第35話 戦え

「ここは……ローズさん?」


 目を覚ましたヘーレンはローズに気が付く。そして先ほど極太の光に襲われたのを思い出し、ハッと周りを見渡した。


「ッ、何をして――!」


 瓦礫が散らばり、生徒たちが血を流し倒れている。ヘーレン以外の教師も皆、意識を失っている。意識ある生徒はパニックに震え叫んでいる。


 それだけでヘーレンは焦るのに、あの遠くに見える光景はなんだ。


 見るだけで恐怖で体がすくむ黒瘴こくしょう竜と戦っているのは誰だ。


 何故戦っている!?


 衝動的にヘーレンは立ち上がり、彼へのもとに駆けだそうとした。今すぐにでも戦闘をやめさせなければ。それは子供がするべき事じゃない。大人がするべき事で――


「ヘーレン先生!」


 ローズがヘーレンを止めた。


「今は皆の救助と避難を手伝ってください!」

「ですがっ!」

「駄目です! 今、先生が行って何になるんですかっ!? 誰が黒瘴こくしょう竜相手に時間稼ぎをできるというんですかっ!」


 一教師でしかないヘーレンにはできない。ヘーレンにできるのは治癒術や霊薬を使った救護のみ。


 実技戦闘系の教師はここにはいない。ファイアーヴェルク小聖域を警護するファイアーヴェルク聖霊騎士団の誰一人、黒瘴こくしょう竜と戦い続けることなどできない。


 もちろん、ローズも。


 悔しさに拳を握りしめながら、ローズは叫ぶ。


「一秒でも早く、救助と避難を! ホムラ君が逃げられる準備を!!」

「ッ」


 ヘーレンは覚悟を決めた。生徒に戦わせる事を選ぶ自分を責め、それでも今できることを。


「意識ある者、聞きなさい! これよりヘーレン・ナティーシャがこの場の指揮を取ります! 私の指示に従いなさい!」

 

 ビリリとヘーレンの声が響き渡った。

 


 Φ



 黒瘴獣こくしょうじゅうの強さはその身に宿す黒瘴気こくしょうきの量で決まる。


 何故か?


 攻撃が通らないからだ。


 ≪刹那の栄光オーバー・クロック≫と同じく自身に対しての外的な物理的現象の無効化を有した特別な黒瘴気こくしょうきをその身に纏っているのだ。


 だから、攻撃にはその黒瘴気こくしょうきを祓う霊力が必要になる。


 つまり、鼠人族僕ら黒瘴獣こくしょうじゅうに攻撃を与えられない。傷を与える事ができない。できたとしても、それはかすり傷にすら及ばない本当に小さな傷だけ。


「ガアアアア!!」

「灰鉄流――木葉流しッッ!!」


 高く俊敏に飛翔する黒瘴こくしょう竜から極太の光、極光ブレスが放たれた。その極光ブレスに込められた黒瘴気こくしょうきは濃密で、斬って相殺する事はできない。


 そして僕の背後にはファイアーヴェルク小聖域。回避は許されない。


 だから、僕は歯を食いしばって柄を両手で握り、手首を捻って極光ブレスの下方に“焔月”の刀身を滑らせる。


「ハアアアアア!!」


 どんなに技を磨こうとも肉体に負荷がかかる。肩に腕に足に、全身に掛かる負荷に、筋肉と骨が軋む音が響き、僕は血反吐を吐く。


 それでも極光ブレスを上に逸らすことに成功した。天を覆う黒瘴灰こくしょうはいの雲に一瞬だけ穴があいた。


「灰鉄流――!!」


 鼠人族の刀術、灰鉄流。


 その技の大半を占めるのは、攻撃ではない。相手の攻撃を防御、回避、受け流し、さらには予測、誘導を行う。


 膂力に頼らず、体に負担をかけず、技と戦術のみで強敵を制する。


 原理的に黒瘴獣こくしょうじゅうを傷つける事はできずとも、だがしかしどんなに強い黒瘴獣こくしょうじゅう相手であろうと戦い続けられる刀術。


 もちろん、それは理想だ。圧倒的強者を前に技術は無力でしかない。


 だけど、今、この瞬間だけはその限界を超えろ! 先人たちが数多の死体の上に築き上げてきた技術可能性を信じろ!!


「ガアアアア!!」

「灰鉄流――天地霧闘てんちむとうッ!」


 天と地を満たす霧一つすら見逃さず、その動きをとらえる技。


 黒瘴こくしょう竜が放つ様座な攻撃の全てを灰鉄流の刀術で躱し、逸らす。ファイアーヴェルク小聖域にその余波が届かないように誘導しきる。


「はぁあああああ!!」


 最弱としての本能恐怖が僕の体を強張らせようとしてくる。“焔月”が宿す≪危機感知≫がずっと警鐘を鳴らし、僕の思考を鈍らせようとしてくる。


 邪魔するな! 


 その本能恐怖で、その固有能力≪危機感知≫で僕を生かせ! 


 裂帛の叫びをあげて自分を叱咤し、僕は前進する。


「グルアァアア!!」

「灰鉄流――千雷せんらいッッ!!」


 空を悠々と舞う黒瘴こくしょう竜が翼を羽ばたかせれば、無数の黒瘴灰こくしょうはいと風の刃が僕に降り注ぐ。


 その刃一つ一つの速度と位置を全て認識しろ! 逸らして、他の刃に当てろ! 逸らせないなら斬れ!


 千の雷が奔ったかのように速くはやく刀を振るえ! 駆け抜けろ!


 シャラララランッと雷鳴を表すかのように、“鬼鈴”の鈴の音が響いた。


「ガアアア!!」

「ハァアアアアアアアア!!」

 

 黒瘴灰こくしょうはいと風の刃の絨毯を抜けたと同時に、僕の上部で黒瘴こくしょう竜が放った極光ブレスが輝く。


 けれど、驚愕はない。本能恐怖と≪危機感知≫で予測していた。


 だから己の命の危機に歯を食いしばりながら、地面を強く蹴った。


 “焔月”を上部の極光ブレスに投擲して一瞬だけ遅延させ、スライディングでギリギリ躱す!


「くっ」


 同時に極光ブレスが地面に着弾。その衝撃波で吹き飛ばされて空中で無防備を晒し。


「グルア!!」


 隙を与えぬ三段攻撃。


 飛翔していた黒瘴こくしょう竜が急降下しながら前方回転し、その長くしなやかで強靭な尻尾を、僕に叩きつけようとする。


「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫ッ!」


 消滅した“焔月”を展開し、ほんの一瞬だけ発動! 超強化した身体能力で空中を蹴り、振り下ろされた尻尾を横に躱す。


 そして同時空中で態勢を整えた僕は、“焔月”に高密度に練り上げた霊力を流し込み。


「灰鉄流奥義――霞穿かすみうがち!!」

「グァアアアアア!!」


 灰鉄流の数少ない攻撃技。霞のように小さく捉えずらい弱点を正確に穿つ突き技。


 尻尾の鱗と鱗の僅かな隙間に“焔月”を突き刺す。


 刀身の全てとはいかない。刃先だけだ。それでも、僕の体を支えられるくらい突き刺さった。


「ガアアア!!」

「グッ」


 黒瘴こくしょう竜は大きく驚き、高く飛翔しながら尻尾を上下に振るって僕を落とそうとする。


「ハアアアアアッッ!!」

 

 僕は尻尾が上に振るわれるタイミングを見計らい、“焔月”の柄から手を離す。すれば、僕の体は黒瘴こくしょう竜よりも高く飛ばされる。


 尻尾に突き刺さった“焔月”を消し、自分の腰に再展開。


 落下速度を殺さず、速く落ちる。


 そして練りに練り上げた霊力を“焔月”に込めて鯉口を切り、柄に手を掛けて。


「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫――」


 黒瘴こくしょう竜だって生き物だ。


 いくら外的物理法則の無効化を持っていようが、強力な異能を有していようが、構造上弱い部分がある。


 その一つが翼付根よくつけね


 黒瘴こくしょう竜は翼だけで飛翔しているわけじゃない。浮遊や風操作の異能と併用して飛んでいる。翼は速度上昇や飛翔向きを変えるための帆のような役割を果たす。


 だからそこまで強靭な筋肉や骨を必要としない。堅さで言えば三十センチ厚の鉄板くらい。


 それに、翼付根は関節部分であるため鱗などを纏っておらず、更に言えば空の王者である黒瘴こくしょう竜は背中を攻撃される事が少ないため、背中の防御が疎かになっている。

 

 故に、翼付根よくつけねにおける骨の位置を正確に理解し、超高密度に練り上げた霊力と鼠人族の奥義、そして≪刹那の栄光オーバー・クロック≫をもってすれば。


「灰鉄流奥義――雷斬ッッ!!」

「ガアアアアアア!!!」


 片翼を斬り落とすことさえできる。


「空飛んでて戦いづらいんだよ!」

「グルアアアア!!」


 黒瘴こくしょう竜を下敷きにして、地面に落ちる。着地と同時に、黒瘴こくしょう竜から距離を取って“焔月”を構えた。


 いくら浮遊や風操作の異能で空を飛んでいるといえ、片翼を失えば先ほどまでの俊敏な飛翔はできない。飛び上がるのにも時間がかかる。


 鼠人族にはあらゆる黒瘴獣こくしょうじゅうと戦うノウハウがある。

 

 そして黒瘴こくしょう竜と戦うとき、最も優先するべきは翼を片方でもいいから落とすこと。


 そうすることで空からの一方的な攻撃を封じるだけでなく、飛翔によって逃げる仲間を追いかけられる事を防ぐことができる。


 つまり、僕を無視して後ろのファイアーヴェルク小聖域に侵攻する可能性を限りなくゼロに近づける事ができた。もっと時間を稼げる可能性が増えた。


 霊力は残り二割だけど、それでも十分な結果だ。


 あとは、僕がひたすら耐え続ければいい。


「ガアアアアアア!!!!」


 黒瘴こくしょう竜が憤懣ふんまんに咆える。ビリリと空気が振動し、黒瘴灰こくしょうはいが舞い上がり、死が迸る。


 先ほどまでの僕をいたぶろうとする愉悦はもう既に失われ、圧倒的暴力で僕を殺そうとする凶暴性だけが残っている。


 片翼を落とされてもなお消えぬ、いや更に増した覇気に、僕は恐怖に震えながらニィと笑った。


「知ってる? 鼠はしぶといんだよ」

「ガアアアアアア!!」


 僕は駆けだした。

 

 

 Φ



 ファイアーヴェルク小聖域にそれなりの記者がいた。生中継を行える機材を揃えたリポーターたちもいた。


 皆、世の中の渦中にいるホムラとローズに取材を行おうと、アルクス聖霊騎士高校の合宿に張り込んでいたのだ。


 そして彼らは、今、生中継を行っていた。


 黒瘴こくしょう竜がファイアーヴェルク小聖域を襲い始めて、五分。


 一人のリポーターが叫ぶ。


『見えますでしょうか! 少年です! 鼠人族の少年です! 突如としてファイアーヴェルク小聖域を襲った黒瘴こくしょう竜と戦っているのです!』


 一キロ以上離れしかも逃げながら撮影しているため、その映像は解像度が低い。それでも、画面越しにその映像を見た人は目を疑うだろう。


『皆、逃げています! 私たちも距離を取りながら映像をお送りしています! なのに、彼は逃げません!! 戦っているのです!!』


 多くの人が全力で走り逃げている。悲鳴と怒声が響いている。


 その奥で、つまり黒瘴こくしょう地帯とファイアーヴェルク小聖域の境目で、高さ十メートル、体長五十メートルに迫るほどの巨体を持つ黒瘴こくしょう竜とホムラが戦っているのだ。


 黒瘴こくしょう竜と比較して、豆粒ほど小さいホムラが、家を簡単に押しつぶしてしまうほど大きな爪を弾き、風や炎の刃を切り刻み、極光ブレスを逸らしているのだ。


 傷つき、血を流し、今にも倒れそうなほど小さく弱弱しい体で、それでも雄たけびを上げて懸命に戦い続けるのだ。


『彼は本当に鼠人族なのでしょうかっ!? 最弱種族が、あんな小さな少年が刀一本で黒瘴こくしょう竜と戦う事ができるのでしょうかっ!?』


 黒瘴こくしょう竜がその巨体を横なぎに振るえば、ジェンガを崩すかのように防壁が崩れ去る。


 なのに、ホムラは刀一本で自身に迫る瓦礫を斬り飛ばし、黒瘴こくしょう竜の攻撃を弾くのだ。


 一般人は単に驚く。けれど、黒瘴獣こくしょうじゅうと戦った事のある者は、聖霊騎士は驚愕という言葉一つではいい表せない感情を抱く。


 単純な比較はできない。


 それでも内包する黒瘴気エネルギーを考えると、黒瘴獣こくしょうじゅうはそのランクが上がるごとに十六倍も強くなる。一般の聖霊騎士では、Fランクか、せいぜいEランクの黒瘴獣こくしょうじゅうと戦うのが精いっぱい。


 傷を与えられない? 


 そんなの関係ない。


 黒瘴こくしょう竜。しかもあの巨体。Bランクか、Aランクか。


 一般の聖霊騎士であれば、数十秒も持たず死ぬ。


 英雄と言われる限られた聖霊騎士しかあの黒瘴こくしょう竜の前では生きることを許されないのだ!!


 なのに、最弱の少年が刀一本で戦い、生き残っているのだ!! 


『彼は一期ホムラです! 例の少年です! 鼠人族の固有覚醒能力に目覚めたとされている少年です!』


 単なる映像ではない。生中継なのだ。


 その事実が、人々に大きな衝撃を与える。


 ある人は困惑と驚愕に喘ぎ、ある人は祈るように手を合わせ、ある人はその奇跡に涙し、ある人は部屋を飛び出してファイアーヴェルク小聖域へと向かおうとする。


 そして数十秒が過ぎ。


『ッ! 膝を、彼が膝をつきましたっ! 竜がッ――!』


 ホムラが膝をつき、黒瘴こくしょう竜が爪を振り下ろした。


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