第15話

「ちょ、ちょっと待ってね……すぐ戻るから」



 男子を入れるにはあまりにもあまりな部屋だ! 



 ハルくん来るなら早く言ってよ!



「……」



 ハルくんは返事もしないでただドアの横で三角すわりをしている。



 その様子がすごく気になったけど、人を上がらせるクオリティのお部屋にしないと!



 脱ぎ散らかした服を次々とお構いなしに洗濯機にダーンク!

 コンビニ弁当のパックもプラゴミへダーンク!



 シワシワになったベッドもパンパーン!



 あとは……あとは……うっひょー!



 部屋干しした下着を隠せぇー!!



「い、いいよ! ハルくん上がって!」



 額に汗をキラキラと光らせて私は満面の笑みで言った!



 グッジョブあんこ!

「……」



 ハイテンションな私を無視してるようにハルくんは黙って玄関で靴を脱いだ。



「ハルくん、びちょびちょじゃん。ほら、これタオル」



 バスタオルを手渡すけど、ハルくんは受け取らない。



「あ、あれ……? 部屋干ししたから生乾きの匂い、した?」



 ハルくんがタオルを受け取らないのはきっと臭いからだと思った私はタオルに鼻を付ける。



「柔軟剤の匂いしかしないけどなぁ……?」

「あのさ」



 一心不乱にタオルを嗅いでいる私にハルくんがようやく一言しゃべった。



「うん? なに」



「エッチしよーか」



「ぶほっ!」



 なんであの会社の人達はどいつもこいつもこんなんばっかり言うかなー!



「それは……ほら、もうちょっと、ね……?」

「なんで」



「え……なんでって、ほら今日は心の準備とか体の準備とか……ごにょごにょ」



 ハルくんにシャワーを貸してあげたいけど、流石になんの準備もしていないシャワールームを見られるわけにはいかない。


 

 ……まぁそれは私にとってもおなじなわけで……。



「俺達付き合ってんだろ。だったらいいじゃん」



「う……いや、そんな簡単じゃないでしょ……?」

 ハルくんは濡れた手で私の肩を掴んだ。



「ひゃっ……! な、なに?!」



 ハルくんは顔を上げて私の目を見詰めた。



「ハル……く、ん……?」



 ハルくんは目を真っ赤にしていた。まるでさっきまで泣いてたみたいに。



「変だよ……ハルくん、どうしちゃったの? らしくないよ」



 その真っ赤にした目を見て、思わず逸らしてしまった。

「らしくない? らしくないってなんだ!?



 どうせお前も笑ってんだろ! 



 俺は信じたよ! お前に言われてさ……、土下座しに行ったよ!



 お前の気持ちを信じたし、お前を叩いちまったから!



 自分が悪ィんだって……!



 だから、勇気振り絞って謝りに行ったよ!



 それのどこが「らしく」ないってんだ!」



「……え、違うよ! らしくないってそういうことじゃなくて!」



 すごい迫力で私を責める。



「俺らしくないって?! 俺は! 俺は!」



「どうしたの! なにがあったの!?」



 半分泣きそうになって私もハルくんに聞き返す。鼻声で声が震える。



「……ッ」



 ハルくんは力任せに倒れこんできた。

「痛いっ!」



 一緒に倒れこんだ私の上にハルくんが覆いかぶさる。



 これ……押し倒されたってやつ……?



 ハァハァと荒い息遣いが聞こえて、私の鼻の頭に温かい息が当たる。



「……ハルくん」



 覆いかぶさって私を見下しているハルくんの顔は逆光になっていて見えにくかったけど、ハルくんがそんなに弱ってるんなら……。



「いいよ」



「……」



「ハルくんの気の済むようにしていいよ……。でも、私……痛いの苦手だから……」



 私は観念した。ここで私が少し我慢してハルくんが元に戻ってくれるんなら。



 それにさっきハルくんが言った通り、私たちは付き合ってるんだ。



 なにも不思議なことなんかじゃ……



「……次は、ちゃんとムード作ってからにして、ね」



 ハルくんが苦しそうな顔をするから、私は出来るだけ頑張って笑った。

「……帰るわ」



「……え」



 すっかり覚悟を決めていた私にハルくんは予想外の言葉を言った。



 ハルくんはゆっくりと私の上からどくと、玄関のドアノブに手をかけてそのまま止まった。



「俺さ、見たんだ」



 ぽつり、とハルくんは言った。その口調はとても悲しそうに思った。



「DDDにも謝りに行こうと思って、新宿に行った。そしたらさ、すっげぇ大雨が降ってきて」

 勘の悪い私でもハルくんがここまで言った時、ハルくんがなにを言おうとしているのか分かった。



「……っ!? あれは違うの!」



「心当たりあり、……かよ」



 ――ハルくんは雨の中で私を抱きしめていたメガネガエルを見たんだ……。



 でも、本当に違う! 誤解だよハルくん!



「でも、本当に……」



「いいんだ」

 私が言おうと思った言葉を遮って、ハルくんは私を見ずに話す。



「やっぱ無理があったんだな。俺、結局シュンに負けたくなかっただけだ。



 お前のことだって、シュンと俺を見分けられるってだけで惹かれた。



 いつもいつもシュンと張り合うことばっかりで、今回は勝ったって思ったんだ。



 けどな、社長には勝てねーわ。マジで」



 私の中で血の気が引く感覚がする。「違う、そうじゃない!」って叫べ! 



 って、頭は叫ぶんだけど……動けないでいる私がいた。

 もしかしたら私はホッとしているのかもしれない。



 でもそんなことは認めたくない。



 だって、だってハルくんは……ハルくんは……私の……



「俺はお前の彼氏にゃなれねーわ」



 力なく無理に笑ったハルくんはドアを開けて出ていった。



 私はしまったままのドアのノブをただ見詰めていた。

「……なんで」



 私は誰もいないのに、つぶやく。



「……なんで出ないの」



 動けないで、去っていくハルくんを呼び止めもしないで私はなにをしているんだろう。



 せめて、こんなシチュエーションの時にはちゃんと出てよ。



 私は頑張ってみた。



 さっきのハルくんの顔とか、言葉とか思い出してみた。



「なんで出ないの……涙」


『ガチャ』



 ドアノブが回る音。



「――ハルくん!?」



 ハルくんが戻ってきたと思い、私はドアに駆け寄った。



「ちわー」



 ドアを開いたのは、ハルくんじゃなくて……アッくんだった。



「アッくん……」



「え、なになに? どうしたの?」

「な、なにが?」



 平静を装い私はアッくんに顔を見られまいと背を向けた。



「いや、そんな顔しちゃってさ……」



「別に普通だって! で、なんなの?」



「あ、そうそう。あんこ姉ちゃん、これ忘れて帰ったっしょ」



 アッくんが言った『これ』がなんだろうと思って振り返ってみると、



「あ……入館証」



「だろォ~」



「あ、ありがとう……」



 アッくんから入館証を受け取ると、アッくんは下から顔を覗き込んできた。



「見ないでよ!」



 再びアッくんに背を向ける。



「……ひゃ!」



 アッくんに背を向けた直後、後ろから抱き付かれた。



 ななな、なにすんだ毎回毎回このガキャ!



「ちょっと……!」



「い~い匂い……あんこ姉ちゃんって、ほんっと田舎のばあちゃんちみたいな匂いするなぁ」



「な、なによそれ全然褒めてないじゃない!」



「いやいや褒めてるよ! 俺、ばあちゃんちの匂い超好きなんだから」



「いいから離れてよっ!」



 アッくんを引き離すと唐突に抱かれて動悸した胸に入館証を抱いて叫んだ。



「あのさ……お茶とお菓子……くんない」

「ないわよ! 今日は帰って! ……気分じゃないの」



「あっれぇ~なんかあった?」



 おかしそうにニコニコと笑ってアッくんは私の様子をじろじろと眺める。



「大人をカラかうんじゃないっ!」



「一応、僕も大人なんだけどなぁ」



「どこがっ!」



「まあいいや。ちゃんと明日、会社にきなよ。そんなことで辞めたりしないでね~」



「あんたに言われなくても辞めないもんね!」

 そう言ってアッくんは部屋を後にした。



 ドアの鍵を閉めながら、アッくんの言ったことを思い出す。



「そういえば、“そんなことで辞めないでね”……って、なんのこと言ってたんだろ」



 色々考えが巡るけれど、どれもこれも気のせいということにした。



 ……でも、辞めたりするつもりはないものの、ハルくんのことはどうすればいいんだろう。



 今更普通の振りをする?



 私は女優じゃないし、そんなこと出来るかな。

 アッくんが急に来たってこともあるけど……



 なんで私はあの時、ハルくんを追いかけなかった?



 ……答えは簡単だ。



 気持ちがまだ『好き』のレベルまで行ってなかったからだと思う。



 でもそれはきっとハルくんも一緒だったんだ。



 だからショックだったんだと思う。



 ……違う。思いたい。



 

 ハルくんを傷つけたのは私じゃないって思いたいんだ。



 まだ問題はちゃんと解決してないし、



 私は私で今週、お祭りの取材もある。



 忙しいんだ。時間がないんだ。余裕がないんだ。



 だからきっとハルくんと私にとってこれが一番……



『ごめん。……ごめんな、望月』



 メガネガエルとのことを思い出した。あれが原因でハルくんは……



「……あれ」



 頬を伝う温かいものに気付いた。まさかとは思うけど……これって、あれですか。



「やだ……なんで、なんで今……」

 ハルくんが出ていった時にはただの一滴すらも流れなかったのに、



 今は次から次へと目から涙が溢れてくる。



 次第に息苦しくなって、ひとつ咳き込んで……声が出た。



「うぇぇ……」



 それにしても今日はよく泣く日だ。涙のストックが全部なくなってしまうかと思った。



 メガネガエルのことを思い出したことが、涙のキッカケだったってことだけは、



 絶対に認めたくないから、一生懸命私はハルくんを思い出して泣いた。

 ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。



 目覚まし時計の音。



 ♪~♪~



 携帯電話のアラーム。



「うぅ……」



 すごく長い一日が終わって、朝が来た。



 あれだけ長く感じた一日だったのに、朝になってしまえば一瞬の出来事だったんじゃないかって思ってしまう。



 結局終わってしまえば、いつもと同じ朝が来るんだよなぁ~……。



 そう思って目覚まし時計を止めようと手を伸ばす。



「……??」



 ん、なんだこれ。



 身体がだるい。昨日あれだけ泣いたから、頭も痛い。



 手を伸ばして目覚まし時計を止めて、次に携帯電話のアラームを止める。



「……うぅ~……」



 これは、泣いたからじゃないな……。



 頭に手を当ててみる。



「熱……あるっすよね……」



 シャワーに当たり過ぎたかもしれない。でもそれ以前にあれだけ雨に当たれば熱も出るか……。

 でも体調不良で休ませてください、なんてアルバイトみたいなことしたくない。



 起き上がって、這うように洗面台へ。



「だいじょーぶ! あたしゃだいじょーぶよ! うっへへい!」



 笑って見るが目の下のクマが半端ない。



「……頑張ろう……今日は早く寝て治そう」



 力を振り絞ってスーツに着替えると、気力で会社へと向かった。



 頑張れあんこ! 負けるなあんこ!

 オフィスに着くと、早番のトウマさんが私を出迎えてくれた。



「おや、望月さん。どうしたのですか? いつもよりも顔が美白ですが」



 頑張って笑顔を作って私は



「ええ……最新コスメ法を試しているんです」



 と冴えたジョークを言った。



「冗談は抜きにして、大丈夫ですか? 体調がすぐれないのでは?」



「あ、いえ……大丈夫です。今度のお祭りの資料集めもしなきゃなんで……」



「そうですか。か弱い女性なのですから、無理はなされないようにしてくださいね」



 トウマさんの優しさに涙がちょちょぎれそうだ……

「それにしても体調不良者が二人も出るとは……」



「二人とな?」



「ええ。稲穂兄もどうも具合悪いみたいで」



「シュンくんもですか?」



「いえ、ハルの方です」



「ハルくんは弟ですよ。トウマさん」



「おっとそうでしたか。失礼」



 そう言ってトウマさんは当番作業の続きを始める。



「……やっぱりハルくんも……か」


 オフィスに入ると、デスクを眺めながらボーッとしているハルくんがいた。



 運がいいのか悪いのか、他の社員はまだ出社しおらず、



 オフィス内にはハルくんと二人っきりになってしまった。



「……お、おはよう……」



「あ? ……お、おう」



 うう気まずい。なんだこれ



「お前も風邪かよ」



「……うん」



「言っとくけど、お前のせいだからな。おまんじゅう」



「へっ、なんで私のせい?!」



「ったりめーだ。お前が土下座巡業に行けっていうから雨の中俺は謝りに行ったんだぜ」



「……ぅぅ」



 そう言われてしまうとぐうの音もでない。



 確かに元はと言えば……



 ……ん?



 元はと言えば?



「私のせいじゃないもん! そもそもミスったのはハルくんの方じゃん!」



「いてて、大きな声出すな。頭に響く」



 こめかみを抱えて、片手をこちらに突き出しながら『やめてくれ』のジェスチャーをする。

 分かってる。



 ハルくんはわざとこれまで通り振る舞おうとしてくれている。



 ちょっとわざとらしすぎるけど、それに乗らない訳にはいかないくらい気持ちが伝わってくる。



「もう一回最初からお前を見ることしたわ」



「え……」



「だから、とりあえずこれまでのことはなかったことにしようぜ、お互い」



「……でも」



「分かってる、分かってるって! そんな簡単にいかないことくらい! そんなのは俺も一緒!



 でも、お互いそれで頑張ってみようぜ。もしそれで無理があるなら……



 もいっかい、俺とのこと考えてくれ」


「……ごめん、私、どういったらいいのか」



「なんも言わなくていいよ。お前は元々賢くないんだからさ。



 な? 『おまんじゅう』」



「……あ」



 そういえば、ハルくんは私のことを『あんこ』って呼ばずに『おまんじゅう』って呼んでる。



 そっか。



 振出しに戻してくれたんだね。



「うん。頑張ってみる」

「お前がどうしても言うなら抱いてやるから」



「どの口がいうか!」



「いてて」

「いてて」



 大声で突っ込んだら頭に響いた。同じくハルくんも頭を抱えた。



 メガネガエルとのこと、誤解だって知ってほしいけど、



 それは、全部が片付いてからにしよう。



 例えそれが卑怯だったとしても、心の中でラッキーだと思っている自分がいるから。



 こいつをやっつけなきゃいけないから……。

「おはようございまーす」



 シュンくんとアッくんが揃って出社してきた。



 シュンくんは私を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。



「あのさ」



「な、なに」



 シュンくんはハルくんを気にしながら、私に耳打ちする。



 近くで見ると、そっくりだなって思う。



「ハルと別れた?」



「え……ま、まあね」



「やっぱりね。そんな気がしたんだよなー」



 なんだかシュンくんは嬉しそうだ。

 シュンくんが足取りも軽くデスクに行く途中で、すれ違いざまにハルくんにお腹をパンチされていた。



 奥で電話の成る音がする。



 私が出ようと立とうとすると、視界がぼやーんとしてきた。



 うう……しんどいよぅ。



「あ、私がでますよ」



 ナイストウマさん!



 うう……今日頑張れるからな……私。

「そうですか。分かりました、みんなには伝えておきます」



 トウマさんは電話を置くと、神妙な面持ちで私達に向かった。



「……ど、どうしたんですかトウマさん」



「ああ……実は、ですね……」



 なんだ、また問題か?!



 ブリリアント? それともDDD!?



「本人には『急な打合せで出張に行ったと言え』と言われたのですが……。



 取締役は、本日風邪で熱が出たので休むそうです」



「うおーい!」



 思わず全力で突っ込んでしまった。お前が休むのかよっ!

 なんとか気力を振り絞り、昼間で乗り切った……!



 あと半分だ……がむばれぇ~あんこぉ~まけるなぁ~あんこぉ~



「楽しみだね、あんこ姉ちゃん」



 私が2階にある共同食堂(っていってもカフェっぽい感じの内装。超かわいい)で溶けたバターみたいになっていると、アッくんが声をかけてきた。



「う~……なにがぁ~……?」



「なにがって、ほら、千代田のお祭りじゃんか」



「ああ……確かに……でもこの調子で私、行けるかな……」

「そんなこと言わないでよ! ほらこれ飲んでさ、絶対行こうね!」



 アッくんはそういってバター状になった私にカフェオレを差し出した。



「……ありがと」



 嬉しいんだけど、しんどいときにわざわざこんな喉に残りそうな甘い奴出す?



 まぁ……子供だから仕方ないか。



「仕事っていう建前で二人っきりでお祭り行けるチャンスなんだから、絶対治してよ、あんこ姉ちゃん!」



「がむばりまぁすぅ」



 私がそういうとアッくんは上機嫌な様子でバター状の私を見詰めていた。








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