第十二話  アメリア・フィンドラルの特別な力 

「アメリアさま、どうぞ今日はこの家に泊まっていってくださいね」


「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」


 私を囲炉裏を挟んだ対面に座っているメリダの父親に頭を下げる。


「何を仰います。あなたさまは私の頑固な咳を治してくださった。それにまさかギガント・ボアの牙の1本をこの村に譲っていただけるという……そんな恩人に対して、このような粗末な家でもてなすしかできない私をお許しください」


 メリダの父親の名前はカイルさんというらしい。


 職業は狩人らしく、このフタラ村では大抵の男は狩人であり、一方の女や子供は機織はたおりや附木つけぎ(マッチ)の内職をしているという。


 そんなカイルさんは日頃から山中で獣を狩って生計を立てているということもあって、私がギガント・ボアの2本のうちの1本の牙をこの村に差し上げると言うと、カイルさんはそれこそ飛び跳ねるぐらいに喜んでくれた。


 それはカイルさんだけではなく、事情を知った村長を始めとした他の村人たちも同様だった。


 ギガント・ボアの牙は高級素材である。


 各村々を訪れる巡回行商人に売れば、1本の牙とはいえ相当な金額になる。


 それ以外にも私はリヒトに了解を得ると、カイルさんにギガント・ボアの死体も好きにしていいと告げた。


 肉自体は時間が経ちすぎて食料にはならないだろうが、死体から剥ぎ取った毛皮なども行商人に売ればフタラ村の人たちの暮らしは1年間は余裕ができるだろう。


 そしてお金に余裕ができるのは私とリヒトも同じだ。


 リヒトが切り取ったギガント・ボアの牙は2本あった。


 そのうちの1本を村に進呈したとしても、残りの1本を私たちが明日にはこのフタラ村を訪れるという行商人に売れば私とリヒトの財布の中もかなり暖まる。


 それに巡回行商人との仲介をして貰え、よそ者に懐疑的な村人たちの胸襟きょうきんを開かせることができるメリットは私にはとても大きかった。


 カイルさんの態度だと、各村人同士しか知らないような情報も教えてくれる可能性が高い。


 となると、ギガント・ボアの牙の1本ぐらい安いものだ。


 まあ、ギガント・ボアを倒したのは私じゃなくてリヒトなのだけどね。


 私が後ろに控えていたリヒトをチラ見すると、リヒトは「いいえ、私のしたことはすべてお嬢さまのお手柄ですよ」と相変わらず心を読んだかのように口を開く。


 私はため息を吐くと、あらためて室内を見回した。


 現在、私とリヒトはメリダの家の中にいる。


 メリダの家はあまり広くはなく、家の中心にあった囲炉裏からは天井に向かってもうもうと煙が立ち昇っている。


 当然ながら魔力灯などないため、室内を照らしているのは獣臭い匂いが特徴的な獣脂じゅうし蝋燭ろうそくの明かりのみだ。


 そして山村において、獣脂というのは非常に多用されている。


 調理に使わることはもちろんのこと、山村の住民たちは髪油にワイルド・ボアなどの獣脂を使って髪を固めている者が多い。


 それゆえに何十人もの住民たちが同じ場所に集まると、村人たちの頭から漂ってくる獣脂の生臭さに少しめまいを覚えたものだった。


 今もそうである。


 獣脂を使った蝋燭からは鼻につく獣臭が放たれていた。


 ただし不快なのは獣脂の匂いだけで、獣脂を使っている住民たちのことを不快に思ったりすることなどありえない。


 当たり前だ。


 山村の住民たちも好き好んで獣脂を使っているわけではない。


 貧困から使わないと生きていけないからだ。


 私もよくそのことはわかっているため、獣脂の匂いなどいくらでも我慢できた。


 それに私は王都でも不快な匂いには慣れていた。


 王都の病院では重度の怪我で寝たきりの患者たちも多く、その患者の排泄の世話をしたりしていると不快な匂いには慣れてしまう。


 ただ、その匂いが原因で病院から王宮に帰るとアントンさまから「おい、汚らしい病人臭いぞ! そんな嫌な匂いを僕に嗅がせるな!」と湯浴みをしたあとでも容赦なく嫌味を言われたものだ。


 それはさておき。


 私は室内から雨戸のない窓を通して外を見ると、すでに日は完全に落ちて夜の帳が下りている。


 本当にさっきまでは忙しかった。


 事の発端は数時間前である。


 村の入り口でカイルさんの咳を治したあと、遠目から私たちを警戒していた他の村人たちが「自分たちの病気や怪我も治してほしい」と殺到してきたのだ。


 そこで私は村人たちの病気や怪我を片っ端から治していった。


 軽い怪我や疾患などは短時間の魔力注入による〈手当て〉で治せるが、中には高価な薬や外科手術が必要な重大な疾患を抱えている者もいた。


 そうなると、さすがの私の〈手当て〉だけでは治せない。


 特殊な魔力操作による医療行為が必要になってくる。


 それが医療関係者から〈魔力マナ・手術オペ〉と呼ばれていた、私にしかできない特殊な医療行為だった。


 私は王宮の魔力水晶石に魔力を流すことで国全体を疫病などから守護していた〈防国姫〉だったが、その魔力を応用した独自の医療行為――〈魔力マナ・手術オペ〉の存在も知れ渡って王都中の医療施設から数多くの出張医療の要望を受けていた。


 怪我を治療する〈回復〉の魔法は存在するものの、その術者の存在が圧倒的に足りていないのがカスケード王国の現状である。


 無属性の資質を持った術者があまり現れないこともあったが、たとえ無属性の資質を持った術者がいたとしても、〈回復〉に分類される魔法を会得するには人体や医療の知識が必須だった。


 理由は1つ。


 魔法の効果の強弱を決めるのは、外ならぬ術者のイメージだったからだ。


 魔法は万能ではない。


 自分が今使った魔法がどのように人体に作用するのか、その作用する人体がどのように存在しているのかを詳しくイメージできていれば〈回復〉の魔法は凄まじい治癒力を発揮する。


 要するにその人体や医療の知識がない状態で〈回復〉の魔法を使っても、小さな擦り傷も満足に治せない場合のほうが多かった。


 そしてどれだけ無属性の資質があっても、そもそも人体や医療を学べる環境がなければ意味がない。


 そこで王都中には専門の無属性魔法使いを育成する専門機関が存在するのだが、正直なところ門を叩く人間は少なかった。


 冒険者ギルドに所属する冒険者たちが好む地水火風の攻撃魔法よりも地味で勉強が大変なため、たとえ資質があったとしても無属性の魔法使いにならないのだ。


 また昨今は医療器具や薬の精製技術が発展してきているため、魔法ではなく薬や外科手術で怪我人を治療するのが一般的になっている。


 そんな中、私は医療業界においてかなり特別な存在として知られていた。


 魔力水晶石に反応する稀少な魔力を有していたこと以上に、私は掌に集中させた魔力を人間の体内に反響させて聴診器の代わりにしたり、開腹手術をしなくても体内の腫瘍を魔力で象ったメスで切除したりと常人には不可能な魔力の使い方ができる術者なのである。


 そしてこれは他の医者には教えてなかったが、この〈魔力マナ・手術オペ〉は外科手術以外にも戦闘にも応用できるという特性もあった。


 もちろん、私はこの〈魔力マナ・手術オペ〉を戦闘手段として使ったことはない。


 私も1週間前までは〈防国姫〉という重要な仕事をする傍ら、王都中の様々な医療施設で働いた経験を持つ者だ。


 あくまでも戦闘にも使える特性があるというだけで、今までもこれからも〈魔力マナ・手術オペ〉を病人や怪我人を治す以外の目的で使うつもりはない。


 などと思っていたとき、ガラッと出入り口の扉が開いた。


 そこには禿頭で立派な口ひげを生やしていた老人が立っていた。


 このフタラ村の村長さんだ。


「失礼いたします。実は今ほどメリダから聞いたのですが、あなたさまのお名前はアメリア・フィンドラルというのは真でしょうか?」


「はい、そうですけど……」


 このとき、私は村人たちを治療する前のことを思い出した。


 確かメリダに自分のフルネームを教えたのは「私のことを偉大で1000回はうんぬん」とか口にしたときのリヒトである。


 そのメリダだが今はこの家にいない。


 村全体で私とリヒトを歓迎するため、別の家で集まっている女衆たちと宴会の準備をしているという。


 村長さんはカッと目を見開いた。


「もしや、あなたさまはこの国の〈防国姫〉であらせられるアメリア・フィンドラルさまご本人なのですか!」


 私は微妙な表情でうなずいた。


「ただし正確には〝元〟なのです。今の〈防国姫〉は妹が引き継いで――」


「お願いいたします!」


 私が最後まで言葉を紡ぐよりも早く、村長さんはその場に勢いよく土下座した。


「〈防国姫〉さま、どうかこの村を魔物のような凶悪な野伏せりどもからお助けください!」


 私は思わずポカンとなった。


 え~と……今の私は〈放浪〉なんですけど。

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