第37話 刹那の果てまで愛をこめて

 ファイアーヴェルク小聖域にて急襲の黒竜キュムラスと命名された黒瘴こくしょう竜に襲われてから、早四日。


 死の淵を彷徨ったはずの僕とローズは、ヘーレン先生たちによる救急と、現代最高峰の医術と治癒術をもつアルクス医科大学病院のセラピア先生たちの治療におかげで、そこそこ動けるまでに回復した。


「怒られたね」

「凄く怒ってたわね」


 アルクス医科大学病院屋上で、僕とローズは手すりに寄りかかりながら、どこまでも澄み切った青空をボーっと見上げた。


「でも、セラピア先生があそこまで怒るのは分かるのよ。私だってとても心配したんだから。というか、あれ、何パーセントだったのよ」

「最低でも二十パーセントは超えたんじゃない? 極限状態だったのかわからないけど、なんかイケた」

「なんかイケたじゃないわよ、全く」


 ローズは溜息を吐き、包帯グルグル巻きの僕を見た。近くには松葉杖もある。


 正直戦うのに必死過ぎて自分の状態はあんまり分かっていなかったのだが、どうやら相当酷い状態だったらしい。


 四肢を走る血管の半分が破裂し、内臓が損傷し、刀を握った右腕と右肩、それに右足は複雑骨折をしており、左腕や左足の筋肉も大きく裂けていたとか。


 そもそもヘーレン先生に治療してもらったとはいえ、あくまで最低限。黒瘴こくしょう竜との戦いで重傷を負っていた。


 セラピア先生によれば入学式前に運ばれた時よりも酷かったらしく、生きているのが不思議と思えるほどの状態だったとか。


 まぁ、≪回癒≫の生命維持の力のおかげだろう。


「というか、ローズも人の事言えないと思うんだけど。何で斬るだけじゃなくて、体当たりまでしたの? それで全身のいろんな骨を折ったりし、内臓とかもかなり痛めたんでしょ?」


 僕と同じく全身包帯に巻かれたローズを見やる。


「しかも、生命維持に必要な霊力を消費したとか。あれ、奇跡的に生還しても脳に障害が残る可能性があったんだよ。そういう後先考えずに無茶するのは控えて欲しいんだけど」


 ローズは倒れた僕に真っ先に駆け寄り、後先考えず生命維持に必要な霊力すら使って治癒術を施したのだ。


 そしてぶっ倒れたらしい。


 僕は≪回癒≫があるからいいけど、ローズはそうじゃない。本当に心配したのだ。


 というニュアンスを込めて言えば、ローズが両目を吊り上げて僕に怒鳴る。


「ホムラ君にだけは言われたくないわよッッ!!」

「ご、ごめん」

「大体、例の検証もあったし、ホムラ君の手を握ってれば大丈夫っていう確信があったのよ! 私はホムラ君と違って無茶も無謀もしないわよ!」

「……してると思うんだけど」

「何か言ったかしら?」

「……言ってません」


 ローズがめっちゃ怒っているっぽいので、少し話を逸らす。


「というか、例の検証って何?」

「あれよ。≪回癒≫の他対象の効果検証の事よ。五月ごろしたでしょ?」

「……あ」


 思い出す。ローズと一緒に寝た夜の事を。


 甘く優しい匂いに柔らかい温もり、シミ一つない綺麗な肌に真っ白の下着、それに顔に押し付けられた大きなおっぱいの……


「あぅ」


 顔が熱くなり、脳が沸騰する。


「ほ、ホムラ君ッ! 何顔を真っ赤にしてるのよ! この変態っ!」

「へっ、変態じゃないよ! 誰だってこうなるよ! 普通だって! それにローズだって顔真っ赤じゃん!」

「わ、私のは違うのよ! これはあれよ! ちょっと熱が出ただけなのよ!」

「それはそれで問題だと思うんだけど……」


 言い訳が下手くそすぎる。自然とジト目になってしまう。


「ッ! 話を戻すけど、全部ホムラ君が悪いのよ! 血をドバドバ流して、腕とか足とかを変な風に曲げて!」

「好きで曲げたわけじゃないんだけど」

「黙りなさい! それに、呼吸もしてなくて心臓も止まってたのよ! 誰だって限界まで霊力を使って治癒するし、人工呼吸だってするわよ! もう!」

「ご、ごめん……」


 ポカポカと力なく叩かれた。ローズがどれだけ心配したかが伝わってきて、弱ってしまう。悪いことをした。


 ……僕が助かったのは≪回癒≫だけじゃなくて、ローズの懸命な治療のおかげだったんだね。


 ローズは本気で約束を果たしてくれたんだ。呪いから守ってくれたんだ。


 ん? けど……


「ねぇ、人工呼吸って何? というか僕、呼吸してなかったの? 聞いていないんだけど」

「あ……わ、忘れなさい! 今すぐ忘れなさい!!」


 いや、忘れられないって。


 え、何、ローズに人工呼吸されたの? え?


 ローズの唇が目に入る。グロスを塗ったかのように艶やかで、小さく可愛らしいピンクの唇。


 あれが触れたの? 僕の唇に?


「あぅ…………」

「ッ、ああもう! こうなるからセラピア先生に頼み込んで黙ってもらったのに!」


 ローズはキッと僕を睨んだ。


「あれは人命救助のためでノーカンなのよ! ノーカン! 分かったっ!?」

「わ、分かった」


 あまりのローズの気迫に僕はブンブンと首を縦に振った。


「こほん。それより例の取材、どうするのよ?」

「どうしよっかな。昨日の記者会見に出させて貰ったときに話したい事は全部話したし」


 昨日。聖霊協会や聖霊騎士団などが、ファイアーヴェルク小聖域を襲った灰之宴スタンピード黒瘴こくしょう竜の件、また同日時に行われた灰の明星の掃討作戦についての記者会見を行った。


 そこそこ動けるまでに回復した事もあり、またメディアや世間からの期待もあり僕はその記者会見にテレビ通話で出させてもらった。


「あけすけなく話してたわよね」

「意外と緊張しないもんなんだよね。まぁ、黒瘴こくしょう竜との戦いを経験したのもあるんだけど」


 どうして黒瘴こくしょう竜と戦ったのか、≪回癒≫や≪刹那の栄光オーバー・クロック≫の事、灰鉄流の事、ローズとの関係や聖霊騎士を目指している理由など。色々と聞かれたけどよどみなく答えられたと思う。


 黒瘴こくしょう竜と戦った理由とか聖霊騎士を目指している理由とかを問われて、母さんが僕を守って戦った事がきっかけですと答えたら、ちょっと暗い雰囲気になってしまったけど。


「ネットニュースとか見ると、感動話って扱われてるわよ。あの記者会見を見てて泣いたとか言ってる人もいるらしいし」

「そこまで感情を込めて話してなかったと思うんだけど」

「こもってたわよ。悔しさとかが凄く滲み出てたわよ」


 ……仕方ない。僕の原典だし。


「けど、灰鉄流の事とか≪刹那の栄光オーバー・クロック≫とかをキチンと話せてよかったなと思ってるよ。鼠人族への視線が結構変わると思うし」

「あれもあれで、かなり雰囲気悪かったからね? 要約すると、アナタたちに迫害されて必死に生き延びるために身に着けた技って事だからね?」

「……長老たちが、先人たちが許してるとはいえ、過去の僕たちへの言動は本当に嫌なものだから」


 多少の他意はあった。


「それに勝手の僕を神輿に祭り上げてローズを侮辱した聖灰黎明に対する警告の意味もあったし。色々と文句も言ったからしばらくは大人しくなると思うよ」


 ショッピングモールの件から続いていた疑念などについても、一先ず僕が公式に口にしたこともあり、終息に向かうだろう。


「……うん。やっぱり話したい事は全部話したし、取材は断ろうかな。一つ受け入れると際限なさそうだし。ローズはどうするの? 生中継はローズの戦いも映してたから、取材の打診があるんでしょ?」

「あるにはあるけど、断ってるわよ。私の本分じゃないし、何もしてないからね」

「……ローズはとても頑張ったと思うけど。というか、一番の功労者だと思うけど」


 五分間の間に瓦礫に埋もれて傷ついた同級生の命を助けて、住民の避難まで行って。黒瘴こくしょう竜としか戦ってない僕より、多くの人を助けた。


「ローズがいたから僕は何の憂慮もなく戦えたんだよ。黒瘴こくしょう竜を倒せたのも、ローズがその道を切り開いてくれたから。だから自分は何もしてないなんて言わないで。それはライバルの僕が許さない」


 僕はローズの黄金の瞳を真剣に見つめた。


「……そうね。ごめんなさい」


 目を伏せたローズはゆっくりと口を開いた。


「……ホムラ君、右手を出して」

「あ、うん」


 ローズが僕の右手を握ぎり、手の甲に唇を落とした。


「その勇敢な覚悟と戦いに敬愛を。その手の温もりに触れられる奇跡に祝福を」


 右手で左胸を二度叩き頭を垂れ、再度左胸を二度叩き頭を垂れた。


 さらに僕に顔を近づけて。


「そして刹那の果てまで愛を込めて」

「え」


 僕の額に口付けをした。


 ローズは顔を真っ赤に染めながら、おずおずと僕を見た。


「……どう? カオリ先輩から聞いたの。鼠人族の伝統なんでしょ?」

「そ、そうだけど……」


 黒瘴獣こくしょうじゅうと戦い生き延びた戦士に対して、刀を握る手の甲に口付けをし『その勇敢な~奇跡に祝福を』を告げる。これは家族だけに限らず、友人や仲間、近所の人や単なる知り合いまで。誰でもする行為だ。


 だけど、額に口付けして『そして刹那の果てまで愛を込めて』を告げるのは、それこそ特別な……


「すぅ」


 僕は深呼吸をして、バクバクと脈打つ心臓を落ち着かせる。

 

 ……ローズも黒瘴こくしょう竜と戦ったから、最初は手順通りに。


「ローズ。右手を」

「……はい」


 僕はローズの右手を手に取り、その甲に唇を落とす。


「その勇敢な覚悟と戦いに敬愛を。その手の温もりに触れられる奇跡に祝福を」


 左胸を二度叩いて頭を垂れ、再度左胸を二度叩き頭を垂れ。


「そして刹那の果てまで愛を込めて」


 ローズの額に口付けをした。


 胸が張り裂けそうなほど痛い。とても怖い。でも、胸の奥から溢れる感情は止められなくて。


「好きだ、ローズ」


 想いを口にした。


「……私も」


 永遠に感じられるほど、短い沈黙の後。


「私も好きよ、ホムラ君」

「ッ」


 紅く染まった頬。潤んだ瞳。震える手と唇。微笑みは強張り、それでいて溢れんばかりの想いを映していて。


 僕はローズの頬に手を添えて、キスをした。

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