第17話 決断

 「大丈夫ですか?」

 私服の女性警察官がそらに声を掛けた。


 続けて、「お話を伺いたいので、次のバス停で一緒に降りてもらえますか?」

 何事か分らぬままうなずく。


 バスが次の停車場に到着すると、女性警察官は天の手を引き、騒めく乗客を掻き分けて下車した。続いて二人の男性が降りてきた。

 すぐに1台の乗用車がバスの後ろに停車する。一見すると普通の乗用車だが、屋根の上に赤色灯を乗せているので、警察の捜査車両であろう。車の後部に乗るよう促され、車内で事態の一部始終を聞かされた。


 バス内で天の背後から「やめなさい」と言ったのは、同じく私服の男性警察官だった。春先はこのような迷惑行為が多く、警察が警戒体制を敷いていた最中さなか、天への痴漢行為を目撃した。そしてすぐさま取り押さえられたということだ。


 捜査車両を運転してきた警察官も犯人の元へ向かい、職務質問をしている。

 痴漢行為を働いたのは、スーツを着た中年の男性だった。現行犯ということで観念したのか、抵抗する様子もなく、終始うつむいていた。

 しばらくして到着したパトカーに乗せられ、男性は連行されて行った。


 天も捜査車両で警察署へおもむき、被害届を提出した。実のところ、被害届を出すことには躊躇いがあった。事が大袈裟になり、大学や両親に迷惑が掛かりそうだという自分への思いと、相手も会社や家族を失うかもしれないという思いからだ。

 自分が我慢をすれば、いつも通りの何も変わらぬ生活に戻るだけだ。何もなかったことにすれば、誰も辛い思いをしなくて済む。そんな考えもあった。


 天の気持ちを変えたのは、女性警察官の説得に依るものだ。

 被害届の作成に戸惑う天に、こう語りかけた。




 私は弱い立場の人を助けたくて警察官になりました。危険な目に遭うこともあるので、反対する人も周りにはいましたが、道義的にも強くありたいと思っていたので、間違った選択はしていないと確信しています。

 貴女は強い人間にならなくてもいい。自分を守ったり、我慢することも大事だけど、少しだけ勇気を持って戦うことが、結果的に”守る”ことだと知って欲しいのです。それは優しさであり、内なる強さだと、私は思います。

 被疑者も色々なものを失うかもしれません。だけど律することで考えが改まるなら、犯罪が一つ減ることにもなります。

 これ以上、被害者が増えないように。




 「いつか捕まえてやりたい」そう思っていた自身の発奮を思い出した。「これ以上、被害者が増えないように」本当にその通りだ。


 届け出の後、天は大学まで車で送ってもらった。

 警察署を出る前に、対応した女性警察官に一つだけ気掛かりに思っていたことを聞いてみた。


 「あの…、今日のことは親や大学にも連絡が行きますか?」


 警察に身分を証明するのに学生証を提示した。写真と実物の違いを認識しているはずだ。確認のために連絡を取るかもしれないと思った。それが被害届を躊躇った理由でもあるのだから。


 「いいえ。貴女の状況説明と、容疑者の供述、それと警察官の目撃証言が一致しているかを確認するだけですので、特に問題点がなければ連絡はしません。センシティブな問題ですから、他の人に口外することはありません」



 車は大学に向かって走り出した。





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