第5話

 信託銀行の行員と、U社の社員で久しぶりに飲み会を催した。

 居酒屋の炉端焼き店で、アサヒスーパードライの生ビールのジョッキの置かれたデーブルに、炭火で焼かれたシシャモやカレイ、大エビが並べられた。

「ジュリアナ東京は、知っていますか?」

「ワンレン・ボディコン・超ミニスカのギャルが集まって、お立ち台の上で、ジュリ扇を振り回して踊る――あの……、ディスコですか?」

「そうですよ。よくご存じですね」

 恭介は、週刊誌やテレビを通じて、日本を取り巻く、加熱景気を象徴する出来事として――ジュリアナ東京――を知識としては知っていた。

「それでは、ジュリアナに行った経験はおありですか?」

「僕は、行った経験がないです。後学のために……、一度は見てみたいですね」

「あれは良かった。お立ち台の真下に陣取れたので、ギャルの具がばっちり拝見できたよ」

 茶谷の言葉に反応し、女子社員が「もう、いやらしい」と苦言を呈した。

「ぐ……ですか? 猥褻な行為にあたらないのですか?」

 恭介は、頬が熱くなるのを感じると、反射的に愚直な質問をしていた。

「あのね、エリート銀行員でも知らない言葉があるのだなあ。僕が、具と表現したのは、下着のことですよ」

 亀山は、茶谷の言葉に反応すると、からかい半分におどけてみせた。

 茶谷は「自分のポケベルに、会社から何か連絡が入ったようです」と、申し訳なさそうに立ち上がると、店内のレジの近くに置かれたダイヤル式のピンク電話に向かった。

「テレフォン・カードが使えないのは、不便だよな」と茶谷は、亀山に問いかけた。

「ああ、僕も貰い物のテレフォン・カードが二枚ある。百度数だけど、まだ大分残っているので、早く使い切ってしまいたい」

「僕も……、実は、副部長がホール・イン・ワン達成記念に、部内の全員に配っていたテレフォン・カードも、まだ使っていないよ」

 日本国中どこへ行っても、人々の足取りは軽く、熱気に満ち、至る所で享楽の宴が催されていた。都市にある活気は、若者たちの力で漲り、数千数万の靴音と絶叫は鳴りやむ時が来ないかに思えた。夜になって、煌びやかな光が点灯されると、繁華街に繰り出し、時間を忘れて遊ぶ人たちで氾濫していた。

 周囲が暗くなると、インターロッキング・ブロックの歩道上には、バーやスナックなどのスタンド看板が出され、ビルに設置された突き出し看板は、明かりでひときわ目立ち始めた。

 夜の街は、車道に帰路を急ぐマイカーや商用車の他に、バスやタクシーが行き来し、歩道上には、スーツ姿のサラリーマンやOLが早足に歩いていた。複数の高層ビルから流れ出た群れには、駅に向かう者もいれば、繁華街に繰り出す者もいて、向かう先は様々に分かれた。

 恭介は、キタやミナミの小道に入り込むと、酒に酔って嘔吐する酔漢を何人も見て来た。彼らは、溝に向かって吐しゃ物を出し切ると、嬌声を上げて身体を起こし、ふらふらとした足取りで歩き始めた。恭介には、彼らが満ち足りた時間を過ごしていながらも、ひどく色濃く孤独の影を引きずっているかに見えた。

 恭介も、U社の社員には、ディスコに誘われ、ミラー・ボールの下で、リズムにうまくのれずステップも、手の動きもぎこちない下手なダンスを披露する羽目になった。ミナミのディスコでは、気分を煽り立てるテンポのいい曲が流れていて、若い男女が身体を向けあい激しいダンスを踊っていた。恭介はディスコでダンスを踊った経験がなかったので、長い時間踊り続ける気がしなかった。

 薄暗い部屋で、照明のあたる箇所に塵や埃が浮かんで見えたので、ひどく通気性が悪く感じられ息苦しかった。水割りにも埃が浮いていそうな気がすると、口をつけたくなくなり、おつまみのナッツやチョコレートばかりを食べていた。ほとんど踊らず、酒も飲む気がしないので、ディスコの店内で椅子に腰かけているのが、恭介には苦痛になっていた。

 如月は、どこで覚えたのか、女子社員を誘っては軽やかなステップでダンスを踊った。茶谷や亀山も、たびたび席を立ち、疲れると席に戻っていた。

「うちの上司は――マンションの次は、一億円を超える億ションが、どんどん売れる時代が来る。企業は内部留保を貯めこまず、従業員の給与や賞与に還元しないといけない。そういう時代がそこまで来ている――と、熱弁を振るっていました。政治家や、学者の誰からも、どこからも、いくら所得を上げれば景気がどれだけ上向くかの指針――が、出ていないのには呆れたものです」

「遊びに来て、堅苦しい仕事の話は、どうなのかしら……。ねえ、聞いている?」

 女子社員の一人が、批判的に告げると、茶谷の肩をちょんちょんと突いた。

 だが、ディスコに来て踊らないと、酒を飲むか、会話を交わすかしか、やることがなかった。恭介は場の雰囲気に馴染めなかった。

 終電の時間を過ぎていたので、タクシー乗り場で並んだ。長い列ができていて、なかなか順番が回って来なかった。闇に包まれた空の下でも街灯や歓楽街の電飾看板は赤々と燃えるように光を投げかけていた。深夜にもかかわらず、乗り場には順番待ちの長い列ができていた。銀行からは、タクシー・チケットを使うように手渡されていたので、大阪ミナミから神戸市の自宅までの遠距離走行に、深夜料金をプラスされても、負担にはならなかった。

 タクシー運転手は、饒舌な男で「この時間帯は、酔った客ばかりなので、よくからまれます。目的地に着いてから、財布を見て――金がない――と言い出す悪質な客を乗車させた経験もあるし、後部座席のカップルがいちゃいちゃして、露骨な態度を示す場合もあります。運転手は、いつも周りの道路状況を見ていますがね。何をしているかぐらいは、すぐに察しがつきますよ。どえらい時代になったものですわ」と話しながら、ルーム・ミラーで恭介の表情を度々のごとく確認していた。

 同じころ、神戸市の実家の百坪の土地の価格は、周辺の物件の動きから推し量ると一億五千万円前後に跳ね上がっていた。実家の近くの土地の坪単価が百四十七万円なので大差ないと考えた。角地で条件が良いので、推計値よりも好条件で売れる展開も予想できた。

 恭介は、膨らんだ好景気の風船がいつか突然のごとく破裂しないか――と恐れていた。それを危惧して、両親に「いずれ地価は下落するはずだから、今のタイミングで売却し、しばらく賃貸に住んで下落したタイミングで、もっと大きな土地を購入して立派な家を建てればいい」と進言したものの、まったく相手にされなかった。

 恭介の気分は、経済大国の日本人である誇りと幸福感と、それに反する漠然とした不安感の間を振り子のように揺れていた。

 恭介は自分の書斎にいると、中国の故事にあるように――古人が、天蓋が落ちて来ないかと杞憂していた――逸話が嘘に思えていたが、外に出て空を見上げた途端に、すべてが崩れ落ちる妄想に囚われた。恭介は、不可思議な印象が、どこから来るものなのか、判然とはしなかった。

 銀行では、支店ごとに三班に分けて、ハワイに慰安旅行に出かけた。

 ホノルル国際空港に到着すると、団体客専用出口にハワイアンが流されていて、数人のダンサーがフラダンスを踊っていた。ダンサーの横にいる女性たちは、洋蘭のデンファレで作られたレイを首にかけた。地元のスタッフたちは、歓迎ムードを演出し、明るく恭介たちを迎え入れた。

 長い階段を登り、三十分かけてダイヤモンド・ヘッドの頂上に着くと、ワイキキ・ビーチやホノルル市内などのオアフ島の全域を見渡せた。ダイヤモンド・ヘッドは、標高二三二mの火山で一時期は大砲が据え置かれる軍事要塞だった場所だ。

 支店長が周囲を見渡しながら「ハワイは五度目だが、ここに来たのは二度目だ。何度来ても良いものはいいな」と、見晴らしの良さを感賞した。

 如月が近づいて来ると「素晴らしい眺めですね。私は、ハワイは二度目ですが、ダイヤモンド・ヘッドは初めて登りました」と同調した。

 行員の多くは、何度もハワイに来ており、オアフ島だけではなく、マリン・スポーツを楽しむために、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島、ラナイ島、モロカイ島などを訪れている女子行員もいた。恭介にとっては、初めてのハワイなので、見るものすべてが珍しく見えた。

 バスでワイキキ・ビーチに向かい、青く澄んだ海を背景に記念撮影した。ビーチにはヤシの木が立ち並び、砂浜の上には水着姿の若い男女が寝そべり、日の光を思う存分に受けていた。白い砂浜にカラフルなビーチ・パラソルや、柵に立てかけられたサーフボードがハワイらしさを感じさせた。空と海はどこまでも青く、白い雲は綿のように浮かんで見えた。

 イオラニ宮殿の前には、ハワイ王朝を築いたカメハメハ大王の銅像が建てられていた。銀行から、各自に百ドル分のミール・クーポンを渡されていたので、食事の時には、これを利用した。

 夕食はハワイ料理のガーリック・シュリンプを食べた。バターとガーリックで炒めた大ぶりのカフク・シュリンプは歯ごたえがあり、極上の風味が楽しめた。

 翌日のオプショナル・ツアーは、参加者が何グループかに分かれたが、恭介と如月が参加したのは、実弾射撃、乗馬、ジェット・スキー、シュノーケリングのあるハードなコースで、参加者は若手の男性ばかりだった。

 実弾射撃では、ゴーグルを着用し、ヘッドフォンを耳にかけると、係員が来て注意事項を告げた。銃は三種類を順番に使って、正面の的を射抜くよう指示された。オートマチックのコルト、ライフル、ビッグ・マグナムの順に使った。乗馬も参加者の大半が初体験だったが、馬に乗って、手綱の持ち方・鐙のはき方・騎乗姿勢を教わり、常歩から速歩までインストラクターが丁寧にアドバイスした。アトラクティブなオプショナル・ツアーに参加し、恭介は一日中充実した時間を過ごした。この日は、すし店で食事をした。ネタが新鮮で、予想よりもはるかに美味だった。

 三日目は、ホノルルのアラモアナ・ショッピングセンターで買い物をした。センターには、百貨店、高級ブランドのブティック、レストランが立ち並んでいた。ガイドは――世界最大規模のショッピング・モールだ――と説明した。センターの敷地は、一日では回り切れないほど広大だった。

「アラモアナセンターは、日本のスーパー・ダイエーの子会社が一九八二年に買収している。ダイエーは、もの凄い実力だ。日本が経済大国なのは、こういう点からも分かるね」課長は得意げに話した。

       ※

 不動産会社の分譲マンション担当は、さながらジプシーのように一つの物件が完売すると、次の物件の事務所オープンのための準備にかかる。マンションの用地は、確定していても、竣工前の青田売りが大半で、顧客たちは申込み→契約→引き渡しと手順を踏み、入居は申込みの半年から一年先のケースが多かった。

 住宅金融公庫付きのマンションでは、抽選が義務付けられており、ローンの審査に通過するのは必須条件となっていた。恭介は、大津市に建設された超高層マンションを見上げると、それがU社の高いプライドを誇示するシンボル・タワーのように目に映った。

 マンションの事務所のテレビ画面には、一級建築士がランド・プランから、構造、建材、各室の間取りなどの設計概念を説明するビデオが繰り返し流されていた。恭介はパンフレットを手に取り、採光や通気性に優れた設計コンセプトや、高層階の見晴らしの良さを想像した。U社のファミリー・タイプの分譲マンションの中では、もっとも魅力的な物件だと思った。

 U社の社員たちに勧められて、恭介はマンションの上層階に仮申し込みをした。自分が入居目的で申し込んだにもかかわらず、店舗に来た投資目的の顧客に、勧めるのは相変わらず気が重かった。

 大勢の客が押しかけてきて、接客していると、目の輝きやボディー・ランゲージで、彼らの購買意欲の強弱が分かるようになった。粗品を目当てにした冷やかしの客は、販売事務所に入ってきたタイミングで、躊躇いを感じるのか――奇妙なステップを踏むのに気づいた。

 マンションが完成するのに一年六ヵ月もかかった。恭介はマンションが竣工し、部屋の引き渡しを受けると、千冊を超える本を抱えて暮らし始めた。

       ※

 一九九一年一月、イラクによる前年八月のクウェート侵攻に対して、多国籍軍が空爆を始めていた。戦争のきな臭いムードが、恭介の心に嫌な予感を生じさせた。符牒を合わせるように、恭介の予想した通り、年初から不動産神話は崩壊したかのごとく、じりじりと地価が下がり始めた。それでも、楽観論者は「戦争による特需景気が見込めるから、いずれ見通しが明るくなる」と分析し、行内では恭介の悲観的な意見を「杞憂に過ぎない」と、吐き捨てた。

 平和のための防衛は必須とされているものの、戦争は強者に勝利を与え、弱者には敗北を押しつけて、当事国の善良な市民をも暴力的に罰する。恐ろしく矛盾した構造を内側に抱えながらも、未だに改善が困難な手段だった。有効妥当な手立てがあれば、戦争のような非効率な営為はなされない――と、恭介は漠然と考えていた。

 もし彼が、何の罪もない善良な市民の一人を犯罪者と見立てて罰を加えたり、高潔な人格者を侮辱したり、資産家から財産を没収したりしたら、彼らは正当な権利を主張し、立場の回復のために手を尽くす。理不尽を強要した恭介自身が罰せられるのは必至だ。が、一旦戦争がはじまると、善良であろうとなかろうと、戦争による人に対する攻撃も被害も避けられなくなった。戦闘中の高潔な兵士の命は、極悪人の命よりも軽く扱われる展開を強いられた。しかしながら、現代でも、相変わらず戦争は避けられない悲劇のように考えられていた。

 かつて、イギリスのウインストン・チャーチルは、戦争について――面白いから軍備を続ける者はいない。恐ろしいから軍備を続けるのだ――と分析し、太平洋戦争当時、海軍大将だった山本五十六は――百年兵を養うは、ただ平和を守るためである――と、主張していた。

 恭介には、戦争は――自国と他国の相互不信が生み出す魔物――でありながらも、短時日でなくなりそうもない椿事にしか思えなかった。

 他国で激しい戦争をしているときも、ビジネスマンは普段通りに仕事をして、夜になると歓楽街ではホステスが嬌声を上げ、酔漢は夢見心地で足元をふらつかせている。世界は同じ時間に同じ現実を共有しているわけではなく、苦悩に潰されそうな人と、幸福感に酔いしれる人とが、別々の場所にいて異質な現実を経験していた。それは、不思議に感じられていて、至極当然の事実でもあった。

 戦争が続き、テレビのニュースでは重苦しい雰囲気が支配していたが、行内では相変わらず、楽観論者が声を大きくして、自説の正しさを主張していた。

 ところが、秋になると、やっと論調が変化し始めた。銀行では、休憩時間に二つの巨額詐欺事件が話題になった。

「許永中や尾上縫の金銭感覚は、かなりおかしい。好景気が続くと、常識をはるかに超えた投資に対して、周囲は変だと思わなくなる。十分な注意が必要だ」と支店長が指摘すると、行員たちは同調した。

一九九一年七月に、商法の特別背任罪及び、法人税法違反で逮捕されたのが、イトマン事件のフィクサーとされる許永中だった。事件では、三〇〇〇億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して暴力団などの闇社会に消えていた。

 同年八月、大阪・北浜の天才相場師と呼ばれていた千日前の料亭「恵川」の女将・尾上縫が巨額詐欺事件を起こし逮捕された。尾上は二六五〇億円の金融資産を保有していたが、負債が七二七一億円あり、金利負担だけで一日に一億七一七三万円に上っていたため、架空の預金証書を偽造したうえで、十二社に及ぶ金融機関から三四二〇億円を詐取していたのが発覚した――と、新聞紙上では報道されていた。

 ソ連崩壊後の一九九一年十二月、同国は――ロシア連邦――として建国宣言をした。恭介は――時代の大きな流れの中にいる――のを実感した。

 世界の中の日本――は、矮小なものではなく、陰に陽に他の国々との関りで、相互に影響し合っていた。

 国内では、株価が上がり下がりを繰り返しながらも、三万円になり、二万円になり、一九九二年八月に最高値の三分の一にあたる一万四三〇九円まで暴落した。

 この瞬間から、人々はやっと……、バブルの崩壊が何を意味するかに気付いて、恐れ始めていた。行内でも、日本経済の見通しを暗く感じる同僚が増えていた。しかし、それが自分たちの非力さを実感させた。

 景気の退潮を――恭介は早くから予想していたものの、不動産については価格の下支えをしつつ、適正価格を決めて、安定した水準で落ち着かせる――ソフト・ランディング路線を設定した上で、実行するものと確信していた。不動産は、動産の一般消費財と異なる属性を持つので、関係機関を通じて、価格の調整が容易にできると信じていた。だが、恭介の期待は、見事なまでに裏切られた。

 船が右舷に傾いたときに、慌てて乗員乗客の全員が左舷に集まると、沈没を免れなくなった。もし、リスクを伴うのなら、極端で大胆な変革を断行する蛮勇が求められているのではなく、舵取りの妙技が必要であり、バランス感覚が大事なタイミングだった。

 U社が明石市に分譲マンションを建築中なので、恭介と如月が応援に出向いた。二人が分譲マンションの販売事務所にいると、新聞記者が訪ねて来て名刺を差し出した。見ると――毎朝日日新聞 報道部 坂巻幸之進――と、印刷されていた。恭介が名刺を受け取り、亀山に手渡すと、坂巻は「悪徳不動産屋の事件を取材しています。ここの近くの不動産会社が地面師の和気野忠三郎と名のる男に騙されたようなので、追跡しています。この事務所に……」と、写真を取り出し「こういう男が訪ねて来ませんでしたか?」と、目の前に差し出して見せた。

 土地の単純売却による転売は問題視されていたが、地面師の和気野は実体のない取引を持ち掛ける詐欺師だった。写真の顔は、悪だくみしそうな雰囲気は見当たらず、紳士的な笑顔で正面に顔を向けている中年男の相貌だった。業界には、倫理観を持たず、目先の利得だけを追い求める不動産屋が大勢いる現実を恭介は知っていたものの、本物の悪人と言われる人物について尋ねられたのは、初めての経験だった。詐欺師の相貌は善良そうに見えるから、人が騙されるのか――と、恭介は想像していた。

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