第6話

 昼食時――。

 イオルクとティーナは、ユニスの部屋の隣にある別室で食事を取っていた。ユニスは王族専用の部屋で家族と昼食を取っているため、この時だけは護衛を離れられる。

 メニューはパンとスープとサラダ……と、ここまでは一般の人々と変わらない。しかし、城で食事をする騎士には肉料理を必ず入れるというルールがある。本日は大きな肉をムラなく焼き上げたものを、給仕の者に頼んで食べる分だけ切って貰う内容だった。ティーナは薄く切って貰うように頼み、イオルクは同じものを八枚頼んだ。

(そんな量を頼んで、どうするのだ?)

 と、訝しむティーナの前で、イオルクは一枚の肉をそのまま口に放り込んで咀嚼し、パンを齧った。

(切り分けた一枚が一口分なのか……)

 食べて体を作ることも騎士の仕事の務め。少々のマナーの悪さは、イオルクだけに限ったことではない。制裁を我慢して、ティーナは無言で自分の分の肉をナイフとフォークで切り分け、上品に一切れを口に運んだ。

 その食事の途中で、イオルクはボソリと零す。

「一日の半分が終わっただけなのに、今日は凄く疲れた……」

「貴様が言うのか? 私は、二人分の面倒を看ているのだぞ」

「ありがとう……です」

 半日の指導(躾?)で僅かに矯正された言葉遣い。意識している時には、『です』『ます』を付けれるようにはなった。

 椅子にぺったりと背中を付けて、イオルクが言う。

「しかし、甘く見てた」

「何をだ?」

 ティーナはナプキンを口にそっと当てながら、イオルクの続きを待つ。

「ユニス様のことですよ。昨日の悪戯というか、思い付きの様子を見ると、贅沢して好き勝手してるだけかと思ってたけど、そんなことはない。今日の予定を一緒に過ごして、大変さが分かったよ。王族なんてなるもんじゃない」

「姫様の努力を見る機会は少ないからな。そう思うのも仕方がないだろう。ほとんどの者が、城に居る王の子は大切に育てられているぐらいしか、想像できていない」

「俺も、目にするまで分からないことだった」

「少しでも分かったなら、いい傾向だ。分からないで去っていった者も多い」

 イオルクは片眉を歪める。

「その去っていった者っていうのは……この仕事で?」

「そうだ」

 イオルクは項垂れる。

(何で去るんだ? 確かに騎士とは違う仕事も多いけど)

 ただ武器を振る以外のスキルが確実に必要になってくる……ということなのだろうか?

 しかし、午前中の様子を見る限り、ユニスと一緒に勉強をするわけではないので勉学に秀でている必要もないし、武器を使用することもなかったから辞める理由はない。

(ユニス様を待つ間、立ちっぱなしってのは少し辛かったけど……)

 しかし、見習い時代に上官の役にも立たないありがたい話を聞かされるのと変わらないので、それが理由ではないと、イオルクは思う。

(自分の意思じゃないのかな? クビになるのって?)

 ますます分からなくなる。

「ところで、朝の修練場のことなのだが――」

「え? ああ、何か?」

 ティーナの言葉で思考を停止し、イオルクは慌てて視線をティーナに戻した。

「――いい動きをするな」

 次にティーナの口から出てきた言葉に、イオルクは目をパチクリとしぱたく。

「どうしたの? 突然?」

「さっき言っていた、去って行った者に関係があるのだ」

(隊長とやった、朝の模擬戦がねぇ……。どう関係するんだろう?)

 皿に乗るパンを取って齧り、イオルクはムグムグと咀嚼しながらティーナの次の言葉を待つ。

「当然と言えば当然なのだが、姫様の近くには強い者を置いておきたいというのが王様と王妃様の希望だ」

「まあ、そうでしょうね」

「そして、年齢も近い者……というのもな」

「それは無理なんじゃないですか? だって、見習いに入る奴らなんて若くて十五、六ですよ。俺みたいに生まれついての騎士の家の者か、よほどの変わり者が例外に早く入って来るぐらいだ」

「その通りだ。故に入隊してから鍛え直すしかないのだが、私とまともに剣を合わせられる者は、今まで居なかったのだ」

 理由の一つが分かった。入隊した若い騎士が相手をするのは、現在一人しかいない銀の鎧のティーナなのだ。銀の鎧と鉄の鎧では、腕に差があり過ぎる。

「当たり前だ。騎士の家の出の者でも銀の鎧以上の親兄弟がゴロゴロ居る家なんて滅多にないんだから、普通の騎士は剣を合わせただけで吃驚しちゃうよ」

「その通りだった。姫様に年齢が近ければ近いほど、実力が伴っていない。それ相応の実力を身に付けた者は、全員二十歳を超えていた」

「いきなり二十歳超えてた人を入れたら、今度はユニス様が困るでしょう」

 ティーナが無言で頷いた。

「でも、ユニス様に近い若い騎士を鍛え直すことはしたんだよね?」

 ティーナは半分ほど食べ終えた食事を完全に中断し、難しい顔で眉間に皺を寄せて腕組みをする。

「……鍛え直しはしたのだが、朝の手合わせで、ほとんどの者が泣き寝入ってしまう」

「何でさ?」

「分からん」

「ちゃんと、手を抜いたの?」

「間違いなく抜いていた。実際、貴様とやった時も抜いていただろう」

「そう……だけど?」

 イオルクの頭の中で今朝の手合わせが蘇る。

「……いや、あれ違うだろう」

「何がだ?」

(え? この人、分かってないの?)

 イオルクが溜息交じりに右手を振って言う。

「だってさ、避けるの失敗したらレイピア刺さってたじゃん。俺の鎧なんて皮だから、隊長の特注のレイピアなんかで刺されたら貫かれそうだし」

「だから、大怪我をしないところを狙っていただろう」

「大怪我しなくても、そこで手合わせ終了じゃない? 鎧で守られているとはいえ、一方的にガッツンガッツンやられたら、普通の相手は戦意喪失するよ」

「……っ! それでか!」

「…………」

 加減というものが分かっていないらしいティーナを見て、イオルクは思う。

(この人、自分の基準しか見えなくなる頭の固い人間のパターンそのままだよな)

 呆れるイオルクの視線を感じ、ティーナがフン!と鼻を鳴らす。

「と、兎に角、そういう意味で、貴様が私の相手を務められたのは評価に値する」

「……初めて褒められた理由が、それか」

 ティーナは不機嫌そうに食事を再開し、コップの水を半分ほど飲んだ。

「私は、嘘はつかない。暫く誰とも剣を合わせていなかったから、実に新鮮だった。貴様の腕が同年代の者より上であることは認めている」

 騎士の家の出じゃなければ、自分もここに居なかったと思いながら、イオルクは質問を続ける。

「でもさ、何で若いヤツを鍛え直すのにワザワザ難易度の高い手合わせから始めたの? 部隊特有の練習時間とかを使えばいいんじゃないの? そこで、きっちりみっちり鍛えればさ」

「残念ながら、そういう時間はない」

「どうして?」

「この仕事は、姫様に付きっ切りだからだ」

「あれが毎日なわけ?」

「ああ」

「だったらさ、付き人の役を騎士にしなければいいでしょう。勉学の授業している間は、他の人を充てて訓練するとか」

「護衛を兼ねて騎士の私達が付いているのに、その私達が側を離れてどうするのだ。側に仕える騎士に付き人を兼任させるのが当たり前だろう」

「そりゃそうか」

 そう言って、イオルクは自分の皿の肉をフォークで刺して口に運ぶと数回噛んだだけでほぼ丸飲みした。ティーナが『噛め』と思う中、イオルクはそれを三回繰り返した。

「それにしても、いくら実力が伴わないとはいえ、最低限の人数は必要だろうに……。何で、この部隊は人数がこれだけで許されるんだろうね?」

 イオルクの当然すぎる言葉に、食事をするティーナの手が止まった。

「それは姫様が……気に入った人間しか入れないからだ」

「は? ユニス様、選り好みしてるの?」

 ティーナが無言で頷いた。

「まさか、俺も?」

「例外だな。貴様の場合は、姫様の好奇心だ」

 腕組みをして、イオルクが上を向く。

「段々とユニス様が凄いのか凄くないのか分からなくなってきた」

「……見習いを突然自分の騎士にしようとするぐらい悪戯好きなのは確かだ。まあ、それ以外にも姫様の我が侭に耐えられなかったり……な」

 ティーナは溜息を吐く。

「――あと、私からの贈り物を貰った、次の日にも辞める者も多い」

「贈り物で?」

 その時、部屋がノックされた。

 ティーナの返事で使いの侍女が部屋に入り、机の上に布で包まれた荷物を置く。

 ティーナが礼を言うと、侍女は息を切らしながら部屋を出て行った。

 侍女が置いていった物にイオルクの目が向く。荷物自体は、それほど大きいものではなく、大きめのバスケット程度だ。とても息を切らして運ぶものが入っているとは思えない。

 その怪しげな物を勧めるように、ティーナが右手を返す。

「私からだ」

「何これ?」

「今朝話していた、いいものだ」

「そういえば……そんなことを言っていたような」

 イオルクが布に包まれた荷物を指差す。

「貰っていいの?」

「ああ」

 ティーナの許しを得て、イオルクが机の上に置かれた荷物の布を半分ほど捲る。

 そこにあったのは……。

「手甲?」

 布の隙間から覗いたのは防具の一つである手甲だった。シンプルな作りであるが、磨かれた金属製の手甲は手首から腕の半分まで覆うような造りになっている。

 その手甲にイオルクが見覚えがあった。イオルクの視線が自然とティーナの手首へと向かう。

「隊長も同じのしてるじゃん」

「同じものだ」

「俺と同じデザインは嫌だとか言ってなかった?」

「これは別だ。付けてみろ」

 普段は付けないものだが、せっかくの貰い物ということもあってイオルクは手甲に手を伸ばした。

 しかし、手甲を手に取った瞬間、イオルクの顔色が変わる。

「何だ……?」

 見ただけでは分からない違いが手に伝わってくる。手甲を持ち上げると、違いは一段とはっきりした。

「この手甲……重いぞ」

 ティーナが深々と頷く。

「この仕事は鍛えることが疎かになりがちだ。だから、常に鍛える必要がある」

 さっき侍女が息を切らしていたのを、イオルクは思い出す。

(しかし、たかだか手甲二つで息を切らすだろうか?)

 そんな疑問が過り、布に隠れた膨らみを確認すべく、イオルクは布を全部外した。

 出てきたのは手甲と同じく磨かれた金属。ブーツの上に付ける保護防具――具足だった。

「足にも付けるってことか?」

「そうだ」

 左手に持つ手甲を右手で指差しながら、イオルクはティーナに質問する。

「隊長……。今朝、これ付けて戦ってなかった?」

「戦っていたぞ。特別な用事がある以外は鍛えておかなければならないからな」

「こんなもんを付けてたなら、ここに就任した騎士は、俺を含めてハンデを貰ってたって認めるしかないな」

 左手の中の手甲は、かなりの重さがある。筋力はつくだろうが、扱いきれなければ、まともに武器を振ることも出来なくなるだろう。

(この人、あの細腕で何馬力あるんだ?)

 今朝の模擬戦のレイピアの速度が著しく落ちていたとは考えられない。そうなると、ティーナは重りを付けたまま実践レベルの速度でレイピアを振っていたということになる。

(そういえば、隊長は俺の武器破壊の攻撃を受けてもレイピアを落とさなかったな)

 今朝がたティーナと打ち合わせたレイピアとロングダガーの衝撃が蘇る。ブラドナーの血筋と日々の修練で鍛えられたイオルクの一撃を、目の前の女騎士は受け流すではなく受け止めたのだ。

(これを付けてるから、男並みの筋力が付いてんのかな?)

 見た目が普通の女性と変わらないティーナの筋力に疑問を抱きながらも、イオルクは右手の中指に手甲から伸びる固定紐を通し、左手の中にある手甲を右手に当てる。腕はベルトで固定する。同じように左手にも手甲を装着し、両足の具足は椅子に腰かけて位置を決めて慎重に付属のベルトで固定した。

 女性のティーナがくれたもののせいか無骨さよりも、流線型の上品さが強調された防具だったが、イオルクの皮鎧との取り合わせは思ったより悪くない。

「これはハードだ……」

 両手両足からえげつない重量感が伝わってくる。

「慣れるまで暫く掛かるだろう」

 イオルクは両手を手首の位置で動かし、片足ずつ足首を動かして動きの妨げにならないかを確認する。ベルトによる固定も食い込むような痛みもない。

(随分と研究されて造られてるな。もしかしたら、隊長の家に伝わるものなのかもしれない)

 両手両足を動かす時に動きの妨げになるものが一切ないということは、それだけしっかりとした造りだということだ。値が張るものに違いない。

(隊長は不器用なだけで、本当は新しく入って来た人を迎え入れようと努力をしていたのかもしれない。だけど、騎士の家に生まれた俺なら問題ないだろうけど……体の出来てない普通の人には重すぎるな)

 重り入りの手甲と具足を扱えるだけの力があるかは、人を選びそうだった。一般上がりの騎士は体を鍛えて基礎力を身につけてから重り入りの手甲と具足を装備しないと、任務に支障をきたしそうに思えた。

 しかし、イオルクは騎士の家で育った者。体にも恵まれ、鍛えることが日課になっている。両手を振って両腕に掛かる負荷を確認して、イオルクは言う。

「悪くないかもしれない」

「見所のある奴だな。大抵、泣きを入れる奴が多いのに」

(多分、この人、そこで泣きを入れた人を許さないから辞めていく人が多いんだろうな)

 何となく、この部隊に人が居ないのが分かった気がする。

 問題があるのはユニスの性格だけではなく、頭が固くて融通の利かない不器用な性格の隊長のせいもあるに違いない。


 …


 食事も終わり、給仕係が食器を片付け終わると、昼食のための休憩時間が少し余った。

 そこで今まで我慢していたことをティーナが口にする。

「貴様に言いたいことがある」

「今度は、何?」

「貴様、昨日から姫様や私に対して、ずっとタメ口だな?」

 強い視線を向けられたイオルクはティーナから目を逸らし、チョコチョコと頬を掻く。

「そう……だったかな?」

「私は午前中の間、敬語の抗議をしていた。そして、貴様もそれなりの成果を見せた。しかし、昼食の間に、また元の言葉遣いに戻ってきている! 何故、直らないのだ!」

「そんなこと言ったって……」

 イオルク両手を開いて肩を竦めて答える。

「身についた習性というのは、なかなか拭い去れないもんだよ。それに仕事とプライベートは分けないとね」

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「プライベートな時間のものか! 今は仕事中だ!」

「あれ?」

 グーを炸裂させるために立ち上がったティーナが、そのままビシッ!と頭を擦るイオルクを指差す。

「大体、私は貴様にタメ口を叩かれるのが腹立たしいのだ!」

「そうなの?」

「貴様も姫様に対して年下に敬語を使うのがどうとか言っていただろう! あれを私に当て嵌めて考えろ!」

 イオルクは『そんなこと言ったっけ?』と、考える。言ったような言ってないような曖昧な記憶しかない。多分、その場の勢いで突いて出た言葉なので記憶に留まっていないだけだろう。

 改めて自分が言ったと仮定して考え直し、イオルクは眉を顰める。

「なるほど、確かに不愉快かもしれない。でも、それだと問題がある」

「問題?」

 イオルクがティーナに向かって右手の人差し指を立てる。

「隊長に敬語使って、ユニス様にタメ口って……変じゃない?」

 そこでプチっ!と、ティーナの中で何かが切れた。

「両方、敬語を使え!」

 先ほどの三割増しのティーナのグーがイオルクに炸裂すると、イオルクはテーブルに頭をぶつけて突っ伏した。

「……なるべく気を付けます」

 イオルクは、少しだけ言葉遣いに気を付けようと思った。


 …


 午後――。

 レッスンをメインにするユニスに付いて回る。

 一般人には必要のない、王の娘に生まれたが故に身につけなければならない感性や気品……。小さな背中に背負っているものは、あまりに大きなもの。

 しかし、ユニスは幼いながらも自分の役目を理解し、何の文句も言わずに黙々とレッスンを続けて身につけようとしていた。

 今は、ピアノのレッスンを行っている。招かれた演奏会で感想が言えるように、曲や楽器のことを理解しなければならない。そのためには、自ら楽器を扱える必要もある。

 ティーナに聞いたところ、扱う楽器はピアノ以外にもフルート、バイオリンを習っており、最低でも町の楽士と同じぐらいまでは身に付けないといけないとのこと。

 イオルクには、その町の楽士と同じ腕前というのが、今一、ピンとこなかったが、町の楽士がそれを生業に賃金を得ている以上、身に付ける技術は低いものではないはずだというのは容易に想像がついた。

 ユニスの演奏を音楽室の外で聞きながら、イオルクは見習いの時の修練場での一日を思い返す。ユニスが王の娘として身に付ける素養に努力を傾けるように、イオルクも夕方を過ぎるまで武器を振り続けていた。身に付けるものは違うものでも、努力を重ねるという行為は同じもの。ユニスの努力にイオルクは近いものを感じていた。

 しかし、同じ努力を重ねる姿のはずが、ユニスと自分では大きな違いがある。決定的に際立つ違い――それは、一人でこなすか仲間でこなすかの違い。

 イオルクの周りには同じ同期の仲間が居たのに対し、ユニスは一人だった。

(王の娘として生まれた故の孤独……)

 この状況を耐えているのは世界中でユニスだけなのかもしれない、とイオルクは思った。


 …


 時間は過ぎ、全てのスケジュールが終わる頃――。

 時刻は夕方に差し掛かっていた。早朝に出勤してユニスに付いて回るだけで一日が過ぎてしまったことになる。今日は忙しいスケジュールだと言っていたので仕方がないのかもしれないが、使えるべき主であるユニスと会話した時間は僅かな時間しかなかった。

 そのユニスはというと、自分の部屋に戻ってから十分ほど机に突っ伏していた。

「疲れた~」

 ユニスから漏れるくぐもった声にあわせるように、ティーナが侍女に差し入れて貰った紅茶を机に置いた。

「御苦労様です」

 香しい匂いに釣られるように、ユニスがムクリと体を起こす。

 目の前のカップを両手で握り、ユニスが疲れた時に好む、少し温めのものになっていることに頬が緩む。

「ティーナ、ありがとう」

 その言葉にティーナは微笑んで返し、ユニスは姿勢を正してカップを取り直して紅茶を一口啜る。

 ユニスの口から、ホッと息が吐き出された。

「やっと、自由時間だわ」

 気を緩めるユニスと、それを優しく見守るティーナ。

 それを見たイオルクは、二人の関係は長い時間に育まれたものだと思う。身分さえなければ、ティーナはユニスの良い姉になっていたような気がする。

 そんな二人は、自由時間をどのように過ごすのか?

 イオルクは質問する。

「このあと、どうするの?」

 やや気を緩めた態度で右手を腰に当てたティーナが答える。

「姫様の夕食まで勤務する。夕食開始後、暫くして門が閉じられ、城自体に鍵をして外敵を防ぐ。我々の役目は、そこまでだ」

「そうじゃない。このあと、夕食までのこと。自由時間なんですよね?」

 ティーナは至って真面目に答える。

「何もしないが」

「は? 何もしない?」

 そのまま言葉の通り受け取っていいのか分からず、イオルクはユニスに顔を向ける。

「ユニス様、何もしないの?」

 カップを置いて、ユニスが自分を指差す。

「わたし?」

「そう」

「まあ、本を読んだり、絵を描いたり……かしら?」

(この人達、娯楽ってものを知らないのかな?)

 思わずため息を吐き出し、イオルクは腰のベルトに固定してある皮袋に手を突っ込んだ。『あれでもない。これでもない』と呟きながら、掴んだ手応えからそれを掴み、ユニスの座る机まで進むと、それを置く。

「トランプしましょう」

 ユニスは机の上に置かれた紙のケースに入ったままのトランプを暫く見つめ、やがてゆっくりと手を伸ばしてトランプを取ると小首を傾げた。

「何? これ?」

「知らないんですか⁉」

 イオルクからすれば、誰でも知っている玩具の一つ。時間つぶしの余暇を埋めるものに過ぎない。それをユニスは知らないという。

 ユニスは知らないことを肯定して頷くとティーナへと顔を向けるが、ティーナは視線を宙に泳がせるだけだった。

「もしかして、隊長も知らないんですか?」

 イオルクの問い掛けに、ティーナは咳払いを入れる。

「う、噂には聞いたことがある」

「噂になるような大それた物じゃないでしょう……」

 ユニスが紙のケースを開き、小さな手の中でカードを広げて確認する。扇のように広がったカードの一枚一枚は、まだ真新しい感じがする。

 ユニスは、イオルクが買い替えたばかりなのかもしれないと思う。

「模様と数字が書いてあるのね」

「そう、それを使ってゲームをするんです。やりませんか?」

 イオルクがユニスとティーナにそれぞれ目を向けると、ユニスは興味を示した目をしていたが、ティーナは面倒くさそうな顔をして腕を組んだ。

「こんな下賎なものなど、やる必要はない」

「下賎ですか?」

「下賎だ」

「ふむ……」

 イオルクは腕を組んで顎の下に手を当てる。

 今日一日だが、ティーナという女騎士の性格は大体つかめた。自分の理解していないものには手を触れようとしない。だが、プライドが高いので、言い方ひとつで簡単に乗せられる一面も持っている。

(ここは隊長を誘導するか……。こんな固い考えのままじゃ、俺が持たない)

 イオルクは不敵に唇の端を吊り上げて言う。

「隊長、逃げるんですか?」

「何だと?」

 イオルクのイラつかせるにやけ顔と言い方に、案の定、ティーナがピクリと反応した。

 イオルクは両手をあげて肩を竦めて続ける。

「誰でも出来るんですよ? 優秀な騎士の隊長が、この程度のゲームを出来なくて、どうするの?」

 ティーナの片眉がピクピクと動き、強く目を結んだ後にカッ!と開かれる。

「いいだろう! 相手になってやる! 一騎打ちだ!」

 鋭い視線を向けるティーナの視線をイオルクは指で誘導する。

 ティーナの視線がゆっくりとユニスに向かう。

「三人でやるんです」

「あ」

 間抜けな声を出したティーナを見て、ユニスはクスリと笑った。

 完全無欠なティーナが見せる珍しい一面だった。


 …


 こうして三人はトランプをすることになった。ユニスの机は大きすぎるため、普段は花瓶を置いている台を机代わりに三人は椅子に座って丸く囲んだ。

 最初のゲームは、カードの種類を理解するためにババ抜きである。

「時計回りにカードを一枚引いて、同じカードが揃ったら真ん中に捨てる。最後にババが残った人が負けです」

 説明をした後で、トランプを扱いなれているイオルクがカードを配ることになった。十回ほどカードを切って混ぜ、一枚ずつカードを振り分けていく。

 配り終わったカードをそれぞれ取ると、ユニスが配られたカードを確認しながら呟く。

「合わせるだけでいいのね。簡単なゲームだわ」

「まあ、カードの種類を覚えるためなんで、最初から複雑なゲームはしません。気軽にやってください」

 配られたカードの最初の整理で、同じ数字のカードを捨てながらティーナが呟く。

「運が頼りか……。この時点で、手に残るカードの枚数に差が出るな」

「だから、ゲームが成立するんですよ。じゃあ、ユニス様から時計回りで」

 ババ抜きは、ユニス→ティーナ→イオルクの順番でカードを引いていく。イオルクが自分のカードをユニスに向けると、ユニスは『う~ん……』と悩んで真ん中付近のカードを抜き取った。

「あ、揃ったわ」

 ユニスが机代わりの台の真ん中に揃ったカードを捨てると、続いてティーナがユニスの手札から左端のカードを取った。

「まだ手札が多いので、揃いやすいですね」

 ティーナも同じように揃ったカードを机代わりの台へと捨てる。

「まあ、徐々に合わないカードも出て来ますよ」

 ティーナの手札の右端のカードを抜き取り、イオルクも同じように机代わりの台へとカードを捨てる。

 そして、机代わりの台の真ん中に捨てられたカードが増えるにつれ、イオルクはあることに気が付いた。

(この二人、顔に出る……)

 最初、ババはイオルクにあった。そのババをユニスが取った時、顔が引きつった。更にユニスは、ティーナが取るカードに一喜一憂している。

 一方のティーナもババを引くと、ユニスと同じように顔を引き攣らせた。しかも、イオルクがカードを引く時、右に左へと手が移動する度にババのあるカードの所で口元に笑みが出る。

 そのため、ババはティーナの手から移動することなく勝負は決することになった。

「くっ!」

 手に残るカードを睨んで、ティーナが悔しさに声を漏らした。

 だが、イオルクからすれば、勝負にもならない状況にがっくりと肩を落とさざるを得ない。

「あんたら酷い……」

 ユニスは『勝ったのに、何で?』という顔をイオルクに向け、ティーナはムッとした表情を向ける。

「コツ……教えましょうか?」

「これは運だろう」

 苛立ち交じりに言ったティーナに、イオルクは顔の前で手を振る。

「隊長、違う。駆け引きも含まれてます。――二人とも顔に出てますよ。ババを引けば顔を顰めるし、相手がババを引きそうになれば頬が緩んでる」

「顔に出てたの?」

「そう」

 納得するユニスに対し、負けたティーナは納得できないらしい。立ち上がって、イオルクを指差す。

「貴様! 一人だけ、そんな高等技術を使っていたのか!」

「どこが高等技術なんだよ……。そんな簡単に顔に出して、どうするんですか?」

 ティーナが右手の人差し指を立てる。

「もう一度だ!」

「いいですよ。今度は顔に出さないでよ」

 台の上のカードを集めて、イオルクはカードを切り始めた。


 …


 五分後、二度目のババ抜き――。

 呆れるイオルクの前で、ユニスとティーナが険しい顔をしている。

 イオルクがさっさと上がったのでユニスとティーナの一騎打ちになったのだが、ユニスとティーナの状態は改善されることはなかった。二人とも顔に出て勝負にならなかったのである。

「奥が深い……」

「戦場では、こんなことはないのに……」

(ある意味、微笑ましい光景ではあるが)

 これでは勝負にならず、イオルクが延々と独り勝ちをすることになる。そんなゲームが面白い訳がない。

 ユニスがイオルクの腕を掴む。

「イオルク、他には⁉ 他のコツを教えて!」

「他人の感情なんて、どうしようもない。そもそも、何で顔に出すの?」

「……つい」

 イオルクは投げやり口調で片手を振る。

「いっそ、目を閉じれば?」

「「それだ!」」

(本当かよ……)

 ババ抜きは、いつの間にか真剣勝負になる。ユニスとティーナが目を閉じることで顔に出なくなった。

 しかし……。

「目を閉じると面白さが半減するわね」

「まあ、ゲームを半分してないようなものだし。俺が卑怯者なら、目を閉じてる間にカードを盗み見ます」

 ティーナがユニスに向け、声を掛ける。

「姫様、これは訓練が必要なゲームです」

「そうね。少し特訓が必要ね」

 何か決意を秘めた顔で、ユニスとティーナは力強く頷いた。

(そこまでのものだろうか?)

 そんなこんなで備え付けの時計の鐘が鳴り、夕食の時間が訪れた。

「ここまでみたいだ」

 カードを纏めて紙のケースに戻すと、イオルクは腰に備え付けている皮袋にトランプを押し込んだ。

 帰宅のためにイオルクが立ち上がると、ユニスがビシッと指を向けた。

「イオルク、明日もやるわよ!」

「付き合いましょう。明日までに、顔に出る癖が治ってるといいですね」

「うぐ……!」

 その後、ユニスを夕食の席へと送り届けると、ティーナとイオルクは帰宅の途についた。


 …


 まだは日は落ちておらず、王都の街並みには仕事を終えた人々や家に帰る子供たちの姿が目に付いた。

 その王都の石畳の道を歩きながら、ティーナがイオルクに話し掛ける。

「明日も同じ時間に来い」

「今日はどこに行っていいか分からなくて偶々早く城を訪れたけど、出勤するには早くない?」

 いくらユニスの御付きをするにしても、あまりに早い時間帯。他の部隊の騎士達も、城を訪れていない。

「姫様の予定は朝からぎっしりだ。私が剣を振ることが出来るのは、早朝と帰宅後だけだ。故に早朝に剣を合わせたいのだ」

「隊長都合……」

 ジトッとした目を向けるイオルクを気にすることなく、ティーナは歩きながら言う。

「貴様も強くなりたいなら、相手が欲しいだろう」

「ん?」

 イオルクは顎に右手を当て考える。

(今日貰った、重り入りの手甲と具足で筋力の低下は防げるかもしれないけど、確かに実戦形式の修練が不足してるのは間違いないんだよな。帰りが早いから、修練場でカバーしてもいいけど、帰宅後まで隊長と居ると気が休まらないし……)

 気が休まらないのは、きっとティーナも同じだろうが、自分以外を二の次にしてイオルクは自分のメリットを口にする。

「まあ、朝が早いっていうのを除けば、俺みたいな駆け出しが隊長クラスの騎士から手ほどきを受けれるのは貴重なんだよな」

「その通りだ。貴様は運がいい」

 そう答えたティーナを見ると、イオルクなど見ていなかった。伺う表情は凛としたままのせいか、どこか厳しく見える。

 イオルクは『まだ嫌われているのかな?』と思いながら話し掛ける。

「隊長、話変わるんですけど……」

「何だ?」

「『貴様』って呼ぶの、やめてくれません? 何か、いつまでも敵対視されてるみたいで……。俺の話し方も少しはマシになったでしょう?」

 ティーナは足を止めると、イオルクに向き直った。

「そうだな。いつまでも『貴様』では、他の隊からも奇異の目で見られるだろう」

「でしょう?」

「これからは、『お前』にしよう」

「…………」

 イオルクは溜息を吐く。

(少し柔らかい表現になったけど、名前で呼んではくれんのか……)

 イオルクが項垂れると、ティーナは先を歩き始めた。それに続くイオルクだったが、ティーナが直ぐに振り返った。

 ティーナが軽く手をあげながら言う。

「では、私はここで」

「あれ? 何で、俺の家との分かれ道を知ってるんですか?」

 そこはちょうど分かれ道になっており、どちらがどっちの分かれ道に行くかは分からないはずだった。

 間抜けな表情できょとんとするイオルクに、ティーナは答える。

「私は、元々フレイザー様に仕えていたからな。何度か帰り道を一緒にしたことがあるのだ」

「ああ、なるほど。ジェム兄さんも言ってたっけ。では、失礼します」

 イオルクが軽く頭を下げると、ティーナは軽く頷いて踵を返した。

 暫くすると、イオルクが自分の家へと走り出す音が聞こえ出した。城での任務だけでは体力が有り余っているのだろう。

 ティーナは別れた後の帰り道で遠ざかる足音を聞きながら、今日一日を振り返る。

(なんとも気疲れのする一日だったな)

 思い出されるのは、ユニスのことよりもイオルクを叱りつけていたことばかり。昨日感じた通りの軽い性格だけでなく、いつ上の者に粗相をするか分からない危険極まりない存在だった。

 しかし、それでも今日一日で教えられることは伝えた。拳で……。

 ティーナは少しだけまともになったイオルクの言葉遣いに、今日の成果を思う……が、それ以外は、あまり進展しなかったと眉間に皺を寄せて溜息を吐く。

(あの男を躾けるには、どうすればいいのか……。長く掛かりそうだな)

 今まで会ってきた人物の中で、イオルクと特徴の合致する人間は一人も居ない。

 ティーナは『何故、姫様はあのような男を側に置いていて平気なのか?』と、今日一番大きな溜め息を吐いた。

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