第19話 婚約発表

 オリアスがバウギを斬り捨てた一件を、ギリングは子息のエーギルから聞いて知った。

 事件の起きた時、彼は自分の領地を見回っていて王都にはいなかったのだ。

 父のギリングにエーギルは暴言の詳細を明かさなかったが、スリュムがバウギの豪族領に攻め入ろうとしたのをオリアスが止めた事は話した。


「相変わらず、アルヴァルディのやる事は手ぬるいな」

 スリュムの私室を訪れて、ギリングは言った。

 スリュムは眉をしかめる。

「エーギルから話を聞いたのか?」

「おう。戦にならなくて、ベルゲルミルが残念がったそうじゃな。儂もじゃ」

「何故アルヴァルディが戦を避けようとしたか、それもエーギルに聞いたか?」


 スリュムの問いに、ギリングは首を横に振った。

 そして暴言の詳細を聞いたかと重ねて問われ、それも否定する。

 スリュムは渋面を作り、酒の壜に手を伸ばした。


「バウギは、アルヴァルディに『いざりの子』とほざきおった」

「何?」

 驚いて、ギリングは訊き返した。

 それから盃を酒で満たし、暫く考えてから口を開いた。

「つまり……騒ぎが大きくなって、その暴言が親父殿の嫁御前よめごぜの耳に入るのを避けたか」

 それならば戦を避けたのも止むを得まいと、ギリングは呟く。

 スリュムはフン、と鼻を鳴らした。

「分別があるような事をほざきおって……。お前が儂の立場じゃったら、そのままバウギの領地に攻め込んでおったろうに」

「そうじゃな……。エーギルだったら、『女奴隷の子』と罵られても殴るのがせいぜいじゃろう。相手がバウギなら、殴り返されておったやも知れん」

 そうなったら、と、ギリングは続けた。

「バウギの領地に攻め込んで焼き尽くすくらいせんと、示しがつかなくなっておったろうな」

「それでもアルヴァルディを手ぬるいと言うか?」


 スリュムの問いに、ギリングはすぐには答えなかった。

 盃いっぱいの酒をゆっくりと半分ほど喉に流し込み、それから口を開く。


「全ての事情を知った上で、そしてよくよく考えれば、アルヴァルディのやる事にはいつも尤もな理由がある。じゃがヨトゥンヘイムには、儂のように気の短い者も、ベルゲルミルのように何も考えておらん者も少なくない。事情を知らずに、アルヴァルディが生ぬるいと思う者は、それなりにいるじゃろうな」

「何とでも、言いたい奴には言わせておけば良い」

「じゃがそれでは、何と言うか……アルヴァルディが不憫じゃな」

「不憫じゃと?」

 鸚鵡返しに、スリュムが訊き返す。

「ヘルヘイムにおったならしなくても済んだ苦労を、ヨトゥンヘイムでは背負いこまねばならん。戦ばかりやりたがる戦士や獰猛な兵士を宥め、何かというとすぐに付け上がる豪族どもを、武力以外の方法で抑え込まねばならんのじゃからな」

「だから何じゃ。アルヴァルディがヨトゥンヘイムの次の王に相応しくないとでも言う気か?」

「相応しくないとは言わん。じゃがあれの性格を考えたら、ヘルヘイム皇帝の方があっておるんじゃないか?」

 ギリングの言葉に、スリュムの黒い瞳に浮かぶ光が鋭さを増す。

「何が言いたい。アルヴァルディではヨトゥンヘイムを治める王としての勇猛さが足らんとでも?」

「勇敢なのは確かじゃ。さもなければ儂は今こうして生きてはおらん。じゃが、獰猛では無かろう? むしろ、優しいと言っても間違いではあるまい」


 相手をまっすぐに見つめたまま、静かにギリングは言った。

 スリュムもまたギリングの灰色の瞳を見つめ、その言葉に裏は無いのだと判断した。

 そもそも、ギリングは嫌味を言うような男では無い。


「あれは母親似なんじゃ……」

 溜息のように、スリュムは呟いた。

 そして、竜の騎兵隊を作るという彼の望みをオリアスが未だに拒み続けている事、アースガルズへの遠征を拒絶した事、反乱を続ける豪族を、力で抑えるのではなく宥和政策を打ち出した事などを思い起こす。

 乱闘になりかねない武術競技会も、本心では反対なのだろう。


「それでもアルヴァルディがヨトゥンヘイムの次の王になるのは決まった事じゃ。フレイヤと結婚する時の約束じゃからな」

「それは判っとるが……」

 曖昧に語尾をぼかしたギリングに、スリュムは顔をしかめた。

「お前らしくも無い。言いたい事があるならはっきり言ったらどうじゃ?」

 ギリングは盃に残った酒を飲み干し、改めてスリュムに向き直る。

「アルヴァルディがヘルヘイム皇帝となれば、スリヴァルディの名で呼ぶ気にもならんあのよりも、ずっと上手く国が治まるじゃろうな。何より、ヨトゥンヘイムとの関係は、その方がずっと良くなる」

 そして、と、ギリングは続けた。

「エーギルはアルヴァルディとは比べ物にもならんが、あれでなかなか頭は悪くない。ヨトゥンヘイムの三分の一程度の領地なら、治められん事もないじゃろう」

「三分の一じゃと?」


 鸚鵡返しに、スリュムは訊き返した。

 それは無論、今ギリングが与えられている領地よりもずっと広い。


「……メニヤに何か焚き付けられたか?」

 スリュムの言葉に、ギリングは臆する事なく頷いた。

「焚き付けられたのは否定せんが、そう、悪い考えだとも思えん」


 スリュムは相手から視線を逸らし、窓から外を見遣った。

 そして、ギリングと共に戦った幾つもの戦を思い起こす。

 フレイヤと結婚する前には、自分の跡継ぎはギリングだと、漠然と考えていた時期もある。

 ギリングほど長い期間ではないが、ゲイルロズやベルゲルミルも、共に戦ってこの国を築きあげたのは事実だ。


 彼らの労に報いたいという気持ちは、スリュムにもあった。

 それに、アグレウスを認めていないのはギリングと同じだ。

 何より、フレイヤとの約束を、フレイヤの死後に守る事に、意味があるとは思えない。

 だがその一方で、アグレウスを廃太子してオリアスを次のヘルヘイム皇帝の地位に就けようとすれば、アグレウスは何らかの対抗措置を取るだろうし、何より他ならぬオリアスが反対するだろう。


「その考えには大きな欠点がある」

 長男に視線を戻し、そう、スリュムは言った。

「アルヴァルディとアグレウスは、意外と仲が良いんじゃ」

「納得いかんな……。アルヴァルディがアグレウスの口車に乗せられて利用されとるだけじゃ無いのか?」

「アグレウスの方も、お前たちとアルヴァルディの仲が良いのを不満に思っておるじゃろうな」

 スリュムの言葉に、ギリングは肩を竦めた。

 そして、「じゃろうな」と短く呟いた。



 その日、ヘルヘイムの後宮は、きらびやかな装飾とは裏腹に、緊張がみなぎっていた。

 再び怪文書が発見され、女官長の命令で一斉に捜索が行われたのだ。

 捜索が行われている事に気づいた宮中護衛兵から報告を受けた長官のエリゴスは、捜索に協力を申し出たが、女官長はその申し出と、詳細に関する説明の要求を拒絶した。

 エリゴスはそれを不満に思ったが、フレイヤ付きの高級女官たちは重臣なみの権力と影響力を持っており、特に後宮での事件や問題などは彼女たちの管理下にあった為、何の行動も起こせなかった。


 女官長からの報告を受けたフレイヤは、すぐにアグレウスを私室に呼んだ。

「これは……」

 女官から渡された紙に目を通したアグレウスは、思わず眉を顰め、低く呟いた。

 その紙には、フォルカスがベムブルの子息であるスロールと、妹グレゴリーの婚姻を目論んでいると、拙い文字で書きなぐってあった。

 二度目の怪文書である。

「これも後宮の複数個所で発見されたのですか?」

 アグレウスの問いに、フレイヤは不安そうに頷いた。

「後宮警備の強化を警備長官殿に申し入れておりましたが、不審者の姿は見られなかったとの事でございます」

 フレイヤの脇に控えている女官長が、無表情に言った。

 元々外部からの侵入者が犯人である可能性は低いのだが、内部の者の仕業であると、女官長が改めて認めた形になる。

 だが千人を下らぬ数の侍女・侍従を取り調べるのは現実的では無いし、調べたところで証拠が見つかる可能性は極めて低い。

 それよりも、怪文書の元を断つべきだと、アグレウスは考えた。

 今こそ、決断すべき時なのだ。


「母上、グレモリーとスロールの婚姻、ご許可頂けますか?」

「――え……?」

 アグレウスの言葉に、フレイヤは驚いて目を見張った。

「そもそも成人して百年以上、経つグレモリーを、いつまでも兄フォルカスの侍女としておくのは好ましくない措置でした。不埒な不審文書事件を終わらせる為にも、グレモリーの婚姻を決めてしまうべきかと思われます」

「……あなたがそれで良いと判断したのなら、反対はいたしませぬが……」

「平民と公女の婚姻が不相応なのは承知しております。故に、スロールを生母の実家の猶子とし、準男爵の称号を与えてはいかがかと」


 準男爵は貴族ではなく平民であり、主に国家の財政が困窮した折などに、一定以上の金品を献上した豪商や大地主に対して与えられた世襲の称号である。

 ありていに言えば金で売買される爵位ではあるが、表向きの正当性を取り繕う為に、いずれかの貴族の猶子となる慣わしがあった。

 猶子とは養子に準ずる制度であるが、財産や地位の相続は行われず、低い地位からの成り上がり者が自分の身分に箔をつける手段とされていた。

 多くは古い家柄だが経済面で没落した上流貴族が、下級貴族や豪商からの経済援助を見返りに猶子を迎えており、スロールやベムブルの母が貴族から平民の商人に嫁いだのも、同じ動機からである。


「……判りました。その通り、進めて下さい」

 暫く考えた後、フレイヤは言った。

 これで怪文書事件が収束するのだという期待から、安堵した表情だった。

 アグレウスの目的が騒動の鎮静ではなく、莫大な富を持つ死の商人の影響力を利用する事にあるのだとは、知る由も無かった。



 数日後、グレモリーとスロール――妻は離縁された――の婚約が発表されると、ダンタリオンは驚愕した。

「これは一体、どういう事なのでしょう……?」

 不安そうに訊いた母ヘレナに答えるべき言葉を、ダンタリオンは持たなかった。

 ベムブルがグレモリーに求婚しているらしいとの噂を聞きつけた時、それを阻止する為に密かに怪文書を撒かせたのはダンタリオンだった。

 思いがけずベムブルが殺害され、これでフォルカスが豪商を後ろ盾に持つ可能性が潰れたのだと内心、快哉かいさいを叫んだ矢先だけに、呆然とせざるを得なかった。

 宮中の噂によれば、ベムブルが殺された後に再び怪文書が撒かれ、それがきっかけとなってグレモリーとスロールの婚約が決められたとされている。

 無論、二度目の怪文書について、ダンタリオンは全く関与していない。


「……噂がまことであれば、二度目の怪文書を撒かせた首謀者は、グレモリーとスロールの婚姻を進めようと目論み、まんまと成し遂げた事になります」

 不快そうに眉を顰め、ダンタリオンは言った。

「そしてそのような事を目論んだ者は、フォルカスの他におりますまい」

「いつぞやそなたの言っていた様に、妹を利用して豪商の財力と影響力を得ようとした…と?」

 不安そうに訊いたヘレナに、ダンタリオンは頷いた。

「フォルカスという男、思いのほか、野心家であるようです。それにしても、相手がベムブルであれば父上は婚姻を許可なさらなかったでしょうに、こんな時期にベムブルが殺害されるとは……」

 言ってしまってから、ダンタリオンは背筋がぞくりと震えるのを感じた。


 ――ベムブルが殺害された事は、ただの偶然なのだろうか……?

 ベムブルがグレモリーに求婚し、それが宮中で噂になった直後の事件なのだ。

 しかも、ベムブルは皇宮からの帰路で殺害されたのだと噂されている。

 ただの偶然と考えるには、不穏な要素が多すぎる。

 そして偶然で無いとすれば、フォルカスが関与していたに違いないのだと、ダンタリオンは思った。

 ――フォルカス……。侮れぬ男やも知れぬ……。



 同じ頃、ザガムと義弟のエリゴスも苦虫を噛み潰したような顔で座っていた。

「まさかこんな結果になろうとは……。父上のお考えが判らぬ」

「おそらく、ベムブルよりはスロールの方がマシだと判断なさったのでしょう。母親の実家の猶子となって準男爵の称号が与えられるそうですから、そうなれば公女の嫁ぎ先としても不体裁では無くなるかと」

 エリゴスの言葉に、ザガムは顰めていた眉を更に深く寄せる。

「まさか、その為にベムブルを殺害した……と?」

 エリゴスは暫く考えてから、口を開く。

「皇太子殿下が豪商とは言え、平民の暗殺を画策なさったとは到底、考えられませぬ。亡き者になさりたいのであれば、謀反の罪を着せるなど、他に幾らでもやりようがありますから」

「では、フォルカスが?」

 ザガムの言葉に、エリゴスは頷いた。

「ベムブルの生命を奪った凶器は失踪した侍女の持ち物だったと判明しています。フォルカス様であれば、侍女とねんごろになるのも容易たやすいかと」

「まさか……その侍女もフォルカスが殺したのか……?」

「考えられぬ事ではありません」


 ザガムは唸るような声を上げ、安楽椅子の背に身をもたせかけた。

 そして、フォルカスの整った顔立ちと、柔和そうな微笑を思い起こす。

 兄とは対照的に、グレモリーは美しい顔にいつも不満そうな表情を浮かべている印象だ。

 そして彼ら兄妹の母グレータは、故国を滅ぼされた事を最期まで怨んでいたと聞く。


「フォルカスが何を企んでいようと、必ず潰さねばならぬ……」

 低く、決意を込めて、ザガムは言った。

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