第11話:あずき先輩の恋

 それから数日後。私はあずき先輩とカサブランカというバーに来ていた。ここがあずき先輩の行きつけのバーらしい。中に入ると、カウンター席にまばらにお客さんが座っていた。カウンターの向こうでシェイカーを振っていた中年男性が「今日は友達と一緒? 珍しいね」とあずき先輩に声をかける。「高校の後輩です」とあずき先輩が答えると、店内がざわつく。私はともかく、あずき先輩は二十歳超えているようには見えない。あずき先輩は店内のざわつきなど知らぬ存ぜぬといった感じで、カウンターの椅子を慣れた手つきで調整する。


「ああ、大丈夫ですよ。彼女はああ見えて成人してるので」


「えっ。いや、どう見ても子供ですけど……」


「身分証も提示してもらって確認してます。大丈夫です。私もプロですから。十代に酒は出しません。そんなことしたら捕まっちゃいますからね」


 マスターは落ち着いた口調で他の客を諭すが、客は納得がいかないように訝しげな視線をあずき先輩に向ける。先輩は気まずそうに「ごめんね」と笑った。


「いえ。私もよく成人に見えないって言われますから。見た目じゃなかなか分かんないですよね。先輩はいつも何飲むんです?」


「ジャックローズ」


「ブラッディーメアリーじゃないんだ」


「辛いのは苦手でねぇ」


「まぁ確かにそんな感じはする」


「名前は好きだけどね。吸血鬼っぽいから」


「もしかしてジャックローズ好きなのって、赤いからですか?」


「赤いし、甘くて美味しい。あと名前がカッコいい」


「分かる。私あれ好き。XYZ」


「スクリュードライバーとかな」


「スクリュードライバーは工具じゃん」


「工具だけど響きがかっこいいじゃないか。というわけでマスター、いつものを」


「じゃあ私もいつものを」


「ごめん。甘池ちゃんのお友達のいつものは分かんない」


「すみません。言ってみたかっただけです。同じものをください」


「はーい。ジャックローズ二つね」


 注文を済ませると、あずき先輩はマスターの後ろ姿を見ながら「ありがとう」と小さくお礼を言った。


「いえ。先輩は、どういう経緯でここに通うようになったんですか?」


「んー……私こんな見た目だから、バーってなかなか入りづらくて。気になるなーでもなぁーってここの前を彷徨いてたら、マスターが声をかけてくれてね」


「最初は家出少女かと思ったよ」とマスターが相槌を打つ。


「それで……私こう見えて成人なんですって話したら、身分証確認して中に入れてくれて。中入ったら見た目だけで判断されて話も聞かずに門前払いされたことも多かったから……ここなら安心して飲めるなって思って。新規のお客さんにはびっくりされちゃうけどね。けど、それはもうどうしようもないことだから。誤解されるなら、その都度解けば良いだけ」


 そう語る彼女の横顔は見た目に似合わず大人っぽい雰囲気だ。見た目は小学生なのに。バーの雰囲気も相まってなんだか、色っぽく見える。


「ところで、君は先生のことが好きなの?」


 二杯目に入ったところで、彼女が私に問う。先生というのがどの先生を指しているのかは、なんとなく伝わる。私はあの先生以外の先生の話を先輩とした覚えがない。


「森中先生ですか?」


「うん。そう」


「好きですよ。昔から」


「そうか。……女性が好きなの?」


「はい。先輩も?」


「私は……言い切れる自信はないけど、多分そうなんだろうね」


「今好きな人居るんですか?」


「居る。……困ったことに、四つも年下の子を好きになってしまってね。女性と言うより、女の子と言った方が正しいな」


 彼女はそう自嘲するように笑いながら、グラスに口をつける。四つ年下ということは、同級生だろうか。菓子研部員の誰かかもしれない。


「……明菜ちゃんは、恋愛経験はある?」


「まぁ、それなりに」


「なら……」


 グラスを置くと、先輩は私の肩に頭を預けてきた。


「……先生は諦めて、私と付き合わないか?」


 先輩は私の方を見ないままそう言うが、私の方から肩に触れると、びくりと飛び跳ねた。震えている。


「……震えるくらいなら、そういうことしちゃ駄目だよ。お嬢さん」


 そう諭して、彼女のデコを弾く。彼女はおでこを抑えながら「こんな時だけ歳下扱いしおって」と不満そうに唇を尖らせたが、どこかホッとしているようにも見えた。一瞬ドキッとしてしまったが、流石に、そんなに怯えた顔をされてしまったら一瞬で萎えた。ここまで怯えている子を抱く趣味はない。まぁそれ以前に、脳内の葉月ちゃんが牽制してくるからどちらにせよ持ち帰り辛いのだけど。


「……明菜ちゃんは良いよな。ちゃんと、成人してる人を好きになれて」


 彼女は私から顔を背けながら恨めしそうにそう言って、またグラスを傾ける。その手はまだ少し震えていた。


「……成人してても駄目なんですって。私は生徒で、向こうは教師だから。生徒一人を特別扱いするわけにはいかないって」


「告ったの?」


「あれを告ったうちにカウントしたくないから否定するけど、両想いってことは判明しました」


「真面目なのは知っていたが、思った以上にクソ真面目なんだな。森中先生は」


「そうなのよ。堅物すぎるよね。びっくりしちゃった。けど……そんなところも含めて、好きなんですよ。生徒たちのこと本気で大事にしてるんだなって。まぁだからって、素直に諦めてやる気なんてないんだけど。先輩は? 彼女のどんなところが好きなんですか?」


「……一番最初に浮かぶのは見た目だな」


 そう言って彼女はまた自嘲するように鼻で笑う。


「良いじゃないですか別に。見た目から入る恋なんて山ほどありますし、見た目だけって訳じゃないんでしょう?」


「……うん。私は入学した頃は年齢のことは隠して、十五歳として同級生達と接してたんだ。初めて打ち明けたのが彼女達だった。大切な友人なんだ」


「ふぅん」


「私、こんなんだからさ、合法ロリとか言われるんだ。……自分の見た目は嫌いじゃない。可愛いって言われるのも嬉しい。けど、合法ロリって言われるのだけは嫌だ。それなら吸血鬼って言われる方がよっぽど良い。その気持ちを彼女は分かってくれた」


「なるほど。優しい子なんですね」


「うん」


 だから彼女は、十六歳の未成年に恋愛感情を抱く自分がどうしても許せないのだろう。幼い見た目の自分を、幼い見た目の成人女性ではなく、性の対象としてみても法に触れない幼女扱いする人間と同じになりたくないから。先輩はきっとその子のことを一人の女性として見ている。だから見た目と年齢しか見ていない奴らと同じではないと、私は思う。それを正直に伝えると、先輩はお礼を言ったものの「でも私は、自分の感情を認められない」と首を振った。


「……だからって、私で誤魔化そうとしないでくださいよねぇ」


「……悪かったよ。けど、君だってそうやって誤魔化した経験はあるんだろう?」


「ありますよ。何度も。私は森中先生みたいに堅物じゃないんでね」


「……私のことは、堅物だと思う?」


「思いませんよ。先輩は大人として正しいです。……森中先生の対応も、教師としては正しいんだと私は思います。でもだからって、私は諦めろって言われてもお断りしますけど。先輩も、諦める必要はないんじゃないですか」


「伝えられるわけないだろう。私は……」


「今伝えなくたって、彼女が大人になってから伝えれば良いじゃないですか」


「……でも、それだと……」


「その間に彼女が誰かと付き合ってしまうかもしれないって不安なんですよね」


「……うん」


「なら、向こうから告白するように仕向けちゃえば良いんじゃないですかね。成人から未成年に恋心を伝えるのは倫理的にどうかと思いますけど、逆なら問題ないと思います。ね。マスター?」


「あー……俺に振っちゃう? 悪いけど俺、恋愛のことはよく分かんないんだよねぇ。恋したことないから」


「その年で? モテそうなのに」と別のお客さんからヤジが飛ぶ。マスターは「よく言われる」と苦笑いしながら続けた。


「触れたいとか独占にしたいとか、そういうのは俺には分からない。でも、誰かを大切に思う気持ちは分かるよ。恋は分からないけど愛は分かる。人を愛することは悪いことではないよ。愛を伝えるだけなら、年齢関係なく問題ないんじゃないかなって、俺は思うけど……駄目かな」


 そう言ってマスターは困ったように笑う。先輩はぽろぽろと涙をこぼしながら「確かに私はあの子を愛しています。でも、それだけじゃないです。あの子に対して邪な気持ちを抱いてしまっています。そんな自分を許すなんて出来ません」と首を振る。「そうか。やっぱり君の感情は、俺の思う愛とは違うんだね」とマスターも困ったように相槌を打つ。なんだか、同性愛者である自分を責めていたあの頃の自分みたいだ。同年代の同性に恋をするのと、成人が未成年に恋をするのはまた違うわけだけど。伝えるだけなら罪ではないと軽々しく言ってしまったが、今の私が彼女の立場でも、同じように葛藤していただろう。

 泣きじゃくる先輩の背中をさする。今の私には、これくらいしかしてやれることがない。


「……ごめんね。困らせてしまって」


 先輩はカウンターに突っ伏したまま気弱な声で呟く。いつもはあんなに明るいのに。いや、おそらくこっちが本性なのだろう。酒の影響も大きいかもしれないけど。


「学校では先輩ですけど、実際は私の方が歳上です。……だから今は、素直にお姉さんに甘えていいよ。お嬢さん」


 そう冗談を言ってやると彼女は「歳上ぶりおって」とカウンターに突っ伏したまま返す。さっきよりは明るい声だった。そして深いため息を吐くと「ありがとね。おねーさん」と突っ伏したまま呟くように言った。


「どういたしまして。お嬢さん。……十六歳ってことは、成人まではあと二年ですよ。先輩がそうやって告白を躊躇っているうちに、案外あっさり二年経っちゃうかもしれないですね。私達大人からしたら二年なんて、気づいたらすぎてるものでしょう?」


「……エルフの時間感覚で言われてもな」


「何言ってんの。種族的には吸血鬼の方が長生きでしょう。知らんけど」


「私自身はまだ二十年しか生きてないから」


「私だってまだ二十五年ですよ。人間に換算したら私達多分、赤ちゃんどころか受精卵ですらないですよ。卵子ですよ卵子」


「ふ……ふふ……卵子って」


 ようやく、先輩は笑ってくれた。まだ吹っ切れはしないようだが、一歩くらいは前に進めただろうか。


「明菜先輩」


「なに? あずきちゃん」


「……私はまだ、自分自身を許せない。でも……同じ大人である君にこの恋を許してもらえて、少しだけ、楽になった。ありがとう。マスターも、ありがとうございます」


「ん。またいつでも飲みにおいで。恋愛相談はちょっと苦手だけど……お酒出して話聞くくらいなら出来るから」


「恋愛相談なら、かいくんの方が得意そうだよな。今あの子、自分で店やってんだろ?」


 常連客からそんな声が飛んできた。海くんというのはマスターのお弟子さんらしい。既婚者だが、恋愛対象は同性で恋愛経験も豊富なのだと常連が語ると、マスターは微妙な顔をした。人のセクシャリティを勝手に話すのはアウティングと言って、界隈では御法度だ。マスターのお弟子さんは別に話しても構わないと言っているらしいが。それでも彼が良い顔をしないのは、異性と結婚した同性愛者や、異性も恋愛対象になるバイセクシャルは、同性愛者から嫌われがちであることを知っているからだろうか。

 常連の話を聞いたあずき先輩が「世間体のために結婚した人に相談に乗ってもらいたくなんてないですね。私なら」と吐き捨てる。彼女のような考えを持つ同性愛者はよく居るが、私は別に気にならない。私は元カレと約束したことがあるから。三十になってもお互いに恋人が居なかったら友情結婚しようと。彼は先に海外で結婚したからその約束は無くなったわけだが。


「世間体のためじゃないよ。あの子は本気で彼を愛してる」


「じゃあ、ビアンですらないじゃないですか」


「異性愛者だけど同性を好きになった人のことも、君は同じように批判するのかな」


 マスターが諭すようにそういうと、あずき先輩は黙り込んだ。しかし謝る気はないようだ。


「……マスター、そのお弟子さんのお店、教えてもらえます?」


「ええー。またお客さん取られるのー? やだぁー……」


「……私は行かないよ。明菜ちゃん」


「私が話を聞きたいだけ。……私は男性に恋したことはないですけど、昔、ゲイの友達と約束してたんですよ。三十になったら結婚しようって。世間の偏見の目から、逃れるために。まぁ結局、彼はオランダで同性の恋人と結婚することを選んだんですけど。……もし私が彼と結婚していたら、あずき先輩は私のことも軽蔑しましたか?」


「……」


 先輩は答えない。俯いたまま固まって、やがて小さな声で「ごめん」とようやく謝った。


「良いですよ別に。……私も昔、ビアンバーで女の子食い漁る既婚者と付き合ってたことがあるんで、気持ちはよーくわかります」


「それ、マスターのお弟子さんだったりしないよね」と、男性客がマスターを見る。マスターは「ないない。海くんはむしろ、そういう女嫌いだから」と笑った。彼女のことを知っている客たちはうんうんと頷く。


「被害者が出る前に既婚者女を口説いて連れ去っていきそう」


「分かる。ついでにそのまま食ってそう」


「結局食うんじゃん!」


「あたしも海様にめちゃくちゃにされたい。心はもうめちゃくちゃだけど」


 どうやらマスターのお弟子さんには、様付けで呼ぶくらい熱狂的なファンがいるようだ。「俺も女になって海様に弄ばれたい」とか言い出す男性客まで。ますます興味が湧いてきた。

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