第二十七話 あなたの名前はアンバーよ 

「お師匠さま、あの子狼はずっと付いてきますね」


 メリダの言葉に私は振り返った。


 銀色のもふもふとした子狼は、私たちと歩調を合わせながら数メートルほどの間隔を空けて付いてきている。


 いや、私たちというよりは私に付いてきているのだ。


 すでに一夜明けて空には燦々とした太陽が昇っている。


 そして場所はオクタに続く街道の中であり、メリダの話によるとあと30分もすれば到着するだろうということだった。


 だとすると、このままでは問題である。


 小さな漁港とはいえ、魔獣を連れて行くわけにはいかない。


「う~ん……でも、ダメだって言ってもずっと付いて来るのよね」


 さすがの私もどうしたらいいか悩んだ。


 銀色のもふもふはフェンリル種という魔獣に属し、冒険者の間では凄まじい戦闘力と知性から伝説の魔獣と恐れられているという。


 そんな魔獣がどうして1匹だけで森の中にいたのか。


 どうやら親狼とはぐれたというよりは、すでに親狼はどこかで死んでいるだろうというのがリヒトの見解だった。


 でなければ、フェンリル種の子狼が親狼と離れることなどないと。


 きっともっと遠くの場所から逃げてきて、疲れと空腹の極致のときに猟師の罠にかかってしまったのだろう。


 けれどそこは伝説のフェンリル種の血を引く狼だ。


 自力で罠から抜け出したものの、体力をさらにそぎ落とすほどの怪我を負ってしまった。


 そこで私と出会い、怪我と空腹の問題が一気に解消した。


 リヒトが言うにはフェンリル種の狼は非常に義理堅く、親狼以外の人間に懐いたら自分の命を捧げるほど尽くすようになるらしい。


 そんなわけで銀色のもふもふは、野宿した場所からここまで私のあとをずっと付いてきているのだ。


「ねえ、リヒト。あの狼はどこまで私に付いて来ると思う?」


「どこまでも、でしょうね」


 リヒトは瞬時に答えた。


「俺も実際にフェンリル種の狼を見るのは初めてですが、漂ってくる雰囲気からは王者の風格を感じます。今はまだ子犬程度のサイズですが、成長すれば雄牛ほどのサイズになるでしょう。そして魔力を得ればもっと巨大なサイズになるに違いありません」


「魔力を得る?」


 あくまでも噂ですが、とリヒトは言葉を続ける。


「何でもフェンリル種の特性として、別の生物から魔力を吸収することができるというのです。その魔力が多ければ多いほど、それに比例して身体のサイズや筋量も巨大化していくのだと……あくまでも昔に冒険者ギルドで聞いたことですが」


 ふ~ん、と私は話半分に聞きながら銀色のもふもふを見る。


「く~ん」


 銀色のもふもふは私と視線が交錯するなり、尻尾をパタパタと振りながら可愛げに鳴く。


 その姿からは伝説の魔獣とは思えない。


 まるっきり主人に懐く子犬そのものだ。


「本当にどうしようかしらね」


 あの愛くるしい姿を見てしまえば、無理やりどこかへ追い払うというのも気が引ける。


 事実、ずっと付いて来る銀色のもふもふを力強く追い払えないでいた。


 情が芽生えてしまったのだ。


 たとえ伝説の魔獣うんぬんと言われても、私が見る限りあの生物はもふもふとした毛並みを持つ子犬に等しい。


 それに危険な感じは微塵もないのだ。


 ましてやまだ子供である。


 怪我を治療して餌を与えてしまった以上、最後まで責任を取る必要があるのではないだろうか。


 責任を取る――すなわち、あの銀色のもふもふを私のペットにするのだ。


 でも、と私はリヒトをチラ見する。


 さすがのリヒトも魔獣をペットにするのは反対するわよね。


 などと考えていると、リヒトが「お嬢さま」とため息交じりに言ってくる。


「どうぞお嬢さまのお好きになさってください。お嬢さまに害がない限り、俺からは何も言うことはありません」


うぐ……相変わらず私のことをよくわかっている。


 もう私が銀色のもふもふをペットにすることを読んでいるのだ。


 だったら、もう遠慮はいらない。


「そこのあなた!」


 私は立ち止まると、銀色のもふもふに人差し指を突きつけた。


 銀色のもふもふはビクッと小さな身体を震わせる。


「たった今、あなたを私のペットにするわ!」


 私の言ったことを理解したのだろう。


 銀色のもふもふは「キャイーン」と犬のように鳴いて私の胸に飛び込んできた。


 ペロペロペロと私の顔を嬉しそうに舐めてくる。


「伝説の魔獣をペットにする度量……さすがです、お師匠さま」


 メリダが尊敬の眼差しで私を見つめてくる中、リヒトは冷静に「名前はどうしますか?」と訊いてくる。


「そうね……何か良い名前はない?」


「では、シルバーウルフと言うのはいかがでしょう?」


「いや、さすがにそれはまんまじゃない。却下」


 メリダが「はい」と挙手をする。


「モフモフなのでモフというはどうですか?」


「う~ん、それもシルバーウルフと同じのような感じね」


 私は2人から視線を外すと、銀色のもふもふの目をじっと見る。


 吸い込まれそうなほどの綺麗な琥珀色をしている。


「……よし、あなたの名前を決めたわ。アンバーよ!」


 アンバー。


 黄色とオレンジ色の中間であり、ウイスキーに対する詩的な色合いを表現するときにも使われる名前だ。


 銀色のもふもふは「アンバー」という名前を気に入ってくれたのか、「ワオーン」と遠吠えを上げた。


「でも、お嬢さま。道中はいいとして、オクタに着いたらアンバーはどうしますか? さすがに魔獣を連れて街の中に入るのはマズイのでは?」


「私もそう思ったけど、よくよく考えるとフェンリル種の狼って稀少な存在なんでしょう? だったら、まだこの程度のサイズなら子犬で通せるんじゃない?」


「そうですよ、リヒトさん。まだこのサイズなら珍しい毛色をした犬で通せます」


 リヒトは「まあ、そうかもしれませんね」とうなずいた。


「王都ならばいざ知らず、こんな辺境でまさか伝説の魔獣を連れているとは誰も思わないでしょう。わかりました。アンバーは珍しい色をした子犬で通しましょう」


 などと話し合ったあと、私たちは再びオクタへと向かうために歩き始めた。


 それから数十分後。


 アンバーを連れて歩いていた私たちの視界に、オクタが見えてきた。


「見えてきましたよ。あれが貿易もしているオクタで……」


 と、先頭を歩いていたメリダが怪訝な顔つきになった。


 メリダだけではない。


 私とリヒトも遠目に見えたオクタの様子に両目を細めた。


 オクタからは空に向かって何本もの黒煙が上がっていたのである。


 それはオクタの異常を伝える、不気味な狼煙のようにも見えた。

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