レジリエンス

#zen

第1話 告白


「おい、明生あい


 玄関先で真新しい制服ブレザーをチェックしていたら、呼ばれたので振り返る。


 七つ年上の肌の白い猫顔のお兄ちゃんが、仁王立ちで私を見下ろしていた。 


「弁当は持ったか?」

「うん」

「ハンカチは? ペンケースは?」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。夜のうちにチェックしたし……それに私、もう高校生だよ?」

「そうだな。とにかく、気をつけて行ってこいよ」

「うん」

「あ、そうだ。ちょっと待て」

「なあに? どうしたの? お兄ちゃん」

「……目を閉じて」

「う、うん」


 言われた通り目をつむった私は、なんとなくドキドキしながら待っていたけど……。


「ひゃっ」


 鼻をつままれる感触に驚いて目を開いた。


「お兄ちゃんは何がしたいの! もう、私は行くからね!」

「あはは、行っておいで」


 お兄ちゃんにからかわれた私は、口を尖らせて玄関を出た。




 私は佐東明生さとう あい。両親はいないけれど、優しいまことお兄ちゃんのおかげで平和に暮らしてきた十五才である。


 仕事をしながら家事もこなすお兄ちゃんは私にとって小さい頃から親がわりのようなものであり。


 過保護で厳しいお兄ちゃんだけど、そういうのが嫌じゃない私は、かなりのブラコンかもしれない。


 だって、私が幸せに暮らしてこられたのは、間違いなくお兄ちゃんのおかげだから。


 ――なんて、今日もお兄ちゃんに感謝しながら広い歩行者道路を歩いていると、幼馴染の木下文きのした かざりに遭遇する。


 落ち着いた雰囲気のかざりは、線は細いけど同級生の綺麗な男の子だった。


明生あい、おはよ」

「おはよう、かざり。髪の毛染めたの? 真っ黒だね」

「ああ……茶髪は目をつけられるって聞いたし」

「地毛なのに大変だね」

「まったくだよな。中学から近いのに、校則がこんなにも違うとか」

「仕方ないよ。同じ学校じゃないんだし」

「……でも俺たちもとうとう高校生か」

「そうだね。楽しみだよね」


 今日から始まる高校生活に、少なからず胸を躍らせていると、かざりは何がそんなに楽しみなんだと笑った。


 でも、やっぱり中学から高校に上がるのって、なんだか少し大人になった気がして、嬉しいんだよね。


 そんな風にあれこれ話しているうちに、私たちは地元の高校に到着した。

 

「クラスは……分かれて残念だね」


 渡り廊下を歩きながら、私はため息をつく。

 

 入学式で既にクラスは確認していて、私とかざりはお隣さんだった。


 中学の時はずっと同じクラスだっただけに、これから離れると思うとなんとなく寂しくなる私だけど。


 かざりの方はというと、表情があまり顔に出ないから、どう思っているのかわからなかった。


「じゃあ、また帰りにね」

「おい」

「なあに?」

「今日は話があるから……帰りに少しだけ時間あるか?」

「うん、大丈夫だよ」

「じゃあ、また帰りに」


 そう言って、私の側を通り過ぎるかざり


 すれ違いざま、名残惜しそうな文の視線に、少しだけドキッとする。


 クラスが分かれること、文も少なからず残念だと思ってくれているのかな?


 文も同じような気持ちだと思うと少しだけホッとした私も、慌てて自分のクラスに移動した。


(……地元なのに、知らない人ばっかり……)


 新しい教室で不安ながらも恐る恐る自分の机を探す私だけど。


 そんな時、ロングヘアで清楚系の女の子が控えめな声で私に声をかけてきた。


「ねぇ、君」

「はい」

「スカートのファスナー、開いてるわよ」

「えええ!?」


 知らない子に声をかけられたと思ったら、とんでもないことを指摘されて私は慌ててスカートを確認する。


 確かにファスナーは全開だった。


「まあ、よくあることだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃない?」

「いえ……普通に恥ずかしいです」

「ははは、素直ね! 君、名前は?」

「え? 佐東明生さとう あいです」


 私がノートの表紙に書いてある名前を見せると、クラスメイトの女の子は明るく笑った。


「もう、敬語とかやめてよ。同学年なのに」

「……うん」

「私は宮越みやこしニキ。よろしくね。明生あいって呼んでいい?」

「ええ!? う、うん、いいよ」

「じゃあ、私のこともニキって呼んでよ」

「わかった」


 かざりがいなくて最初は不安だったけど、新しい友達のおかげでその日は楽しく過ごすことが出来たのだった。






 ***





 登校初日が終わって、正門の近くでかざりを待っていると、三十分経ったところで文がやってくる。


 和風美人という言葉が似合う文は、通りすがりの人の視線を釘付けにしていた。


明生あいごめん、待たせた?」

「ううん、大丈夫だよ」

「実はさ、中学の書類と髪色が違うとか言われて、担任に呼びだされたんだ」

「せっかく染めたのに、災難だったね」

「でも、もう染めなくていいって」

「へえ、良かったじゃん」

「うん。意外と理解ある先生だった」

「それより話ってなあに?」

「えっと……ここではちょっと言いにくいから、移動してもいいか?」


 それから私たちは地元の公園に移動した。


 幼い頃によく文と二人で乗っていたブランコに並んで座ると、私はゆっくりとブランコを揺らしながら文に訊ねる。


「それで、話ってなに?」

「実はさ……」

「うん」

「今更こんなこというのもなんだけど……俺、明生のことが好きなんだ。だから……俺と付き合ってくれないか?」

「ふうん」

「それだけ?」

「ん? 付き合う?」

「そう、付き合ってほしいんだ」

「……」

「……」

「えぇええええええ!?」

「反応が遅い」

「で、でも……今までそんなこと」

「言わなかったよ。ていうか、お前の兄ちゃんが怖いし、言えなかったんだよ。でももう高校生だろ? だったら、そろそろ妹離れしてもらおうかと思って」

「うそ……でも、そんな急に言われても」


「明生だって、俺なら安心して付き合えるんじゃないか? お互いのことよく知ってるし。変なやつに声をかけられる前に、俺が声をかけたんだ」

「ごめん……ちょっとまだ信じられなくて」

「わかった。じゃあ明日まで待つから、それまでに答えを出してくれよな」

「明日!?」

「俺の気が短いのは知ってるだろ?」

「し、知ってるけど……」


 真面目な顔でじっと見つめられると、どうしていいのかわからなくなった私は、とりあえず返事を保留にしてもらった。


 それから私はどうやって家に帰ったのかわからなかった。


「ただいま」

「おかえり、明生」


 リビングに入るなり、エプロンをつけたお兄ちゃんがキッチンから顔を出す。


「ただいま」

「それは今さっき聞いたぞ。いったいどうしたんだ?」

「……へ? なんのこと?」


 私が誤魔化すと、勘の良いお兄ちゃんが私のところにやってくる。


「なんでもないことはないだろう? なんだ、何があった? 言ってみろ」

「……う。わ、私だってもう高校生だし、なんでも報告する義務なんて……」

「明生、お兄ちゃんの目を見て、もう一回それを言ってみな」

「怖い! 怖いよお兄ちゃん!」

「さあ、何があった? 言ってみなさい」


「……実は、かざりに告白されて」

「はあ!? あいつが!?」

「うん……それでどうしようかと思って」

「そうかそうか……明生はまさか、文と付き合うなんて言わないよな?」

「え? どうして?」

「お兄ちゃんは許さないからな。あんな……やつなんて」

「どうして? お兄ちゃんはなんでもそうやって決めちゃうの? さすがに誰と付き合うかは、私が決めることでしょう?」

「でもあいつは……」

「あいつは何?」

「とにかくあいつはダメなんだよ!」

「よくわかんないこと言って、私にだって選ぶ権利があるんだからね!」

「ダメだダメだダメだ! あいつだけはダメだ!」

「何がダメなの? ……わかった」

「わかってくれたか?」


「だったら私、文と付き合ってみる! お兄ちゃんの思い通りにはならないんだからね!」

「なんだって!?」

「私、今日はご飯いらないから! おやすみなさい!」

「おい、明生!」


 自分の部屋に逃げこんだ私は、お兄ちゃんには届かないとわかっていながらも、ドアに向かって叫ぶ。


「もう、お兄ちゃんはなんでもああやって決めつけるんだから! 私はなんでも言うこと聞くお人形さんじゃないからねっ」


 珍しく反抗した私は、なんとなくスッキリしてその日はよく眠れた。






***






 深夜をまわった川添の並木道。


 散り終えたはずの桜が、溢れんばかりの花を咲かせていた。


 街灯でゆらめき光る桜の花弁が、柔らかな風に乗って舞い落ちる中、顔立ちの整った青年と少年が向かい合わせで睨み合っていた。 


「おい、どうして呼びだしたのか、わかってるよな? かざり

「ああ、明生のお兄さん」

「お兄さんとか言わないでくれ」

「じゃあ、なんて呼んでほしいですか?」

「なんだと……!」

「明生ももう高校生ですから、そろそろ妹離れしてもらわないと」

「あなたには関係ない。というか、あなたにだけは妹はやれない」

「いいえ。明生には俺の花嫁になってもらいますから」

「なんだと……それがどういうことかわかっているのか?」

「もちろん、わかっていますよ、明生のお兄さん」

「あなたにだけは、絶対やらない……あなたにだけは」

「じゃあ、力づくでもらいましょうか」


 かざりが不敵に笑うと、桜の雨がいっそう強く舞った。


 そんな中、目を閉じる文。


 すると、文の姿は波紋が広がるごとく形を変えた。


 風で広がった髪は金色に染まり、制服ブレザーは鮮やかな翡翠ひすい色の狩衣かりぎぬに。


 そして幼かった顔は彫りの深い端正で凛々しい顔立ちへと変化する。


 まるで平安の絵巻から抜け出したようなその姿だが。


 向かいで見ていた明生あいの兄、まことは動じなかった。


 理由は簡単だ。


 充も文とだった。


「あなたには……あなたにだけは、明生はやれない」


 強い風が吹き荒れる中、まことのフーディとデニムパンツが、輝くような薄紅梅うすこうばい色の狩衣かりぎぬに変化する。


 輝く黒艶の波うつ髪に、大きな目の愛らしくも華やかな顔立ち。


 まこともまた、古い時代を体現したような姿に変化すると、文だった金髪の男を睨みつけた。


金了こんりょう兄さん、覚悟してください」


 明生あいの兄、まことだった男は、そう言って体術の構えをとった。



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