居場所

 黒いマントをまとったカーロフは、カーマの都を静かに去っていった。

 暗闇の中、森の中を何の苦もなく進んでいく。大きな荷を担ぎ、木々の生い茂る中を風のような速さで走っていった。

 やがて夜が明け、朝がやってくる頃……彼は目指す場所へとたどり着く。




 目の前には、高い木の柵で囲まれた村があった。外からは中の様子がよく見えないが、子供たちのものらしき笑い声が聞こえてくる。さらに、時おり牛や鶏の鳴くような音も聞こえていた。

 村の入口には、ひとりの亜人が立っていた。背は高からず低からず、革のベストを着て半ズボンを穿いている。顔は犬そのもので、ベストから覗く地肌にも毛が生えている。手には槍を持ち、腰からは剣をぶら下げ、油断なく周囲を見回していた。

 彼は、コボルト族のバロンである。カーロフを見るなり、嬉しそうに頭を下げた。


「お帰りなさい」


 流暢な言葉だ。さらにバロンは、村の方を向き叫んだ。


「カーロフが帰って来たぞ!」


 その声を聞き、集まってきたのは子供たちだ。


「あ、カーロフだ!」


「お帰り!」


「町はどうだった!」


 口々に言いながら、カーロフの周りを取り囲む。彼の恐ろしい顔にも、怯む気配がない。

 しかも、子供たちの種族はバラバラだ。人間、エルフ、ドワーフなどなど……しかもゴブリンやコボルトといった、人間やエルフらとは敵対しているはずの種族も混じっているのだ。


「こらこら、みんな。カーロフが通れないでしょ」


 子供たちをかき分けて現れたのは、エルフの女だ。人間の年齢で言うなら、十代の半ばといったところだろうか。革のシャツとズボンを身に付けており、腰には手斧をぶら下げている。エルフ特有の美しい顔立ちではあるが、他のエルフと違い親しみやすい雰囲気も醸し出していた。


「カーロフ、お帰りなさい」


 女は、そう言ってにっこり微笑む。エルフ族にありがちな傲慢さは、微塵も感じられない。

 このエルフ、名をマーベルという。幼い頃に両親とはぐれたが、チャックという人間の男に拾われる。その後、コボルトのバロンと共に、家族のようにして育てられたのだ。

 やがて成長した彼らは、協力し村を作った。行き場のない子供たちを引き取り、面倒を見ている。チャック村では、種族による差別は存在しない。どんな種族の者であろうと、この村では公平に扱うことになっている。

 カーロフもまた、この村の住人なのだ。彼がこの村に来たのは、十年近く前だった。生き残ったものの、居場所を失い森の中をあてもなく歩いていた時、狼の群れに襲われていたジョウという青年と出会う。

 狼を追い払ったカーロフは、ジョウによってチャック村に案内された。そこで皆から、村の用心棒になってくれるよう頼まれる。

 人外部隊という居場所を失ったカーロフに、断る理由はなかった。




 村の中央広場にて、カーロフは背負っていた袋を降ろした。中から、いろいろな物を取り出す。町で買ってきた物だ。

 彼の周りには、様々な種族の子供たちが集まってきていた。


「ザフィーって、凄い魔女だったんでしょ?」


 話しかけてきたのは、人間の少女だ。


「はい、本当に凄い人ですよ。最強のドラゴンと戦い、打ち破ったのです。誰よりも強く、誰よりも優しい人でした」


「へええ! あたしも大きくなったら、ザフィーみたいな魔女になれるかな!?」


 目を輝かせて尋ねる少女に、カーロフは真面目な顔で答える。


「さあ、どうでしょうね。簡単ではありませんよ」


「じゃあ、なれないの?」


 表情を曇らせる少女に、カーロフは穏やかな口調で自分の考えを述べる。


「何とも言えません。なれるかなれないかは、やってみないとわからないことです。ただ、ひとつ確かなことがあります。なれないと思い努力しなければ、絶対にザフィーさんのようにはなれません。ですから、まずは努力してみてください。ザフィーさんのようになれなくとも、その経験は必ずプラスになるはずです」


「わかった! あたし、頑張る!」


 元気に答える少女は、かつてのイバンカにどことなく似ている。カーロフは、くすりと笑った。


「前に言ってたミッシング・リンクって奴はさ、カーロフより強かったの?」


 次に話しかけてきたのは、ゴブリンの少年だ。


「ええ、私より強かったです」


「どのくらい強いの?」


「そうですね、ドラゴンくらい強かったと思います」


「へえ! すげえな!」


 少年の素直な反応に、カーロフは微笑みながら頭を撫でる。


「はい、本当に強かったですよ」


 答えるカーロフの脳裏には、あの日の記憶が映像として甦っていた。

 同時に、浮かび上がるのは未だ解けぬ謎──


 あの男の目的は、いったい何だったのだろう?


 ・・・


 カーロフは、理解の出来ない現象に襲われていた。




 この戦いは、彼にとって最後のものとなるはずだった。最強の敵であるミッシング・リンク……この男には、何をしようが勝ち目はない。だからこそ、己の命を捨て奈落の底に突き落とす……はずだった。

 ほんの少し前まで、確かにふたりは落ちていた。奈落の底めがけ、真っ逆さまに──


 しかし今、ふたりは宙を漂っている。それどころか、ゆっくりと上昇しているのだ。


 なんだこれは?


 混乱するカーロフをよそに、リンクの体はさらに上昇していく。彼にがっちり組み付いたカーロフもまた、一緒に上昇していった。予想外の出来事に混乱しながらも、どうにか頭を働かせ状況を把握しようと試みる。もっとも、こんな怪現象か起こる理由など、ひとつしか思い当たらない。


 これは魔法だ──


 そう、こんなことが出来るのは魔法……それ以外には考えられないのだ。

 やがてリンクは、橋へと到着した。着地すると、カーロフの腕を簡単に振りほどく。

 そのまま、奥へと歩いていった。


「ま、待て」


 慌てて追いかけるカーロフに、リンクは足を止めずに答える。


「もう大丈夫だ。イバンカは帰ったと思う。これで、ふたつの世界は救われるはずだ」


 言いながら、さらに進んでいく。カーロフは、困惑しつつも後を追った。

 やがて両者は、奇妙な場所へとたどり着いた。金属の壁に覆われているが、一部にはガラスのような板が貼り付けられていた。ガラスの表面には、見たこともない文字が浮き出ている。

 床は、金属でも石でもない物のようだ。白い床板が、一面に敷き詰められている。だが、一ヶ所だけ色の違う部分があった。当然、ふたり以外に人の姿はない。

 そんな異様な部屋で、リンクはゆっくりとした動作で周囲を見回した。

 と、両目から涙がこぼれる。


「本当に帰ったのだな。よかった……本当によかった」


 言った直後、その体が崩れ落ちた──


「大丈夫ですか?」


 カーロフは、慌てて駆け寄る。ついさっきまで、敵として戦っていたことも忘れ、リンクを抱き起こした。

 すると、リンクは弱々しく笑った。


「すまないが、俺を奈落の底に落としてくれ」


「はい? どういうことです?」


 聞き返すと、リンクは静かな口調で答える。


「俺の命は、もうすぐ尽きる。残った体を、悪用されても困るのでな。だから、早く落としてくれ」


 カーロフは、さらに混乱した。何を言っているのか、さっぱりわからない。


「あ、あなたはいったい何者なのです? 何がしたかったのです?」


「この体は、お前のデータを元に造られた。しばらく機能を停止させられていたが、俺が再起動させたのだ」


 リンクの口から出た言葉は、何ひとつ理解できないものだった。呆然となっているカーロフに、リンクは言葉を続けた。


「今のお前には、わからないだろう。詳しく説明したいが、その時間はないらしい」


 言った直後、リンクの動きが完全に止まる。ピクリとも動かなくなった。先ほど彼が言った通り、命が尽きてしまったのだろうか。


「どういうことです! 説明してください!」


 必死で叫ぶカーロフだったが、リンクは答えない。体を揺すってみたが、動く気配はなかった。どうやら、本当に寿命が尽きてしまったらしい。

 カーロフは、動かなくなったリンクの体をじっと見つめる。やがて意を決し、その巨体を担ぎ上げた。

 橋まで運んでいき、暗い奈落を見下ろす。

 少しの間を置き、リンクの体を落とした──






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