最終話:先輩と後輩
それからときは流れて——ついにその日がやってきた。三月九日。卒業式だ。
式を終えた私は、真っ先に彼女が受け持つクラスへ向かった。彼女を囲んでいた生徒達は、私に気付くとさっさと左右に分かれて道を開けてくれた。注目を浴びながら彼女の元まで歩く。
「先生、約束覚えてます?」
「……覚えてますけど、その……あ、後にしてもらえます?」
生徒達の視線を気にするようにそわそわしながら彼女は言う。今更恥ずかしがるなよといいう野次や、ヒューヒューと茶化すような口笛の音が飛び交う。彼女はやめてくださいと本気で恥ずかしそうに顔を隠す。私は別にこの場で話をしても構わないが、彼女は無理そうだ。
「じゃあ先生、とりあえずこれを渡しておきます」
私が彼女に渡したのは一枚の紙。私の連絡先を書いた紙だ。
「仕事終わったらそこに連絡ください」
それだけ言って立ち去ろうとすると「なんだよ今告らないのかよ」「意気地なし」とブーイングが飛んできた。
「いや、私は別にここで言っても良いけど、彼女が嫌がるなら後にするに決まってるでしょ。私は君達を喜ばせるためにパフォーマンスとして彼女を口説くわけじゃないから。本気だから」
そう言い返すと、ブーイングがぴたりと止んだ。
「じゃあ先生、またね」
「……はい。また後で」
「うん」
後でと約束をして、教室を出る。扉を閉めて歩き出した瞬間、教室が湧き上がった。彼女を気遣ったつもりだったが、結果的にあの場で告白するより恥ずかしい思いをさせることになってしまったかもしれないと申し訳なく思いながら自転車置き場に向かっていると、スマホの通知音が鳴る。新しく友達に追加された彼女から「先輩のバカ」の一言のメッセージ。その後に「仕事終わったら水族館行きませんか」と続いた。オッケーとスタンプで返し、一度家に帰って着替えて水族館へ向かう。入り口の巨大なイルカ水槽の前でボーっとイルカを見ながらしばらく待っていると「いつからそこに居るんです?」という声が聞こえて、彼女が隣に座った。「待ちきれなくて」と私が答えると、彼女は呆れたように笑った。
「……改めて、卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
「……約束を忘れた日なんて一度もありませんでしたよ」
「この日を待ってた?」
「……はい。待ってました。あなたの先生としての役目を終える日を、ずっと」
「珍しく素直だな」
私がそう言うと彼女はふっと笑ってこう返す。「素直な私はいじり甲斐が無くてつまらないですか?」と。いつもの仕返しと違和感ばかりに揶揄うように。
「……そうだね。素直になれなくなるくらい、恥ずかしがらせてやりたくなるかな」
そう返してやると、彼女は動揺するように瞳を揺らし、顔を真っ赤に染める。思わず笑ってしまうと、悔しそうに唇を尖らせた。
「ははっ。かーわいい。大好きだよ葉月ちゃん。これからは、恋人としてよろしくね」
彼女に手を差し出す。彼女はその手を取ると、遠慮がちに指を絡めた。絡め返して、しっかりと握って立ち上がる。
「行こうか。葉月ちゃん」
「はい。明菜先輩」
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