第3話 サンドリオン

 意地悪なシンデレラの姉が物思いにふけていた、その時だった。


 ドサリ、と何かが倒れるような物音が樹の反対側から聞こえてくる。


「……え?」


 それを彼女は不審に思う。この樹の反対側はすぐ目の前が境界線だった。

 この世界の切れ目でもある場所に何かがいるとは思えない。


「い、いったい何かしら」


 恐る恐るシンデレラの姉は反対側を覗いてみる。物音の正体……それは人だった。


「え、ちょっとあなたこんな境界線の近くで何をしているの……じゃなくて大丈夫!?」


 うつ伏せの状態で倒れていた人間をシンデレラの姉は慌てて樹の反対側に引っ張り出す。後ろ姿では判断がしづらかったが、体を触った際に骨ばった部分と細い体のラインの中にもしっかりとした筋肉を感じ取れた事から男性であることが分かった。


 引っ張り終えるとシンデレラの姉は男の全身を見て容態を確認する。燃えている様子もなく、とりあえず身体は無事なようだった。


 しかし、これだけ乱雑に動かしたにも関わらず、シンデレラの姉の言葉にはまるで反応がなかった。


「ま、まさか死んでる?」


 姉はピクリとも動かない男の様子から焦ってしまう。境界線に触れたことで焼失が始まっているわけではない。それでも動かないということは「ページ」とは関係なく、心臓が止まってしまっているのではないかと考えた。


「ちょ、ちょっと……」


 心臓の鼓動を確認する為、うつぶせで倒れていた男性の体を返した。


「わ……」


 抱きかかえて素顔のあらわになった青年の顔にシンデレラの姉は一瞬見とれてしまう。町の人々全員の顔を覚えているわけではないが、少なくとも今まで一度も見たことのない整った顔の青年だった。


 肌の色は他の男性と比較して色白で色素が薄く、髪の色は黒色と銀色の2色が入り混じっていた。


「心臓は……動いてるわね」


 手を胸元に当てて鼓動を確認し、一安心する。死んでいるわけではなかった。


 改めて落ち着いて青年を観察してみると、着ている服装も他の町の人間と異なっている。村人というよりは貴族……舞踏会の当日の衣装のような、それでいて日常にも溶け込むような……それこそ何かしらの役割を持っていてもおかしくない恰好をしていた。


「ぐ、ぎゅるるるるる」


「……え?」


 異質な男性をまじまじと見つめていると男性のほうから音が、具体的にはお腹の方から音が鳴った。


「ひょっとして、あなた……ただの空腹?」


 よくよくみると元から色白ではあるが、顔色自体がそこまで良くはなかった。空腹で倒れていたのだとシンデレラの姉は状況を把握する。


「飯を……」


「あ、話せるのね、良かったわ。今町に戻って衛兵に頼んで休息所に運んで……」


「あと数秒で……空腹で死ぬ……」


「数秒で!?」


 シンデレラの姉は今朝パン屋から貰ったものを思い出し、手元にあった紙袋からパンを取り出すとそのまま手渡した。


「ほら、パンよ」


 パンを渡そうとするが男性は一向に動く気配がなかった。仕方なくシンデレラの姉はパンをちぎって口の中に押し込んだ。


「かたい……」


「わがまま言わないの!」


 この場所に来るまでに冷めてしまったせいかパンは固くなっていたらしい。

 文句を言った男を無視して姉はパンを口の中へとねじ込んだ。

 最初は少しばかり抵抗をしていたが、男性は次第にゆっくりとパンを噛んで飲み込んだ。


    ◇


「コホン……も、もういいかしら?」


 膝枕の状態で男性にパンを食べさせている行為を恥ずかしく思ったシンデレラの姉はわざとらしくせき込んだ。


「……そうだな」


 そう言うと男性は今まで閉じていた目を開く。そこでシンデレラの姉はようやく男と目があった。


 透き通った水晶のような藍色の瞳はシンデレラの姉の顔を数秒見つめる。そして男はゆっくりと立ち上がった。


「な……あなた元気なの?」


「あぁ、おかげさまで助かった。ありがとう」


 男はお礼を言うと辺りを軽く見まわし、ゆっくりと歩き始めた。


「……ってふらふらじゃないの!」


 男の歩き方を見て虚勢を張っているだけなのはすぐに分かった。数歩歩いただけでよろめいた男を見てシンデレラの姉は慌てて肩を持つ。


「このあたりで少し休んでから町にいきましょ」


 シンデレラの姉は男を木陰に座らせた。丘の上にいる二人を迎え入れるように心地よいそよ風が流れた。


    ◇


 男はその藍色の瞳でまっすぐにシンデレラの姉を見つめた。


「改めて助かった。ありがとう」


「お礼をしてくれるなら、少しだけあなたについて聞いてもいいかしら」


 男は一瞬怪訝そうな顔をする。シンデレラの姉が無言でみつめると、仕方がないとため息をついて頷いた。


「あなたの役割を見せてほしいの、ほら「ページ」をみせてちょうだい」


 姉は自分の胸に手を当て、一枚の紙を体内から取り出して男に見せつけた。



 物語の中に生きる全ての生き物は必ず役割が書かれた紙、通称「ページ」とともに生まれてくる。


ページ」にはその生き物が物語の中で何をしなければいけないのか、何を演じなければいけないのかについて記されている。


 当然シンデレラの姉として生まれてきた彼女の「ページ」には、はっきりと「意地悪なシンデレラの姉」と最初に大きく文字が刻まれていた。


 なぜ生まれると同時に役割が与えられるのかについては誰にも分からなかった。分かっていることは与えられた役割に背くと普段は体の中にしまっている「ページ」が燃えて所有者は死ぬという世界のことわりだけだった。


 生まれると同時に与えられる「ページ」に描かれた役割をこなし、「ページ」を束ねて一冊の物語を完成させる。それこそがこの世界の住人全ての使命である。すべての生物は世界に生まれたその時からそのことわりを理解していた。


「ほら、はやくあなたの「ページ」を見せなさいよ」


 自分の役割を好ましく思っていないシンデレラの姉にとって他人に「ページ」を見せる行為はあまり良い気分ではなかった。

 しかし、これはこの世界の王子様の命令によって住人同士でたまに行う役割確認の一つだった。


 実際に役割を詐称する人間を炙り出す手段として互いに役割が記された「ページ」を見せ合う事は有用だった。


「…………」


 シンデレラの姉が「ページ」を見せつける一方で、男はいつまでたっても自身の体から「ページ」を取り出そうとしなかった。


「怪しい人間がいるって衛兵を呼ぶわよ?」


 脅しのような言葉に対しても男は慌てる様子もなく無言を貫いた。


「あなた……この世界の住人じゃないわね」


 男は姉の言葉に無言のまま首を小さく縦に振った。

 シンデレラの姉は「やはり」と思う。倒れていた場所が世界を分かつ境界線の付近で会った事から、目の前の男はこの世界の住人ではない可能性が高かった。


「別の世界から来た人間……もしかしてあなたは『』の所有者?」


 物語に生まれてきたものは本来みな全て役割が与えられる。

 しかし世界にはごくまれに『に生まれてくる』人間が存在することを彼女は聞いたことがあった。


 役割のない何も書かれていない紙の事は「白紙の頁」と呼ばれていた。

「白紙の頁」を世界から与えられた者には役割が存在しない為、一つの世界に縛られることがない。「ページ」に文字が刻まれていないので境界線を越えても燃える事はない。故に境界線を越えて放浪する旅人がいることを彼女は知識として持っていた。


「私「白紙の頁」を見たことがないのよね、良かったら見してくれない?」


 シンデレラの姉は興味本位で男に尋ねた。


「…………」


 男は一度だけ自身の胸に手をあたるが、すぐに手をおろし、「ページ」を取り出そうとはしなかった。


「なによ、別に見せるぐらいいいじゃないの」


「俺は……


「ないって、まさか……「ページ」を持っていないの?」


 男は頷いた。


「え…………」


「白紙の頁」については姉も知っていたが、「ページ」を持たない人間など聞いたことがなかった。


「「ページ」を持っていないなら燃えて死ぬ事は絶対にないってことかしら?」


 そうだな、と男は軽く肯定する。


「うらやましいわ、そんな人間もいるのね」


 そう言いながら姉は自身の胸に「ページ」をしまう。


「白紙の頁」の所有者には与えられた役割がないため役割に反して燃えることはないが、そもそも「ページ」すらないということは、体内に「ページ」という燃える可能性のある危険物を所持していないわけである。


「…………」


 姉の言葉を聞いて男は無言のままどこか遠くを見つめた。その横顔を見てシンデレラの姉は目の前の男がどこか寂しく感じた。


「……今の言葉は取り消すわ」


 姉は男に頭を下げる。役割を与えられなかっただけでなく、普通の人間が本来持つはずの「ページ」を持っていない人間がどのような人生を歩んできたか、姉には想像がつかなかった。


 男はシンデレラの姉が謝罪したことに対して驚いたような顔をすると今度は強いまなざしで姉の顔を見つめてくる。


「な、何かしら?」


「なぁ、あんた……名前はないのか」


 名前がないと呼びづらい、と男は言った。


「……ないわよ、この世界に名前を与えられた役者は一人しかいないわ。あなたも『シンデレラ』の物語は知っているでしょう」


 男は「あぁ」と軽く肯定する。「ページ」を持たない旅人でもさすがにシンデレラの話は知っているようだった。


「私は「意地悪なシンデレラの姉」よ、それ以上でもそれ以下でもない」



 姉はつい先ほども気にしないようにと思っていた話を自分自身で掘り返してしまったことに気が付いてげんなりする。


「……あなたは名前があるの?」


 そういえば、とシンデレラの姉は男に尋ねた。少しの沈黙の後、男はゆっくりと口を開いた。


「グリム・ワースト、それが俺の名前だ」


「またずいぶんと長い名前ね」


 名前があることに驚きと同時に羨ましい気持ちになった。


「それならあなたのことグリムってよんで良いかしら?」


「構わない」


 グリムと呼ばれた男はシンデレラの姉を再びじっとみつめると口を開く。



「なによそれ」


「あんたの名前だ」


「わ……私の名前?」


「嫌か?」


 ドクン、とシンデレラの姉は自身の鼓動が高まるのを感じた。名前にあこがれを抱いていた「意地悪なシンデレラの姉」が名前を与えられて嫌なわけがなかった。


「そうね……リオン、リオンならいいかな」


 サンドリオンは名前が強そうだから嫌、と告げた。グリムはなんだそれと笑う。自身の事をリオンと名乗っても胸の中にある「ページ」が燃える気配はなかった。


 考えてみれば住人がパン屋を開いてパン屋の店主と名乗るように、世界にとってこの程度は問題と認識されないのかもしれない。リオンは今までの心配が杞憂に終わったことに小さなため息を漏らした。


「リオン……うん、リオン」


 シンデレラの姉、リオンは呼ばれた自分の名前を復唱し、少し微笑んだ。


「……俺はしばらくこの町に滞在する」


 グリムと名乗った男は町の方角に視線を向けた。最初に出会った時と比べれば顔色もだいぶ良くなっていた。


「舞踏会が開かれるまでは町も人もほとんど動かないと思うから、目立つ行為さえしなければ問題ないはずよ」


 グリムは「そうか、ありがとう」とお礼を言うと立ち上がり、町の中心地のほうへと歩いていこうとする。


「ちょっと待ちなさいよ。あなた今日泊まる場所あるの?」


「……当てはない」


 男はピタリと歩くのをやめて返答した。


「それならついてきなさい」


 リオンには町の中で外の世界から来た男を泊めてくれる場所に思い当たる場所があった。立ち上がったリオンはグリムの腕をつかむと一緒に歩き始める。


「お、おい……もう一人で歩ける」


「なによ、淑女に触られるのがそんなに恥ずかしいの?」


「……本当に品のある女性は自分で淑女とは名乗らないんじゃないか?」


「なら、この手を放して今日は野宿にする?」


「……………」


 口論で押し負けたグリムは掴まれた手を振りほどこうとせずにリオンと歩き始めた。




 不思議な男だと思った。演じるための役割、人生の意味を示す「ページ」を持たない人間など聞いたことはなかった。彼女自身いまだに彼の存在を信じているわけではなかった。


 しかし、リオンという名前を授けた彼に不思議と彼女は惹かれていた。

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