第40話:奇遇ですね

 それから一週間後。私は吉喜とルーカスを連れてモヒートというバーへ向かっていた。カサブランカのマスターのお弟子さんである海さんがやっているバーだ。


「ガキ共ともいつか飲みに行きてえなぁ」


「全員が二十歳になるまではまだあと五年かかるけど、秀明は来年二十歳だよ」


「あんなに小さかったのに……早いねえ……」


「いや、ルーは小さい頃のあいつら知らんだろ」


「知らないけど、可愛かったんだろうなってのは分かる」


「可愛かったよ。千明なんて、俺が帰ろうとすると『帰らないでヨシ兄』って泣きついてきてさぁ……」


「今も吉喜が帰ろうとするとちょっと寂しそうだよな。素直じゃないから早よ帰れって言うけど」


「あれはあれで可愛い」


「お前、うちの弟に手出すなよ」


「出すわけないだろ結婚してんのに」


「結婚してなかったら出してたんか!?」


「出さんわボケ。大体あいつらノンケだろ?」


「ノンケだからこそ良いって人も居るじゃん」


 ちなみにノンケというのは同性愛界隈での業界用語で、そっちのがないという意味。そっちの気がないというのは同性に恋愛感情を抱かないということ。つまり、異性愛者を指す言葉となる。そもそも性別関係なく他者に対して恋愛感情を抱かない人も居るため、同性に恋愛感情を抱かない=異性愛者とは限らないのだが、界隈では異性愛者を指す言葉として使われている。


「あー。俺はむしろノンケだったら普通に諦めちゃう。変わることも無いとは言えんけど、性別の壁越えるってよっぽどじゃん」


「だよなぁ……私は葉月ちゃんが男だったら無理かもしれん」


「俺が女だったら?」


「お前とは女同士だったとしても友達で居たい」


「俺も。お前と恋愛とか絶対無理」


「付き合った途端周りからどこまで行ったとか聞かれるのマジで地獄だったよな」


「ほんとそれ。かといって別れたら別れたで面倒だしなぁ」


 だから当時の私達はどちらかに恋人が出来るまでは付き合っているという設定を貫くことにした。結果、先に恋人が出来たのは私だったが、先に結婚したのは彼の方だった。


「はー……私も結婚したい」


「国を出る気はないのか?」


「無いよ。なんだかんだでこの国に愛着はあるからね。だからこそ私は、この国で愛する人と家族になりたい」


「……そうか。……俺もこの国愛着が無いわけじゃないよ。ルーが生まれ育ったあの国と同じくらいには好き」


「ワタシも日本好き。けど……同性の恋人と一緒に生きるにはちょっと、窮屈かな」


「そうだね。昔に比べたら、確実にマシになりつつはあるけどね」


 なんて話をしながらバーへ。扉を開けるとカランカランと金の音が鳴り響き、海さんによく似た女性が「いらっしゃいませ」と明るく出迎えてくれた。顔はそっくりだが、雰囲気はまるで違う。そして海さんより若い。もしかして、娘さんだろうか。問うと彼女はそうですと肯定した。


海菜うみなです」


 もう一人居る若い女性店員は幸治こうじさん——カサブランカのマスターの姪っ子だそうだ。名前は喜子きこさん。三人とも背が高くてカッコいい。同性から王子様扱いされそうな雰囲気がある。


「今日はあのちっこい子は一緒じゃないんだ?」


「はい。今日は幼馴染と、その夫です」


「へぇ。夫ってことはお兄さん、同性婚出来る国の人? オランダとか?」


「イエス。そうです。オランダ……つまり、ネーデルラント人です。でも大学生の頃に日本に留学してたから、この通り日本語はペラペラです。まだたまに間違えることもありますけど。日本は難しい言語だから」


「分かる。日本生まれ日本育ちの僕もそう思うもん」


「でもワタシ、日本語好きです。難しいけど、奥深いですよね」


 ちなみにルーカスは日本語能力試験(JLPT)の資格を持っている。その名の通り、外国人向けの日本語検定で、N5からN1の五段階のレベルがあり、一番難しいN1に合格しているとのこと。合格率は三割程度。と聞くとそう難しくはないように感じるが、日本人でも難しいと感じるレベルらしい。


「日本語好きというか……もはや日本語オタクだよな」


「日本語が好きな理由は奥深いからだけじゃなくて、君の母国語だからでもあるよ。君の生まれ育った国の言葉で、君に愛を伝えたかったから」


「……人前でそういうこと言うのやめてくれん?」


「Ik ben verliefd op je」


「いや、日本語じゃなければ良いって問題じゃねえから……」


「なんて言ったんです?」


「君に夢中。みたいな意味です」


 訳してやると、やめてくれと吉喜に肘で突かれた。


「照れ屋だねぇ君は。可愛い」


「照れ屋とかじゃなくてさぁ……ここ日本だから……」


「あ。うちは別に大丈夫ですよ。来るお客さんも同性愛者がほとんどだし」


「いや、そういう問題……もなくはないすけど……」


「良いなぁー。私も結婚したーい。ねー」


 と、海菜さんが同意を求めた先には一人で静かに呑んでいる女性。私と同年代かそれより上くらいの、色気のある大人の女性だ。

「仕事しなさい」と海菜さんを冷たくあしらった彼女は海菜さんの恋人で、同い年の二十二歳。あずき先輩のお兄さんとも同い年だ。つまり、私より四つも下だ。ルーカスと吉喜が何か言いたげに彼女と私を交互に見る。


「なんだよ」


「いや……お前ほんとガキだよなって」


「ああ? お前にガキとか言われたくねえよ」


「明菜、制服着たらちゃんと女子高生に見えるもんね」


「見えるじゃなくて女子高生だっつーの。てかなんだよちゃんとって。褒めてんのか貶してんのかどっちだよ」


「褒めてる褒めてる。明菜は可愛いねぇ」


 そう言ってルーカスは私の頭を撫でる。それを見ていた吉喜がムッとしながら彼の肩に頭を寄せる。


「吉喜も可愛い可愛い」


 私の頭を撫でるのをやめて吉喜の頭を撫で回すルーカス。当て馬にされた気がする。吉喜もさっきまでは人前で口説くなとか照れていたくせに、されるがままだ。酒が入ってどうでもよくなってきたのだろう。このまま置いて帰ってやろうかと呆れていると、カランカランと入り口に取り付けられた鈴が鳴った。音に反応して店の入り口の方を見ると、ドアを開けた女性と目が合う。彼女は「き、奇遇、ですね。先輩」と、ぎこちない笑顔を浮かべて手を挙げた。

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