高貴なる東京都民が行く、四十七都道府県・蛮地開明の旅

ニャルさま

第一都 高貴なる大東京

第一区 東京ジャングル

 シュポォォォォォっ


 背後から汽笛の音が聞こえている。つい今しがた、俺は島から本土へと戻ってきたところだった。


 おっと、誤解のないように説明しておこう。島といっても、東京都の島だ。俺は東京都から一歩でも出たわけではない。

 東京都の島なので、文明の光は行き届き、住民もしっかりと言葉の通じる人間である。何不自由なく、身の危険を感じることもなく、暮らすことができた。


 とはいえ、久しぶりの本土だ。港からでもわかる都会の香りに、島での生活に慣れ親しんだ俺は少しクラクラするものを感じる。これこそが本当の大都会、東京の姿なのだ。


 バサバサバサっ


 鳥の大群が通り過ぎていった。いや、今のはひよ子か。黄身餡が小麦粉の皮で包まれた奇怪な生物であり、海外の無法都市・博多で生み出されたらしい。それが今や東京で自生する有様である。

 そのことに俺は不穏なものを感じざるを得ない。


「しかし、どうやら長旅で疲れたらしい。腹が減った」


 俺は周囲をキョロキョロと見回した。バナナの木が見える。

 これは幸い。子供のころの記憶が蘇り、腹の虫がギュウギュウと鳴る。俺はバナナの木をスルスルと登ると、その木に生えた東京ばな奈を手に取った。そして口に入れる。

 スポンジの柔らかく、仄かに甘い感触。噛み締めると、カスタードの濃厚な甘さ、バナナの爽やかな香りが口いっぱいに広がっていく。この味わい、久しぶりだ。


「おっと、満足感に浸っている場合ではない。地下鉄に乗らなくては。本土では時間が刻一刻と過ぎていくのだ」


 島での暮らしでは時間はゆったりと進んでいた。時間を進めたいと思わなければ、そのまま止まっていることもできた。

 だが、東京本土は違う。選択する間もなく、時間が過ぎていくのだ。のんびりしていると、時間の波に飲み込まれ、にっちもさっちもいかなくなってしまう。だから、急がなくてはならない。

 俺は地下へと進むエスカレーターを見つけると、そのまま遥かなるマントルを進む地下鉄に向かって降ることにした。


     ◇   ◇   ◇


 高層ビルが立ち並んでいる。そのどれもが三百メートルを超えている。大都会のジャングルという言葉があるがまさにそれだ。地上には日の光は届かず、昼間だというのに街灯の光で僅かに道が照らされている。

 こんな場所には悪い奴らも多い。俺はビクビクしながら道を進んでいた。悪い予感というのは当たるものだ。ビルの隙間から徒党を組んだ男たちが現れた。


「よぉ、兄ちゃん、ずいぶんと身なりがいいじゃねぇか。もしかして東京都民か?

 へっへっへ、俺たちはあぶれものでよぉ。ちょいとばかり、恵んじゃあくれないか」


 リーダーと思しき金髪モヒカンの男が言った。

 その周りにはスキンヘッドやリーゼントの男たちがニヤニヤと笑っている。モヒカン男の手にはアーミーナイフが握られていた。


 アーミーナイフとは別名マルチツールナイフといい、ナイフ意外にも缶切りや爪きり、スプーン、ドライバーなど、軍隊で使用されるさまざまな用途に適したナイフだ。十徳ナイフという名前でも知られている。

 刃渡り10センチほどの刃先が、備え付けの爪楊枝やヤスリとともに、俺に向けられた。


 ……こ、怖い。

 俺は恐怖に突き動かされ、ポケットの中の財布を取り出そうとする。その時だった。


 ピーポーピーポーっ


 サイレンが鳴る。それと同時に、ビルの脇にあった公衆電話が変形し、ロボットへと姿を変える。黒と白のはっきり分かれたデザインで、菊のエムブレムが胸元にあった。

 警察のロボットであることがわかる。


 ロボットは俺にナイフを向けるモヒカン男を掴むと、両手で持ち上げ、その腕の脇から出てきたサブアームで手錠をかけた。

 モヒカン男の仲間たちはその様子を見て、散り散りに逃げようとするが、地面から無数の自動消火器が出現し、ヤンキーどもに消火液を浴びせかけた。そして、その動きが止まった隙に、ロボットが次々に捕らえていく。


「ゴロー、なんで地上を通ってきたんだ? 地下鉄からビルの上層へ進む直通のエスカレーターがあったろう」


 ロボットが言葉を発した。その声はゴローと俺の名を呼んだ。懐かしいが、よく知った声だ。


「イチロー兄さん、兄さんが助けてくれたんだね」


 しかし、なぜロボットの声が兄さんなのだろう。俺が首を傾げると、その様子を見かねたのか、イチロー兄さんが説明する。


「リモート操作だ。まったく、島暮らしで、まるで浦島太郎だな。早く上がってこい」


 俺の知らぬ間に技術発展があったようだ。俺はイチロー兄さんの元へと行くべく、高層ビル街の中心地にあるビルに入り、エレベーターに乗り、高層へと向かった。


     ◇   ◇   ◇


「やれやれ、ゴロー。やっと来たか」


 大東京の高層ビル街の最上階へと登り、ようやくイチロー兄さんの部屋へと辿り着く。

 部屋に入ると、黒塗りのチェアをくるんと回し、イチロー兄さんは俺の方へと体を向けた。オールバックに、黒いスリーピーススーツを纏っている。それだけで、どうしようもないほどの威圧プレッシャーを感じる。

 イチロー兄さんは眼鏡を直すしぐさをしながら、呆れたような物言いで言葉を発していた。


「何年ぶりの東京だと思っているんだい。もう土地勘なんて全然ないよ。見るものすべて珍しいって感じ」


 俺が正直に自らの心境を吐露すると、またも大げさに「やれやれ」と呟く。


「そんなんじゃ先が思いやられるな。私たちがこれからどこへ行くと思っているんだ。人類未踏の大地へと踏み出すんだぞ。47都道府県のすべてを制覇するんだ。土地勘なんて言っている場合か」


 はあ? 聞き間違えかな。47都道府県と聞こえたような気がした。まさか、東京の外へ出るなんて言っているわけじゃないよな。


「何をキョトンとしている。お前を呼び戻すに当たって伝えたはずだろ」


 いやいや、聞いていない。絶対に聞いていない。聞いてたら、ここまで来るはずがない。

 俺は全力でかぶりを振った。それを見たイチロー兄さんは大笑いする。


「ハッハッハッハ、これは失敬。私としたことが、つい忘れてしまっていたようだ」


 忘れてたじゃないよ。イチロー兄さんはいつもこれだ。すぐに重要なことが抜け落ちる。そのせいで、何度となくひどい目に遭ったことか。


「嫌だよ。東京の外へ出るなんて。東京から一歩でも外へ出て無事に戻ってきた人なんていないじゃないか」


 俺がぼやくと、イチロー兄さんは俺の目をまっすぐと見つめる。俺はつい目を逸らしてしまった。


「君は東京の外のことを何も知らないのか? だというのに、なぜ恐れるのだ?

 我々は東京の外に何があるか知っている。だから、恐れているのだ。違うか? つまり、東京の外へ出て帰ってきたものはいるということだ。

 それに気づいているはずだ。東京が他の府道県からの侵略にさらされていることを」


 ぐっ。俺は言葉に詰まった。

 確かに、東京の外に何があるか、まるで知らないわけではない。47都道府県という言葉が示すとおり、いくつの地があるのかもわかっているのだ。

 だが、なぜ知っているのか。それは誰も知らない。有史以前の知識としか思えなかった。


「そして、何よりだ! 情報というのは力だよ。

 私もこの地位について長いが、いつ私を脅かすものが現れるかわからない。だからこそ力が欲しい。47都道府県を巡り、その全貌を詳やかにしたとき、私は今以上の情報を獲得し、力を増すだろう。そうなれば、どんなものが私の地位を狙ったとして返り討ちにできる。そうは思わないか」


 情報が力だとして、腕力とはまた違うだろうに。どうにも、イチロー兄さんは勘違いをしていることがある。

 しかし、そのこと自体は問題ではない。しかし、利己的な目的ではとてもついていけそうになかった。


「イチロー兄さんは自分のために情報を集めるの? そのための47都道府県制覇するってこと?」


 そう尋ねると、イチロー兄さんはハッハッハッハとまた笑った。


「その通りだ。私は私のために行動する。だがな、それが私だけのためになるかというと、また違う。私が知った情報で助かるもの、救われるものは東京都民の中にも多数いるはずだ。

 出所のわからない情報で東京の外のことを知っているようにな。情報は巡り巡る。それは必ず、私以外のもののために役立つことだろう。

 君が来るか来ないか、その選択でその人数も変わる。わかるだろう?」


 俺は再び言葉に詰まった。そんなこと言われちゃ、断りづらい。

 そう思った矢先、イチロー兄さんの電話が鳴った。その内容に珍しく焦ったように感じる。何が起きたのだろうか。


従姉妹いとこのモモ。わかるか? 今は私の秘書をやってもらっている。

 モモには大東京の守護神である、将門まさかどこうの首塚に祈願に行ってもらっていたのだ。私の47都道府県漫遊の旅の成功を託してな。

 だが、あろうことか、首塚の迷宮が開いた。モモは迷宮に入り込んでしまったようだ」


 そう言いつつ、イチロー兄さんは少し思案する。


「私はこれから助けに向かう。君はどうする? 来るか?」


 イチロー兄さんとしても迷っていたのかもしれない。だが、断りづらい問いだった。

 モモちゃんが心配だ。俺は頷くほかなかった。

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