四面楚歌

 マルサムの部屋を出たザフィーは、洞窟内を歩いて行く。

 ここには、藁にもすがる思いで来た。あの男なら、何とかしてくれるのではないかという期待があった。

 しかし、その思いは無残にも打ち砕かれてしまった。こうなると、もう誰にも頼ることは出来ない。自分たちだけで、最後まで戦い抜かねばならないのだ。

 悲壮な決意を固め、彼女は洞窟を出る。馬車に向かい、歩き出した時だった。


「待ってください!」


 後ろからの声に、ザフィーは振り向いた。

 岩山から、降りてくる者がいた。洞窟内で声をかけてきた若い女である。背中に大きな袋を背負い、こちらに走ってきた。

 ザフィーのそばに立ち、ペこりと頭を下げる。


「あなたの噂はかねてから聞いておりました。世界でも、最高の魔術師だと……心より尊敬しています」


 そう言うと、背負っている革袋を下ろした。


「あなたの願いを叶える力は、私にはありません。また、マルサムさまに逆らうことも出来ません。しかし、私に出来ることをさせて欲しいのです。まずは、これを受け取ってください。日持ちしますから、皆さんで食べてください」


 言いながら、女は大きな革袋を差し出した。中には、干した果物や塩漬け肉などが入っている。かなりの量だ。

 ザフィーは思わず微笑んだ。こんな状況でも、情けをかけてくれる人がいる。その事実が心に染みた。


「ありがと」


「あと、ひとつ聞いていただきたいことがあります。この先、ほとんどの道が軍隊により通行止めになっています」


 途端に、ザフィーの表情が変わる。


「どういうことだい? まさか、戦争が始まったとか言わないよね?」


 そう、この近辺は三つの国の国境が重なり合う場所だ。時には、国境線を巡って小競り合いが起きることもある。今のところは休戦協定が結ばれているが、いつ破られても不思議でない状況なのだ。

 そんな場所ゆえ、マルサムは隠れ家として選んだのだ。三すくみの状態だからこそ、奴隷が逃げこんでも足を踏み入れることは出来ないのだ。

 すると、女は首を横に振った。


「違うんです。いくつもの国の兵士たちが集結し、あちこちで情報交換しているらしいのです。どうやら、あなた方を探しているのではないかと……」


「なんだい、そりゃあ」


 冗談めいた口調で答えたが、実のところ最悪の状況である。完全に、四面楚歌となってしまった。しかも、相手は複数の国なのだ。仲の悪い国同士でも、イバンカを捕らえるという一点では利害が一致しているらしい。

 複数の国に、影響を及ぼせるような存在といえば……ザフィーの頭に、ある者たちが浮かぶ。だが、なぜそんなことをするのかわからない。天空人と地上人との間に戦争をさせ、彼らが得をするとは思えない。


「この先、道は全て軍隊により塞がれています。バルラト山に行くなら、ジグマの谷の獣道を通るしかないですね。陰ながら、ご武運を祈っています」


 そう言うと、女は頭を下げ足早に戻っていった。  




「みんな、すまないね。協力を断られたよ。余計な時間を食っちまったけど、情報は仕入れられた」


 馬車に戻ったザフィーは、皆に頭を下げる。それに対し、ブリンケンは口元を歪めた。


「まあ、仕方ないさ。そんなこともあるよ。ところで、その情報ってのは何だ?」


「まともに舗装されている道は、ほとんど軍隊が通行止めにしているらしいよ」


 そこで、ザフィーは言葉を切り溜息を吐く。


「マルサムだったら、誰にも知られていないようなルートを使えるんだけどね……断られちまったよ。骨折り損のくたびれ儲けだった。仕方ないねえ。こうなったら、ジグマの谷を進むしかない」


 その途端、ブリンケンが顔をしかめる。


「おい、ちょっと待てよ。そこには、何とかいうドラゴンがいるんじゃないのか?」


「ああ、いるよ。でもね、そいつはアギレ山の頂上付近にいる。谷を歩いて通るくらいなら、出てきやしないはずさ」


「そうか、そいつは助かる」


「ただし、谷に馬車は入れない。あの辺は、道が悪すぎるからね。だから、そこから先は歩いていかなきゃならないんだ。イバンカには、きつい旅になるよ」


「仕方ないな。こうなれば、行くしかないだろ。イバンカ、歩けるな?」


 ジョニーに聞かれたイバンカは、不安そうな顔をしながらも頷いた。


「わかったのだ。頑張って歩くのだ」


「それにしても、今回はひどいねえ。あたしの選択が、ことごとく裏目に出てる」


 吐き捨てるような口調で言ったザフィー。すると、それまで黙って下を向いていたカーロフが顔をあげる。

 

「何を言っているのです。これは、あなたのせいではありません。むしろ、あなたの指揮があればこそ、我々はここまで辿りつけたのです。他の者が指揮官なら、とっくに全滅していますよ」


「そうだよ。俺は、あんたらに感謝している。あんたらでなかったら、ここまで来られなかったよ」


 ブリンケンも、横から口を挟んだ。すると、ザフィーは苦笑した。


「そう言ってくれるのはありがたいよ。けどね、こんなのは初めてさ。まさか、ここまでのことになるとはね。あたしゃ、自分の指揮官の能力に疑問を感じているよ」


「おい隊長、何を言ってんだよ」


 ジョニーの口調は乱暴だが、彼女を心配していることは伝わってくる。ザフィーは苦笑しつつ頷いた。


「大丈夫。今さら投げ出したりなんかしないから。こうなりゃ、世界が相手だろうが関係ない。やってやるよ。あたしを敵に回したことを、必ず後悔させてやる」


 低い声で言った時だった。不意に、イバンカが口を開く。


「イバンカは、頑張って歩くのだ。歩いて歩いて、歩き抜くのだ。へこたれたりなんかしないのだ。そして、絶対にうちに帰るのだ」


「そうだ、その意気だぞ」


 ジョニーが頭を撫でる。皆も微笑みながら、イバンカに優しい目を向ける。

 だが、その後に少女が放った言葉は、全員の心を打つものだった。


「帰ったら、いっぱい、いっぱい勉強するのだ。そして、とっても偉くなるのだ。偉くなって、みんなが仲良く暮らせる世界を作るのだ。天空の人も、地上の人も、みんなが一緒に楽しくニコニコ笑っていられる世界を作るのだ」


 真剣そのものの表情だった。全員、何も言えず少女の言葉に聴き入っていた。

 そんな中、イバンカは語り続ける


「そしたら、ザフィーも、カーロフも、ジョニーも、うちに招待するのだ。美味しいお菓子を、いっぱいお出しするのだ。あと……」


 直後、イバンカの目から涙が溢れる──


「マルクや……ミレーナにも……お菓子をいっぱい食べさせてあげたかったのだ」


 鼻をすすりながら、どうにか言い終えた。その時、ザフィーがそっとにじり寄っていく。イバンカを抱き寄せた。


「大丈夫だよ。あいつらの死は、絶対に無駄にしない。必ず、イバンカをうちに帰してあげるよ。そうしたら、いっぱいご馳走してもらうからね」 


 ・・・


 ジグマの谷から、二日ほどかけて歩くとアギレ山に到着する。もっとも、この山に足を踏み入れる者はいないだろう。巨大な山には植物がほとんど生えておらず、山頂からは時おり煙が上がっている。

 頂上には巨大な穴が空いているが、中を覗こうなどという者はいない。この山には、強大な力を持つドラゴンが棲んでいる。数千年前より、この山を支配しているのだ。

 かつて、大勢の勇者たちが名声を夢見てドラゴンに挑んだ。しかし、ことごとく敗れ去った。今では、アギレ山は不可侵領域となっている。人間はもちろんのこと、鳥ですらこの山を避けて通るほどだ。

 そんな場所に、人影があった。人影は、恐れる様子もなく山頂へと登っていく。

 やがて、山頂の穴から下に降りていった。




「久しぶりだな、ふるき友よ」


(オマエガ ミズカラ ココニクルトハ メズラシイ ナニヨウダ?)


「明日か明後日、この下の谷を数人の人間が通る。そやつらを、皆殺しにして欲しい。頼めるか?」


(ソンナコトカ オヤスイゴヨウダ)







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