第7話 旅立ち

 翌朝、屋根の上で鳴いている鳥の声を聞いてセラは目を覚ました。

 昨晩は食事をした後、風呂へ入り、すぐにベッドへと潜り込んだ事を思い出す。

 鍋島は自分の二つの胸の膨らみを見て、これが夢でないことに溜息を漏らした。

 それからしばらくして気を取り直しベッドを下りて身体を伸ばすと、部屋着に着替えて顔を洗うために階段を降りていく。


「おはようございます、ラパーナ様。朝食の準備は出来ております」


 廊下で会った召使のアルスが丁寧に挨拶をする。


「おはようアルス。みんなはもう起きてる?」


「クラッカー様は身体を動かしてくると外に出られました。

 シデン様とバーバラ様は、まだおやすみのようです」


「そう、今日は早く出ないといけないから、悪いけど二人を呼んで来てもらえないかしら?」


「……かしこまりました」


 アルスがセラに軽く会釈してこたえる。


「アキラ様はあたしが呼んできまーすっ」


 どこで聞いていたのか、エルスが大きな返事でこたえる。

 バタバタと廊下に足音が響き、階段を駆け上る音がした。


「……ちょっとエルス、廊下を走らないで!」


 困った顔でアルスが注意するが、エルスの耳には届いていないようだ。


「すみません、ラパーナ様。あの子はお転婆で……

 あとできつく叱っておきますから」


「アルスいいいのよ。子供はあれくらい元気があるほうがいいわ」


 セラがそう笑って返すとアルスは申し訳なさそうに頭を下げる。

 洗面所に入ると金属の鏡の前で横の桶に入れてある水をすくい顔を洗う。

 それから洗面台に置いてある塩を指で歯肉に塗り付け、歯木で歯の間にある汚れを取った。

 磨かれた銀の鏡を見ながら髪型を軽く手でほぐし、何度か口をゆすいだ後、セラはひとり食堂の中へと入った。

 椅子に座ってしばらく待っていると、力こぶを作り右腕に少女をぶら下げたアキラが入室してきた。

 アキラは嬉しいような困ったような表情をしている。


「あら、女の子と朝帰りなんてアキラもやるようになったわね」


 セラはエルスを連れたアキラを見て、思わず作り笑いをする。


「いやあ参ったよ。エルスが力試しといって食堂まで自分を運べるか試してくれっていうんだ。さすがに無理だと思ったんだけど、やればできるもんだね」


「セラ様、アキラ様はすごいんだよ。ほら、片手であたしなんか軽~く持ちあげちゃうの」


 アキラの腕に鉄棒のようにぶら下がったエルスは、嬉しそうに足をバタバタ揺らした。


「ちょっとエルス、あなた何をしているの? シデン様から離れなさい!」


 眠そうに眼をこするメグを連れてきたアルスが驚いてエルスを叱りつける。


「アルスさん、いいんですよ。俺が好きでやっていることなんで。

 エルスを叱らないでやってください」


「そうだよお姉さま、エルスを叱らないで」


 エルスも調子に乗ってアキラに呼応する。


「エルス、いいかげんにしなさいっ!」


 さすがにアルスの顔に本気の表情を見取ったのか、エルスは慌てて両手を離した。

 そうこうしていると、タオルで汗を拭きながらケイが食堂に戻ってきた。


「この街じゃあ、オレ達かなりの有名人みたいだぞ?

 外を走ってたら通りすがりに、ほとんどの人に挨拶されるんだ。

 挨拶を返すのが面倒になってきたから、走るのをやめて引き上げてきた」


「えーっ、ケイ様知らなかったんですか?

 今じゃ、みなさんをこの街で知らない人は住民じゃないっていうぐらいの超有名人ですよ。だって伝説の恐竜島を踏破したこの街の英雄なんですから」


「……エルス、話はいいから皆様に飲み物の準備を」


「……はい、お姉さま」


 エルスはかしこまってそう返事をすると、紅茶の入ったポットを取りに台所へと走っていく。

 テーブルの中央には、グリッシーニと呼ばれる細長いパンが籠に入れて並べられていた。

 他にはポタージュのスープにハムと野菜、それに卵を炒った物がテーブルに並べられている。

 セラはパンをちぎって塩味のついたオイルに浸した。

 それをよく噛んでから、紅茶でゆっくりと胃に流し込む。


「今日は馬車で北にある隣町のガヤまで行くつもりよ。

 少し距離があるから余裕を見て早くここを出ましょう」


 セラが食事をしながら、みんなに旅の計画を話す。


「いやあ旅行みたいで、なんだかわくわくするね」


「あい変わらずシデンの奴は呑気だなあ。オレは不安でしょうがねえよ」


 ケイがパンにハムを巻きながら、口に放り込んでアキラにこたえる。


「ごちそうさま……」


 メグはそんな朝の会話には参加せず、無言で手早く食事を終わらせると、一人でそそくさと二階へと上がってしまった。


「どうしたんだろうメグは? 今日はやけにおとなしかったね」


「オレですら不安なんだ。バーバラの奴は旅が怖くてしょうがないのさ」


 ケイがそう言ってニヤリとする。


「それじゃあ準備が出来次第、玄関に集合ね」


 みんなが食事を終えたのを見届けると、そう言ってセラはテーブルを立った。

 自分の部屋に戻ったセラは、白銀に光る板金鎧を身につけながら気を引き締める。

 全ての装備を整え持ち物の確認を終えると、急ぎ待ち合わせの場所へと向かった。

 玄関の踊り場ではアキラが召使姉妹と一緒に網篭バスケットを持って立っていた。


「あら、アキラそれは何?」


「これは今日のお弁当だよ。アルスさんが用意してくれたんだ」


 アキラが隣のアルスを指さしながら、バスケットを持ち上げる。


「アキラ様ぁ、それはエルスが心を込めてお姉さまと一緒に作りましたあ。

 道中でぜひ食べてくださいね」


 名前を呼ばれなかったエルスが、上目遣いで可愛らしくアキラに訴える。


「ところでケイとメグはどこ?」


 セラが見当たらない二人を探す。

 すると二階から、ケイの怒鳴り声が聞こえてきた。

 慌ててセラは様子を見に階段を登る。


「バーバラいい加減にしろっ! もう出かけるぞ」


「えうーっ、待って待って。いくら持っていくかをまだ決めていないんだよう……」


 バーバラはテーブルに積み上げた硬貨を睨みながら、必死に言い訳をする。


「金なんて金貨50枚もあれば足りるだろ? 何を悩む必要がある」


「いやいや、銅貨、銀貨、半金貨、金貨、白金貨。

 それぞれ状況によって使い分ける必要があるんだよ。

 何枚ずつ持っていくかは重要なことなんだよう」


 メグがまるで数学の問題を解くかのように難しい顔で説明する。


「じゃあオレが解決してやる。

 硬貨は五種類だから、それぞれ10枚ずつだな。それでちょうど50枚だ」


 ケイはメグの計算など無視して、テーブルの上の皮財布にそれぞれの硬貨を乱暴に放り込んだ。


「えうーっ、それじゃ足りないよう……」


「ちっ、しょうがねえな。じゃあ特別に金貨と白金貨をあと10枚ずつだ」


 ケイはまるで塩コショウのように皮袋へ、パパッと金貨と白金貨を放り込んだ。


「よしっ、これで終わりだ。さあ出発するぞ」


「えうーっ」


 突き出された皮財布をしぶしぶ受けとるメグ。


「足りない分は僕が持っている宝石を換金するから、路銀の心配はしなくて大丈夫。

 あまり多く貨幣を持つと迷宮から帰る時に重いから、見つけた財宝をその分置いていくことになる」


「えう〜、それは困るよう」


 セラの言葉でメグは泣きそうな声を上げ、三人は急ぎ玄関へと向かった。

 

「馬車の用意はできておりますじゃ」


 外に出た四人に帽子を脇に抱えた馬丁のジュゼップがうやうやしく挨拶をした。

 目の前には黒塗りの高級馬車キャリッジが主人達の出発を待っている。

 馬車には黒くて立派な体躯の馬がニ頭、輓具で繋がれていた。

 御者席には二人、中には大人が三人は座れそうな長椅子が向かい合って付いている。

 後ろには荷室もあり、財宝や荷物を載せるスペースは十分だ。

 冒険者にはうってつけの、まさに現代のミニバンのように便利そうな馬車だった。


「それじゃあ、馬車の運転は誰がしましょうか?」


 荷物を馬車の後部に載せ終わってから、セラがみんなに尋ねる。


「ぜひ、オレにやらせてくれ。なんだか馬の扱いが得意な気がするんだ」


 よほど乗りたいのか、ケイが子供のようにアピールする。


「ケイがやりたいんならいいんじゃない?」


「まあクラッカーくんがそう言うなら……」


「じゃあ、ケイにお願いするわ」


「よっしゃあ、任せとけっ」


 そう言うが早いかケイは乗降台も使わず、跳躍して器用に御者席の上に飛び移った。


「さあ、乗った乗った」


 ケイが手綱を振ってみんなを催促する。

 全員が乗り込むと、手綱を動かして慣れた手つきで馬車を動かし始めた。


「それでは行ってらっしゃいませ」


 玄関からジュゼップが頭を下げて見送る。


「ラパーナ様、シデン様、ご武運を……」


「アキラ様ぁっ、必ず無事に帰ってきてくださいね。浮気しちゃダメですよう……」


 アルスが頭を下げ、エルスも両手を振って馬車を見送る。


「おいおい、ラパーナとアキラだけかよ……」


 名前を呼ばれなかったケイが不満そうに口を膨らませる。


「クラッカー様、バーバラ様もご安全な旅を……」


 アルスが続けて残りの二人にも声をかける。

 その言葉を耳にしたケイは待っていたとばかりに口元をほころばせた。


「よーし、それじゃあ出発だーっ」


 ケイのかけ声と共に馬車が加速を始め、馬蹄の音がリズミカルに石畳に響きはじめる。

 街の中央通りを走っていくと、馬車の前にいた人波がきれいに割れていった。


「きゃーっ、君主ロードのシデン様よ」


「聖女ラパーナ様、お気をつけて」


頭目ボスのクラッカー、元気でな」


「魔女のバーバラだっ」


 馬車から外を覗くと、それぞれが街を歩く人々に声をかけられる。


「いやあ、有名人ってこんな感じなのかなあ……」


 アキラがにこにこしながら、開けた窓の中から町の人に手を振った。

 セラも手を振り、住民の声援にこたえた。


「人気者なのはありがたいけど、この街じゃ下手なことはできないわね」


「えうーっ」


 恥ずかしいのか声をかけられたメグは、魔法使いの帽子を深くかぶり馬車の奥に引っ込んでしまう。

 そのまま歓声の続く中、馬車を走らせて行くとやがて城門の前にたどり着いた。


「これは聖女様、どこへお出かけですか?」


 城門の門番が窓から顔を出したセラに、うやうやしく挨拶をする。


「侯爵の命で街を出るわ。しばらく戻らないと思うけど心配しないでちょうだい」


「また大事なお仕事のようですね。どうかご安全に!」


 兵士が丁寧に挨拶して城門の右側へと馬車を誘導する。


「ありがとう」


 セラも手を振って兵士に別れの挨拶をする。 

 城門を出ると、外には絵画のような美しい田園風景が広がっていた。

 素晴らしい景色の中、馬車は整備された石畳を軽快に進んでいく。


「いやあ海外旅行みたいじゃないか。こんな風景、日本ではまずお目にかかれないよ」


 アキラが窓から顔を出し、楽しそうに風景の感想を述べる。


「この世界じゃ硝子が高価だから仕方がないけど、木枠の窓だけじゃ少し小さいな。一人が顔を出すのがやっとだ。せっかくの美しい風景がこれでは存分に楽しめない」


 セラが窓の外を眺めながら不満を口にする。

 だがそんな不満をよそに晴天の素晴らしい青空の下、馬車は何事もなく進んでいく。

 道中、景色の良い丘の上に馬車を止めてエルス達が作ってくれたお弁当を食べることにした。


「今日の昼食はパニーニと、りんごみたいだね」


 セラが網籠の上のナプキンを取り除いて、中を確認する。

 籠には切ったパンにハムやチーズ、玉子と野菜を挟んだパニーニが六切れと、りんごが四個入っている。

 パニーニーのうち二つは形が悪く、野菜やハムが飛び出していた。


「こっちはアキラの分だね。エルスちゃんが作ってくれたんだ。

 僕達はアルスさんの分をいただこう」


 セラがきれいな形のパニーニを手に取り、まずメグとケイに渡す。


「ええ~っ?」


 アキラが形の悪いパニーニを渡され、困ったような表情をした。


「アキラ、しっかり全部食べるんだぞ? 残したらエルスに言いつけてやるからな」


 ケイがにやにやしながら、アキラにプレッシャーをかける。


「そ、そんなあ……」


「パニーニぐらいでハズレがあるわけないよ? 心配いらないよ」


「セラの言うとおりだよね。じゃあ、いただきま~す」


 そう言ってアキラは形の悪いパンにガブリとかじりついた。


 その途端に顔が真っ赤な表情になる。


「み、水、水ぅ~っ」


 慌ててアキラが腰にぶら下げた皮の水筒を手に取り、中の水をがぶ飲みする。


「これ、マスタードが思いっきり入ってるっ!」


 水筒から口を離すと、アキラがそう言って涙目でみんなに訴えた。


「こっちは普通に美味しいよ。流石はアルス、料理も上手だね」


「たしかに。サンドウィッチぐらいでも、作り手で味が変わるんだな」


「これは美味しいねえ……」


 セラとケイとメグは他人事のように口を動かし、アキラの訴えを無かったように振る舞った。


「セラ、俺にもそっちのパニーニを分けてくれよ。アルスさんの奴、もう一個残ってるだろ?」


 アキラが物欲しそうな目でセラに嘆願する。


「アキラがエルスちゃんの作ったパニーニを全部食べたらね。

 純真な少女が心を込めて作った物を食べ残したら、男がすたるってもんだ」


 セラの残酷な言葉にアキラは仕方なく、必至で残りのパンを飲み込んだ。

 そして次に渡された形の悪いもう一つのパニーニにもかぶりつく。


「あま~い!

 こっちはマスタードのかわりに苺ジャムが入ってるぅ~っ」


 生ハムと野菜と苺ジャムという大胆な組み合わせのパンをアキラは泣きながら平らげる。

 最後にアルスが作ったであろうきれいなパニーニを頬張ると、嬉しそうに声を上げた。


「これこれ、オレが想像していたパニーニの味はコレだよ~」


 アキラがそう言って全部を食べ終わると、みんなでデザートのりんごをかじり食事をお開きにした。

 それからまたケイが御者台に乗って馬車を走らせ、予定どおり日が暮れる前に目的の町ガヤへと到着した。




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