「すみません」

「いや、今回は相手が上手だっただけだ。謝ることじゃない」


 事実を述べただけなのだが、佐久間のプライドを傷つけるには充分だったらしい。

 電話越しに佐久間の悔し気な唸り声が聞こえてくる。白金は口を閉ざした。


 正直、今回の依頼は佐久間なら一週間もあれば何かしらの情報を集めてくれるだろうと思っていた。

 反応を見る限り、佐久間自身も同じ考えだったのだろう。


 ところが、一週間以上経っても佐久間は何の情報も掴むことができなかった。独自の方法で調べていた白金も同様だ。相手はあれからも白金の周りをうろついているにも関わらず。

 新しく得たのは女性物のネックレスだけ。それも、白金の自宅で見つかったものだ。まるで二人を嘲笑うかのように。


 ――――佐久間がこんなに動揺するのはいつぶりだろうか。


 佐久間は白金よりも若いが情報屋としての腕は一流だ。経験も年の割に積んでいる。

 故に、些細な失敗でも動じることはないのだが――――それだけ今回の相手は強敵だということか。


「警戒レベルを上げておこう。佐久間、引き続き調査を頼めるか? 何かわかればすぐにでも教えて欲しい」

「わかりました」

「頼んだぞ」

「はい」


 電話を切り、白金は何もない空間を見つめながら思考の海に沈む。


 相手はマンションに設置されているカメラや佐久間が設置したカメラの目もかいくぐって白金の自宅に侵入している。

 それなのに、室内をいじった形跡も無いし、盗られた物も無い。指紋は一つも残していない。

 にも関わらず、己の存在を主張するかのように香水の残り香や、女性物のアクセサリーを残している。

 最初は偶然かと思ったが、こうなってくるとわざととしか思えない。


 一方、白金の命を狙うかのような事象も続いている。

 ただ、どれも簡単に回避できるようなものだった。

 今のところ裏社会の人間が使うような武器や薬物の使用は一切無い。

 公には事故で片付けられそうな方法で狙ってきている。




 これといった進展がないまま、日々は過ぎていった。

 白金としては『もう放っておいてもいいか』と思い始めていたのだが、それを口にするのははばかられた。

 佐久間が意地でも見つけてやると躍起になっていたからだ。


 そして、とうとう佐久間は白金の家に泊まり込みをして見張るとまで言い出した。佐久間が、自発的に家を飛び出し、白金の家に突撃してきたのだ。

 大荷物を背負って佐久間は白金に宣言した。


「一週間泊まります。こちら、宿泊代です。お納めください」

「は? いや、まあ、別に俺はかまわないが。金も別にいいよ。元々俺の依頼だし……いや、わかった。食費代としてもらっておくわ。ただ、おまえも他の仕事もあるだろうから無理はするなよ」


「はい」と言いつつ佐久間の目は血走っている。

 ――――最悪、睡眠薬でも仕込んで寝かせるか。

 そう白金が企むくらいには佐久間はやつれていた。おそらく佐久間を自宅に帰したところで、二十四時間パソコンに張り付いてろくに睡眠をとらないだろう。

 そして、急に電源が切れたパソコンのように倒れるのだ。いくら佐久間がまだ若いとはいえ心配になる。


 ちょうど何でも屋の仕事も他のスタッフに任せられる簡単な依頼しかない。猫探しや引越しの手伝いなど健全な仕事ばかり。

 だからこそ、気が緩んでしまったのだろう。

 

「これは……なんのつもりだ佐久間?」


 深夜、ふと目が覚めた。

 眼前に迫ってきていた刃先を間一髪のところで避ける。枕が切り裂かれ、中身が舞った。

 すぐさま半身を起こし、包丁を握る手に手刀をいれる。

 佐久間の手から包丁が落ちた。包丁を素早く遠くに滑らせ、佐久間の腕を捩じり、背中に回し身体を押さえ込んだ。呻き声が聞こえるが質問への返答は無い。


 白金は確認の為、佐久間の顔を覗き込み、目を瞬かせた。


 明らかに佐久間は寝ていたのだ。痛みのせいか眉間に皺は寄っているが、目の閉じ方や呼吸の仕方は寝ている時のソレだ。


 ――――寝てる……よな?


 寝ぼけた戦闘員が起こそうとした仲間を危うく殺しかけたという話は聞いたことがあるが、非戦闘員の佐久間がわざわざ包丁を使って白金に襲いかかってくるというのはさすがに異常だ。


 白金は迷った末に、そのまま佐久間を縛って床に転がし、様子を窺うことにした。

 佐久間が起きたのは朝八時を過ぎた頃だった。

 それまでスヤスヤと幸せそうな顔をした佐久間が目を開け、ボーッと白金の顔を見つめたかと思ったら簀巻きにされた己に気づき驚きの声を上げたのだ。


「んえっ?! え?! ちょ、白金さん何なんですかコレ?!」

「おまえ……本当に覚えてないのか?」

「な、何をですか? 僕、何かしました?!」


 戸惑いつつも、非難の目を白金に向ける佐久間。嘘を言っているようには見えない。

 白金は昨夜のことを佐久間に説明した。話していくうちに佐久間の顔色が百面相のように変わっていく。

 最終的に佐久間はガクッと項垂れた。


「全く記憶がありません」

「そうだろうな。解くから自分で確認してみろ。一応言っておくが、変な動きはするなよ」


 ちらりとカメラに視線を向ける。佐久間もそちらを見て、こくりと頷いた。

 自由の身になった佐久間は身体を軽く解してから、ノートパソコンを開いた。


 昨晩の記録。そこにはしっかり佐久間の奇行が映っていた。


「な、本当だっただろう。本当に覚えてないのか?」

「全く」


 青ざめた顔で呟く佐久間。そして、勢いよく振り向くと、白金に土下座した。


「すみませんでした!」


 白金は呆気にとられながらも苦笑する。


「おう。……なあ、変なこと聞くけどよ。おまえ、変な催眠術とかにかけられたりしてねえよな?」

「誰かに操られてこんなことをしたんじゃないかってことですよね? ……心当たりはありませんね。僕、まず外に出ないですし」

「変なアプリとか動画を見たら操られた……とかは?」

「そんな漫画や小説じゃあるまいし。まず、僕はそんな怪しいアプリや動画は開きもしませんよ。僕が夢遊病者って線もありえないことはないと思いますが……今までのことも加味すると……もしかしたら、僕にはどうにもできない類のモ《・》の仕業かもしれませんね」


 何かに気づいたかのように難しい顔で考え込んでいる佐久間。


「つまり、どういうことだ?」

「全て……霊の仕業かもしれないということです」

「霊……幽霊?」


 目を丸くする白金に、真顔で頷く佐久間。


「はい。信じられないかもしれませんが、未解決事件の犯人が幽霊だったっていう事例は本当にあるんですよ。公にされてないだけで」

「……なら、俺は神社にいけばいいのか?」

「いえ……まずは僕の知り合いに会いに行きましょう。こういう事象を得意としている知り合いがいるので」


 一気に胡散臭い話になったが、佐久間が言うならと白金は黙って頷いた。

 とりあえず、その知り合いとやらに会ってみよう。危ないやつならその時はそれ相応の対応をすればいいだけの話だ。



 ◆



 数日後、佐久間と白金は名門女子大の門の前に立っていた。

 成人済みの男二人には縁もゆかりも無い場所だ。当たり前だが、女子大生達からじろじろと意味深な視線を向けられる。

 佐久間はすっかり怯えて、白金の背中に隠れてしまっていた。


 白金も居心地が悪くて仕方ないのだが、ココが待ち合わせ場所なので移動したくても移動できない。

 いっそのこと女子大生達を睨みつけて追い払おうかとも思ったが、それで不審者だと通報されたら最悪だ。


 待ち合わせ場所はきちんと考えるべきだったと後悔する。なぜだか先程から周りにいる女子大生達がにじりよってきている気がするのだ。

 ――――後十分して出てこなかったら移動しよう。

 そう思った時、白金の前に日本人形が現れた。いや、人間だ。


 黒髪ロングのストレートに前髪ぱっつん。色白で無表情なのもあいまって人間味が薄い美女だった。

 

「白金さんですか?」

「あ、ああ。そうだが……君は」

「お久しぶりです。黒井くろいさん」

「佐久間さん……そんなところにいたんですか」


 白金の背中からひょっこり顔を覗かせる佐久間。

 白金は『おや?』と思った。佐久間は普段仕事では別の名前を使っている。

 でも、目の前の美女は佐久間のことを『佐久間』と呼んだ。

 ――――いったいどういう仲なのか。

 つい、いらぬ好奇心が顔をのぞかせた。一歩横にずれて、二人の会話を邪魔しないようにと聞き役に徹する。

 そうしている間に話はまとまったらしい。


「とりあえず場所を移しましょう」


 黒井の提案に二つ返事で答えた結果、まさかのラブホに移動することになった。

 男二人が面食らっている中、黒井は堂々としている。


「別にはないから安心してください。よく言うでしょう? エロい話をしてたら幽霊は逃げるって。あの応用編ですよ」


 そう言って佐久間に話しかける黒井。

 佐久間はギクリと身体を揺らした後、「な、なるほど」と頷いていた。

 背中に変な汗をかいていたのは見なかったことにしてやろう、と白金は視線を逸らす。

 黒井と目が合った。吸い込まれそうな瞳だな……と思っていると黒井が口を開いた。


「で? 私はを祓えばばいいんですか?」


 一瞬何を言われたかわからずに目を瞬かせる。

 代わりに佐久間が答えた。


「ってことはやっぱり憑いてるんですか?」

「ええ」


 平然とした顔で頷かれ、白金は固まる。


「本当に?」

「はい。男の人が憑いています。白金さんに向かって『どんな手を使ってでもおまえを殺して地獄に連れて行ってやる』って言ってますね」


 白金の眉間の皺が増える。対人間ならともかく、霊を相手に戦う方法を白金は知らない。


「黒井さんはソイツを祓うことはできるのか?」

「今できるのは……一時的に祓うことくらいですね。でも、白金さんに恨みを持っているようなのでまた戻ってくると思いますけど」

「除霊っていうのはできないのか?」

「できないことはないですけど……除霊するには二パターンあって、ひとつは霊の心残りを解決して成仏させる方法。この方法だと白金さんが死なない限り無理だと思います。もう一つは力技なんですが……ソレをするとしばらくの間私が除霊の反動で眠りにつくんです」

「しばらくってどのくらいだ?」

「さあ、その時のコンディションや相手にもよるので……数日で済めばいい方ですね。過去には長くて半年くらい寝たままになったこともありましたから」

「それは……さすがに気軽に頼めねえな。とりあえず今祓ってもらえるか?」

「いいですよ。今から私が何をしても動かないでくださいね」

「ああ。わかった」


 それでは、と言って黒井はいきなり白金の顔面に向かって手のひらを突き出した。

 事前に忠告されていなかったら反撃していたかもしれない。


 ドン!と触れていないはずなのに身体が揺れた気がした。身体の中から何かがはじき出されたような感覚だ。

 初めての感覚に驚いていると、目の前で黒井が何も無いはずの空間に鋭い蹴りを入れた。次いで、右ストレートとフックが続く。

 一瞬悲鳴のような音が聞こえた……気がした。


 黒井は遠くを見つめて一言


「終わりました」


 と言った。


 想像していたやり方とは全く違うやり方に白金は唖然とする。

 あの不思議な感覚がなければ疑っていたことだろう。

 とにもかくにも白金は黒井に向かって感謝を述べたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る