3:夜の一幕



■■■インターネット■■■


 僕はその後、ネットサーフィンに時間を費やした。普段はしょうもないまとめサイトや5ちゃんねるばかり見ている僕ではあるが、この日ばかりは人生で最も真剣になった自信がある。


 色々と衝撃を受けながらある程度満足するまで僕はパソコンを凝視し続けた。

 やはりと言うべきか、僕の感覚からするとこの世界の男女比率は大いに狂っていた。厚生労働省の男女別人口を見れば男性人口が約550万人に対して女性人口が1億2000万人にほんのり満たない。日本人の殆どが女性だ。押し並べて言えば女性人口は男性人口の大体21倍~22倍程度で、なんというか、本当に衝撃だ。気になって世界の男女別人口も見てみたけど予想通り比率はあまり変わらなかった。リージョンが原因で、例えばアジアだけ特異的に男女比が偏っている訳ではなく、欧米もアフリカもオセアニアも、世界全体がそうであるようだった。


 つまるところ、世界的に未曾有の男不足に陥っているのだと僕が判断したのは当然の帰結だった。

 僕が散歩しようとするだけで沙矢が過剰に反応したのもこうして見れば普通の反応だったように思えてくる。きっと男の価値は僕がこうしてデータを通じて考察するよりも更に高い。幾ら別世界の日本とは言え人身売買があると思いたくないが、もし値札を付けるとするなれば1億や2億じゃ効かない価値を持つだろう。中東ならまかり通っていておかしくない。思わず僕はこの世界の日本も同じく高度な倫理観を持った国家であることに感謝しそうになった。じゃなければ今頃僕は何かしらの事件に巻き込まれていたはずだ。元の世界に戻ったらもっとちゃんと住民税と所得税を納税しようと思う。


 更にニュースサイトを見てみる。

 社会は女性中心で構築されているようで、どのニュースにも女性ばかり取り上げられていた。政界は女性内閣がデファクトスタンダードらしく、サッカーの日本代表は連日女性選手がどう活躍したかどこの海外チームへ移籍するかもなどと大きく報じられていて、社会問題に言及するコラム記事もほぼ女性教授によるものだった。勿論女性という定冠詞はどの記事にも存在せず、どの職業をしても女性がそうであることは極めて普遍的な社会通念の一部であるようだ。まるで男がいなくなった穴を埋めるみたいに女性が活躍しているなと思ったが、実際そうで、この感性を持つ僕が他からすれば異端なのだろう。僕の常識はここでの非常識であることは間違いない。郷に入っては郷に従えという訳じゃないけど、余計な問題を引き起こさないためにも一応僕の考え方は隠した方が良いだろうなと僕は唾を呑み込みながら自分の肝に命じさせることにする。


 自室でPCを叩いていると、コンコンとドアをノックされた。動揺した僕は椅子をがたりと揺らして、少しの間を挟んでノックの主が沙矢であることに思い至る。相変わらず自分以外の誰かが生活する実家というのは慣れない。

 扉がガチャリと開く。沙矢の身体が視界に入った。


「お兄ちゃん~お風呂次いいよ~」

「あ、えっと、そっか。わかった」

「……どうかしたの?」


 どうかしたのではない。

 沙矢の格好は僕が閃光の如く視界から消し去ろうと努力するに十分な理由を孕んでいた。だって服を着てない。裸ではないけどバスタオルを細い身体に巻きつけているだけで、意識を反らさないと身体のラインに目が吸われそうになる。大事な部分しか隠れておらず、小ぶりながら育ち途中の膨らんだ胸部とか、タオルに張り付いて浮き出た女性らしい腰の曲線とか、健康的でなだらかな太腿とか。流石に見るのは不味いだろう。コンプライアンス的に。僕はしょうもない人間であるとはいえ曲がりなりにも社会的には27歳の大人で、妹とはいえ10代半ばの女の子のセンシティブな様子を見てしまえばそれは普通に犯罪行為だ。いや、そもそも沙矢は正確に言うと妹じゃない。なので余計に不味い。


「服を着てくれ。なんでそんな格好のまま歩くんだ」

「だってお風呂上がり暑いもん。いつもこうじゃん」

「より悪い。家族、と言っても異性なんだ。引くべき一線はあるだろ」


 家族と言おうとして噛みそうになる。目の前の美少女を妹と認識するのはまだ僕には難しかった。

 沙矢は僕の言葉をお小言と感じているのか、少し鬱陶しそうに手を降って答えた。


「はいはいはーい。お兄ちゃんの言葉に沙矢は従いますよーだ」 

「ホントに服は着てくれよ?」

「そんな念押ししなくても……別に誰も困らないんだけどなぁ……」


 不思議そうな顔をしながら沙矢はドアを閉めた。僕はほっと息を吐きつつも、無いとは思うけど貞操観念すら変化してるわけじゃないよなと疑いたくなった。例えば女性がもっと男性的性衝動を持っていて、痴漢といえば加害者は女性であると世間的に受け止められる、みたいな。まあ多分違うだろう。幾らパラレルワールドとは言え根源は同じ、ならその辺りも変わってないと思いたい。

 それでも女性人口過多のせいでそういったセクシャリティに影響を及ぼしてる可能性は否定出来ないのが辛いところだ。慣れたくないが、時期に慣れそうなのが嫌だなあと頭を掻いてみる。そういや沙矢は家中をバスタオル一枚で歩き回ってたな。でもあれは僕を身内扱いしてるだけだろう、そうであってほしい。もはや僕の願望だ。

 

 一旦ネットサーフィンを止めて風呂に入ることにする。

 着替え持って脱衣所に向かい、洗濯籠の中に放置された見慣れない女性物の服や下着から目を逸らし、全て脱ぎ去るとシャワーを浴びる。

 心が落ち着く。何処か安心感を覚える。自室を除けばほぼ全ての空間に僕以外の生活感が残るこの家で、あまり変わりがないこの狭い一室にノスタルジーが横たわっていたからだろうか。本当に勝手知ったる、見慣れた空間だ。


 それでもあくまで大きな違和感が無いというだけで、浴室の棚には見慣れない女性向けのシャンプーやリンスが置かれている。沙矢の物だろう。意識的に気にしないようにした。こういった節々の日常への浸食にたった一日ながら僕は疲れていた。本当に、自覚があるくらいには精神的に参っていて、僕が今一番やりたいことは飲酒だった。酒に拘りは無いので安酒で良い。1Lで1000円もしないやつ。アルコールさえ含まれていれば平等に現実逃避ができる。今の僕は未成年だから購入できないのが残念である。


 そうして沙矢の事を忘れるように、僕は自分の身体を丁寧に洗っていった。






■■■慣れない妹との対話■■■


 身体をさっぱりとさせるとリビングへ向かった。

 途中ぐつぐつと音が聞こえてきていたから分かっていたけど、リビングと直結しているダイニングキッチンでは沙矢が料理をしていた。煮物だ。仄かな醤油の香り香りから察するに肉じゃがだろう。不思議な光景だなとか思う。僕は自炊する方だったけど父親は違ったからだ。母親が出て行って以降はキッチンは専ら僕の場所で、僕以外が料理をしている様子は何とも珍妙に見えた。。

 僕が興味深々に料理している光景を見ていれば、沙矢は少しして僕が部屋にいたことに気付いたみたいで、途端に今にも弾けそうな表情で震え始めた。


「お、お兄ちゃん!?」

「肉じゃが、美味しそうだな」

「もしかしてわたしへの逆襲!? ともかく服だよ! 服着て服!」


 言われて気付いた。湯上りだったから上半身裸だった。普段僕は少し身体を冷ましてから服を着る習慣があって、それを誰にも指摘されたことも無かったから忘れていた。でも今は妹の沙矢がいる。沙矢の反応を見るに、この世界の僕は風呂後に服はちゃんと着る種族であったことは想像に易い。配慮が足りなかった。


 沙矢の顔はザリガニの甲羅みたいに赤く、自分の視界を手で覆っている。ただ若干指の隙間は開いているのを見る限り、僕に見ていないと示すためのポーズなのかもしれない。別に僕は見られて何かを感じるほど繊細じゃないし、僕の身体にそんな価値も無いと思うけど。きっとこの世界の僕はガードが固くて、沙矢は初心なんだろうと思った。しかしなんか嫌だな。ガードの固い自分を想像すると気持ち悪くなりそうだ。


「分かった分かった、ふざけてごめんよ」


 僕はわざとにへらと笑って、可愛いさのあまり悪戯してしまったと言外に伝えた。そういうことにした。

 沙矢はそれを見て、ふぅーと鋭い息を吐きながら睨むような上目遣いで僕を見詰める。


「もー子供っぽいんだからお兄ちゃんってば」

「悪かったって」

「反省してないでしょ……わたし知らないからね。お兄ちゃんが何かそういう、変なのに巻き込まれても」


 プイッと沙矢は顔を反らして肉じゃが随時作成中の鍋へと視線を戻す。機嫌を損ねてしまったようだ。これについては僕は悪くないと思う、事故だ。


 僕は上着を着るとリビングに戻った。沙矢は相変わらず夕飯を作っている。何度見ても違和感が拭えない。


 手持ち無沙汰だった僕はこの奇妙な時間の過ごし方に悩んで、結局はソファーに座ってテレビを点けて、無意味に日曜夜のバラエティー番組を眺めることにした。良くあるお笑い番組で、ピシりと赤いスーツを着た二人組の女性芸人が何処となく昭和を感じさせる漫談をすると、次の女性芸人は自身の際どい身体的部位だけ隠す、所謂裸芸をしていた。精神衛生上良くなかったのですぐにチャンネルを国民的情報番組へ変える。今度は男性が痴漢されたなんてニュースが流れてきて、僕は音量を小さくした。この世界が女性中心社会だということを僕はまだ受け止めきれていなかった。


「お兄ちゃん~お皿持ってって!」


 キッチンからそんな声。

 テレビ番組に食傷気味だった僕は躊躇なくよいしょと立ち上がって準備を手伝った。深皿に注がれた肉じゃがは家庭的で、母の愛情という言葉があればこの一品なんだろうなとかどうでもいいことをふと思った。中学時代に出て行ってしまったせいで、もう母の料理どころか顔すら覚えていないが。思い返すと家族の手料理なんていつぶりに食べるんだろう。数えてみたら13年ぶりだった。


 夕食の準備が整うと、馴染みのあるテーブルについた。対面には沙矢が座って、いただきます、と言ったので慌てて僕もオウム返しするようにその言葉を口にする。


 肉じゃがはシンプルに美味しかった。味わうように噛みしめて、手が思わず止まる。僕にとって家庭料理というのはかなり縁が無いものだった。特にここ十数年は。きっと僕はこの肉じゃがが黒色に焦げていて、味が不味くても今と同じような感想を抱くだろう。それくらい家族の手料理という概念に僕からすれば感慨深いものがあった。


「お兄ちゃん今日はどう?」


 肉じゃがに舌鼓を打っていると、軽い調子で沙矢が僕へと質問をした。


「今日も美味しいよ、いつもありがとうな。なんというか、沙矢の料理だからかな、上手く言うのが難しいけど僕はこの肉じゃがは好きだ」

「そ……そこまでの感想は求めて無かったんだけどね……!」


 正直に思っていることを言ってしまったけど、多分これは失敗だった。沙矢は恥ずかしそうにして、それを誤魔化すように肉じゃがをほふほふと頬張った。

 もっとフランクな感想で良かったのだろう。それこそ美味しいの一言で沙矢は満足した気がする。僕に違和感を持ってないといいけど。


「お兄ちゃんさ……一応注意するけど誰にでもそういうこと言っちゃだめなんだからね」


 気持ちを落ち着けることに成功したのか、沙矢はふとそんなことを言った。

 確かにそれはそうかもしれない。君の料理だから好きとか、どう考えても告白紛いの甘い言葉じゃないか。今更ながら僕は先程の言葉選びについて後悔した。

 でも妹相手ならこのくらい言っても変な勘違いをされないだろうという考えがあったのも事実。


「沙矢だけだよ」


 一言で返した。

 言ってから僕は、無意識にアニメとかギャルゲーで見る妹との会話劇を参考にして自身に投影しているんじゃないか、そう思って憂鬱になった。当然ながら一人っ子の僕は妹との対話経験など存在しない。どう会話すればいいか分からないから、知ってる知識を総動員して、結果的に二次元のやりとりを僕は倣っていたみたいだ。早急に改めなければならない。


 気持ち悪がられたかと思って沙矢を見れば、沙矢は顔を真っ赤なリンゴにして口をパクパクとさせていた。羞恥か、嫌悪か。分からないけど強く感情を揺さぶられた後なのは間違いない。これでは沙矢のと関係性に綻びが出てしまう。倫理観的にも良くない気がする。


 僕はもう一度、昔履修した二次元から妹との会話術を輸出してこないよう、強く決意した。


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