第10話

 三ヶ月後――。

 ユニス付きの騎士に変わったイオルクは、変わらない城勤めの日々を過ごしていた。早朝のティーナとの手合わせから始まり、ユニスの警護と従者を兼ねた付き添い、そして、帰宅後の父と兄達との手合わせ。この日常が繰り返されていた。

 そんないつもと変わらないと思っていた、ある日、イオルクの予定はいつもと少し違うことになる。早朝、ティーナと修練場での模擬戦をし、ユニスの部屋を訪れたところまでは変わらない。変化が起きたのはティーナが会議の召集を受けて、ユニスの部屋を離れなくてはならなくなったことである。いつもティーナと二人で付き人をしていた勤務が、今日はイオルク一人で行わなくてはいけなくなったのである。

 そのため、今、ユニスの部屋にはイオルクとユニスの二人しか居らず、予定を読み上げるのもイオルクがすることになっていた。

 慣れない初めての役目に片手を頭に持っていきながら、イオルクがティーナの残していったメモを読む。

「今日の予定ですが、隊長からのメモによると……何もないですね」

 ただ一言『姫様に、絶対に粗相を働くな!』と書かれたメモを丸めると、イオルクはゴミ箱にティーナのメモを投げ捨てて付き人用に置かれた椅子の一脚に腰を下ろした。

 ユニスは自分よりも遥かに大きい立派な机に両肘を付けて頬を両手で包みながら、ニコニコと年相応の笑みを浮かべて、その様子を見ていた。

「俺だけをユニス様に付けるのが、そんなに心配なのかね? 三ヶ月経っても信頼を得られないとは……」

 不満そうに椅子に座るイオルクに、ユニスは言う。

「当然と言えば当然の気もするけど。何もないから、ティーナは召集に応じたとも言えるし」

 炸裂するグーの数は減少傾向にあるが、一度も炸裂しなかった日がないのも、また事実であった。注意が出来なければ、イオルクを野放しにできないというのがティーナの今のところの評価である。

「隊長の信頼を得られて、遂に仕事の一部を任せてくれるようになったんだと思ったのに」

「ティーナも、本当はそうしたいのでしょうけど、イオルクに任せるのはね~」

「そんなこと言ってていいんですか? 俺、ここに来てから子供のお使いみたいなことしかしてませんよ?」

「護衛役が頻繁に出張るようになったら、この国は滅んでると思うわ」

「それはそうだけど……」

 イオルクはガシガシと頭を掻く。

「まあ、このままでいいか。楽して給金もらえるんだから」

「それ、駄目な人間の発想だと思う」

 予定されていた何もない時間。護衛するユニスが部屋を出なければ、イオルクも同じように部屋に居るだけ。いつものように授業をするでもなく、レッスンをするでもない。

 普段、予定があるのが当たり前の中で、いきなり何もない時間を与えられても何もすることがない。

 つまるところ、今の二人はこういう状態である。

「暇ですね」

「暇ね」

 ユニスが姫という立場でなければ王都の町を引っ張り回すことも出来るのだが、城の外へ無意味に連れ出すのは危険が大きい。身代金目的で誘拐でも起きた日には、イオルクの首が飛ぶ。

 腰のベルトの皮袋を叩きながら、イオルクはユニスに訊ねる。

「トランプでもします?」

「どうしようかしら?」

 トランプを知って、まだ三ヶ月。その興味が尽きることはないが、二人でするゲームとなると限られてくる。

 イオルクと二人だからこそ出来る暇つぶしはないかとユニスは考える。

 そして……。

「そうだ!」

 何かを思いついて、ユニスが机に手をついて立ち上がった。

「イオルクのこと、知りたい!」

「はい?」

 イオルクは自分を指差す。

「俺?」

「そう」

「俺のこと……? 俺のことねぇ……」

 あまり話す気になれずイオルクが腕を組むと、それを見たユニスが口を尖らす。

「いいじゃない、別に。わたしが頼んでるのに話さない気? イオルクには、わたしの全てを見せたって言うのに」

「誤解を生むような言い方をしないでください。お子様には早い台詞ですよ」

 軽く受け流されたユニスは座った目でイオルクを睨むと、大声で叫んだ。

「わたしを弄んだのねっ‼」

「何処で覚えた、そんな言葉! トチ狂ったのか⁉ 間違っても、隊長が居る時には口にするな!」

 思わず立ち上がったイオルクに、再度ユニスは座った目を向け続ける。

「じゃあ、話して」

 ジッと見続けられると、イオルクは頭をガシガシと掻き、無闇に話し掛けたことを後悔する。

 そして、仕方なしに椅子にどっかりと座ると、諦めた顔で聞き返す。

「……一体、俺のどんな話が聞きたいんですか?」

 そう言ったイオルクを見て内心で『勝った!』と思いながら、ユニスは顎の下に指を立てて呟くように言葉を漏らす。

「そうねぇ……。どうせ聞くなら見習いになる辺りからかしら?」

「そんな前? ……まあ、いっか」

 大きく息を吐き出し、両膝の間で手を組むとイオルクは話し出す。

「確か見習いに入隊したのは、十一の終わりでしたね」

「十一歳? 今、十五歳だから、随分と子供の頃の入隊になるのね」

「剣を持つには若いかな?」

「魔法使いや学者なら体が資本じゃないから、早くても問題ないのは分かるけど……十一歳っていうのは体も出来てないんじゃないの?」

「でも、隊長もあの歳で銀の鎧を付けているんだから、俺と大差ないと思いますよ」

「そう言えば……」

 ユニスは『何でだろう?』と首を傾げる。

「簡単に言いますとね。インチキしてるんですよ、俺も隊長も」

「そんなわけないでしょう」

 イオルクは首を振る。

「俺も隊長も騎士の家の出なんです。普通の家の子供が幼少時代から剣とか振ります? 振らないですよね? でも、俺や隊長の家は騎士になるのを生業にしているんで、小さい頃から剣を振ってるんです」

「それで、インチキ?」

「そう、インチキ。生まれてくる子供達も遺伝の関係で、筋肉が付きやすかったりして反則です」

「そうなんだ」

「そう。皆、背が高いし」

「へ~」

「だから、他の入隊者より早い段階で騎士見習いになれるんです」

 ユニスは机に右手で頬杖を突き、もう一方の手で人差し指を立てる。

「でも、生まれ持ってのものだけではないのでしょう?」

「もちろん。努力して技術を身につけないと、ただのデカイ人でしかありません。まあ、俺の場合、早く入隊しても四年も落第を繰り返してたんで、一般入隊者と変わらないんですけどね」

「それが原因で、ここに居るのよね」

「縁って、不思議だ」

 イオルクは改めて思う。自分が普通の段取りで騎士になっていれば、ユニスと出会うことはなく、今も見習いをしているはずだった。そもそも四年も筆記試験に落ちなければ、ユニスの好奇心がイオルクに向くこともなかっただろう。

 だが、ユニスが興味を持ったのは筆記試験を落ち続けていた騎士という一面だけではない。イオルクの、もう一面についてでもある。

 それをユニスが質問する。

「イオルクは、とても強い騎士でもあるのよね?」

「強い? 何を基準に言ってるんですか?」

「見習いの時、この国で一番敵を倒しているって聞いたわ」

「……あまり、いいことじゃないですよ」

「そうなの? 敵って悪者でしょう?」

「まあ、悪者と言えば悪者ですけど……。軍事国家のドラゴンレッグとの戦や盗賊退治に派遣されているわけですから」

 イオルクは組んでいた指をほどき、暫く自分の両手を見た後で言う。

「――でも、命を絶っているんだから、俺も悪者ですかね」

 どこか情けない顔でそう言ったイオルクの言葉の意味が、ユニスには分からなかった。

 敵を悪者と認識して倒して、何故、イオルクは自分を悪者というのか?

 ユニスは疑問をそのままに訊ねる。

「どうして、イオルクが悪者なの?」

「殺した相手の素性なんて知らないから」

「悪い人なのでしょう?」

「どういった経緯で悪い人になったかなんて分からないでしょう」

「でも、それを気にしていたら……」

 イオルクは頷く。

「そう、こっちが殺されます。だから、倒すんですけど、やっぱり、いいことじゃないんですよ」

 ユニスの予想と違う反応と答えだった。

 イオルクは嬉々として自分の武勇伝を語ってくれると思っていた。それなのにイオルクは多くの敵を倒したことを誇らず、どこか嫌悪しているようだった。

 ユニスは溜息を吐く。

「分からないわね……。それだと、どうしてイオルクは騎士になったの? 家が騎士の名家だったから?」

 イオルクは難しい顔で片眉を歪めて腕を組む。

「騎士になった理由か……。確かに切っ掛けは父さんや兄さん達みたいな騎士に憧れたことだと思うけど、いざ戦場に出て見ると、理想と掛け離れていた……みたいな。だけど、相変わらず強い騎士になりたいっていう想いは消えてない感じなんです」

 ユニスは肘をついていた悪い姿勢を直し、普通に椅子に座り直す。

「やっぱり、よく分からないわ。物語の英雄みたいに己を奮い立たせ、強敵を斬り伏せる騎士みたいになりたい……というようなものはないの?」

 イオルクはクスクスと笑って答える。

「俺、具体的にどれぐらい強くなりたいとかっていうのはないんです。父さんと兄さん達が強い。だから、俺も強くなりたい、ぐらいの気持ちなんです」

「たった、それだけ?」

 拍子抜けしたユニスに頷いて返事を返し、イオルクは右手の人差し指を立てる。

「ユニス様なら知ってると思うけど、俺の家族を思い出してください。父さんは言うまでもなく、フレイザー兄さんは黄金の鎧、ジェム兄さんは白銀の鎧なんです」

 ユニスは『あ』と漏らし、口に手を当てた。

「イオルクが皮鎧を着てるから忘れてたけど、確かにブラドナー家なら……」

 具体性なんて必要ない。目の前に理想となる騎士の姿がある。

(……納得はできたけど、どこかはぐらかされたような……)

 スッキリした答えが返ってきたような気がしない。イオルクが騎士の家に生まれたから騎士になったというのは答えとして間違ってはいないと思うのだが、どうも普段のイオルクと比べると当たり前すぎる答えな気がしてしまうのである。

(そもそも、イオルクが騎士になった理由を聞いたのは何でだっけ?)

 順を辿って思い出していくと、やがて『イオルクは強いのか?』と質問したことをユニスは思い出す。

「最初の質問から逸れたけど、結局、イオルクは強いの?」

「記録に残ってる通りですよ」

「イオルク自身が、どれだけ強いのかを教えて」

 半ば意地になっているような語気に、イオルクはチョコチョコと頬を掻く。

 そして、ここは嘘を言ってもしょうがないと、ユニスが知っている相手を引き合いに出すことにした。

「朝、隊長と手合わせしてるから、それぐらいかな」

 しかし、その言葉にユニスが疑いの目を向ける。

「本当~? ティーナは白銀の鎧なのよ?」

「でも、毎朝手合わせしてるから……って言っても、俺は鉄の鎧だから、それは有り得ないか」

「過大評価し過ぎよ」

 イオルクが頭を傾ける。

「う~ん……。そうなると、鋼鉄の鎧の騎士ぐらいか? いや、でも、待てよ? 俺、見習い終わってから隊長と家族としか手合わせしてないから、基準になる騎士が居なくないか?」

 イオルクが本格的に考え出すと、ブツブツと独り言を言い始めた。

 それを聞いていたユニスが溜息交じりに言う。

「呆れるわね。まるで手合わせした相手より強くなることしか考えてないみたい」

「ははは……」

 誤魔化したような笑いを浮かべるイオルクに、ユニスが言う。

「多分、鉄の鎧の真ん中より上ぐらいなのでしょうね」

「何で、ユニス様が分かるの?」

 ユニスは片手を振って答える。

「ティーナは心配だからって、鋼鉄の鎧の衛兵を二名配置しているわ。つまり、鉄の鎧の上段者以上の護衛を付けてるってこと」

「何それ?」

「今日、私の部屋の前に居るの」

「俺、本格的に全然信頼されてないじゃん」

「まだ三ヶ月だしね」

 イオルクは溜息を吐く。

「……強さのことは、どうでもいいです。鉄の鎧の真ん中にしときましょう。可もなく不可もなさそうなんで」

「本当に、どうでもいいように聞こえるわね」

「ええ、兄さん達から一本取れるようになることだけを考えてます」

 ユニスは思わず脱力してしまった。

 騎士である以上、強さを求めるのは当たり前だが、イオルクのような強さの定義を示す人物を今まで見たことがない。身分でもない、鎧が表す位でもない。ただ純粋に目の前の騎士よりも強くなりたいと言うだけ。


 ――何故、明確に線引きされた強さで、今の自分を計ろうとしないのか?

 ――イオルク・ブラドナーという騎士は、本当に今まで見てきたようないい加減な性格をしているだけなのか?


 ユニスにはますます分からなくなった。

 呆然と見詰めるユニスに、いつもの緩い笑みを浮かべた顔でイオルクは訊ねる。

「他に聞きたいことあります?」

 いろいろと聞いてみたいことはあるが、強さや騎士の在り方についての質問をしても、まともな答えが返ってくるような気がしなかった。

 溜息を吐き、ユニスは項垂れて返す。

「何か、イオルクと話すと論点が摩り替わるから不毛な気がしてきたわ……」

「人に話を聞いといて、不毛って」

 ぶつくさと文句を言っているイオルクを無視して、ユニスは机の引き出しからトランプを取り出す。

「やっぱり、トランプしましょう」

「飽きませんか?」

「ええ、このカードだけで色んなゲームが出来るのだから」

 ユニスは自分専用のトランプをしっかりと手に入れていた。今では欠点だった顔に出る癖も直り、純粋にゲームを楽しんでいる。ゲームの傾向を理解して戦略を立てるようになってからは、イオルクとの勝敗もほぼ均等だ。

 イオルクは頭を掻きながら呟く。

「……本当は賭け事するのに使ってたんだけどなぁ」

「それ、禁止されているのではないの?」

「されてますよ」

「じゃあ――」

「暗黙のルールですよ。皆、してます」

「そうなの?」

「そう。律儀に守ってんのは石頭の隊長ぐらいです」

 ユニスの頭に何となくティーナがトランプを知らなかった理由が思い浮かぶ。

(きっと、禁止されていることだから、『腐敗は根本から断ち切る!』みたいにトランプをしなかったのでしょうね)

 多分、この予想は大きく外れていないだろう。『今度、ティーナに聞いてみようかな?』と、ユニスが考えてる目の前でイオルクがパタパタと手を振っている。

「何?」

 ユニスが目を向けると、イオルクが口に右手の人差し指を立てる。

「言い忘れてたんだけど、俺が賭け事をしてたのは、隊長に内緒でお願いします」

 ユニスはプッと、噴き出す。

 最初に口止めをしておかなければいけないことなのに、本当に天敵のティーナが居ないとイオルクは油断して要らないことを話してしまう。

「ええ、秘密にしてあげる」

 ユニスは、イオルクのことを笑って許した。

(そういえば、ティーナに秘密にすることって初めてかもしれない……)

 今まで秘密を共有する相手が居なかったのだと、ユニスは気づく。また、自分から秘密を話してくれる相手も居なかったのだと気づく。

 そして、いつの間にか、イオルクがそういうことを許せる相手になっていたのだと気づく。

(こういうのを悪友って言うのかしら?)

 ユニスは、クスリと笑った。

「何か、おかしなことを言いました?」

 ユニスは首を振る。

「いいえ。わたしに対して、相当おかしな行動を取っているだけよ」

「いつも通りじゃないですか」

 ユニスは声を上げて笑う。

(何で、こんなおかしな騎士が居るのかしら)

 この城の中で、唯一、年相応に扱ってくれる礼儀に掛けている騎士。だけど、それが不快に思ったことは、不思議と一度もない。ユニスを信頼しているからこそ、イオルクは素の自分を見せてくれるのだと、ユニスは思った。

 もう間違いはないと思う。

(ティーナに次いで、信頼できる人が増えたみたい)

 ユニスはトランプを箱から取り出し、切り始める。

「イオルク、さっき言ってた賭け事を教えて」

「やってみたいの?」

「ええ、やってみたいわ」

 イオルクは声を出して笑う。

「知ってて損はないです。でも、本当に賭けるのはやめましょう。賭けのルールと賭けに使うゲームを教えます」

「それでいいわ」

 その後、イオルクとユニスはお昼までトランプに興じ、その間、ユニスの笑顔が絶えることはなかった。


 …


 昼食が終わっても午後になってもトランプをしながらの他愛のない会話は続き、何事もなく今日が終わろうとしていた。

 イオルクと丸々一日余暇を過ごしたことを、ユニスはこう思った。

(本を読んだり、絵を描いたり、今まで自分一人でできることばかりだったけど、一人じゃないものも楽しかったのね)

 目の前でトランプを切るイオルクへ目を向けると、イオルクはニッと笑い返す。

 それを見て、ユニスは誰かと共有した大切な時間だったのだと改めて思う。

「イオルクと居ると、ティーナと違った安心感があるわ」

「どんな?」

「同い年の友達」

「俺……五つも上なんだけど?」

「悪い意味ではないわ。イオルクと居て、わたしも普通の人と同じように感じることが出来るのだと、安心したの」

「普通……ですか」

 イオルクは思う。

(この子は王の子として生まれて、どれだけのものを犠牲にしているんだろう? どれだけのことを我慢していたんだろう?)

 イオルクのしたことは、本当に些細なことだ。会話をして、トランプをしただけ。たったそれだけのことが、何でも揃っているはずのここではできない。

 思い返せば、この城にユニスと同じ歳の子は居ないし、歳の近い若い騎士の出入りも少ない。同性であるティーナがユニスの近くに居る意味がよく分かる気がした。

 イオルクは変わらない緩い顔でトランプを切りながら言う。

「いいんじゃないですか? 俺の前に居る時ぐらい気を抜いたって」

「イオルク?」

 キョトンとしたユニスに、イオルクはヘラリと笑みを浮かべる。

「人間、息抜きも大事ですよ。集中する時は集中する。休む時は休む。トランプをして気分転換になるなら、それも必要です」

「……そうかもしれないわね」

「そうですよ。常時、気が抜けてる俺は健康そうでしょう?」

 ユニスは口に手を当て、クスクスと笑う。

「確かにイオルクは健康そのものに見えるわ」

「これがリラックス効果ってやつですよ」

 顔を背け、ユニスはお腹に手を当てていた。

「ああ、おかしい……。じゃあ、イオルクが気を張り続けるとどうなるの?」

「その状態は五分しか持ちまでせんので、俺の健康が害されることはないのです」

 またユニスは笑う。

「それでも、ティーナはしっかりさせようとしてるじゃない」

「徒労としか思えませんね」

 人前では出さない声でユニスは笑っていた。

 笑い過ぎて出た涙をぬぐい、声を大にする。

「どうしてイオルクは、そういう答えが返ってくるのよ!」

「何ででしょうね? 昔から、あの手のタイプとは合い入れないんです」

「もう!」

 いくら言ってもダメだと諦める。きっと、イオルクの根本は変わらない。でも、これがイオルクらしくていいとも思えてしまう。

 ひとしきり笑い終えると、ユニスは大きく息を吐いた。

「時間のことなど、すっかり忘れていたけど、ティーナ……遅いわね」

 帰宅の時間を知らせる鐘はとっくに鳴り、時刻はイオルクとティーナの帰宅時間を過ぎていた。

「会議が長引いてんじゃないの? ――いや寧ろ、真面目な隊長が引き伸ばしてるのかも?」

「あ~、有り得るかも」

 口を押さえて笑っているユニスが話を続けようとした時、イオルクが右手を制して会話を止めた。

「どうしたの? 急に?」

「――戦場の空気がする」

「え?」

 暫く忘れていた感覚。城の中では、絶対に捉えるはずのない感覚。

 数多の戦場を巡って身に付いた己の感覚に、イオルクは嫌な予感がした。

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