第5話:担任は元後輩

 翌日。いよいよ本格的に学校生活が始まる。教室に入り挨拶をすると、おはようとまばらに挨拶が返ってくる。


「明菜ちゃん、朝から元気だね」


「そりゃもう。今日からいきなり授業あるからね! しかも六時間! 私の頃なんてゆとりだったから午前で帰らされてたよ!」


「うわっ。羨まし」


「てか、授業でテンション上がってる人始めてみたわ」


「けどさぁ、初回の授業なんてほとんど自己紹介でしょ」


「あ……そうか……そうだよな……」


「どんだけ勉強したいんだよ」


「夢だったからな。高校に通うのが」


「十歳も歳下のあたし達と一緒の学校に通うのって、不安じゃなかった? あたしだったら不安だな。ババア扱いされんじゃねって思っちゃう」


「反抗期真っ只中の弟が居るからババア扱いは慣れてるよ。あれに比べたら君たちは可愛いもんだ。弟もこれくらい素直だと良いんだが」


「弟の他に妹も居るんだっけ?」


「ああ。中三で双子の妹達と、高二の弟と、大学一年の弟。私を合わせて五人姉弟だよ。親は二人とも亡くなってるから、あの子達にとっては私は姉というよりは母親に近いかもしれんな」


 親を亡くしていると聞いた同級生達は気まずそうにしてしまった。そういう空気になりたくないからサラッと流して話したのだけど。後から知ったら余計に気を使うだろうし。しかし、ここで私まで気まずい空気になってしまえば逆効果だ。こんな空気にしてごめんなんて気持ちは態度に出さず、何食わぬ顔で会話を続ける。


「まぁでも、高校を後回しにしたのは正解だったかな。君達に出会えたし」


 なんだよそれとクラスメイト達は気恥ずかしそうに照れ笑いする。そう。それで良いんだよ。親が居ない可哀想な人とどう接したら良いかなんて考えなくて良い。そんな気は、私には使わなくて良い。使わないでほしい。


「森中先生とも再会できたし?」


 クラスメイトの一人がニヤニヤしながら言う。私達のクラスの担任となった森中葉月先生は、私の中学時代の後輩だった。先生になるなら生徒として再会することもあるかもなんて冗談で話したことはあったけど、まさか本当になるなんて。しかも担任。再会は嬉しいことだが、正直少し気まずい。

 私と彼女は特に部活が一緒だったわけでも、小学校が一緒だったわけでもない。上級生に絡まれて困っていた彼女を助けたら懐かれた。ただ、それだけだ。

 犬のように私の後をついて来る彼女のことは、正直可愛いと思っていた。当時は付き合っている男の子が居たが、その子よりも彼女の方が好きだった。当時はその好きが恋愛感情だとは気づけなかった。元カレに『俺といる時より彼女といるときの方が楽しそう』と指摘されてようやく気付いた。彼のことは好きだったが、それは恋愛感情ではなかった。ちなみに、彼はゲイだった。幼馴染の私なら好きになれそうだと思ったが、結局無理だったらしい。私も同じ理由で付き合ったが、やはり恋愛感情は芽生えなかった。一応元カレの彼含め、男性に対して恋愛感情を抱いたことはない。女性には何度かあるし、交際経験、性経験もある。その性経験のほとんどがワンナイトだったりセフレだったりと不健全な関係の相手ばかりだけど。

 肉体関係を持った女性の人数なんて覚えていないが、本気で交際した女性は片手で数えられるくらいしかいない。ちなみに、遊んではいるが、浮気は一度もしたことがない。本当に。

 千明には教師には手を出さないと言ったが……やっぱり、無理かもしれない。昔好きだった女の子が十年経って大人になった姿で現れてしまったら、そりゃ手を出すなと言われても厳しい。


「運命かも」


 クラスメイトの一人が言う。運命という言葉は正直好きではない。もし運命が決まっているなら、母や父が若くして亡くなったのも運命ということになるから。だけど、今だけはその運命とやらを信じたくなってしまう。彼女の方はどうだろう。私と再会出来たことを嬉しいと思ってくれているだろうか。あの頃から好きだったと言ったら応えてくれるだろうか。クソ真面目な彼女のことだから『私と先輩は教師と生徒ですよ』とか言いそうだ。私は生徒と教師とはいえ、成人同士ならなんの問題もないと思うけど。


「おはようございます」


「あ、噂をすれば葉月ちゃんだ」


「葉月ちゃんおはようー」


 馴れ馴れしく挨拶をする生徒達に「森中先生ですよ」と注意しながら、私を睨む葉月ちゃん。もとい、森中先生。私のせいだと言いたいたげな顔だ。実際、私のせいだとは思うけど。


「森中先生、おはようございます」


「おはようございます。明菜せんぱ——和泉さん」


「あ、今先輩って言いかけましたね」


「言ってません」


「先生が私のこと先輩って呼ぶなら、私も葉月ちゃんって呼んで良いですよね?」


「駄目です。先生と呼んでください」


「はーい。葉月先生」


「し、下の名前で呼ばない!」


「えー」


「えーじゃありません! 全くもう……今の私達は教師と生徒なんですよ」


「あ、出た」


「何が出たんですか」


「私達は教師と生徒なんですよって、絶対言うと思った。真面目なところ変わらないね。葉月ちゃん」


「森中先生です」


「はい。分かりましたよ。下の名前で呼ぶのはプライベートの時だけにしますね」


「生徒とプライベートで会うことなんてありません」


「えー。会おうよ。先生。十年ぶりの再会だよ? 積もる話もあるでしょう?」


「た、タメ口きかない!」


「はぁい。葉月ちゃんせんせー」


「もー! 揶揄わないでください!」


「あははっ。ごめんごめん。君の反応が可愛くてつい。ほんと変わんないなぁ葉月ちゃんは。おっと失礼。今は森中先生でしたね」


「っ……貴女って人は……!」


「あははー」


 相変わらず可愛い人だ。当時もこうやって揶揄って遊んだっけ。あの頃は私が先輩で彼女が後輩だった。今は私が生徒で彼女が先生。社会的な立場は逆転してしまった。しかし、私から見ればまだ、可愛い後輩だ。先生と呼ぶのは少し気恥ずかしい。


「そろそろチャイムが鳴るので、皆さん席に着いてくださいね。一限目のLHRは一人一人自己紹介をしてもらいますから、各自今のうちに考えておいてください」


「せんせー。自己紹介って、私からですか?」


「出席番号四十番の和田わだくんと一番の和泉さんでじゃんけんしてもらって、勝った方から順番で」


「ってことは、負けたら私が最後になるのか」


「そうなります」


「そりゃ負けられませんな」


「俺はむしろ負けたい。最初より最後が良い」と和田くん。じゃあじゃんけんしなくても良いのではと思ったが、一部の生徒がそれを許してくれなかった。


「仕方ない。やるぞ! 和田少年!」


「少年はやめてくれません? 一応同級生なんだし」


「ははは。すまんすまん。冗談だ。いくぞ和田くん! 最初はグー! じゃんけんぽんっ!」


 私が出したのはグー。和田くんはやる気無さそうにパーを出した。


「うわぁー! 負けた!」


「あーあ。勝っちゃった……」


 負けたかった和田くんと勝ちたかった私。どちらも得しない結果となってしまった。「やっぱり負けた方からにしません?」と二人で先生に提案してみるが、却下される。仕方なく私は席に戻り、和田くんは壇上に上がる。

 和田くんの下の名前はげんというらしい。十歳年下とは思えない渋い名前だが、落ち着いた雰囲気に似合う素敵な名前だ。

 ちなみに、その次が私にセクハラをかましたあのエロガキくん。流川るかわ天翔てんしょう。中身はエロガキのくせしてアイドルみたいな名前だ。そこそこ顔がいいからなのか女子からちやほやされているのもなんかムカつく。ビアンの私からしたら野郎の顔なんてどうでも良いのだけど。

 それにしても、出席番号の最後の方に男子が居るのはやはり違和感がある。彼らにとっては当たり前なのかもしれないが。ちなみに、私の後ろの席には男子が座っている。席替えをしてそうなることはあったが、出席番号順に並んだ時に後ろに男子がいるのもやはり違和感がある。後ろの彼の名前は宇崎うざきいとくん。愛と書いていとと読むそうだ。『愛しい』からきているのだろうか。読めなくはないが、変わった名前だ。令和男子だなぁ。生まれは私と同じ平成だけど。


「じゃあ最後、和泉さん」


「はい」


 立ち上がり、壇上に上がる。何故か「頑張れー」とヤジが飛んできた。「頑張れってなんだよ」とツッコミを入れて、自己紹介を始める。


「和泉明菜です。もう知ってる人も多いと思うけど、私はみんなより十歳歳上の二十五歳です。十年前、私は家庭の事情で、高校には行かずに就職しました。そしてその事情が落ち着いてきた今、高校に入学することを決めて、この学校の一年生として入学しました。人生経験は君たちより上ですが、ここでは同級生です。あまり気を使わず……と言っても、十歳も年上の同級生なんて初めてでしょうし、難しいかもしれないんですけど、人生の先輩ではなく一人の同級生として対等な立場で接してもらえるとありがたいです。これから一年、よろしくお願いします」


 自己紹介を終えると、大きな拍手が起こる。全員が全員、私のことをすぐに受け入れられるわけではないかもしれない。だけど、思っていたより歓迎ムードだ。これならきっとすぐにクラスに馴染めるだろう。

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