第14話

        17.金曜日午前8時


 朝七時には、財団本部についていた。

 まずコールセンターに顔を出したが、報告をうけるようなことは夜のうちにはなかったようだ。服部幸弘との約束は十時だから、まだ時間はだいぶあった。いてもたってもいられずに、家を早く出てしまったのだ。それから一時間あまり──退屈ではあるが、くつろげない時が続いている。しかも、あと二時間もある。コールセンターと休憩室、廊下を行ったり来たりしていた。

 本当に服部幸弘が犯人だとしたら、これで四件のうち、三件が解決したことになる。そして、一段落つくことになるだろう。もう一件はあまり知られていない事件だし、そもそも事件ですらないかもしれないのだ。

 長山も『足立区行方不明』のことをそれなりに調べてみたが、概要だけで判断はできなかった。懸賞金の額もほかの三件にくらべれば低いこともあり、世間の注目度もそれに比例している。おそらく練馬一家殺害の解決と同時に、この制度の成功が確定することになる。そして、第二弾の事件が発表されることになるだろう。

 そういえば……と思う。翔子の姿をここのところ見ていないような気がした。いや、昨日の午前中、反町純一との面会前に会っているから、まだ二四時間経っていないことになる。が、これまでつねに顔を合わせていた印象が強いから、そう感じてしまうのだ。電話での連絡もない。彼女がいまなにをしているのか気になっていた。

 片桐茂男のときのように、またなにか無茶なことをしているのではないだろうか? 

 まるで、娘を心配している父親の心境だと思った。長山自身、警官一筋で家族というものをもたなかった。守るものがあるというのは強みにもなるが、逆に不安要素を抱えることになって、弱みにもなる。

 長山は複雑な心持ちを振り払って、休憩室を出た。

 表で待つにはまだ早すぎるが、とりあえず外へ向かった。その途中で、久我に声をかけられた。

「長山さん、お早いですね」

「ええ。家にいても落ち着かないので」

 一家惨殺事件は日本の犯罪史のなかでも凶悪で、絶対に解決しなければならない事件の一つだ。その犯人かもしれない人物と会うのだから、興奮するのも仕方のないことだ。

 本物の犯人である確率は低いものと分析しているが、実際に会うことで、それがあっさりと覆るかもしれない。

「ところで久我さん、竹宮さんからなにか連絡はありましたか?」

「いいえ。昨日、長山さんと三人で会ったときが最後です」

 いくら密着取材中だからといっても、それ以外の仕事もあるだろう。編集部にもどっているだけかもしれない。

「十時でしたよね?」

「はい。到着する直前に電話があるはずです」

「四件目の事件は、どうですか? 進展はありそうですか?」

「いえ」

 それから二言三言世間話をして、久我とは別れた。外へ出てから思ったことだが、久我はなぜ話しかけてきたのだろう?

 明確な業務連絡以外で話しかけてくることはめずらしい。いや、それがめずらしいことだとわかるほど、まだ交流はない。イメージでそう考えただけかもしれない。

 しかし、なにか不自然なものを感じた。

 そのことに頭をめぐらしたのは、ほんの短い時間だった。すぐに服部幸弘のことに思考を切り替えていた。


        * * *


 この地域一帯は、不燃ゴミの集積日だった。早朝六時半ぐらいにはもう到着していたのだが、ゴミ出しをする主婦がチラホラと姿をみせていた。可燃ゴミとはちがって量も少なく、昨夜のうちに出してしまった家庭も多いようだが、それでも月二回しかない集積日だから、話を聞く機会にはなるだろうと昨夜のうちに考えたのだ。翔子は、その主婦たちを狙って聞き込みをした。主婦は、なにかと噂好きである。

 その噂をたどる。たどった先に、行方不明事件の真相があらわになってくるはずだ。

 七時、七時半──主婦の数は増えていく。

 出会った人たちに片っ端から声をかけていった。

 八時、八時半。そして、九時を過ぎた──。

 翔子は、ある店の前にいた。

 店といっても、だいぶ長いあいだ経営していないことがわかる。錆びついたシャッターが時の流れを感じさせた。むかしはパン屋をやっていたようだ。店と住居が一体となっている造りだった。たずねると、六十代ほどの女性が家のほうの玄関から顔を出した。

「すみません。わたし、こういう者なんですけど、お話を聞かせてもらえませんか?」

 女性は最初、困却しているような、迷惑しているような……そんな様子だった。だが、次第に口は軽くなっていった。家のなかに上げてくれて、お茶まで出してくれた。

 行方不明になった会社員に二十万を騙された、と語ってくれた。その当時は店もまだやっていて、二十万円という金額は少ないものではなかったが、被害届けを出すまでにはいたらなかったという。

 手口は、こうだ。金利の高い銀行を紹介するから、そこに預金してみませんか──と、ある日、会社員が店にやって来た。突然そんなことを言われても信用できるものではないし、興味もなかったから、女性は断った。会社員は、あっさりと帰っていった。

 しかしその数日後、またやって来た。そのときは一人ではなく、妻と娘もいっしょだった。スーツ姿ではない普段着で、休暇日に家族と散歩を楽しんでいた途中、この近くに立ち寄ったので挨拶にきた、というのだ。聞けば、会社員家族は近所に住んでいるという。

 冷静に考えてみればおかしなことだが、そのときは不自然に思わなかったそうだ。家族がいかにも幸せそうで、疑う気持ちよりも、ほほ笑ましさが勝ってしまった。

 それからたびたび、家族は女性宅を訪れた。いつのまにか、家族ぐるみの付き合いになっていったそうだ。あるとき、あらためて貯金の話をされた。その時点では、まったく疑う心は無くなっていた。後日、銀行の人間だと名乗る男性が来て、二十万円の預金をした。

 ──が、すぐにそんな銀行は存在していないことを知り、騙されたことに気がついた。

 通常の詐欺とちがうのは、会社員である男性の住所がわかっていたことだ。慌ててたずねても、ちゃんとそこに住んでいて、逃げるというようなこともなかった。男性に詰め寄ったが、その彼も「私たちも騙されたんです」と言い張った。あきらかにグルなのはまちがいなかったが、どうにも認めようとしなかった。

 その後、近所の何人かが同じようなめにあっていることがわかった。金額は五万円ほどから、多くても三十万ほどだ。みな、被害届けを出すことはなかった。

 なぜなのか?

 そのときは、ただ漠然と警察に訴えるほどの大金ではないからだと考えた。しかし、犯罪の被害にはちがいない。たとえば、空き巣に入られたとして、盗まれたのが千円だけだったとしても、通報はするだろう。

 女性は、その答えに行き着いていた。

 ──幸せそうな家族の姿を見てしまったからだ……と。

 妻と娘が、詐欺のことを知っていたのかどうかは知らない。が、その家族の形が、効果的に使われた。

 あの会社員は、それも計算していたのだ。そして、あえて住んでいる場所の近くで詐欺をおこない、逃げることもしなかった。逃げていれば、まちがいなく警察に相談した。きっと、ほかの被害者も同じような理由で通報しなかったのだ──そう女性は語った。

「行方不明になったときのことは、知っていますか?」

「この近所では話題になったのよ。捜索願いが出されたとか」

「警察の捜査は?」

「わたしのところには来てないわ。だけど、ご近所の方が聞き込みされたみたい。行方を知らないか、って」

「詐欺のことを、警察は?」

「さあ……どうかなぁ」

 女性は、本当にわからない様子だった。

「把握してないかもしれないんですか?」

「そうねえ……だれも言ってなかったら」

 詐欺の被害にあったことを隠しておきたいのなら、言っていない可能性のほうが高い。聞き込みで自主的に告白するのなら、最初から被害届けを出しているのではないか。それに、詐欺被害者に警察が聞き込んでいるとはかぎらない。残された妻や娘も言わないだろう。いや、夫の危機となったら、犯罪行為の自白になったとしても告げているかもしれない。

 警察が詐欺容疑について知っていたのか、長山に確かめたいと思った。長山の以前の勤務先は、足立区の警察署だったはずだ。

 出してもらったお茶を一気に飲み干すと、翔子は女性に礼を言って、家の外へ出た。歩きながら携帯を操作する。長山にかけようと思ったのだが、メールの着信があった。中西からだった。

 立ち止まって読んでみると、どうやら長山からのメッセージを中西が伝えてくれたようだった。もしかしたら、長山はメールを打つのが苦手なのかもしれない。そういえば、使っているのはガラケーだ。

 文面は、今日の十時に服部幸弘が財団本部に来る、というものだった。あの事件が解決に向かっている……たとえ服部幸弘という人物が犯人でなかったとしても、なにかしらの進展はあるはずだ。

 長山からは、服部幸弘の写った卒業アルバムを見せてもらっていた。なんの特徴もない中学生。翔子には、そんな少年が凶悪事件を起こしたとは思えなかったし、思いたくもなかった。

 こうしてはいられない。第四の事件のことは置いておいて、翔子は財団本部に向かった。携帯の時刻は九時二一分になっていた。もっと早く連絡してくれればよかったのに……。

 翔子はそう思いながら、歩く速度を上げた。

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