第3話

 イオルクが去り、部屋に残されたユニスとティーナ――。

 ティーナは、未だに悪夢が拭い去れないような気分だった。

「姫様……。あんまりです……」

「そう?」

「よりにもよって、部下があの様ないい加減な者など……」

「まあ、個性は強いわね」

「個性? あれを個性というのですか? 粗野な言動に、いい加減な性格……。とてもブラドナー家の者とは思えません。以前、御仕えしていた長男のフレイザー様は、尊敬できる騎士然とした言動と態度でした」

「確かに謎多き人物ではあるわね。その辺も、徐々に調べてみたら?」

「私が調べるのですか?」

「興味が尽きないのよね」

「私は、新たな仕事が増えたような気がしてならないのですが……」

「気にしなくても、また正式な部下になる前に居なくなると思うけど?」

 そこでティーナは冷静さを取り戻し、顎に右手を持っていく。

「……それもそうですね。あのような根性なしに、私の部下は務まらないでしょう」

 ユニスは少し引き攣った笑いを浮かべる。

(ティーナの扱きは半端じゃないから……。今まで、皆、逃げ出しているのよね……)

 何気にイオルクの騎士の人生は、始まって直ぐに終わりを迎えそうな雰囲気を醸し出していた。


 …


 ブラドナー家――。

 ユニス直筆の辞令を持ち、イオルクが気分よく城から帰宅すると、早速、二階のランバートの部屋をノックする。

 ランバートは、気が気でないという状態でイオルクを待ち続けていたため、直ぐにイオルクを部屋の中へと通した。

「どうであった? 一体、何の用件だったのだ?」

「これで、俺は騎士です」

 イオルクがランバートに辞令を見せると、ランバートは奪うように辞令を見て驚愕した。

「こ、これは……‼ 姫様の直筆ではないか⁉」

「そうだよ」

「そうだよって……。事の重大さを分かっているのか?」

「?」

 イオルクが疑問符を浮かべて首を傾げたのを見て、ランバートは溜息を返した。

「やはり、分かっていないか……。もしかしたら、お前は重い罰を受けていたかもしれんのだぞ」

「……何で?」

「姫ということは、当然、特別な権限を持っている。もし、その場で気分を害されでもしたら、どんな罰が下っていたことか」

「…………」

 イオルクの頬を一筋の汗が流れた。

(……俺、もしかして紙一重だったんじゃないか?)

 今になって、自分のしたことの重大性が思い出される。何か、いろいろと用件以外のことが、あそこでは起きていたような気がする。

「姫様だけでなく、御付きの従者の方にも粗相はなかっただろうな?」

(もう、手遅れだ……)

 イオルクは両手を振って答える。

「だ、大丈夫です! 俺と姫様の相性はバッチリですから!」

「何の相性だ?」

「はは……」

 笑って誤魔化すイオルクに、ランバートは続けて質問をする。

「姫様との相性は分かった。従者の方とは、どうなのだ?」

「…………」

 ランバートが真っ直ぐに見続けていると、イオルクは視線を外しながら答えた。

「……多分、最悪です」

「お前……。もう、何かしただろう……」

「あ、明日から巻き返すよ!」

 ランバートはがっくりと項垂れると、手で『もう、話はない』と伝える。

「じゃ、じゃあ、これで!」

 イオルクは、そそくさとランバートの部屋を退室すると、扉に寄りかかって言葉を漏らす。

「終わったかもしれない……」


 …


 夕食時――。

 ブラドナー家の全員が食事用の広間に集まる団欒の時間。

 ランバートは、皆が集まるこの時間を利用してイオルクの騎士への昇進の話をしようと考えていた。最初はイオルクに話をさせようかと思ったが、三男は話を脱線させてから本題へ入るような傾向が強い。故に、イオルクに一人で説明させるわけにはいかない。

 ランバートは食卓を囲む面々をゆっくりと見渡す。座席には、ここ最近、頻繁に会話をしている次兄・ジェム、末弟・イオルクの他に、妻であるセリアと長兄であるフレイザーの姿もある。

 ここでブラドナー家で紹介されていない、二人を紹介する。

 ランバートの妻・セリアは、家族の中で唯一違う栗色の髪を短めに纏めた黒目の女性であり、女性の平均的な身長。今日は深い緑の一薙ぎのスカートと一体の服を身に付けている。

 長男のフレイザーは、ランバート同様の長身にがっしりした体つきをして、短めの髪を逆立て鋭い目をしている。ジェムやイオルクに比べると雰囲気や話し方が大人びており、周囲からは豪傑と知られている。服装は鎧を付けられる服を意識して、一般の兵士と変わらぬ丈夫な麻の服で統一されている。これはジェムやイオルクも変わらない。代り映えのしない騎士一家の中では、セリアだけが服装が変わるのである。

 また、祖父と祖母は既に他界していて、ブラドナー家はこの五人家族で構成されている。

「皆、聞いて欲しい」

 夕食が始まる前、家族に向けてランバートが話し掛けると、その声に反応して家族のそれぞれの顔がランバートへ向いた。

 ランバートは家族を一周見回し、耳を傾ける準備ができたことを確認すると、咳払いを一つしてから話し出した。

「知っての通り、先日、イオルクが騎士への昇進試験に落ちた。しかし、何の因果か、この度、鉄の鎧に昇進した」

 突然の発表に、ジェムがランバートに訊ねる。

「どういうことですか? 間の銅の鎧を跳び越しての昇進なんて?」

 ランバートは複雑な表情で話を続ける。

「私も、どういった経緯かは分からないのだが、昨日、イオルク宛てに手紙が届き、城への呼び出しがあったのだ」

 フレイザーが首を傾げる。

「何故、見習いも終わっていないイオルクが……。それに昇進の件の話と噛み合いません」

 尤もなフレイザーの指摘に、ランバートは頷く。

「順を追って話そう。その手紙の内容は、呼び出しだけで見当もつかなかった。正直、私は度重なる試験の落第でイオルクの受験資格がなくなることも覚悟した。しかし、先ほど帰って来たイオルクの話で、ようやく理由が分かった。呼び出しの内容は、イオルクを姫様専属の騎士にすることだったのだ」

 フレイザーとジェムがイオルクに目を向け、フレイザーが事の真相をイオルクに問う。

「どういうことだ?」

「詳細は父さんにも話してないから、ここで話しちゃうね」

 フレイザーとの会話中だったが、思わずセリアが溜息交じりにイオルクに話し掛ける。

「イオルク……。その話し方、どうにかなりませんか?」

「変かな?」

「貴方、昔は、ちゃんと敬語を使っていたでしょう?」

 イオルクは右手を頭に持っていく。

「いや~、皮の鎧長いもんで。周りは名家ばかりじゃないんで敬語使うと浮いちゃってさ。自然と身についたんだ。こっちの方が話し易いし」

「経緯はいいわ。直るの? 直らないの?」

「直らない」

 がっくりと肩を落としたセリアの背に手を当て、ジェムが気遣って言う。

「大丈夫ですよ。城に勤めれば、嫌でも敬語に戻りますから」

「そうかしら?」

 ジェムの言葉を聞きながら、フレイザーは『直らないだろう』と思っていた。記憶している中で一番イオルクの言葉遣いを何とかしようとしているのはセリアだ。そのセリアが匙を投げたのであれば、誰もイオルクを矯正することはできないことを知っていたからだ。

「…………」

 フレイザーは無言で、コップの中の水を一口飲んだ。

 そんな家族の心配と思惑を無視して、イオルクの会話は続く。

「ところで兄さん達に質問なんだけど、姫様って、どういうイメージがある?」

 突然のイオルクの切り出しに、フレイザーとジェムは顔を見合わせた。城に勤めている二人は、ユニスを見掛けることも少なくない。

 ジェムが右手で譲ると、先にフレイザーが答えた。

「そうだな……。言動から意思の強さを感じるな。あの歳にしては、しっかりしていると思う」

「私も同意見ですね。付け加えるなら、やや活発で居られるぐらいかな」

 二人の兄から出た言葉は、イオルクが見たユニスの印象と大きく違っていた。


 ――ユニスには明らかに裏と表の顔がある……。


 イオルクは、そう判断した。思い返してみれば、試験を受けさせられた時、『どうせ落ちるのだし……』と言っていた。つまり、二度と合わないと思い、裏の顔である素の顔をイオルクには見せてしまったということだ。

「兄さん達は少し間違ってる。俺の会った印象は、活発で悪戯っ子です」

「……まさか」

「冗談だろう?」

「俺が呼び出された本当の理由は、直属の騎士にすることではなかったんだよ」

 不機嫌そうに椅子に凭れ掛かったイオルクに、フレイザーが続きを促しながら訊ねる。

「では、何故、呼び出されたのだ?」

「俺の筆記試験の内容が知りたかったんだ……あのガキ」

「……なに?」

 乾いた笑いを浮かべるイオルクを家族は不気味そうに見ていたが、テンションのおかしくなったイオルクが、今度は怒涛のようにしゃべり出した。

「あのガキ! 直属の騎士にするってのは建て前で、俺の落第の原因を知りたかったんだ! それで筆記試験を受けさせて原因を確認したんだよ! しかも、どうせ落ちると思ってたぐらいだ! ふざけやがって、あのヤロー!」

 立ち上がり、ダンッ!と床を踏みしめたイオルクに、フレイザーのグーが炸裂した。

「姫様をガキ扱いするな!」

 常人離れした長兄の手加減のない一撃が、イオルクをテーブルに突っ伏させた。この一撃にもビクともしないテーブルは、さすが貴族仕様といったところだ。

「今度のテーブルは大丈夫そうね。この前は、粉々に砕けちゃったから」

 貴族仕様ではなく、イオルク仕様でテーブルが頑丈だったらしい。イオルクが躾を受けているのは日常茶飯事であり、家でも城でも、どこでも変わらない。

 突っ伏していたイオルクがのそのそと動き出し、顔を上げておでこを擦りながら言う。

「まあ、そういうことがあって……。その場の筆記試験で合格して、お付きの騎士になれたわけ」

 イオルクが自分の椅子に座り直すと、フレイザーも溜息を溢して着席した。

 そして、一部始終を聞いたランバートから結論の言葉が漏れる。

「つまり、偶々姫様の気まぐれで騎士になれたのか……」

 ランバートは眉間に寄せた皺を揉み解すように指を当てる。

 そんな今だ整理がつかないランバートに、セリアが話し掛ける。

「あなた。それにしても、何故、イオルクは二階級も特進したのですか?」

「城で勤務するには鉄の鎧以上の階級が必要になるからだろう。きっと、姫様は王族の人間に与えられている特権を利用して、イオルクの階級を上げたのだ」

「それだけの為にですか?」

「イオルクの話が本当なら、姫様は、かなりの悪戯好きだ」

 ジェムが額を押さえて言葉を溢す。

「今までの姫様のイメージが崩壊しますね」

「まったくだ」

 フレイザーも同意を口にした。

「でね、そんなこんなで、その場で直筆の辞令を貰ったんだ。えへへ……」

 締まりのない笑みを浮かべるイオルクに、他の家族全員から再び溜息が漏れた。

「ところで、イオルク」

「何? ジェム兄さん?」

「落第の原因は分かったのか?」

「……え?」

「何で、『え?』なのだ? 姫様は、落第の原因が知りたかったのだろう?」

 ジェムの質問に、イオルクは内心焦った。その質問に対する答えを用意していない。正直に言えば昼間のティーナのように殴られるだけだ。

 そうと見越して、イオルクはジェムの質問に嘘をつくことにした。頭に左手を当て、上辺を繕って答えを返す。

「その、結局、分かりませんでした」

「そうなのか?」

 このままでは勘繰られると、更に誤魔化すようにイオルクはジェムに話し掛ける。

「ひ、一つ質問したいんだけど、いいかな?」

「何だ? 突然?」

「俺、辞令は貰ったけど、明日から何処に勤めればいいの?」

「…………」

 家族は沈黙する。

 誤魔化すために適当に投げた質問だったが、それは非常に重要かつ優先すべき質問だった。

 ランバートが、イオルクに質問を質問で返す。

「辞令には書いてないのか?」

「何も書いてないよ」

 直ぐ様、ランバートは使用人に新たな手紙が届いていないか確認して貰った。

 だが、ポストには何も届いていないとのこと。

 フレイザーも別のことが気に掛かり、疑問を口にする。

「鎧や装備は、どうするのだ? 鎧は騎士の階級を区別するものだが、配属される部隊によってデザインの統一があったはずだ」

「兄さんの言う通りだ。それに他にも問題がある。銅の鎧を飛び越えるから、城のルールや礼儀作法の研修を受けずに城勤めをすることになる」

「ルール? 礼儀作法?」

 イオルクは嫌な予感がしてきた。

「それって拙くない?」

「非常に拙い……」

「ルールや礼儀作法なんて、直ぐに身につかないぞ」

「それ以前に、俺は何処に勤めるんだ?」

「今から城に連絡を――」

「ダメだ。もう、門が閉まっている」

 ランバート大きな溜息を吐くと、疲れた目を次男に向けた。

「ジェム、悪いが明日、付き添ってやってくれ」

「……仕方ないですね。分かりました」

 イオルクは誤魔化し笑いを浮かべながら、自分を指差す。

「ジェム兄さん、俺のせいじゃないからね?」

「お前のせいだよ……」

 こうして、ブラドナー家の夕食は大幅に遅れるのであった。

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