君はもう僕の日常の一部な件(下)

◆ 水無瀬紗弥 ◆


 駅に着くなり私は天海くん家までの道をダッシュした。通話越しに聞こえたインターホンの音、嫌な想像が頭をよぎる。

 家に着くと私は切らした息を整えることもせずドアを開けた。見慣れた玄関に見慣れない革靴が一足。

 嫌な予感がし、私は急いで靴を脱ぎリビングのドアを開けた。するとそこに広がっていたのは、


「お父さん!!」


 テーブルに向かい合う形で座っている天海くんとお父さん、という考えうる中で一番最悪な光景だった。


「紗弥、来たのか……」

「ねぇ、何してるの! まさか天海くんに迷惑かけたりしてないよね!」


 そう言い迫る私を、

 

「紗弥は黙っていなさい。今、大切な大人の話をしているんだ」


 と、蚊帳の外に追いやるお父さん。


「大人の話って……私の話でしょ!」

「はぁ……お前はまだ子どもだ。このことは私に任せて家に戻りなさい」


 子ども、子どもって……お父さんはいつもそうだ。私をいつまでも子ども扱いして――


「私もう高二だよ。子どもじゃない! 自分のことぐらい自分で決める!」

「まだ高校生だ! 我が儘はいい加減にしなさい! はぁ……君からもなんとか言ってやってくれ」

「ちょっと、天海くんに迷惑かけないでって言って――」

「そうですね――」


 私が来てからまだ一言も発していなかった天海くんが話し始めたことで私の全身に緊張が走る。


「――確かに高校生はまだまだ縛りも多いし1人で生きていくこともできない子どもです」


 天海くんの言っていることは全てその通り。だけど……


 ――天海くんもそっち側なんだ……。


 私は頭の中が一瞬で真っ白になり、全身の力が抜けその場に膝を突いて頽れた。

 この一ヶ月、最初こそあれだったけどなんやかんや楽しい時間を過ごせていたし、天海くんもきっと同じ気持ちでいてくれている。そう思っていた……けど、天海くんは違うかったのかな……。

 気がつけば私は床に落ちる自分の涙を眺めていた。


「そういうことだ。ほら、わかったら紗弥は帰りなさい」


 そんなこと言われても体に力が入らないから立ち上がることもできない。視界はボヤケ、ずっと耳鳴りがしている。

 勝敗は決したと言わんばかりの空気の中、


「――けど!」


 天海くんの力強い声がその空気に待ったをかける。

 

「けど、僕のこの一ヶ月紗弥さんにたくさん助けられました」

「…………」

「ご存じですか? 夕方のスーパーって戦場なんですよ」

「は? 君は何を言って――」

「買い物袋は重いし、学校終わってからだと夕食が出来上がるのも時間ギリギリだし。他にも洗濯とか掃除とか――きっと僕一人だと今頃家はゴミ屋敷、ご飯は毎日コンビニ弁当で不摂生な生活をしていたことでしょう。だから――」


 そういうと天海くんは椅子から立ち上がり、お父さんのすぐ傍まで回り込むと両膝を突き、頭を下げた。


「確かに僕たちはまだ高校生で……何もできない子どもです――でもどうか紗弥さんがうちで働くことを許していただけませんか。もちろんむりはさせません。学業にも支障が出ないよう僕もできる限り家事を手伝います。お願いします――」


 天海くんが私のためにここまでしてくれている。

 気がつけば私も天海くんの隣に膝を突き、お父さんに頭を下げていた。


「お父さんお願い。私まだこの仕事続けたい!」

「………………はぁ……」


 お父さんは少し考える素振りをし、何か重いものを吐き出すようにため息をついた。


「子どもに土下座までさせてこれ以上ダメだなんて言えないでしょ……」

「えっ……ってことは――」

「紗弥がここで働くことを認めよう」

「お父さん……ありがとう」

「ただし、週に1度はお母さんに連絡すること。いいね?」

「うん……うん、わかった!」


 ああダメ、ニヤニヤが止まらない。頬っぺたをグリグリして表情筋を戻そうと試みるがこの喜びは物理ではなかなか太刀打ちできない。


「あの、水無瀬さんのお父さん……ありがとうございます」

源清げんせいという」

「えっ?」

「私の名前は水無瀬源清という。『水無瀬さんのお父さん』だと呼びづらいだろう。これからは源清と呼ぶといい、私も浩介くんと呼ぶ」

「源清さん……ありがとうございます」


 どうやらあちらも無事、話が終わったようで一安心だ。


「それと浩介くん――」


 お父さんはちょいちょい、と手招きすると天海くんに耳を貸せとジェスチャーする。


「私は紗弥がここで働くすることは許可したが君たちが交際することやいかがわしいことをすることは認めてないからそこを勘違いしてくれるなよ」

「ちょいちょいちょいちょい! お父さん!!」


 いきなり何を言い出すかと思えばとんでもないことを言い出したよ!

 私はせめてもの抵抗でお父さんを力いっぱい押すが、無駄にデカいせいでビクともしない。


「それとここだけの話だが、どうやら紗弥には彼氏――もしくは好きな人がいるらしいからな」

「なっ――!」


 なに言ってんのよぉぉぉぉ!!!

 もちろん、私は家族に天海くんと付き合っていたことを話したことはない。むしろ恥ずかしくて必死に隠していたぐらいなのにどうして……。


「紗弥のやつ、クリスマス間近なんてやたらスマホ気にしてるな、と思ってたら当日露骨に落ち込んだ顔でチキンを食べてるし。バレンタインの前日はずっとチョコづくりでキッチンを占領してるし。まあ、とにかくそういうことだ」


 あ、穴があったら入りたい……。

 私はソファーに飛び込むとクッションに顔を埋め、泣いたり喜んだり疲れていたのだろう。そのまま眠ってしまった。






 ◆ 天海浩介 ◆


 水無瀬さんが寝てしまったため、一人で源清さんを見送るとずっと緊張しっぱなしだったせいかどっと疲れがやってきた。

 L字ソファーの長い辺で寝ている水無瀬さんを起こさないようにゆっくりと短い辺に腰を下し、背もたれに全体重を預ける。柔らかなソファーが僕を包み込むように沈み心地いい。

 しばらくソファーで溶けているとクッションに顔を埋め寝ていた水無瀬さんがゆっくりと起き上がり始めた。


「……んんー…………あれ……お父さんは?」

「もう帰ったよ」


 まだ寝ぼけているのか、ソファーにちょこんと座ったまま辺りをキョロキョロする水無瀬さん。けれど徐々に意識が覚醒してきたようで何かを思い出したような素振りをするとチラチラこちらを覗ってくる。


「あの、さ――ありがとね。お父さんのこと説得してくれて」

「別に半分は自分のためにやったことだし……お礼なんていいよ」

「それでも……ありがと。まさか天海くんがあんなことまでしてくれるなんて思わなかったよ」

「う、うーん……」


 水無瀬さんはまるで英雄譚のように言うが僕としては土下座なんてみっともない姿、一刻も早く忘れてもらいたいんだけど……。


「それとね……」


 水無瀬さんはまだ話があるようでまたチラチラ上目遣いでこちらを見てくる。

 くっ……可愛い。


「どうしたの?」

「メイドの契約の件なんだけど……」


 ああ、そういうこと。


「あれだけ源清さんの前で啖呵を切っといて数日で契約満了です、とは言えないでしょ。無論引き続きよろしく頼むよ」


 その言葉を聞いて安心したのか水無瀬さんの表情が次第にパァ―っと明るくなっていく。


「うん! これからもよろしくね。天海くん!」


 水無瀬さんの話が終わったようなので次は僕からも質問させてもらう。


「僕からもいいかな?」

「ん? どうしたの?」


 それは源清さんが帰る前に言っていたこと――


「――もしかして水無瀬さん。去年のクリスマス、デートに誘われるのを待ってた……とか?」


 言っていて恥ずかしくなった。もしこれで違うなんて言われたら僕はなんて自意識過剰なやつなんだ、と思われるだろう。けどもしそうだったのなら僕は自分を自戒しなければならない。そう、クリスマスに彼女をデートに誘うことすらできなかった臆病者の僕を。


「あー……まぁ、言っちゃえばそうなんだけど……」


 やっぱりそうか。クリスマスあの日、僕がデートに誘うのを断念したことで水無瀬さんを悲しませた。この問題はもう僕が情けなかったというだけの問題ではなくなったわけだ。


「ごめん……」

「ああ違うの。それはずっと誘われ待ちだった私も悪いんだけど……その……私も謝らないといけないことがあって……。バレンタインのことなんだけど……」


 そういえばそんな話もしていたな。完全にクリスマスのことで頭いっぱいで忘れていた。

 たしか前日にチョコづくりでキッチンを占領していたとかなんとか――ってあれ?

 言われてみれば違和感があった。たしか僕が水無瀬さんにもらったチョコって――


「ごめん! 最初は頑張って手作りにしようと思ったんだけど失敗しちゃって……とりあえず渡さなきゃって市販のチョコを急いで買ってきたんだけど、渡した時の天海くんの顔見て『ああ、間違えた』って。不安にさせちゃったよね」


 確かに当時僕たちは会話もしない日が一ヶ月ほど続いていた。だからチョコをもらった時、一応恋人という立場上チョコをくれたのだと思った。ああ、もう潮時なんだと――けど違ったんだ。


「ごめん……ごめん。信じられなくて」


 ああ、僕はとことん情けない男だ。今も涙が出そうなのをこらえるので精一杯。そんな僕を水無瀬さんは優しく抱きしめてくれる。その温かさがずっと続いてほしいと僕はそう思った。

 こうして元カノがメイドとしてうちにやってきてから一ヶ月が過ぎて行った。

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