった。


 だから目の前の怪人が何をしてくるのか、僕には想像が難しい。情報が無い。予想が付かない。

 恐怖心はあった。でも本能的に危険を察知したからか、或いは隣で身を震わせている守るべき妹がいるからか、ともあれ案外頭は回る。だから考える。とにかく対話だ。話して解決するならそれがいいと思う。


「あの……僕たちに何か?」


 返事なんて無かった。代わりに黒い身体がもにゅッと横に広がる。節が無い身体が人間二人分に伸びて、ぱちんとゴムを弾いたみたいに分裂した。二人になった。分身か。怪人というかもはや怪物だ。

 分身はアニメとかだとあまり強い能力として出てくる印象はないが、こうして見ている分には不気味だし理解の範疇を超している。冷静に考えつつ背筋が凍える。ああ、恐ろしい。何だかとても恐ろしい。冷たい手で掴まれた心臓がきゅんと萎んだ。一般人からすれば炎を出さそうが分身しようが、なんだろうが恐怖の対象だが、目の前の怪人はそんな直接的な恐怖ではない、もっと芯からじわじわと広がる。神経毒みたいな恐怖が四肢を侵す。


 考えている間にも分身して増えた方の黒い怪人は公園の入り口へと早足で歩いて、立ち塞がった。まるで僕たちを逃がさないように……いや実際にそういう腹積もりなのだろう。公園の出入り口はそこ一つだ。絶対に狙ってやっている。やはりと言うべきか、怪人というのは友好的でもなければ交渉の席に着くこともないようだった。


「お、お兄ちゃん……わたしの後ろに……」


 沙矢は立ち上がって僕を背に隠そうと動いた。その小さな背中を恐怖で震わせながら、それでも沙矢は僕を庇うように怪人を睨みつけたのだ。


 僕は沙矢の前に出て、手を引いて沙矢を後ろに隠した。身体が勝手にそうした。無意識だ。多分だけど、女の子、ましてや妹に守られるような人生を歩みたいと思わなかったのだろう。

 入口は封鎖されていて、この辺りの人通りは夕方でも少ないから助けは望めない。そもそも警察とか呼んでどうにかなるものなのだろうか。とてもじゃないがならない気がする。じゃあ逃げるか。でもどうやって。沙矢がこの調子だと逃げようにも足が揃わない可能性が高い。


 逃げる術はある。背後は木々に覆われて目隠しされているが、その先は墓場だ。公園と区切るようにブロック塀があるが、登れない高さじゃない。


 僕はチラリと沙矢の顔色を見た。沙矢は相変わらず怯えているが、僕からの視線にコクリと頷いて、その後背後の木々に視線を向けた。意外だった。沙矢は恐怖に怯えながらも、僕の考えを補強するような仕草をしたのだ。しかも考えていることは同じと来た。流石僕の妹だ。大事にしないとな。


「せーので」

「うん」


 じりじり近寄ってくる怪人に対して牽制するように対峙しながら、小声で伝える。即座に返答する辺り、沙矢と本当に心が通じ合ったみたいだ。良い事だと思いつつ、喜ばしい状況でもない。


 せーの、その掛け声で僕と沙矢は背後へ走り出した。怪人も慌てて走り出した気がする。気がするというのは僕の目が後ろに無いからに他ならない。僕は前しか見ていなかった。

 捕まったら碌なことにならないのは分かっていた。だから全力だ。全力で逃げる。


 沙矢の方がやはり走るのは上手いみたいで、ブロック塀には先に辿り着いた。よじ登りながら不意に僕の方を見て、狂乱するのを抑えるような普段なら絶対にしない厳しい形相をした。


「お兄ちゃんはやく!」


 早くって言われてもこれが限界なんだよな。こんなことになるのならやっぱり鍛えておけばよかったとまた後悔する。後悔先に立たずとは正しくこのことだ。僕の人生はあの時ああしておけばよかったの連続で慣れたものだが、それでも今回のそれは過去一等級かもしれない。


 背後に意識を集中させてみた。音的に10mもない。僕がブロック塀を上る時間は無いだろうと分かった。沙矢は上り終えると僕を助けようとしてか、懸命に何かを言いながらこちらへ手を差し伸べて待っている。馬鹿だなあ。これじゃあ沙矢まで追いつかれるじゃないか。


 走りながら考える。運任せによじ登るか、ここは無理と断じて別の道を探すか。新たな手段を講じるにも時間も体力も無い。どうする僕。


 1秒ほど考える。

 決めた。

 僕は囮になろう。


 沙矢は梃子でも僕を助けるつもりだ。このままだと二人ともこの化け物に殺されるのかどうなるのか不明だが、少なくとも五体満足でいられる保証がない。正攻法だと僕の足では間に合わない。最悪、沙矢だけでも助かればそれだけで良い。


「お兄ちゃん……!? ちょっなにをして……!?」


 僕は壁までたどり着くと沙矢の身体を向こう側に押し込んだ。バランスを崩して向こう側へ落ちていく。重く落ちる音が聞こえた。怪我しないと良いけど。いや、それよりも自分の心配をすべきだな。


 相対するように振り向くと、怪人は目の前まで迫っていた。その姿は先程とも違う、口が大きく外側に裏返って内部が露出するようにこちらを見詰めている。目だ。目がある。口の奥の、人間ならば口蓋垂が見えるだろう場所に。


 僕を呑み込む気なのか。恐怖で慄き、硬直しそうになる身体を壊すように僕はブロック塀沿いに走り始めた。何処に向かうとかは無い。体内の方向感覚は狂ってしまった。それにこの辺りは僕の家から駅を挟んで反対方向だからあまり詳しくない。


 思考を挟まず反射的に動いたことが、運よく怪人の予想を外したんだろう。背後では物凄い音がした。まるで成層圏から10tトラックでも落としたかのような強い振動を伴う地音だった。

 背後を確認したかったが体力が無い。余裕もない。沙矢は無事だろうか。こんな奇天烈な世界観に殺されてないだろうか。もし死んでいたらあの怪人は僕が殺してやろうと逃げながら強く考えた。出来もしないことを考えるくらいには必死だった。僕は必死だった。


 この公園は狭い。壁沿いに走れば目の前にも壁が現れる。民家と公園の境目だ。

 勿論登る猶予はない。本能的に曲がろうとして気付く。

 僕はもう走れていなかった。無我夢中だから気づけなかった。駅前から走って、普段使わないスタミナを贅沢に浪費してきた僕にはもう逃げる力など存在していなかったのだ。


 半ば諦めを悟って背後を確認した。目が合った。口蓋の目。僕をジロリと瞬きせず直視してくるその目の感情は読めない。だけどどうせ碌なことを考えていないんだろうなと思う。美味そうだなとか、踊り食いが出来そうだとか、その辺りだろうか。そんなことを考えたところで何の意味もないのだが、それでも考えてしまう程度に僕は抵抗を諦めていた。


 思わず半笑いが出た。

 この人生、なんだったんだろうなと。そう思った。

 大学を中退して、フリーターだかニートだかになって、自称では何となく聞こえが良いフリーターになった。その後に過去だかパラレルワールドだか意味の分からない世界に来ては、沙矢と出会って徒凪さんと出会って、学生時代に果たせなかった何かにリベンジしようとして結局果たせずにお終いだ。


 こんなもんか、僕の人生って。結局、生涯に渡って何も出来なかった。あの世でする自慢話の一つもありはしない。まあ、27歳にもなって高校生の妹が出来たのは自慢といえば自慢か。僕の力じゃないからやっぱり自慢でもない気がするけど。

 でもお誂え向きではある。元々僕という人間はこの程度だった。何からも逃げ続けた結果、最後には逃げられなくなっただけだ。結局は元の木阿弥。南無阿弥陀仏。


 走馬灯を覚悟したが、僅かばかりの回想が流れるだけで一瞬で現実に意識が舞い戻る。走馬灯ですら僕の人生密度には苦笑いを浮かべてしまうようだ。

 僕は得体も知れない怪人だか怪物だかの口っぽい場所に包まれかけている。沙矢を逃がすと決めてからとうに死は覚悟していた。沙矢が上手く逃げられていればもう僕としてはそれで勝ちのつもりだ。勝負ではないけど、勝ちだ。そうじゃないと僕の人生が報われない。


 だけど、改めて思ったけど、最後は化け物に食べられるなんてあまりにも不条理過ぎないか。何もしてこなかった人生だけど誰にも迷惑はかけてないし、前科だって真っ白だ。なのにこの扱い。あんまりにもほどがある。

 よし、決めた。一回こいつを殴ってから死んでやろう。もしかしたらこの世界の僕は超強い可能性もある。一発殴って、すっきりした気持ちになってから死んでやる。


 僕は破れかぶれに拳を構えた。沙矢のことは頭からスッと消えていた。後は如何にして最後の瞬間を迎えるかで脳味噌の9割が占められていた。


 そんな瞬間だった。

 不自然なほど鋭利な風の音がした。

 間も置かず目の前の怪人の頭部が、斜め上から飛んできた巨大な白い光に消し飛ばされた。


 なんだなんだ。今度は何の怪人だ。

 疲れて悲観的になっていた僕は一秒と悩まずにそれが新たな怪人の仕業と断じた。しかしどうも違ったようで、僕に対しては何もしてこない。

 ……怪人じゃないのか?


「……比影さん、大丈夫ですか?」


 声を聞いて分かった。

 困惑しつつ僕は光が降ってきた上を見る。

 いつもの能面を顔に据えて、ゴスロリっぽいふわふわとした何ともコメントに困る衣装に着替えた徒凪さんが宙を飛んでいる。いや、浮かんでいる。

 取り敢えず、ええと、なんだろう。


「地雷系ファッションって流行ってるの?」


 ストンと着地して、首を傾げられる。しまった。まだ地雷系なんてワードはまだなかったかもしれない。

 ともあれ、僕を救ってくれたのは魔法少女のような出で立ちをした徒凪さんだった。






■■■見知った魔法少女■■■


 魔法少女というものを初めて目の当たりにして、最初に抱いた感想は意外と現実感があるなという自分でも良く分からないものだった。何と言うか、ピントが思ったより合っているというか。現実に魔法少女がいればまあこんな感じなんだろうなと受容できるレベルの立体感が伴っていたというか。上手く言葉にすることが難しい。


 加えてここまで納得感があったのはもう一つ、徒凪さんが魔法少女と知ってかちりと嵌る部分もあったからだ。徒凪さんは授業中に教室を、長いときで丸々授業一個分を抜けては戻ってきた。思い返せば変身ヒーロー物の特撮主人公みたいだ。運動神経がいいのも魔法少女ならそうだろうなあと頷ける。

 など、これまでの諸々の事柄も相まって僕は徒凪さんが魔法少女であることをすぐに受け止めていた。


「徒凪さんありがとう。助かったよ」

「間に合って本当に良かったです……本当に良かった」


 素直に感謝を伝えると、徒凪さんは自分自身を落ち着かせるようにそう繰り返した。不思議に思ったけど、でも、普通はそうかもしれない。自惚れじゃないけど、徒凪さんは僕のことを仲の良いクラスメイトと認識しているはずだ。それが殺される一歩手前なら動揺もするだろうと考える。徒凪さんは軍人じゃない。ホント、徒凪さんには感謝をしないといけない。お返しに僕が出来ることってなんだろうか。あまり見ない衣服を着た徒凪さんを見ながら考える。勉強も教えられないしお金もない、やれることと言えば肉体労働くらいで、徒凪さんに返せるアテがないなあ。僕って全く何も無いんだなと再実感。


「あの、えっと……この格好はあまり見ないでもらえると……」

「ああごめん」


 ポカンとして徒凪さんを眺めながら思考を空回りさせていると、徒凪さんは面映ゆいという顔で蚊の鳴くような声で言った。なるほどと思う。確かにその服装は徒凪さんの趣味ではないように見える。徒凪さんの私服は見たことないが、もっと落ち着いた服装を好んでいそうだ。性格的に。

 僕はどう返そうか三秒ほど考える。


「でも僕からすれば似合ってるよ、アイドルみたいで可愛いと思う」

「ひ、比影さんにそう言われると……そうなんでしょうか……?」


 正直な評価を口にすれば、戸惑いながら徒凪さんは髪の毛を手で握って目を隠した。いないいないばあーとでも今にも言いそうな構図だ。徒凪さんは変わっている。

 とか、思考が余裕を取り戻したからだろう。沙矢のことを思い出した。沙矢は無事だろうか。あの怪人は二体いて、僕には一体しか着いて来なかった。残り一体は公園の出入り口を守っていたが、僕たちが別方向へ逃げた以上沙矢を追いかけてもおかしくない。僕だけ生き残るとか冗談じゃないぞ。


 不安から過呼吸になりかけるが、何とか胸の内で自身を制御すると、僕は冷静に乾いた口を開く。


「えっと徒凪さん、沙矢……じゃなくて僕の妹は見なかった?」

「無事ですよ……比影くんの妹さんならあちらで助けました」


 徒凪さんはブロック塀の向こう側を指で示す。何も無いと思ったが、すぐにブロック塀をよじ登ってくる小さな影が現れる。沙矢だ。

 沙矢は僕の姿を認めると、勢いよく地面に飛び降りた。危なっかしいから止めなさいと注意したくなるが、沙矢の瞳を見ればそんな気も雲散霧消となる。


「お、お兄ちゃん……!」


 沙矢は走り込んできて、僕の胸元へ飛び込んでくるかと思えば、寸でのところで止まって僕の身体を検診し始めた。


「怪我とかないよね? 身体に穴開いてないよね? てか死んでないよね? 大丈夫だよね?」

「うん、大丈夫。大丈夫だから、まずは落ち着きなよ」

「落ち着けるわけないじゃん! 死んだと思ったんだよお兄ちゃん!」


 零れ落ちる沙矢の涙を見て、僕は思わず沙矢の頭を撫でる。それでもひっくひっくと泣きじゃくって止まらない。やっぱ駄目だな。本当の兄じゃないからか、泣き止んでくれない。せめて僕が真っ向から戦えるくらい強ければ沙矢にこんな思いをさせることはないんだろうけど、まあ無理な話だ。例え僕が武術の達人だったとしてもあれを倒せる気はしない。ファンタジーを倒せるのは同じくファンタジーだ。ああもう、思考が成立していない。こういう時こそもっと理屈で考えないと。


「徒凪さん。怪人は二体いたんだけど」

「はい……妹さんの方にも怪人はいましたが、同様に駆除してます。比影くん、大丈夫ですよ」


 徒凪さんに念のため報告すれば、安心させるように笑みを向けられてしまった。大丈夫の連鎖だ。徒凪さんからすれば僕は庇護対象らしい。この世界では当然なのかもしれないが、何だかむず痒い。


 僕の腹に顔を埋め始めた沙矢を撫で続けていると、徒凪さんはコホンと気を取り直すように咳をした。


「それで……すみませんが、比影くんにはちょっと来てもらいたい場所があります。この怪人を見られてしまったので……申し訳ないのですが」

「う、うん」


 とても言いづらそうに切り出す徒凪さんに、僕の返事もはっきりしなかった。来てもらいたい場所……?


「それってどこだか聞いても?」

「事務局……対怪人魔法少女事務局、その支所です」


 徒凪さんは言い慣れたように略称を口で転がして、その後に正式名称で言い直した。

 


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