獣王の幸せ

 マルクは走っていた。

 両腕でイバンカを抱き抱え、全速力で突き進む。自分ひとりなら、ゴブリンが何匹こようが返り討ちにする自信はあった。しかし、今は幼い少女を守るのが先である。仲間の元に、帰らねばならない。

 いくらも進まぬうちに、マルクは立ち止まった。完全に囲まれていることを悟る。今になって、ようやく鼻が利いてきた。ゴブリンたちが、匂いを消す細工をしたらしい。

 いや、そんなことはどうでもいい。前後左右、全ての位置にゴブリンがいる。連中との距離はまだ開いているが、すぐに接近してくるだろつ。イバンカを抱き抱えたままては戦えない。

 マルクは、周りを見回す。その時、すぐそばに生えている大木に、大きな穴が空いているのを見つけた。イバンカが、すっぽり入れるくらいのサイズである。

 気づいた瞬間、すぐに動いていた。少女を木のうろに放り込む。


「絶対、ここから出るな」


 言った直後、マルクは上を向いた。


「アオオオーン!」


 仲間を呼ぶための遠吠えだ。これで、仲間たちは危機を察知してくれるはず。

 すると、ゴブリンたちも動く。姿を現し、一気に間合いを詰めてきた。その数は……マルクには数え切れない。わかるのは、両手と両足の指を全て足したよりも多いということだけだ。

 直後、ゴブリンたちが一斉に突進する──

 マルクは、立ち止まったまま迎え撃った。両腕をぶんぶん振るい、襲いかかるゴブリンを叩き潰していく。手斧の攻撃を避け切れず傷を負ったが、無視して戦い続ける。その場から離れることなく、上体の動きだけで攻撃し、同時に防御する。その姿は、まさに獣の王そのものだ。

 戦うマルクの脳裏には、なぜか幼い頃の記憶が浮かんでいた──


 ・・・


(この化け物があ!)


(うちの子供に近づくんじゃねえ!)


 数人の大人たちが、口々に怒鳴りながら蹴とばしてくる。幼いマルクには、なす術がなかった。うずくまり、襲い来る暴力の嵐に耐え続ける。

 やがて彼らは暴力に飽きたらしく、唾を吐きかけて引き上げて行った。全身を走る激痛に耐え、這うようにして森に帰っていく

 暗い洞窟の中で、自分の行動を振り返る。


 何がいけなかった?


 悪いことは、何もしていない。しようとも思っていなかった。ただ、森の中で自分と同じくらいの大きさの子供を見つけた。親しみを感じ、仲良くしようと近づいて行った……それだけだ。

 なのに、大人たちが叫びながら襲いかかってきた。そして、一方的に殴られ蹴られた。

 この世界には、自分の味方はいないのだ──


 ・・・


 誰もが、マルクを化け物と呼んだ。

 だが、この子だけは違っていた。マルクを、化け物と呼ばなかった。

 それどころか、マルクをカッコイイと言ってくれたのだ。


獣王じゅうおうライガンなのだ! カッコイイのだ!)


 初めて会った時、イバンカは目を輝かせて、そう言ってくれた。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。

 だから、この子を守る。

 たとえ、己の命に換えてでも──




 マルクは低く唸り、周りを見回す。ゴブリンの群れは、まだ相当残っている。離れた位置で、彼とイバンカの隠れている大木を取り囲んでいる。

 うっとうしい奴らだ。マルクは、足元に転がっていたゴブリンの死体を片手で持ち上げ、ブンブン放り投げていった。だが、簡単に避けられてしまう。

 相手はゴブリンだ。通常ならば、何匹こようが怖くはない。こちらから飛び込んで行き、この力強い両手で皆殺しにすればいい。

 しかし、今やるべきことは、ゴブリンの全滅ではない。イバンカを守ることだ。

 いずれ、仲間たちが来てくれる。それまでは、ここを離れない。

 自分ひとりで守り抜くのだ。


 その時、ゴブリンたちは武器を持ち替えた。手斧をしまい、長い筒を構える。

 マルクは唸り、敵を睨む。あれは吹き矢だ。大した威力はない。それでも、こちらに接近することなく攻撃できる。

 続けざまに矢が放たれた。マルクは両手を振り回し、払い落とす。しかし、ゴブリンは攻撃を止めない。新たな矢を取り出す。彼らは、マルクが動けないことを理解している。遠くから仕留めればいいだけなのだ。

 四方から、矢が飛んでくる。マルクは、またしても腕を振り回し矢を叩き落とした。だが、数本が命中してしまう。

 もっとも、マルクの体は頑丈だ。皮膚も人間より硬い。吹き矢ごときでは、致命傷になどならない。刺さった矢を引き抜き放り投げる。何のダメージもない。

 それでも、ゴブリンは諦めなかった。なおも、吹き矢による攻撃を続ける。

 マルクは、簡単に叩き落としていく。腕をかいくぐり刺さった矢はあるが、彼の強靭な筋肉を突き破るまでには至らない。何の問題もない、はずだった。

 だが突然、マルクの片足に力が入らなくなる。ガクッと片膝を着いた。同時に、目の前の映像がぐるぐる回り始める。

 何が起きたのか、正確なところを理解できていない。

 それでも、わかることはある。自分が倒れたら、イバンカが死ぬ。この場所を離れても、イバンカは死ぬ。

 ならば、何がなんでも立ち続けるのだ。


(獣王マルクは、なんのために戦う?)


 馬車の中での、イバンカからの問い……今、なんのために戦うか? 

 それは決まっている。


「イバンカを……守るため……」


 うわごとのように呟きながら、霞む目で周りを見回す。同時に、己の太ももを思い切り叩いた。瞬間的に力が入り、再び立ち上がる。

 仲間たちは、必ず来てくれる。それまでは、何があろうと戦い続ける──


 ゴブリンたちは、想定外の事態に顔を見合わせる。マルクに打ち込んだ毒矢は、かなりの数である。獰猛なグリフォンですら、行動不能に出来るほどの量だ。

 にもかかわらず、倒れることなく立ち続けている。戦意を失うことなく、両腕をぶらりと下げた体勢でゴブリンたちを睨みつけているのだ。

 この異様な状況に耐えられなくなったのか、一匹のゴブリンが吠えた。手斧を振り上げ、突進していく。

 途端に、マルクは動いた。右手が、稲妻のような速さで動く。ゴブリンの顔面を、一撃で叩き潰した──

 他のゴブリンたちは、完全に混乱していた。目の前にいる敵は、既に死んでいてもおかしくない。少なくとも、意識はなくなっているはずだ。

 なのに、まだ立っている。しかも、反撃までしてくるのだ。

 ゴブリンたちの心に、恐怖が入り込んでいく。予想外の存在に対する恐怖が、彼らの心を支配しようとしていた。

 その時──


「貴様らあぁ!」


 咆哮と共に、飛び込んで来た者がいる。ジョニーだ。凄まじい形相で、手近なゴブリンの顔面に拳を放つ。

 その一撃で、ゴブリンの顔面は砕けた。悲鳴をあげる間もなく倒れる。

 ジョニーは、すぐさま次の行動に移る。強烈な回し蹴りを放ち、また別のゴブリンを倒す。さらに、ミレーナも駆けつけてきた。さらに、カーロフやブリンケンらも参戦してくる。

 ゴブリンの群れは、あっという間に総崩れとなる。もはや、戦える状態ではない。訓練用の人形のように、次々と倒されていく──

 彼らの闘いぶりを見て、マルクはようやく安堵した。仲間たちは強い。もう安心だ。

 その瞬間、全身から力が抜けていく。マルクは、ばたりと倒れた。

 直後、視界を暗闇が覆う──




「マルグ……じんではいげないのだ……」


 どのくらいの時間が経ったのだろう。

 何やら、騒々しい声が聞こえる。同時に、異様な感触を覚えた。体に、液体がかかっているような感触だ。

 マルクが目を開けると、イバンカがいた。自分の胸に顔をうずめ、泣きじゃくっている。どこにも傷はないらしい。

 本当によかった。友達になれた幼い少女を、無傷で守りきることが出来たのだから。

 その時、体に誰かの手か触れる。 


「おいマルク! しっかりしろ!」


 ジョニーだ。自分の体を掴み、乱暴に揺さぶっている。刺青いれずみの入った厳つい顔は、涙と鼻水とでぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 そうだ。この男には、言わなくてはならないことがある。


「俺、ビビってなかったから……」

 

「バカ野郎! んなことわかってるよ! わかってるから、さっさと立て! 任務は、まだ終わってねえんだぞ!」 


 泣きながら怒鳴り散らすジョニーに、マルクはにっこり微笑む。


 自分は、もうじき死ぬ。

 マルクには、その事実がはっきりとわかっていた。理屈ではなく、獣の勘がそう告げている。

 なのに、恐怖はない。それどころか、とても幸せな気分だった。

 幼い頃から、ひとりぼっちで生きてきた。人間に会えば、化け物と呼ばれ忌み嫌われた。ゴブリンやオークといった亜人たちからも、その強すぎる腕力ゆえ避けられていたのだ。

 でも、今は違う。

 自分の周りには、涙を流してくれる友がいる。

 マルクは、ようやく悟った。己が幸福だったし、今も幸福であることを──


「みんな、ありがと……」





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